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舞と増田 其の九 彼女の覚悟

 長澤は打ちのめされていた。

 ついさっき駅前で舞と別れた時に、彼氏がいると言われてしまったのだ。 


 あれだけの美貌の持ち主なのだから、確かに彼氏の一人や二人いても全くおかしくないだろう。冷静に考えてもそれは当たり前のことなのだろうが、実際に彼女の口から言われた瞬間、長澤は激しく落胆していた。


 そもそも恋人の有無を聞いてさえいないのに、己の都合の良いように決めつけた挙句にいざ恋人がいるとわかった途端にがっかりするのは、まさに長澤の身勝手以外の何物でもないだろう。もとより舞に恋人がいないというのは単に長澤の願望でしかなく、これまで彼女にそんな事を訊いてもいなければ言われてもいないのだ。

 舞に恋人がいたところでそれは何ら責められるものではないし、ましてや勝手にがっかりされる(いわ)れもない。 


 もちろん長澤にはそんなことはとっくにわかっているのだが、理性では理解できても感情がそれを許さなかった。初めて本気で好きになりそうな女性に出会えたのに、彼女にはもう恋人がいる。その事実は彼の胸の中にずっしりと伸し掛かり、それを考えるだけで胸が張り裂けそうになってしまう。

 そんな思いに頭の中をかき回されながら、長澤は重い脚を引きずるように自宅へと歩いて行った。

 



 アパートでシャワーを浴びて少しだけ身も心もスッキリした長澤は、一次会だけで帰ってきたせいか今一つ飲み足りない気分だった。

 それでも考えるのに疲れた彼はもう寝てしまおうかと思ったが、あれから舞の事を悶々と考えてるうちにすっかり目が冴えてしまう。仕方なく部屋着のまま近所のコンビニで酒を買おうとしていると、何処かで見た姿の女性が入り口から入ってくるのが見えた。


 それは東海林舞だった。

 思わず見惚れてしまう美貌と170センチを超えるスラリとした長身は絶対に見間違えるはずもなく、まるでグラビアモデルと見紛うようなその大きな胸と腰回りは周りの男性客全員が目を奪われている。

 確か彼女は仕事終わりの恋人を迎えに行くと言っていたのを長澤が思い出していると、彼女に続いて一人の男が入って来るのが見えた。



 年の頃は四十歳くらいだろうか。

 まるで苦労が滲むような少々白髪の目立つ頭に180センチ近くある身長、不健康に肉の付いた小太りの身体とやはり苦労が滲むシワが刻まれた顔。その顔は決してブサイクではないが、かと言って端正とも言えないものだ。

 舞が手を引いた男と仲睦まじく買い物をしていると、周りの男性客の嫉妬の視線が集まってくる。

 ともすれば殺気ともとれる嫉妬の視線を浴びながら、その男が必死に平静を装うのを見ていると、かえってこちらの方が居た堪れなくなるほどだ。その様子からは自分が周りの男たちのヘイトを一身に集めているのを十分に理解しているのが手に取るようにわかる。


 そんな彼を励ますように腕を組む舞の顔には、これまで長澤が一度も見たことがないような素の笑顔が溢れていて、彼女が心の底からその男を信頼しているのがわかった。そしてその顔を見た長澤の心にも他の男たち同様に良くない感情が沸き起こって来るのを感じていた。



 それは明白な嫉妬だった。


 目の前の男よりも自分の方が十歳以上若くて顔も整っている。

 自分はこんなに疲れ切った顔はしていないし、ましてや不健康に太ってもいなければ腹だって出ていない。身長だけは少し負けるだろうが、彼が勝っているのはそこだけだ。


 それにしても、舞はこの男のどこがいいのだろうか。

 年齢は恐らく彼女よりも二十歳は上だろうし、身体だって少々だらしなく見える。

 こんな男が相手なら絶対に自分の方がイケていると思うし、横に並んでいても恥ずかしくないはずだ。


 いや――まさか不倫ではないだろうか。

 相手の男には妻子がいるのに、それを知ってて付き合っている?


