浅い眠り
ラスティたちは無言で東へ東へ走り続けた。時折、馬に水を飲ませて休憩をとって食事をとり、マレッサとの国境であるリースへたどり着いた。
「今日は、ここで仮眠と休憩をとりましょう」
「ああ…」
山の中で開けた場所をみつけて、クラークが馬を止めた。皆も馬をつないで道具袋から水袋を出して昼間補給した水を馬に飲ませてやる。
「けど、超獣は本当に何も食べないんだな。水飲むくらいしかしないのか」
「ずっと一緒だけど、飲むしかしないんだよね。元気だからそれで大丈夫なんだと思うんだけど」
「くるくる」
小さくなったいぬくんが一葉の足にまとわりつく。
「殿下、どうぞ。召し上がってください」
クラークが道具袋から固いビスケットと干し肉とナッツ類を出した。
「ああ。…ありがとう」
ラスティは食事を受け取って水を飲んだ。女神に祈って無言で食べ始める。
「マレッサに入ってから主都までは結構あるの?」
「二日はかかるかな。国境を越えればレスタント軍も簡単には攻め込んでは来ないと思うよ。あそこは永世中立国だから。もっとも、王殺しを捕らえるという理由があるわけで、それを口実に追われる可能性はあるけどね」
干し肉をかじりながらイヴァンが答える。
「食料は念のため多めに持ってきたから、まだ間に合うな。殿下にはみすぼらしい食事ばかりで申し訳ないですが」
「そんなことはない。食べられるだけありがたい。本来なら、監獄に入れられているか処刑されているはずの身だからな」
「殿下…」
苦笑するラスティをブラッドは痛々しい目で見る。
「そんな顔をするな。俺が自分で選んだことだ」
「…あのさ、なんでレスタント軍は私たちがあそこにるってわかったのかな? 焚火もしてないのに」
一葉は固いビスケットに水をつけてふやかして口に運ぶ。
「わかってたわけじゃないと思うけどね」
イヴァンは干し肉を噛み締める。
「というと?」
「行くとしたら、コルディア以外のマレッサかエルビドだとあたりをつけて、行きそうな場所を絞って狙いをつけたんだよ。エルビドとの国境近くの村も監視の手が回ってるはずだよ」
「なんだって?」
ラスティが顔を上げる。
「殿下、よもや助けに行こうとでもお考えですか?」
「放っておくわけには…」
「大丈夫ですよ。彼らは殿下が東へ向かっているのは今回のことで分かりましたからね。だいたい、エルビドの国境まで戻ったら、さらに多くの兵が待ち構えてますよ。下手したら、千人の軍と4人で戦う羽目になりますけど?」
「…それは」
ラスティはこぶしを握る。
「殿下。人の上に立つものは、決断しなくてはなりません。何を捨て、何を選ぶかを」
「すべてを守りたいと思うのは、傲慢か?」
ラスティはクラークを皮肉気に言う。
「思うことは自由です。もしそれを実現したいと思うなら、殿下はそれを実現させる力を持たなくてはなりません」
「…そうだな。今の俺では無理だ」
ラスティは小さく息を吐いた。
「だーいじょうぶですよ、殿下」
イヴァンがへらへらと笑った。
「森を燃やすような蛮行に及ぶのは、マクレガン大佐くらいなもんです。自国の資源を犠牲にするなんて、普通は考えません。あの馬鹿はクラークに嫉妬してるんですよ」
「…そうなのか?」
ラスティが怪訝そうにクラークを見る。
「私は彼にはあまり好かれてはいないようですよ」
クラークは苦い笑いを浮かべた。
「好かれていないんじゃなくて、嫌われてるんでしょ。年下なのに自分より階級は上で家柄もあちらは伯爵でクラークは公爵。実績も実力もこっちが上だから、とにかくやっかみがひどくて。今日あそこにいたのも、うまくいけば今までの鬱憤を晴らせるものと思って、喜んで来たんでしょうよ」
「あいつは、クラークに会うたびに突っかかってきたからなあ」
ブラッドががしがしと頭をかいた。
「殿下には私のせいでご迷惑を」
「いや…いい。少し、一人にしてくれ」
ラスティは干し肉と水筒を持って立ち上がった。
「あまり遠くへは行かれませんよう」
「わかってる」
ラスティは口の端をあげて笑って見せた。そのままけもの道を歩き出す。紅葉の深い山の中の木々。しゃがめる場所があるところに腰を下ろした。
「…はあ」
水筒の水を飲んでラスティはため息を吐く。
三日月の星空を見上げながら、ラスティは水で干し肉を流し込んだ。
