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舞と増田 其の二 彼女の家庭の事情

 舞の母親は十九歳の時に舞を生んでいるので、現在三十七歳だ。

 その話を聞くと、現在三十八歳の増田は彼女の母親と一歳しか違わないどころか自分の方が年上であることにショックを受けて、このまま舞と付き合うことに尚更背徳感を感じてしまった。そして昨年母親が再婚した相手は三十六歳の初婚の男性と聞くと、増田は思わず倒れてしまいそうになる。


 そもそもこれから付き合おうかという彼女の母親が自分よりも一歳年下のうえに、義理とは言えその父親は更に年下なのだ。これほど冗談のような話はないし、もしもこれが舞の両親の耳に入った場合どう思われるだろうかと考えると、さらに増田の頭は痛くなるのだった。

 しかしいま舞から話を聞いているのは、そんなことにショックを受けるためではなく、彼女の家庭に何か問題が発生しているのを訊き出すためなのだ。だから増田としては決して無視できない話ではあったが、とりあえずその件は横に置いておくことにした。

 

 増田を信頼している証拠なのだろう、舞は自分の家庭の事情を包み隠さず話した。

 それだけ自分が信頼されていると思って増田は嬉しくなったのだが、彼女の口から語られる話を聞いているうちにそんな感情は吹き飛んでいた。




 話の概要はこうだ。

 

 舞の母親は再婚した相手との関係を優先するあまり、子供達の世話が疎かになっているらしい。

 子供とは言っても長女の舞はもう母親の世話になることもないので問題ないが、この場合はまだ小学生の彼女の弟妹の事を言っているのだ。

 実は昔から母親はそういうところがあって、ネグレクトまではいかないが、舞自身もあまり世話を焼かれた記憶はないし、母親に放置されがちだった弟妹達も殆ど舞が世話してきたようなものだったのだ。

 それが再婚したことによって余計に顕著になり、最近では夫婦二人で旅行に出かけて何日も帰ってこないこともざらだった。


 つまり舞の母親は、母親であることよりも女であることを選んだということなのだろう。


 今はまだ妊娠してはいないようだが、未だ三十七歳という年齢を考えるとこの先再婚相手の子供を出産することは十分に考えられるし、もしそうなった場合その子供を優先するあまり余計に舞の弟妹の面倒を見なくなりそうだった。

 だから舞は自分の事ではなく、弟と妹の心配をしていたのだ。




「……そうか。それは――」 


 増田は何か気の利いたことを言おうとしたのだが、そのあまりにリアルな家庭の事情に何も言葉が思い浮かばなかった。そして彼が何も言えずに舞を見つめていると、彼女はそこで話を止めてしまう。


「店長、ごめんなさい。こんな話されても答えようがないわよね…… 本当にごめんさいね……」


「い、いや、その…… なんというか、ちょっと驚いただけだから…… えぇと、僕に何か出来ることがあれば言ってくれないか」 


「それじゃあ今すぐ付き合って」  

  

「えっ、あ、それは……」


「ふふふ、冗談よ。大丈夫、私は店長の言い付け通り来月まで待つから。あぁ、ごめんなさい、そろそろ帰らないと。弟と妹に――」


「あぁ、食事の支度だろ? 引き留めて悪かったね。ほら、もう帰らないと」



 増田が促すと、舞は素直に帰って行った。

 彼女はこれから家に帰って弟妹の夕食の支度があるのだ。しかし冷静に考えると彼女達には母親も父親もいるのだから今更舞が夕食の支度をする必要は無いと思うのだが、聞けば両親は彼らだけで夕食を済ませて帰ることが多々あるらしい。

 それも居酒屋のようなところで酒まで飲んで帰ってくる始末で、彼らは幼い子供達の面倒を長女の舞に任せっぱなしにしているのだ。


 せっかく母親が再婚して義理の父親が出来たというのに、今でも舞が弟妹の夕食の支度から宿題の確認、風呂の準備、洗濯、寝かしつけまで全てやっていて、今までと何ら変わらない生活を送っている。

 そして来月から新しい職場で仕事が始まれば、今のように決まった時間に帰ることも出来ないだろうし、場合によっては残業で早く帰れない事もあるだろう。

 だから舞は弟妹を心配しているし、子供の面倒を見ない実の母親と、妻の連れ子に興味を持たない義理の父親に憤りを感じているのだ。



 増田は普通の両親のもとに生まれて普通に育った普通の人間だ。

 だから舞の家の事情を聞いた時には、本当にそんな人間がいるのかと少々驚いたし、舞の言っている事が大げさなのかとも思った。しかし彼女が態々(わざわざ)そんな事を言うはずも無ければ、ましてや嘘なんかをつくはずもないのだ。そもそも彼女が自分の家庭の話をしてくれたのも自分を信頼しての事なのだし、敢えてそんな事をするメリットもないだろう。


 それにしても、と増田は思う。

 確かに舞の境遇は不憫だし力になってあげたいとは思う。しかしまだ付き合ってもいない他人の自分が他所の家の事情に首を突っ込む道理も無ければ権利も無いだろう。

 それなら自分に何ができるかと言えば、精々一日でも早く舞の恋人になってあげるしかないのかも知れない。そうであれば今以上に踏み込んで彼女を支えてあげる事は出来るようになるからだ。