 ――あの見るからにしっかり者の彼女がこんな男に騙されるはずはないと思うが、つい先日まで世間を知らない女子高生だったのだから年上の男に騙されていてもおかしくはないだろう。

 確かにあの男の見た目はイケていないし歳だって相当離れている。しかし恋は盲目という言葉もあるくらいなのだから何か事情があるのかも知れない。



 そんな事を考えながら買い物をする二人の姿を追っていると、舞は全く気付かないままに買い物を終えて出て行く。その顔には長澤が見たことのない満面の笑みが浮かんでいて、隣の男に身を寄せて歩くその姿は彼に対して絶対の信頼を寄せているのがわかるものだった。

 この時間から一緒に帰るということは、きっとこの後は恋人の家に泊って帰るのだろう。


 その事実に再び打ちのめされた長澤は、二人が出て行ったコンビニのドアを見つめながらいつまでも立ち尽くしていたのだった。





 ――――





 今夜は二人とも夕食は既に済ませていたので舞は増田のアパートにあがる用事はなかったが、それでも彼女は当たり前のように部屋の中にあがり込む。増田は飲み会で疲れているだろうからと彼女の身体を案じて早く帰るように促しても舞は一向にその話を聞こうとはしなかった。

 週に二回はこの時間に一緒に夕食を食べているので今更と言われればそれまでだが、今はもう夜の十一時三十分を回ったところなので、常識的に考えれば若い女が一人暮らしの男の部屋にいる時間ではないのだろう。


 舞が片付けたおかげですっかり小奇麗になった部屋の中で、対面に座る舞の姿を直視できずに増田の目はそわそわと落ち着きなく動き回っている。それは目の前にいる舞の姿が美しすぎたのと、初めて見る彼女の本気メイクと(いささ)かタイトなスーツ姿にすっかりやられてしまっていたからだ。


 舞は高校に入学した直後からアンアン・ミラーズでアルバイトを始めたが、その後一年ほどは髪も茶色に染めてパーマをかけていたし顔に化粧もしていた。学業面が残念な舞が入学できた高校は他の生徒がそれが当たり前だったので彼女もそれに影響を受けたのがその理由ではあったが、増田に告白をしてからは髪の色も戻して化粧もやめていた。

 特に増田が何かを言ったわけではなかったが、舞が勝手に彼の女性の好みを意識したのと、それが意外と客受けがよかったのでそのままにしていたのだ。


 そして春に就職したのを機に社会人の身嗜みとしてまた化粧を初めると、もともと大人びた顔つきの舞は化粧をするとより美しくなり、会社の顔とも言える受付嬢として近隣に評判が知れ渡るようになっていたのだった。




「それにしても舞ちゃん、いつもはその姿で仕事をしているんだね。とても綺麗で驚いたよ。――あぁ、いや、べつに普段の君が綺麗じゃないとか言ってるわけじゃなく、えぇと……」


 少々しどろもどろになって目を泳がせる恋人の姿を眺めながら、舞は楽しそうに微笑んでいる。


「うふふふ、いいわよべつに。和也さんの言いたいことはわかるから。でもあなた、前に素朴な女性が好きだって言ってなかった?」


「いや……まぁ、そうだけど…… でも今の舞ちゃんは凄く綺麗だから、ちょっと認識を改めてしまうかも――それにしても本当に綺麗だよ。思わず見惚れてしまうくらいだ」


 そう言いながらスカートの裾から見える自分の足にチラチラと視線を泳がせる増田に気付いた舞は、急に上目遣いになって口を開く。


「本当に? そんなに褒めてもらえるのなら、これからも時々この格好で会いに行ってあげるわね。うふふ、嬉しい?」


「うん、とっても嬉しいよ。素顔の君も綺麗だけど今の君はもっと綺麗だ――本当に女神みたいだよ」


「ふふふ、ありがとう。あなたにそう言ってもらえるのが一番うれしい」

 

 まるで胸を強調するような姿勢で上目遣いに見つめてくる舞の姿に視線を奪われていると、増田は苦しそうに姿勢を変える。傍から見ても彼が必死に何かに耐えているように見えた。

