私と父
これは衝動的に書き上げた文章です。
普通の家族ってなんだろう。
これは、大人になれない私の懺悔。
私は不幸のドン底で生きてきた訳でも、幸福を日々噛み締めて育ってきた訳でもない。まずそんな人間は存在しない。
四人兄妹の真ん中に生まれ、兄が両親に怒られる姿を見て学び、妹ばかりを可愛がって贔屓しないようにと気遣う親の元で生活してきた。
食うに困るほどの貧困ではないし、誰かに暴力を振るわれることもない。
ただ、私の父は酒を飲む人だ。
晩酌で酒を飲んで酔うだけなら良かった。仕事終わりに気分良く、楽しくお酒を飲んでくれる人ならどれだけ良かったことか。
父は今、アルコールが抜けている時間が存在しているかも分からない状態にある。仕事が終わって家に帰ってくるとただいまと家族に言って他愛のない話をする。リビングに着いて椅子に座ると同時にビールの缶を開ける。基本的には500ミリリットルの缶を二本、焼酎に入れる氷がないと一緒に氷を一袋。帰宅時に腕からぶら下がる買い物袋にはそれが入ってる。
一時間と経たないうちにビール缶二本を空にすれば、そのあとは焼酎を烏龍茶と氷でグラスいっぱいに注いで飲み続ける。母が作る手料理に手もつけず、酒を飲みながら家族と話す。深夜まで飲み続ける。父が椅子から立ち上がるのは、タバコを外へ吸いに行く時かトイレの時。怒った母さんが酒を作ってくれなくなった時。仕事の疲れで酔いが回って、足元が覚束無いままベットへ向かい眠る。
そんな姿を、ずっと見ている。
子供の私に酒の良さが分からなかった。20歳になるまで私は酒もタバコも一度だってやったことがない。酒を飲むのも、タバコを吸ったのも20歳になってからだった。
酒を飲むことは出来る。しかし私の体はアルコールに強くなく、ジュースの様な缶酎ハイ一本で酔いがくる。大人になって、酒が怖いことに気付いた。酔って前後不覚になることや、急性アルコール中毒になることの怖さは知っている。そうではない。
酒が怖い。飲んで自分自身が酔うことが、とてつもなく怖かった。酔った人間の突拍子のない行動の数々を私は知っている。
父は会社の飲み会で社長を殴って辞めたことがある。血塗れで会社仲間に連れられて帰って来たことがある。玄関で靴を脱ぐことはどころか、玄関に座り込んでいる姿だって見た。自分の現在地が分からなくなり、深夜に電話で「俺はどこにいるんだ!」と怒鳴って電話してきたこと。自力で帰宅出来ず、父の母(私の祖母にあたる人)が車で探して見つけたこと。財布も携帯も靴もなかったこと。ベットから数歩で行けるトイレが分からなかったこと。扉を開けられなかったこと。寝言でひたすら誰かを罵倒する寝姿。風呂場で反省しているのか、シャワーを頭から浴びながら縮こまっている背中。血走った目で家族を怒鳴る顔。楽しそうに私の髪を撫でる掌。何度も名前を呼ぶ声。家族で出掛けた楽しかった日の思い出を話す姿。
書き出せばきりのない、酒で酔った姿をたくさん見てきた。
私は酒が人を変えることを知っている。それが本心なのかどうかは問題ではない。酒で機嫌が良くなる時も、悪くなる時もある。自分が酒を飲んでそうならない確証がどこにもない。だから、私は酒で酔うのが怖くて仕方がない。もし、父のように怒鳴ったりしたら、そう考えると背筋が冷える。酒の席だから、そんな一言でくくれるものか。
酒で酔うことが、私にとっては死ぬことの次に怖いかもしれない。
似たような行動を取ってしまったら、きっと自分を殺してやりたくなる。だから、お酒が怖くて飲めない。
嫌なことを嫌といえる性格故に、酒を無理に飲んだりすることなく今までを過ごしてきた。
酔って楽しい気分になることがなかった。少しでも酔ったと分かれば冷や汗が出る。
だから私は、父に共感してあげることが出来なかった。例え嫌なことから逃げる為であっても、どうしても理解出来ない。