 口では色々と言ってはいるが、増田も舞の事は好きだった。

 もちろんそれは彼女の容姿がとても美しいのも理由の一つではあったが、あのとても強そうに見える外見に反して、実は彼女はとても繊細な性格をしている事に気付いていたのだ。そしてそんな舞の素顔を覗く度に惹かれていく自分にも気付いていた。

 確かに彼女はまだ十八歳の少女だが、ずっと厳しい家庭環境の下で育ってきたせいか、皮肉なことに彼女の精神年齢は実年齢よりも随分と上だった。

 その為若い娘にありがちな浮ついたところの無い非常に落ち着いた性格をしているので、話をしたり一緒にいてもその雰囲気がとても心地よかったし、確かに実年齢は二十歳も離れているが、増田としてはそこまで離れている気はしていなかったのだ。

 

 しかし何かと理由を付けて付き合いを先延ばしにしていたのは、彼の度胸の無さと超絶美少女と付き合うことに対して怖気づいているのが原因だった。

 



 ――――




 S町から電車で四駅行くと、この地域一番の繁華街がある。

 そこは駅前通りに面して多数の企業ビルが林立する所謂(いわゆる)オフィス街で、S町からも多くの人間が通勤している。

 その一画に全国展開する大手不動産会社の支社が所有するオフィスビルがあり、その七階に不動産管理部があった。来週からゴールデンウィークが始まることもあり、どことなく職場全体に浮足立った雰囲気が漂う中、一人のスーツ姿の若い男が廊下を歩いていた。



「おい長澤、新しい受付の女の子見たか?」


「えっ? いや、見てないけど」


 現在昼の十二時三十分、ちょうど昼食も食べ終わり社員用に設けられたテラスから眼下の街中を眺めながら缶コーヒーを飲んでいた長澤優成(ながさわゆうせい)は、同期の月本(つきもと)に話しかけられた。


「なんだ、お前。もう一週間も経ってるのに見てないのかよ」


「いや、だって自分の会社の受付嬢なんて別に用事ないだろ」


 まるで興味の無さそうな長澤の言葉に、月本は小さな溜息を吐いた。


「だからお前は…… まぁ、いいや。お前は知らないみたいだから教えてやるけど、先週から入った新しい受付嬢がめっちゃ美人なんだよ。一回見てみろよ」


「えぇ…… 別に受付に用事は無いからなぁ。まぁ、あとで見てみるよ」


「おぅ、絶対見ろよ。とにかく凄い美人なんだよ。ちょっと気が強そうなあの目も、今時珍しい真っ黒なストレートヘアも、めちゃくちゃ綺麗でさぁ。いやぁ、あんな子と付き合ってみたいよなぁ」



 突然自分の世界に浸りだした月本を呆れたような目で眺めながら、長澤は小さな溜息を吐く。


「お前さぁ、この前も同じようなこと言ってただろ。――確かあそこの製薬会社の事務の女の子だっけ?」


 そう言って長澤は眼下の街並みの一画を指差した。


「あぁ、真美ちゃんか? いやぁ、彼女はもう彼氏がいるからなぁ。玉砕しちゃったよ」


「そ、そうか…… お前、意外と度胸あるんだな……」


「まぁな。告らずに後悔するくらいなら、告って後悔しろ。これが俺の座右の銘だからな」


 その積極性をもっと仕事に生かせばいいのに、と長澤は思ったが敢えて口には出さなかった。


「……お前、念のために訊くけど、まさかその受付の子にも告る気じゃないだろうな? 業務中の受付嬢にプライベートな話をするのは禁止されてるの知ってるよな?」



 

 このビルの一階正面玄関には受付嬢が三人いるのだが、それは主にこの会社を訪れる訪問客への案内と取り次ぎを担当しているので、自社社員が彼女たちと関わる場面はそう多くない。

 そもそも彼女たちは人材派遣会社から派遣されている「派遣受付嬢」なので、長澤達と同じ会社の社員ですらないのだ。それに彼女たちの管理はこの会社の総務部が行っているので、彼女たちに何かあるとまずは総務部へ連絡がいき、最終的には派遣元の派遣会社へ報告されることになる。


 時々何かを勘違いをした者が彼女たちにメッセージを(したた)めた名刺を渡す場合があるのだが、まず間違いなくその名刺は総務部へ報告されて、その後その名刺宛てに抗議の電話が行くことになる。

 そもそも業務上のクライアントが相手企業の受付嬢をナンパするなどこれほど失礼な話はなく、場合によっては会社の取引自体に影響を与える場合もあるのだ。




「そう、そこなんだよ。業務時間中に告白なんてしたら速攻で総務部に報告が行くだろ? かと言ってメモを渡しても同じだしなぁ…… なぁ、どうしたらいいと思う?」


「いや、どうするって…… どうして告白前提になってんだよ。そもそもお前、その子の事何か知ってるのか?」 


「いや、まだ名前しか知らないよ。それも苗字だけな」


「ふぅん…… ちなみにその子の名前は?」


「あぁ、たぶん東海林(しょうじ)さんだと思う。たまに『とうかいりん』って読む人もいるから気を付けなくちゃな。初対面で名前を呼び間違ったら印象悪いし」


「そうか。で、年齢は?」


「――たぶん二十三、四くらいじゃないかな。ちょっ大人びてるんだ。クールビューティーって言うのか? そんな感じだな」


「そっか。まぁ、あとで見てみるよ」


 月本の言葉に長澤は興味無さそうに相槌を打った。


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