エルザとヨーゼフ
「あの、すみません、私…」
一葉は言い訳しようとして、ベッドから起き上がった少女を凝視した。緑の髪をした彼女の顔の半分は、石のように固まっていた。
「…あなた、その顔…」
「…ヨーゼフから逃げてきたのね」
驚愕している一葉をよそに、どすんどすんと足音が近づいてきた。少女はドアを開けようとベッドから出てドアに手を伸ばす。
「あ、今開けたら…」
「大丈夫。ヨーゼフは私に危害は加えないから」
顔の半分が動かない状態で少女は柔らかく微笑んだように見えた。足音は家のすぐ前で止まったようだった。
「心配しないで、ヨーゼフ。大丈夫よ。落ち着いて」
少女がドアを開いてサイクロプスに声をかける。サイクロプスは大きく息を吐いて、地面にあぐらをかいて座った。
「えっと…」
一葉は困惑しながら少女とサイクロプスを交互に見る。
「これは一体…」
「ヨーゼフは私を守ってくれてるの。誰もこの村に近づかないようにしてるのよ。ここへきた勇者はあなたが初めてだわ」
「…どういうこと? ヨーゼフ…って、あのサイクロプスの名前?」
「そう」
うっすらと微笑む少女に、一葉はわけがわからず首をひねる。
「私、石化病なの。見てわかるでしょう?」
少女は顔の固まった半分を撫でる。
「石化病…って、どういう病気? 身体が石になっちゃうの?」
「知らないの? 石化病のこと。…そうよ。伝染すると、身体が石になっていって、最後には石像になるの。だから、あなたも私に近づかないほうがいいわ」
「空気感染?」
「感染経路は飛沫感染とも空気感染とも言われているけど、はっきりした原因はまだわかっていないみたい。さあ、わかったら出て行って。ヨーゼフにはちゃんと言っておくから」
「でも…」
「…一葉!」
クラークたちが馬でこちらへ近づいてくるのが見えた。サイクロプスは再び立ち上がる。
「あの人たちは、あなたの仲間?」
「うん、そう」
「わかったわ。ヨーゼフ、あの人たちと戦わないで。お願い」
少女がそう言うと、サイクロプスは少女とクラークたちを見て、その場に座り込んだ。
「どうしたんだ?」
「なんで、急に…」
「戦意喪失?」
「一葉、無事か?」
「うん。なんとか…」
一葉が少女から離れてクラークたちのもとへ駆け寄る。クラークたちも馬から降りてサイクロプスを眺める。
「一体どうなってるんだ?」
クラークはおとなしくなったサイクロプスを怪訝な表情で見る。
「よくわかんないけど、あの子のいうことを聞くみたい。ヨーゼフっていうんだって」
一葉が振り返った先の少女を見て、クラークは驚愕の声をあげた。
「…石化病か!」
「やばいんじゃない?」
「一葉、おまえあの娘と接触したのか?」
「あぶねーそ、何してんだ!」
皆に口々に言われて一葉は「ちょっと待ってよ」と両手をあげる。
「あの子がサイクロプスを止めてくれたんだよ。病気なのは大変だけど、ちょっと話聞かせてもらおうよ」
一葉に言われて皆は少女を注視する。距離を保ったまま、少女は「あなたたちはどうしてここに?」と尋ねてきた。
「俺たちはサイクロプスの退治を大統領に頼まれてきたんだ」
ラスティが少女に答える。
「そう…。でも、もうここには来ないほうがいいわ。ヨーゼフは私を守るためにここにいるだけだから。あなたたちから何もしなければ、ヨーゼフは攻撃したりしないから、早く出て行ったほうがいいわ」
「あなた病気なんでしょう? お医者さんに診てもらったほうがいいんじゃない?」
「馬鹿」
「無知とは恐ろしいね」
ブラッドとイヴァンがため息を吐いた。
「何なの? どういうこと?」
「石化病はその名の通り、身体が徐々に石化していく病気だ。現在、治療法はみつかっていなくて、患者が出たらその濃厚接触者含めて隔離されるんだ」
「そんなやばい病気なの?」
クラークの説明に、一葉は青ざめる。
「この村自体も封鎖されたんじゃないのか? 村人がまったくいないじゃないか」
ラスティが周りの家を見渡して言う。
