公爵と執事
クラークの屋敷へ馬車で戻る中、クラークは外の景色を眺めたままで、ひとことも口をきかなかった。一葉もそれに倣って、同じように外の景色を眺め、ときおりいぬくんの背中を撫でてやるだけだった。
空気が重いのは、一葉の気のせいではない。どうしたらいいか一葉はずっと考えて、結局口を開かなかった。
「ご主人様、お嬢様、おかえりなさい」
クラークの屋敷に戻ると、先日一葉の世話をしてくれた侍女が出迎えてくれた。ほかにも侍女らしき女性と男性が数名いる。
「おかえりなさいませ、ご主人様。それと…」執事がクラークを出迎えて、一葉に目線を向ける。
「ああ、この娘は先日私が拾った。一葉という。今日からうちで預かることになった。客人としてな…陛下の命令だ」
拾ったって、ものかよ…。と一葉は思ったが、口には出さないでおいた。
「国王陛下直々のご命令ですか。それでは、こちらもそれにふさわしいおもてなしをさせていただきます。お嬢様」
「え? いや…普通でいいですよ」
あまりの腰の低さに、一葉のほうが遠慮してしまう。
「いいえ。そういうわけにはまいりません。私、執事の…」
「もしかしてあなたの名前、セバスチャン?」
執事が名乗る前に、一葉が名前を聞く。一瞬、執事が目を瞬かせた。
「は? 私の名前…でこざいますか?」
「執事と言ったら、セバスチャンだよね?」
一葉の問いに、執事は「申し訳ございません」と心を込めて謝る。「私、執事でございますが、ヴァレンタイン…トーマス・ヴァレンタインと申します。気軽にヴァレンタインとお呼びください」
「ああ…ヴァレンタインさんね。執事なのにセバスチャンじゃないのか…」
ちょっとがっかりしたような一葉に、「申し訳ございません」とヴァレンタインは再び謝罪した。
「いえ、こっちこそすみません」
「…なんの話だ?」
「さあ…?」
クラークと侍女が一葉とヴァレンタインのやり取りと理解できずに首を傾げた。
「この娘は一葉という。メアリアン、おまえに世話を頼みたいがいいか?」
執事がうなずき、侍女がメアリアンという名前なんだな、と一葉は一人納得した。
「かしこまりました。ご主人様、お嬢様のお部屋は先日の客間でよろしいのでしょうか?」
「ああ…いや」メアリアンに聞かれ、クラークは少し考えてから「私の部屋の隣に空きがあっただろう。そこにしてくれればいい」と言った。
「よろしいのですか?」ヴァレンタインに確認され、「かまわない」とクラークはうなずいた。
「では、お嬢様にお部屋をご案内しなさい、メアリアン」
「かしこまりました。お嬢様、こちらへ」
「ああ、はい…」一葉はなんとなく確認するようにクラークを仰いだが、クラークはそれに応えず屋敷の中へ歩き出した。
「お嬢様?」
「あ、うん。今行く…」
なんとなく後味の悪いものを感じながら、一葉は待っているメアリアンの後に続いた。
メアリアンは親切に一葉に屋敷内を案内してくれた。
「ここが食堂になっています。今はご主人様おひとりでお食事なさっているので、お嬢様が来てくれたので嬉しいと思いますよ」
「そうかな…ところでさ、メアリアン」
「何でしょう?」食堂の前を通り過ぎながら、一葉の呼びかけにメアリアンが答える。
「そのお嬢様っていうの、やめてくれない? なんか…」一葉は眼鏡を指で押し上げる。「こそばゆいっていうか…恥ずかしいというか…」
「でも、大事なお客様ですから」
「そうかもしれないけど…うーん…。じゃあ、一葉って名前で呼んでくれない?」
一葉の願いにメアリアンは少し考え、「では、一葉さまと呼ばせていただきます」と笑った。
「うーん…そこが妥協点かあ。まあ、いっかあ…」
「では、次は執事のヴァレンタインさんのお部屋になります」
