異世界召喚
「…へ?」
平松一葉(かずは)が目を開けると、そこはギリシャ神話に出てくる神殿のようなつくりをしていた。
「ここ、は…」
周りに見えるのは白い雲と白い柱と屋根と床、そして青い空。昼間のように明るかった。一葉は床から体を起こす。暑くもなく寒くもない場所だった。そこに青い髪を束ねて青い衣をまとった少年が杖を持ち、じっと一葉を見ていた。足元には角の生えたいぬような獣がいる。
「…誰?」
「ようやく目が覚めたか。気楽なものじゃのう」
少年は少年の声で、年を重ねたようなしゃべり方をした。
「なんなの?」
「おぬし、名は?」
「…知らない人に名乗るのは」
「簡単に言おう。おまえは異世界から転移されたのじゃ」
「えっ…。私、死んだの?」
軽くショックを受けて一葉は自分の体を見る。高校の制服であるブレザーを着た姿は、別に血みどろでもどこか骨が折れているわけでもなかった。
「死んではおらぬ。異世界から召喚されただけじゃ。おぬしの名は?」
「…平松一葉」
もう一度聞かれ、一葉はしぶしぶ答えた。
「おぬしにはかなえたい願いがあるのではないか?」
青い髪の少年に問われ、一葉はどきりとする。
「…そうだとしたら? あんたが叶えてくれるの?」
「儂にそんな力はない。あるとするなら、この超獣に願うがいい」
「超獣?」
「くるるる」
超獣と呼ばれた獣は小さく鳴いて、一葉の足元へとてとてと歩いて来た。
「それは異世界の人間にしか使役できない伝説の獣じゃ。想像もつかぬ力を持っておる。おぬしがこの世界を混沌から秩序を取り戻した時、おぬしの願いをかなえるじゃろう」
「ふうん…。ありがちな設定だね」
一葉は足元の犬のような獣を見下ろす。
「儂はこの世界にいる七賢者の一人、青の賢者。世界の秩序を守るため、七賢者の決定によりおぬしが召喚された」
青の賢者は長い青い髪を後ろで束ね、まだ12,3の少年のような容姿をして、異世界の魔法使いのように杖を持っている。
「私には何の力もないのに?」
「だから超獣に力があるのじゃ。異世界の人間であれば、偏った力の使い方をせぬであろう」
「ふうん…」
一葉は眼鏡を指で押し上げる。しゃがんで超獣に手を伸ばした。
「超獣って呼ぶのもなんだし…そうだなあ。犬みたいなフォルムだから、いぬくんて名前にしよう」
「くるるる」
超獣は一葉に抱き上げられ、返事をするように鳴いた。
「私が超獣使いになれば、超獣はどんな願いでもかなえてくれるの?」
「そうじゃ。異世界の娘よ。ただし、その代償はおぬしの命じゃ。それでも、願いを叶えることを望むか?」
一葉は青の賢者をじっと見てから、いぬくんに視線を移す。
「…なんだか悪魔と契約するみたいだね。でも、それって私じゃないとだめなんだ?」
「そうだ。超獣は異世界の人間としか契約せぬ。そしておぬしが超獣の力を使えるようになるには、超獣の封印を解く必要があるのじゃ」
「くるくる」
いぬくんは鼻を一葉に摺り寄せる。
「超獣の封印はどこにあるの? 封印を解くには、どうしたらいいの?」
「下界へ下りて、その方法をおぬしはさがすのだ。千年の間におとぎ話となって伝わっているだけで、わしらもあずかり知らぬのじゃ。おぬしの世界にはいない魔物がいるから、超獣がおぬしを守るであろう」
「ふーん…」一葉は周りの景色を確かめる。確かにここは雲の上で、周りには雲と空しか見えない。人間の住む場所を「下界」というあたりが、世捨て人と一緒だな、と一葉は思った。「で、超獣の封印を解けば私の願いは叶えられるの?」と一葉はさらに問う。
「おぬしがこれから行く国は、長いこと戦争をしておる。今は休戦協定中じゃが、それをおさめるためには今の皇太子のセオドールは精神的に弱すぎるから、弟のラスティが王となるのがふさわしいじゃろう。彼を支持するものが将軍の中にいる。おぬしがこれから行くのはその男クラークのところじゃ。クラークと協力し、国王の客人として扱ってもらうのがいいじゃろうな」
「人の歴史に関与するの?」
「我らはずっとそうして下界の秩序を保ってきたのじゃ」
「ふうん…」一葉は表情をゆがめた。
「気に入らんようじゃな」
「人間の住むところを『下界』なんていう奴が、人間の歴史を操作するのかと思うとね…」
「いやなら、我らと契約せずに自力で異世界をさまようがいい」
「…わかったよ」
舌打ちしそうになるのをこらえて、一葉は請け負った。自分の知らない世界で助けもなしに生きていける自信などあるわけもない。一葉は無謀な賭けをする性格ではなかった。どちらかといえば、保険を掛けるタイプだ。
「あんたらに協力するよ。私の命と引き換えても、私の願いを叶えてくれるならね」
「では、契約は完了じゃ。カイン」
「はい」
青の賢者に呼ばれ、一人の背の高い長髪の栗色の髪をした男が扉から入ってきた。くすんだ蒼い目をしている。
「カインをおまえの護衛につけてやる。超獣はおまえとともに成長していくから、今はまだレベルが低い。だがおまえを守護するカインはかなり魔法使いとしての腕を持っているから、問題ないじゃろう」
「一緒に来てくれるんだ?」
「同化するのじゃ。…よいな?」
カインはうなずくと、一葉に手を差し出した。
「???」一葉はきょとんとしてその手を見る。
「さあ、手を」
「うん…?」
なんだかよくわからないまま一葉はカインの手に自分の手を重ねた。すると、『何か』が自分の中へ入ってくるのを感じた。奇妙な感触に目をつぶって、もう一度目を開けるとカインの姿は消えていた。
「あれ…?」
「これでおぬしとカインは同化した。おぬしを常に守るであろう」
「え? てことは…私の中に入ってるってこと?」
一葉は自分の体を確認するようにペタペタ触る。
「まあ似たような意味じゃな」
「うう、なんか…やだな」
「もう遅い」
一葉は自分の両腕をさすったが、もう奇妙な気配は消えていた。
「これって、私がお風呂入ってるときとかもみられているという…?」
「見られて困るような体をしているのか。貧相な体に見えるが」
「誰が貧相な体だ!」
一葉がわめくと、青の賢者はそれを無視して「同化したくない場合はカインに指示するといい。それと、カインの魔法の力を使うとおぬし自身は非力な人間だから副反応が出る場合もある。だから派手に魔法は使わぬことじゃな。頼られては自分が困ることになるじゃろうから、口外しないほうがいい」と言った。
「副反応って?」
「そのうちわかる」
青の賢者はこれ以上説明する気がないというように、杖の先をとんと床につけた。
「困ったときは、教会の司祭シアンを頼りにするといいだろう。街のことにも国外のことにも詳しい」
「…わかったよ。シアンね。そしてあんたらの指示に従って、超獣の封印を解けば、どんな願いも叶えてくれるんだよね?」
「そうだ。それが超獣との契約じゃからな。おぬしはこれからこの世界に変革をもたらす『招かれざる客』となるじゃろう。その覚悟を持つことじゃ。…おぬしは何を願うのじゃ?」
青の賢者の問いに、一葉は少しの間をおいてから答える。
「…死んだ人間を生き返らせる」
こうして平松一葉の異世界での冒険が始まる。