 そしてその姿を見た舞は、何処か思い切ったような表情をする。 



「……ねぇ、お願いがあるんだけど……明日は私はお休みだから――」


「だ、だめだよ、泊るだなんて。君には弟と妹が――」


 慌てたように手を振りながら増田が舞の言葉を遮ると、急に彼女の様子が変わった。その美しい顔の眉間には深い皺が刻まれている。


「……ねぇ、どうして泊ってはいけないの? 私はあなたが好きなのよ。確かに恋人として付き合うようになってからまだ二か月も経っていないけど、私はあなたをずっと何年も前から知っているのよ」



 いつもであれば増田が断ると舞は大人しく引き下がっていたが、今夜の彼女は何処か様子が違っていた。

 確かに彼女の言う通り、二人の付き合いは約三年前に遡る。最初は学生アルバイトと職場の店長という関係から始まり、その一年後に突然告白された。困惑した自分がその返事を先送りしようとして卒業まで待つように言うと、彼女はその言いつけ通りに大人しく待ってくれたのだ。

 その間も舞は自分の好みの女性に近づこうと化粧もやめて髪も元に戻すなど彼女なりに努力をしたし、自分ともこまめにコミュニケーションをとろうとしてくれた。


 それを思うと彼女の気持ちに一方的に応えていないのは自分であることを思い知らされるのだが、舞との年齢差や彼女の立場、家庭の事を考えるとどうしても一線を越える勇気が出てこない。

 もちろん自分とて男なのだから、これだけ好きだと言ってくれるこんなに若くて綺麗な女性に言い寄られればそのまま抱きしめてしまいたくなる。現に今だって欲望に負けてしまいそうになる自分を必死に押さえつけているのだから。



「ごめん舞ちゃん…… やっぱりだめだよ。我慢できなくなる自分が怖いんだ。だからもう少し時間がほしい……」 


「――時間って…… 一体いつまで待てばいいの? 私はあなたが好き。そしてあなたも私を好きだと言ってくれる。ねぇ、それだけじゃだめなの? どうして? これ以上私はどうしたらいいの?」


「ま、舞ちゃん……」


「私とするのがそんなに怖いの? どうして? 何が怖いの? それを言ったら私だって怖いわよ。だって私は初めてなんだから」


「えっ……?」


「なによ、その反応…… そんなに意外だった? 私が初めてなのがそんなに意外なの? あなたは私をどう思っていたのよ、ねぇ?」


「い、いや、そうじゃない…… そういう意味じゃないんだ、誤解だよ」


 慌てたように増田が手と頭を激しく振るが、もう手遅れだった。

 舞はその美しい顔に今まで見たことのないような悲しい表情を浮かべながら、切れ長の美しい瞳から涙を流して増田の顔を見つめている。そして尚も声を零し続ける。


「それじゃあどういう意味なの? 私が男の人にいつも声をかけられているから? だから経験が豊富だと思ってた? ねぇ……ねぇ…… 私だって好きで男の人に声をかけられているわけじゃないのよ!?」


「ち、違う、そんな意味じゃない!!」


「それならはっきり言いなさいよ!! 本当は私の事なんて好きじゃないんでしょ!? 私が勝手に好きになって勝手に盛り上がっているのを見て笑っていたの!? 迷惑なら迷惑だって言ってよ!!」


「だから違うよ、違うんだって!! 僕は君が大好きなんだ!! これは嘘じゃない!!」


 いつも落ち着きを崩さない増田にしては珍しく、感情を高ぶらせている。

 それでも初めて見る舞の激高に飲み込まれないように、冷静に状況を把握しようとしていた。


「それじゃあ、いつになったら私を抱いてくれるの? 私がどんな気持ちで泊まりたいって言っているのかわかってる?」


「それは……」


「ほら、言えないじゃない!! 今日だってこんなに覚悟をしてきたのに――もう知らない!! あなたとはもう会わないから!!」



 短くそう怒鳴ると、勢いよくドアを閉めて外に走り出ていく。

 玄関のドアに遮られて見えなくなった舞の背中を見つめたまま、増田は彼女の言葉をずっと噛み締めていた。

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