「はいはい」
ほかにも浴場だトイレだ書斎だ客間だと案内され、ようやく一葉が止まる部屋へ案内された。
「お隣がご主人さまのお部屋ですよ」
「この家、おっきいよねえ。お城ほどじゃないけどさ。やっぱ。将軍様ってこういうところに住むんだあ…」
「ご主人様は将軍でもありますが、公爵でもありますので。王都ではこちらにお住まいですが、ご主人様の領地であるメイナードにも立派なお屋敷がございます」
「そうなんだ」
一葉の部屋のドアを開けて、メアリアンが中へ入るよう促した。中へ入ると、客間より広い部屋に柔らかそうなベッド、化粧台に椅子、ほかに小さなテーブルとイス、本棚にクローゼットなどが置かれていた。
「すごい部屋だね」
「このお部屋はお気に召しましたか?」
「うん。ありがとう」
一葉がそう言うと、「必要なことがあれば、いつでもお呼びください」とメアリアンは一礼して下がっていった。
「さて…」
「くるる」
メアリアンがいなくなってから、一葉はいぬくんとともに部屋を出る。そして、息を吸って吐いてから、隣のクラークの部屋をノックした。
「誰だ?」とクラークの声が中からする。
「一葉だけど…入っていい?」
「どうぞ」
クラークの言葉に、一葉はドアを開けた。クラークの部屋はつくりは一葉と同じようになっているが、クローゼットは多いようだ。化粧台はない。
「何か用かな?」
「うん、あの…ちょっと、話がしたいなと」
机の前の椅子に座ってこちらを見るクラークに、一葉は遠慮がちに話しかける。
「私はこれから城へ戻らなければならない。手短に」
手元にある書類に視線を移してクラークが言う。
「あ、あのさ…」
「なんだ?」
「…なんか、怒ってる?」
一葉の言葉に、クラークは書類から一葉に視線を戻した。
「どうしてそう思う?」
「いや…だって、なんかさっきも馬車の中で全然しゃべらないし。私が国王陛下の前でああいう態度をとったから、怒っているのかなと…」
「それで私が怒ると?」
「後は…私が王子様をひっぱたいたのに謝らないからかな…」
クラークに答える一葉の声は、次第に小さくなっていった。
「………」
「………」
しばらく視線を交わらせたあと、クラークのほうから表情を崩した。
「私がどう思おうと、一葉には関係ないんじゃないか?」
「う…いや、そんなことはないですが…」
クラークに笑顔で意地悪くそういわれ、一葉はうつむいて両手を組んだり開いたりする。
「いや、」とクラークは片手をあげて「私の態度がおとなげなかったな。すまない」と言って微笑んだ。
「いえ、あの、私が…」
「まさかそんなことを聞かれるとは思わなかった。一葉は意外と繊細だな」
「せ、繊細? 私が?」
クラークの言葉に一葉はぎょっとして聞き返す。
「自分ではそんなこと、思ってもみなかったか?」
「うん、全然…。言われたこともないよ」
「そういうものかもしれないな」
クラークはそういって椅子から立ち上がった。
「出かけるの?」
「そう。城へ戻ると言っただろう?」
「そうか…。そうだね。じゃあ、私も一緒に行っていい?」
「は?」
一葉の発言に、クラークは聞き返した。
「何故…」
「一応、謝っておこうかな、と。王子様に」
「………」クラークは少しの間思案してから「わかった」と言った。
「ありがとう」一葉はほっとして笑顔になった。
「礼を言われるようなことじゃない。これなら、家に戻らず城にいればよかったな」
「あはは…そうだね。でも、私、クラークと一緒にここへ戻らなかったら、そう思わなかったよ」
一葉は視線をそらして頭をかいた。
「…そうか」クラークは苦笑して、「では行こうか」と部屋のドアを開けた。