あのときは必死だったからわからないが、自分が剣を振るった兵士は死んだだろうかと思った。きっと死んだだろう。斬った後動かなかった。今までは身を守るための訓練だったものが実戦になった。肉を斬る感触。血の臭い。火事の臭い。今日のことは忘れられないし、忘れないだろうとラスティは思った。
自分が守るべき国民を斬ったのだ。自分の身を守るため。大義はあるがこの痛みは忘れてはならないとラスティは胸に誓った。
「まったく、まずいわね」
一葉がラスティの背後に背中合わせで座った。
「なんだ?」
「ビスケットよ。固くて水でふやかして食べるしかないじゃない。早くおいしいご飯が食べたいわ」
「…悪いな。付き合わせて」
「別にあんたのためじゃないし。私は私の願いを叶えるためにここにいるんだからね」
一葉は胸の中のいぬくんで暖をとるように抱きしめた。
「でもみんな強いんだね。いぬくんがいなくても余裕であの軍隊に勝ったじゃない」
「ブラッドもクラークには負けず劣らぬ実力の持ち主だ。ただ、ブラッドは大学を出ていないし、貴族の養子でもない。何より本人も出世したがらないからあの地位にいるんだ。イヴァンも普段はあまり見せたがらないが、剣の腕前は相当のものだぞ」
「私の出番はなかったね」
「おまえは火消しに尽力しただろう。超獣がいなかったらもっと被害が広がっていたはずだ」
「そうだね。…人が死ななければもっとよかったけど」
ラスティはちらりと一葉の背中を見る。背中合わせなのでお互いの表情をわからなかった。
「超獣使いがいたから、あの程度で被害は済んだ。俺はそう思う」
「…だといいけど。私の国では私が生まれる何十年も前に戦争って終わったから。外国では戦争はあったけどね。平和ボケって言われるかもしれないけど、できるだけ人が死ぬのは見たくないよ。今回敵に回った人たちでも、家族も友達もいるんだろうし」
「ああ…」
何故同じ国の人間同士が争わなければならないのか。自分が逃げていることは、正しいのだろうか。ラスティの心は揺らいだ。
「それにしても、あのクラークにやられたおじさん、嫌な人だったね。自分の国の森を焼くなんてさ」
一葉が憤慨して言う。
「…本当にな」
「あんな人が上にいるんじゃ、部下の人もやってらんないよね」
「…まったくだ」
「もう二度と会いたくないね」
「…そうだな」
ラスティはふっと笑った。一葉は目をぱちくりさせる。
「何かおかしい?」
「いや。おまえが俺の代わりに怒ってるなと思ってな」
一葉はちらりと後ろを向いてラスティを見た。
「逃げることは悪いことじゃないよ。生き延びるためだからね」
「わかってる」
「あんたのお兄ちゃんみたいに死に逃げはだめよ」
「兄上の死は逃げではない。…仕方ないことだ」
ラスティはエリザベスのことを思った。エリザベスはどうしているだろう。自分がいなくなってせいせいしているだろうか。それとも、少しは心配してくれているだろうか。
セオドールとエリザベスと城にいた日々が、今ではひどく遠くに感じられた。
「はー。それにしても寒いね。もう戻ろうよ」
「そうだな。もしかすると、そろそろ雪が降るかもしれないな」
一葉とラスティは立ち上がってみんなのもとへ戻った。寝袋を用意して結界石を置いて順番に見張りをして眠ることにした。
クラークが最初に見張りをしていると、もぞもぞと寝袋の一葉が芋虫のように這って近づいてきた。
「どうした? 眠れないのか?」
苦笑してクラークが尋ねる。
「うん。ちょっとね。…レスタント軍は、ラスティをおびき寄せるためにあんなひどいことするんだね」
「上から命令されれば逆らわないのが軍人なんだ」
「…クラークも、命令されたらそうするの?」
「私は命令に逆らって今ここにいる」
「あはは、そっか。そうだったね」
一葉は笑ってから苦い表情を浮かべた。
「…人が死んだね」
「そうだな。…見ていたくなかったら、一葉は隠れていてもいいんだ。殿下をお守りするのは私たちがやるから」
「…私は、人を死なせないために超獣の力を使いたい」
「そうか。…なら、そうするといい」
クラークは目を伏せた。
「あの人を殺さなかったね。クラーク」
「マクレガン大佐か? あの後どうなったかはわからないが、あのときは殺さなくても退却させればよかったからな」
「クラークが人を殺すところを見たくなかったから、…安心した」
一葉がそう言うと、クラークは手を伸ばして一葉の額に手を置いた。
「もう眠りなさい。休める時間は短いから」
「うん。…おやすみなさい」
一葉は目を閉じた。あまり眠れなかったが、暗闇は浅い睡眠を与えてくれた。