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舞と増田 其の十 愚痴から出た真実

 結局増田は走り去る舞を追いかけることが出来なかった。

 それこそ何度も彼女を追いかけようかと思ったが、心のどこかから彼女との関係はこのまま終わった方がいいという声が聞こえたからだ。増田がこれまで頑なに舞と体の関係を結ぼうとしなかったのは(こだわ)りなどと言った格好の良いものではなく、単に意気地がなかっただけだった。


 確かに舞のような皆が羨む美人と付き合えることはこれ以上ないほどの幸せだし、それを日々噛み締めているのも事実だ。そして今はまだ体の関係のない清い交際で満足しているが、この先はそれだけでは済まないだろう。

 さっきのように舞の方がそれを望んでいることからも、それは時間の問題だと思われる。しかしそれ以上の関係を結ぶとなると途端に大きな障害が見えてくるのだ。




 第一はもちろん年齢だろう。

 舞と自分はちょうどニ十歳の年齢差がある。歳の差カップルがこれだけ溢れる現代ではその程度はそれほど大きな障害にはならないだろうが、問題は彼女の年齢が十八歳ということだ。

 今年三十九歳の自分の年齢を考えると、彼女と付き合えばその先には結婚を意識してしまうはずだ。しかしその時でも彼女はまだ二十代前半だろうし、ともすれば仕事人として斜陽に差し掛かる自分の人生に、若すぎる彼女を引き込んでしまうのはあまりにも酷なのではないかと思うのだ。


 あれだけの美貌とスタイルを持ち年齢も未だ十八歳の彼女であれば、もっと若くて自分なんかよりもよっぽど相応しい男がいるはずだ。だからこの先彼女にそんな男性が現れたら潔く自分は身を引くつもりでいたし、その覚悟も最初からしていた。

 初めは舞の押しの強さに押し切られる形で付き合い始めたが、今となっては本気で彼女に惚れている自分がいる。それでも彼女の幸せを思えば自分が身を引く覚悟はできている――はずだった。


 あれだけの美貌と豊満な身体に間違いなく自分は溺れてしまう自信はある。

 そして一度そうなってしまえば彼女に対する未練も生まれるだろうし、ひいては彼女のために身を引く覚悟など何処かへ行ってしまうだろう。

 もしそうなってから彼女にとってふさわしい男性が現れても、きっと自分は見苦しく未練を引き摺って彼女に迷惑をかけるのは目に見えている。



 第二に舞の家庭の問題だ。

 もしもこの先彼女と結婚することにでもなれば、舞を弟妹から引き離してしまうことになるだろう。そうなれば今でも育児放棄気味の母親の事だから、|最早「もはや」誰も彼らの面倒を見る者がいなくなってしまう。話を聞く限りでは義理の父親も連れ子には全く興味を示さないので、確かに同居はしているが全く面倒を見るつもりはないようだ。


 少なくとも一番下の妹が高校生になるまでは面倒を見なければいけないだろうが、そうなるとあと六年は先だ。もちろんそれまで舞との関係が続いている保証はないが、その時には自分はもう四十五歳にはなっている。さすがにその年齢で二十五歳の舞と結婚をしても、生まれてくる子供や自分の老後を考えるとあまり明るい話にはなりそうにないし、彼女には確実に苦労を掛けてしまうだろう。


 この問題は今まで何度も考えてはきたが、どうやっても自分は舞を幸せにしてあげられる自信はなかった。それを考えると、やはりこれ以上の関係を結ぶ前に、舞には別れを切り出した方がいいのだろうかと思ってしまう。


 最早立ち上がる気力さえないまま舞が去って行ったアパートのドアを見つめる増田の顔には、誰にも見せる事のない苦しそうな表情が浮かんでいた。

 


 

 ――――




 翌土曜日は桜子のアルバイトのない日だったので、彼女は朝からクッキーを焼いて写真を撮ると、健斗の携帯に送り付けて自慢していた。

 もちろんそれはあとで彼の元に郵便で送るつもりだが、その前に健斗の反応が知りたかったのだ。案の定彼はSNSで大げさに褒めるメッセージと食べたいと連呼してきたので、まるで仕方ないと言わんばかりに桜子は返信をする。

