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舞と増田 其の七 舞の告白

 恙無(つつがな)く仕事も終わり、待ちに待った金曜の夜になった。

 定時に仕事を終わらせてそそくさと家路に着く面々を残業組がどこか面白く無さそうな顔で見送っていると、そんな視線をかわしながら不動産管理部の長澤は同期の月本と共に総務部主催の飲み会会場に向かって急いでいた。


 今回の飲み会は総務部の若手社員が主催する、言わば「私的」な飲み会だ。

 だから主任以上の役職者は誰も主席しないし、会費も全額自腹だ。

 総務部の若手と言っても全員が参加するわけではないので、それだけでは少々人数が少なく寂しいものになりそうだった。だから参加者銘々が他部署の知り合いに声を掛けた結果、今回の参加者は二十名前後になる予定だ。

 そして総務部ではない長澤と月本も彼らから声を掛けられていたのだが、終業時間直前に発生したトラブルのせいで職場を出るのが遅くなってしまい、会場に向かった時には既に飲み会が始まって三十分が経過していたのだった。



「なぁ、総務部主催ってことはよ、彼女たちも来るのかね?」


 小走りしながら月本が半ば独り言のように呟く。


「どうだろうな。前回は地雷女一人だけだったけどな。確かに受付嬢は総務部が管理してるけど、彼女たちはうちの社員じゃないから飲み会に参加する義理は無いんじゃないのか?」


「地雷女って――あぁ、鎌木さんか。彼女、受付嬢をやっているだけあって確かに可愛いんだけど、とにかく酒の飲み方が汚いからなぁ…… 酔い潰れたところをお持ち帰りしてやり捨ててもいいんだけど、きっとあちこちでベラベラ喋りそうだし……」


「……お前、随分ひどい事言ってるな。鎌木さんに失礼だろ、それ」


 あまりの酷い言いように思わず月本の顔をまじまじと見てしまった長澤だったが、確かに彼の言うこともリアルにあり得そうだったので、それ以上は何も言えなくなってしまう。

 月本が言う通り、受付嬢の鎌木朱里(かまきしゅり)は酒の飲み方が汚いので有名だ。長澤も前回の飲み会で彼女が荒ぶるのを目の前で見ていたので、今回は誰も声を掛けていない事を祈りつつ足を早める。


「でもよ、彼女に声を掛ければきっと東海林さんも一緒に来るんじゃないのか? 俺さ、一度彼女と話をしてみたかったんだよな」


「東海林さんか…… そうだな――」



 月本の言葉に、長澤は先日の舞の姿を思い出していた。

 初めはその類稀な美貌とモデルのようなスタイルに取っ付きにくい高飛車な女性のイメージを抱いたが、実際に話してみると案外普通だった。確かに彼女は自分の恵まれた容姿を十分に理解してそれを強みとしている様子は伺えたが、あくまでもそれは容姿に自身のある女性であれば当たり前とも言える範囲に収まっているので、特にそれが嫌味に見えることもなかったのだ。


「そういえば、お前、東海林さんは見たんだろ? どうだ、俺の言った通り綺麗な人だったろ?」


「あぁ、まぁな」


 長澤は敢えて興味の無さそうな返事をする。

 自分でも理由はわからないが、何となく彼女に興味があるのを月本に知られるのが恥ずかしかった。彼のように自分も彼女の事を素直に綺麗だったと言いたいのに、何故かたったそれだけのことが言えなかった。


「なんだよ、お前、つまんねぇ奴だな。彼女が綺麗じゃなかったら一体誰が綺麗だっていうんだよ、ったくよぉ」


「うるせぇな。興味ねぇよ、ほっとけ」


 長澤は口では悪態をつきながら、内心では飲み会に舞が来ていることを祈っていた。



 


 飲み会会場に到着した長澤は、即座に会場内を見廻した。

 もちろんそれはここに舞が来ているかを確認するためだ。そしてその目的はすぐに達成することが出来た。

 彼女は今年入ったばかりの新人であることと、自分が派遣社員であることなどから遠慮をして出入り口に一番近い末席に座っていたからだ。

 そして一番最後に残っていた席も入り口に近い席だった。

 