母さんはアルコール依存症が脳の病気であると知っている。母の父(私にとっての祖父)はアルコール依存症が祟り、家族に見放され、酒が原因で病気になり、この世を去った。学生だった母だけが祖父を突き放し切ることが出来ず、病院に付き添い、回復させる努力をした。残念ながら、その血の滲んだ努力は母さんの望む結末に身を結ばなかった。それでも、たった一人で祖父を支えた母さんはこのアルコール依存症という病気の怖さと、治療することの難しさを良く知っている。
母さんは祖父を支えたが、そんな若い母さんを支えたのが私の父だったらしい。昔は酒が一切飲めず、飲み会の場でコーラを飲んでいるような人だった。そのまま母さんは今の父と結婚し、子供を作り家庭を築いた。
そんな父を知らない私は母さんに聞いたことがある。
「何故あんな奴と結婚したの?」と。母さんは困った様な顔で答えた。
「昔は酒が飲めなくて、一番苦しい時助けてくれた。」
「こんな風になるなんて考えなかったし、結局父親と同じ様な人を選んでしまうって言うしね」と。小学生だった私はなんだそれはと思いながら聞いていた。
子供の私にとって酔った父は怖い人だった。深夜はいつだって自室の布団に潜り込み、小さくなって泣きながら耳を塞いでいた。耳を塞ぐくせに、父の暴言を一字一句聞き逃さない様耳をすます自分が憎らしかった。やり場のない恐怖で小学生の私は自傷癖がついた時期もあった。私より小さい妹たちへの悪影響が酷く、私の意思で母方の祖母の家へ父から逃げる為、夜逃げの様に転がり込んだこともあった。
それでも今、私は父が酒を飲むリビングの上にある自室からこれを書き出している。
結局今まで、父から離れることが出来ていない。この病気において、家族の存在がどれだけの影響を及ぼすか知っている。知っていて、それでもここにいる。
父を壊しているのは、私かもしれない。そんなことを1日に一度考える。
なんて無駄なことだろうか。
この歳になるまで、私はこれを誰にも相談出来ずに生きてきた。
しかし限界がきているらしい。
とても困ったことに、私には夢がたくさんある。進みたい道が明確に存在している。
なので、ここで悲劇のヒロインよろしく嘆いてみようと思う。
これは、平々凡々な人間の日記の様なものになる予定。
考えていることを、気軽に書き出すだけのもの。
他人のことなどどうでもいい、一人で苦しい私が、私の心を軽くするための文章。
プライドが邪魔をして、助けてと助けを求める親しい人一人作れない、そんな凡人の話。
何故こんな文章を書き起こしこのサイトへ投稿しているのか。
それに対して私はこう考えている。
悲劇のヒロイン振っていたいし、助けて欲しいし、同情してほしい。
何よりも、共感してくれる人を探している。
そして、私のような考えを今持っている人へ伝えたい。
バカみたいにたくさんの人が生きているこの社会で、自分と同じ考えの人などいないと一人部屋で泣いているあなたへ
あなたが考えていることと同じようなことを思う人は、絶対いる。
出会えていないだけで、必ずどこかにはいる。苦しくて、今どうにもならないと延々と考えている瞬間も、同じような奴がいる。
私は正直、今終わってしまってもいいと考えている。進みたい道があるけれど、ふとした拍子にどうでも良くなる。しかしそのタイミングがこない。なので、取り敢えず今文章を書いている。
この文章は私の為の文章です。ですがそれだけだと何なので、もし今これを読んでいて、何か思うことがあれば教えて欲しい。
しかしこれは強制では勿論ないし、共感して欲しいけど否定して欲しい気持ちもある。
全部を受け入れる器など私にはないが、知ることは生きることなので。
何でもいいから、思うことがあるならば書き起こしてみるのも悪くない。
なんだか支離滅裂になってきたので、ここでこの文章は一旦終わらせる。
書きたいときに、私はこの現状について文章にしていこうと思う。
今日の深夜は雨が降っています。