 つい先日健人と結ばれたばかりの桜子だったが、相変わらずそんな他愛のないじゃれ合いのような付き合いを続けていた。


 一人きりの自宅で携帯の画面を見ながらニヤニヤしていたそんな土曜日の昼すぎ、急に桜子の携帯が鳴り響く。画面で相手を確認するとそれは舞だった。

 舞は桜子のお泊りデートの顛末を聞きたがっていたので、てっきりその話だろうと思って軽い気持ちで電話に出ると、受話器の向こうの舞は泣いていた。そして話を聞いてほしいからこれから会えないかと訊いてくる。

 もちろん桜子は舞の言うことに否応はないので二つ返事で会いに行く約束をすると、早速その日の午後から出掛けて行ったのだった。




「ごめんね、待ったでしょ?」


 約束した喫茶店に現れた桜子は申し訳なさそうに口を開いて舞の正面に座ろうと視線を移すと、そこには既に先客がいた。その人物は到着したばかりの桜子を見上げていたので彼女は些か大きな声を出してしまう。

 

 その人物は田村光(たむらひかり)だった。

 彼女は桜子が中学校に入学した時に同じクラスになった女性で、舞とは小学校から一緒の腐れ縁とも言える仲だ。桜子とは中学の三年間をずっと同じクラスで過ごしたので、一年生の時だけ同じクラスだった舞よりも一緒にいた時間は長かった。


 中学生の時と同様に相変わらず光は小柄な体形だったが、それでもぎりぎり150センチ程度にはなっていたし、出るところも多少は出ていた。そして細い髪質でフワフワとした髪はそのままで、少々幼い顔つきも変わらなかった。


 その彼女が舞の正面に座って笑顔で桜子を見上げている。




「久しぶりだね、桜子ちゃん」 


(ひかり)ちゃんじゃない!! うわぁ、本当に久しぶりだねぇ――高校一年生の時に何度か会ったきりだったね」


「うん、そうだね。マイマイとはずっと繋がってたけど、桜子ちゃんとはちょっと離れていたね」 


「……ごめんね。べつにそんなつもりじゃなかったんだけど……」


「ううん、いいよ。桜子ちゃんも高校で色々と大変だったってマイマイから聞いていたからさ――とりあえず座ろうよ」


 懐かしさのあまり思わず立ったまま話し続ける桜子を促すように光が自分の隣の席を勧めると、四角形のテーブルに舞も含めて三人座ることになった。その様子はまるで中学生の時に戻ったような気がして、何処か懐かしい感じがした。


 不意の再会に驚いた桜子が本来の要件を思い出して舞を見ると、彼女は目の周りを赤くして、それでも薄く微笑んだ顔で迎えてくれる。今日は休日なので、彼女はほぼスッピンに近い化粧しかしていなかった。



「急に呼び出してごめんなさい。どうしても二人に相談があって……」


 ウェイトレスにコーヒー二つと紅茶を一つ注文してから、(おもむろ)に舞が口を開く。

 実はここに来る前から桜子は舞の相談内容をある程度予想していた。それは高校時代からずっとアルバイトを続けているアンアン・ミラーズの店長の様子を日々見ていたからだ。

 自分の上司であり友人の恋人でもある増田の様子から、最近の彼が何かに悩んでいるのに気付いていた。そしてどうやらそれが仕事のことではないとわかると、あとは舞についてだろうと予想がついたのだ。

 

 舞とは携帯のSNSで連絡は取っていたし、増田とも最低でも週に五日は顔を合わせているので変化があればすぐにわかる。そして相談と言うほどではなかったが、増田には何度か舞のことで訊かれたこともあったので、桜子の予想は確信に変わっていたのだ。

 

「べつにいいよ。今日は何も予定がなくて暇していたからね。朝なんて暇すぎてクッキー焼いちゃったし」


「ありがとう…… 二人の時間をとるのも申し訳ないから、早速要件を言うわね」



 