 舞はその一番端の席に所在無げに佇んでいて、その隣には受付嬢の長女と言われている竹渕真琴(たけぶちまこと)がしっかりと彼女をガードしている。その様子はまるで保護者が娘を守るような姿に似て、舞と話をするには必ず真琴の見ている前になるのだ。


 

「すいません、ここ空いてますか?」


 その席が空席であることがわかっていながら、長澤は真琴と舞に声をかける。

 職場の飲み会とは言え今日は非公式の酒席なので、出席者はそれぞれが仲の良い者同士で固まっている。普通であれば遅れてきた者は面倒な上司の横やトイレに立ちづらい奥の席を押し付けられることが多いが、今回は末席に追いやられた受付嬢の隣が自然と空いた形になっていたのだ。


 それでも「地雷女」の異名を持つ朱里だけは酒のグラスを片手に彼方此方(あちこち)遠征に出掛けていて、既に自分の席にはいなかった。あれだけ彼女は舞の保護者を自認していたというのに、その役目をすっかり真琴に任せてしまい、自分は総務部の仲の良いグループの中に溶け込んで下品な笑い声を上げている。

 幸か不幸か、結局遅れて来た長澤と月本は舞たちと同じテーブルの末席に着くことになると、表面上はしょうがなくと言った姿勢だが、内心では同じテーブルに着けたことを長澤は喜んでいた。



「はい、どうぞ――あっ」


 一番最後にやって来て自分の横に座った長澤を見た途端、舞は小さく声をあげる。それに合わせて長澤が小さく会釈をした。

   

「この前はどうも」 


「いいえ、こちらこそ。先日は助けていただいてありがとうございました。不動産管理部の――長澤さんですよね」

  

 舞が自分の名前を憶えていてくれたことに何気に嬉しくなった長澤だが、自分の方を向いてニコリと微笑む彼女の顔から微妙に視線を外そうとしていた。それは思わずニヤケてしまいそうになるのを必死に我慢していたからだ。 

 

「いや、俺はたまたま通りかかっただけだから。あれからあの――高峰さんだっけ? あの人は来たかい?」


「いいえ、あれからはいらっしゃっていません。次の日もMK通商の方が見えたのですが、高峰さんではありませんでした」


「そっか――」


「なんだよ長澤!! お前、東海林さんと知り合いだったのかよ!? いつの間に――って、お前さっき一言もそんなこと言わなかったじゃねぇかよ!!」


 初対面だと思っていた長澤と舞が突然話し出したのを見て、大きな声で月本が割り込んでくる。彼は二人の顔を交互に見ながら不審そうな顔をしていた。



「あの、先日私が男性に掴まっていた所を長澤さんが助けてくれたんです」


「先日って――そ、そうなんだ…… おい長澤、なんでお前何も言わないんだよ」


 自分を見つめる月本の視線が避難がましくなっても、そんな事にはお構いなしに長澤は涼しそうな顔をしている。


「いやだって、べつにそんなのべらべら喋ることでもないだろ。東海林さんのプライベートな話だし」


「だからって…… お前に東海林さんの事を教えたのは俺だろ? それをお前は――」


「えっ? なんですか、それ?」


 勢いに任せて口を滑らせた月本に即座に反応した舞は、若干体を引き気味にして胡乱な表情で二人を見つめる。少々吊り上がり気味の気の強そうな瞳は怪訝に細められて、その顔は月本の言葉の説明を求めているように見えた。



 どうやらこの二人は以前から自分の噂話をしていたらしい。

 自分に興味を持った男の殆どは、顔に対する感想や背の高さや胸の大きさ、尻の形などといった容姿に関する批評から始まり、気が強そうだの、高飛車に見えるなどとよく知りもしないのに自分の人柄について彼是(あれこれ)話すのだ。