「そうよ。もう、この村に生き残りは私だけ。ほかの人たちは逃げるか石になってるわ。あなたたちにも伝染するといけないから、早くここから立ち去って」
「じゃあ、あなた一人なの?」
「一人じゃないわ。ヨーゼフがいるもの」
顔の半分が石の少女は、サイクロプスを見て微かに微笑んだ。
「友達なんだ? このサイクロプスと」
「そうよ。この村へ誰かが近づこうとすると、ヨーゼフが守ってくれるの」
「しかし…どうやってこいつを手懐けたんだ? 召喚士でもないんだろう?」
「この病気になって村の皆にうつらないように、私がここから逃げ出したときに出会ったの。私の病気を見てかわいそうだと思ったのかわからないけど、私がここへ戻ってきてからは、ほかの旅人や冒険者や兵士たちがここへ入らないように人払いしてくれるようになったわ。私の言うことが理解できるみたい」
サイクロプスはうなずいたように見えた。
「…そういうことか」
「大統領には一杯食わされたみたいだね」
イヴァンは顔を歪めて笑った。
「おまえ…これからどうするんだ?」
「何も」
「何もって…」
ラスティは戸惑って少女を見る。
「いずれ私も石像になるわ。それで全部おしまい。村のみんなと同じ。…家の中にみんなが最後を迎えた姿があるから、見ていくといいわ」
「おい…」
「さよなら」
「待って、あなたの名前は?」
背を向けて家へ戻ろうとした少女に一葉は声をかける。
「…エルザ」
「そう。私は一葉。こっちのちっこいのがラスティで、後ろのがでっかい順にブラッド、クラーク、イヴァン」
「誰がちっこいのだ!」
ラスティはそこに引っかかった。
「…変な人ね、あなた」
エルザは顔の筋肉が動くほうだけ口の端を上げて微笑んだ。そして家の中へ戻って行った。
「行っちゃった」
「一葉、身体に異変はないか?」
クラークは一葉の腕を撫でる。
「うん。今のところは何とも…」
「そんなすぐ症状は出ないだろうし、とりあえず村の中をちょっと見て見ようよ。戻ったら医者に魔石で洗浄してもらって、大統領にも話を聞かないとね」
イヴァンにそう言われ、一行は村の中を見て回った。ほとんどの村人がベッドの中に横たわる石像となっていた。もとは生きている人間だったのだろう。
「本当に人間が石になったんだね」
「一葉!」
石像に触れた一葉の手首をクラークが強くつかんだ。
「すぐ手を洗ってきなさい」
「う、うん。触っちゃだめだったの?」
険しい表情で言われ、一葉はどぎまぎしながら聞く。
「何でうつるかわからないから、石像には素手で触れないのが常識なんだよ」
「…わかった。洗ってくる」
一葉は家を出て、井戸で水を汲んで手を洗った。自分の手が石になっていく感覚ってどんなだろう。想像しただけでぞっとする。緊張しながら一葉は自分の手をみつめる。今のところは大丈夫なようだ。いぬくんがじっと手を見上げていた。
「ここを封鎖しているのをみつけられないために、あえてサイクロプスを生かしていたのか?」
村から出て森の中で5人は遅い昼食をとりながら話をする。ヨーゼフはこちらには何もせず、エルザのいる家の前でおとなしく座って、一葉たちを追いかけてくるようなことはしなかった。
「そうかもしれません。私たちをこちらへ送り込んだのは、サイクロプスを倒せればよし。倒せなくとも石化病の村がどうなっているか、情報をつかませるためでしょう。自国の人間に石化病を増やすわけにはいかないということですね」
「さすがだな。それぐらいの強かさがないと大統領なんてつとまらないだろう」
ラスティは感心したように言って、ため息を吐いた。
「俺はそんな女と対等になろうとしているのか…」
「殿下なら彼女以上の器になりましょう」
「俺もそう思います」
「伸びしろは殿下のほうがありますよ」
「だってさ。よかったね、ラスティ」
一葉が肘でラスティをつっついた。
「おまえはすぐそうやって…。まあいい。そうだな。どうせなら、彼女より上を目指さないとな」
ラスティは笑って水筒の紅茶を飲んだ。