 舞の相談内容は桜子が予想した通り増田との関係についてだった。それも相談と言うよりも愚痴に近い内容で、彼女はただ聞いてほしかっただけなのだろう。

 それはある程度桜子には予想出来ていたが、光も同様に思っていたようで舞の愚痴を淡々と聞いている。舞と幼馴染の光は彼女とは頻繁に連絡をとっているので、今更何か思うところもないのだろう。

 

「ふぅーん…… マイマイの話はわかったよ。まぁ、前から聞いていた話ではあるけどね」


「なるほど…… 店長は奥手すぎるのか、慎重すぎるのか―― どうなんだろう?」


 ひとしきり言いたいことをぶちまけた舞は、桜子と光がそれぞれ感想を話すのを聞いているうちに次第にその顔に浮かんでいた厳しい表情が和らいでいく。それでもまだ泣きそうに眉は下がっているが、ここに来た時ほどの悲壮な顔はしていなかった。


「それでマイマイはどうしたいの? 仮に増田さんと――しちゃったとして、それで何か変わるの?」


「……何か変わるっていうわけじゃないわね…… ただ私は彼の気持ちを確かめたいだけなのよ」


「確かめるって――そんなの決まってるんじゃないの? だって好きって言ってくれてるんでしょ? それにマイマイ以外に好きな人はいないんだし」


「そうね、それは間違いないと思う。でも彼は口ではそう言ってくれるんだけど、行動で示してくれないのよ。私が何度部屋に泊まりたいと言っても絶対に断るの。どうしてだと思う?」


「うーん、男なんて彼女が泊まりたいって言ったら速攻でいいって言いそうだけど…… どう思う? 桜子ちゃん」 


 それまで自分なりに増田の事情を考えていた桜子は、突然光に話を振られると驚いたように青い瞳を大きく見開いた。



「えっ? あぁ……店長は優しすぎるからじゃないかな。きっと舞ちゃんが大切なんだよ。なんかね、店長を見ていて思うんだけど、このまま舞ちゃんと関係を深めるのが怖いんじゃないかって思うんだ」


「怖い? なにが?」


「えぇと、うまく言えないんだけど――気を悪くしたらごめんね。……例えば年齢とか」


 桜子の言葉を聞いた光が小さく頷く。彼女もそれを言いたかったが言おうかどうか迷っていたようだ。しかし桜子が突破口を開いたおかげで彼女も言う気になったらしい。


「マイマイの彼氏って確かニ十歳年上でしょ? ――ということは今三十八歳?」


「そうね、その年齢よ。でもそれがどうしたのよ?」


 舞は恋人の年齢に触れられると途端に不機嫌になる。それはそれだけ彼女自身も気にしている証拠なのだろう。


「一つ訊いてもいい? マイマイは彼と結婚する気はあるの?」


「えっ……? 結婚? だって彼とはまだ付き合って二ヵ月だし、まだキスだって――」


「でもさ、三十八歳の男の人に恋人ができたら、普通は結婚を考えると思うよ。これがラストチャンスだと思うのは当然だと思うけど」


「うん、あたしもそう思う。店長は舞ちゃんをその相手にするのが怖いのかもしれないね」


「怖い? 私が? どうして?」


 まるで訳がわからないといった様子で二人の顔を見渡す舞の顔にはさっきまでの悲壮な表情は既になく、ただ二人の言葉の意味を必死に理解しようと頭を回転させているように見えた。そんな顔を見つめながら、光は尚も話を続ける。


「うん、わたしもそう思う。彼が自分の年齢を考えたらすぐにでも結婚したいんじゃないかな? だって子供が生まれるにしても、老後を考えるにしてもギリギリの年齢でしょ?」

 

 などと自論を述べてみた光であったが、三十八歳という年齢に対してはあまりリアルに想像できなかった。それでもその年齢は自分の父親に近い年齢であることを考えると、何となく理解できる部分はあったのだ。