 挙句の果てには、誘ってみたい、彼女にしたい、寝てみたい、あの時はどんな顔をするのかなどと男同士で盛り上がる下世話な話のネタにされる。

 そしてこの二人もきっとそんな話をしていたに違いない。



 そんなことを考えて無意識に目つきが鋭くなった舞に気付いた月本は、慌てたように釈明を始めた。


「い、いや、その、最近受付に新しい女性が入ったけど、もう見たかって訊いただけだよ。なぁ、長澤?」


「あ、あぁ、そうだな。それまで俺は毎朝受付はスルーしていたから全然気づいていなかったし」


 長澤の言葉を聞いた真琴が、冗談めかして口を挟んだ。


「あら、毎朝挨拶しているのに、全く気にしてくれていなかったんですか? 私なんてもう八年もあそこにいるのに」


「いやいや、竹渕さんの事はもちろん知ってるし、毎朝挨拶もしているし」


 再度慌てたように長澤が口を開く。その顔にはバツの悪そうな表情が浮かんでいる。


「うふふふ、冗談ですよ。まぁ、そういう私もお二人と話をするのは初めてですけどね。同じ社内にいるのに顔は知っていても一度も話したことのない方ってたくさんいますから。しょうがないですけどね」


「そうですね。でもなんかすいません」


「いえいえ、お互い様ですね。でもまぁ、東海林さんはこの通りとっても綺麗でスタイルも良いから、男の人が噂をしたくなる気持ちもわかりますよ。ね? 東海林さん」


 さすがは百戦錬磨の受付嬢と言うべきか、緊張した空気を察した彼女は即座に助け舟を出してくれる。舞もその気遣いに気付いたのか、それまで鋭くしていた視線を和らげると口元にいつもの微笑みを浮かべて元の表情に戻っていた。


「……はい、すいません。私、男性の噂話にあまり良い思い出がなくて――」


「さぁ、もういいでしょう!! ほらほら、お二人とも座って座って。乾杯しましょう!!」」


 何気に微妙になったその場の空気を吹き飛ばす勢いで大きな声を上げたかと思うと、真琴は月本のグラスにビールを注ぎ始める。それを見た舞も、見様見真似で長澤のコップにビールを注いだのだった。





 その後も和やかに酒宴は賑わい、舞も複数の社員から声をかけられていた。

 そのほとんどは以前から彼女に興味を持っていた若い男性で、彼女は自分に対して投げかけられる質問を愛想笑いを浮かべてのらりくらりとかわしていく。そんな姿を遠目に眺めるその他の女性社員はやはり幾つかに分かれていた。

 それは舞に対して嫉妬心を持つ者と単純にその容姿を羨ましがる者、そして端から興味のない者の三種類で、その反応も舞がもう長年見慣れたものだ。


 高校生の時は嫉妬に任せて自分に嫌がらせをしてくる者もいたが、一介の受付嬢として直接女性社員と関わっていない現在の状況ではさすがにそれはないだろう。それに男性社員とも普段交流はないので、余計に彼女たちの嫉妬がエスカレートすることもないはずだ。


 普段受付嬢としてビルの入り口に座っていると、朝から夕方まで多くの視線に晒される。そして遠目に感じる視線の殆どは自分の容姿に見惚れるものであることは舞自身も理解していたし、それ自体はもう慣れたものだ。そして勤務時間中に自社の社員が業務以外で受付嬢に私語を交わすことは禁止されているので、さすがに安易に話しかけてくる者もいなかった。

 しかしそれが余計に舞をミステリアスな存在に見せていたのも事実で、この飲み会をチャンスとばかりに以前から彼女に興味のある者は(こぞ)って寄ってきていたのだ。


 そもそも地雷女で有名な朱里にこの飲み会の声がかかったのも、元はと言えば舞をここに連れてきてほしかったからで、決して朱里本人を喜んで呼んだわけではなかった。確かに仕事中の朱里は柔らかい物腰と可愛らしい外見、フワフワとした独特の雰囲気から訪問客や他社の担当者からは人気があるが、その実本当の彼女の残念さを知っている社員にはあまり評判が良くなかったのだ。

 そして酒の席での奔放すぎる振る舞いは、男性社員のみならず女性社員からも非難の視線を浴びることも多かった。


 