 そしてその言葉には桜子も思うところがあったようで、何かを思い出すようにぽつりと呟く。


「……そうだよね。出来るだけ長く子供と一緒にいようと思ったら、若いうちに子供を作りたいよね。――あたしのお父さんは五十八歳で死んじゃったけど、その時あたしはまだ十五歳だったし……」


「……」


「……」



「ご、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど……」


 自分の発言によって急に変わった場の空気を感じ取ると、慌てて桜子が謝る。

 確かに今の発言は二人にしても返答に困る内容ではあったが、その言葉は増田が抱えている悩みを端的に表していて、少々理解力が残念な舞にも伝わったようだ。


「あぁ、そうね。そこまで考えていなかったわね…… 確かに子供の事を考えると彼の年齢ならすぐにでも結婚したいかもしれない」


「あとねマイマイ。マイマイは今の生活は楽しい? 満足してる?」


 話の流れを考えると、どうしてそんな質問を光が急にしてきたのかがわからないまま舞は答える。


「えぇ、そうね。仕事は楽しいしやりがいもあるわね。お金もある程度自由になるし…… でもそれがどうしたのかしら?」


「もしも、もしもだよ? 彼がマイマイと結婚をして子供を欲しがったらどうする? やっと社会に出て活躍し始めたマイマイをまた家に閉じ込めることになっちゃうよね。それでなくてもマイマイはずっと弟と妹の世話をしてきたんだし……」



 申し訳ない顔でとても言い辛そうな光の言葉を聞いた途端、舞の顔に理解の色が広がった。

 確かに自分は社会に出たばかりの若者だ。それまではずっと学生だったので、これでやっと大人の仲間入りを果たしたのだ。


 舞は今の生活に満足していた。

 高卒であるにも関わらず、この就職難の時世にそれほど悪い条件ではない職場に就職できたし、先輩も良い人で周りの人達も良くしてくれる。それに何よりやっと勉強から解放されて自分の腕で金を稼ぐ楽しみを覚えたばかりだ。

 そして春から恋人もできて、自分で言うのもおかしいがまさに順風満帆なのだろう。

 


 相変わらず弟妹の世話からは解放されていないが、それだって妹が高校生になる頃にはある程度問題なくなるはずだ。もっともそれまでにはあと六年ほどはかかるだろうが、どのみち時間が解決してくれる。


 増田が自分と今以上の関係を結ぶようになれば、当然その先には結婚を意識するようになるに違いない。光に言われるまで意識したことはなかったが、確かに彼の年齢を考えると出来るだけ早く結婚をしたいと思うはずだ。しかしそれには色々な犠牲が付きまとう。


 結婚をすれば自分は実家を出ることになる。

 そうすると弟と妹の世話を誰がするのか。

 本来であればそれは母親であるあの人の仕事であるはずなのに、今の状況から考えても今更何を言っても無駄だろう。そして弟と妹が家の中で放置されることを考えるとそれはあまりに忍びない。


 彼の年齢を考えると、桜子の言う通り彼はすぐにでも子供を欲しがるだろう。

 そうするとやっと社会に出たばかりの自分は今の満足している状況を全て捨ててまた家の中に入ることになる。これまで嫌だとは思った事はないが、今までだって歳の離れた弟妹の世話のために自分は青春を削って来たのだ。


 

 増田は自分と深い関係になるのを躊躇している。

 それは紛れもない事実であって、いまその理由を理解することが出来た。

 浅はかな自分は彼の言葉の裏にある真意まで思いを巡らすことが出来なかったが、いま二人に説明されてそれが理解できたのだ。


 結局彼は自分の事を考えてくれていた。

 そして一線を超えてしまうと彼は自分を抑えられなくなることを恐れている。

 それでは自分はどうなのだろう。自分は彼と結婚がしたいのか。彼がそれを求めてきた時に応じることが出来るのだろうか。

 いまの満足した生活と弟妹の世話を捨てて、彼の元に走れるのだろうか。


 ただ愚痴を聞いてもらいたくて来てもらった友人二人だったが、彼女達の口から思いがけず深刻な話を聞かされた舞は、答えの出ないこの話に途方に暮れてしまうのだった。

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