「ねぇねぇ、どこに住んでるの?」


「S町ですよ」


「出身は?」

 

「えぇと、生まれも育ちもS町です」


「もしかして今も実家?」


「はい、実家住まいです」


「そうなんだ――あっ、さっきからジュースばかり飲んでるけど、お酒は苦手なの?」


「そうですね……お酒はちょっと」


「へぇ、見た感じ酒が強そうに見えるけど。何て言うか、静かで落ち着いたバーとかが似合いそう。そこでイケメンの彼氏とゆっくり楽しんでいたり…… なんか目に浮かぶなぁ」


「そうですか? ありがとうございます」


「それで、彼氏はいるの? もしいなければ俺が立候補しちゃうけど」


「秘密ですよ。内緒です。だから立候補には応じられません」


「えぇー酷いなぁ、教えてよぉ。そこが一番肝心なところなのに」


「うふふふ…… 内緒です、教えませんよ」


 数人の男性社員に囲まれて質問攻めにあっている舞は、内心はどうであれ一見にこやかに対応している。一つひとつの質問にこまめに答えながら、その実肝心なことは何一つ話さずにのらりくらりとかわしていた。そしてその姿を気の毒そうに真琴が見ているとその横から酔った濁声が乱入してくる。




「なになに、お酒苦手なの? いいじゃん、一口だけでも付き合ってよ」


 横からかなり酔った大柄な男性社員が大きな濁声とともに割り込んでくると、舞の前に真新しいグラスを置いてビールをなみなみと注いだ。そしてそれを彼女の手に強引に手渡すとそれを飲めとジェスチャーを送る。


「えっ、あ、あの……本当にお酒は――」


「ここが酒の席だってわかってて来てるんだよね? それなら一口くらい付き合ってもいいんじゃないの? それともなに? 俺みたいなイケてない男の酒は飲めないってか?」


 すっかり座りきっているその目からは、男が相当酔っているのがわかる。

 しかし周りの男たちがその男を止めようとしないところを見ると、彼の言い分を認めているのか、彼に対してものが言えないかのどちらかなのだろう。そして恐れるような彼らの様子を見るに、恐らくそれは後者なのだろうと思われた。


 周りを囲む男達に助けを求めるのを諦めた舞は、困惑した表情のまま真琴を見つめる。さすがにその様子を看過できないと思った真琴はその社員に向かって口を開こうとしていると、横から声が飛んできた。




「たとえ無礼講と言っても、嫌がる者に無理に酒を飲ませるものじゃないでしょ。それってアルハラなんじゃないですか?」


 それは長澤だった。

 不動産管理部に所属する彼は総務部とは直接関係がないので、後腐れなく言いたいことが言える。

 それに今日のこの席には主任以上の役職者は来ていないので、主任の彼は相手の役職を確認する必要もなければ正論を言っているのは自分の方なので、なにも気にすることなく相手に対して物申せるのだ。 

 それはたとえ正論を言うだけでも組織内の上下関係や自分の立ち位置なども考慮しなければいけない会社という組織の面倒さを感じる瞬間でもあった。



「なんだと、お前……もう一回言ってみろよ。これのどこがアルハラなんだよ。たった一口飲むだけじゃねぇか」


「だからその一口が嫌だって彼女が言ってるでしょ」


「なんだと? いくら酒が嫌いだからって、一口くらい付き合うのが大人ってもんだろうが!! それをいま俺が教えてやっているのに邪魔すんじゃねぇよ!! まさか未成年だって言うんなら仕方ねぇけどよ!!」


 その大きな濁声に、酒宴の席に一瞬にして緊張と静寂が満ちる。

 さてどうしようかと長澤が再度口を開こうとしていると、突然その声は聞こえてきた。



「はい。仰る通り私は十八歳の未成年者です。だからお酒が飲めないのです。大変申し訳ありません」


   

「あっ!?」


「えっ!?」


「えぇ!?」



 静まり返った酒宴の席に、間の抜けた声が多数響いた。

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