舞と増田 其の五 彼女の本気と彼の戸惑い
水曜日からゴールデンウィークに突入したが、特に予定の無い舞は毎日暇を持て余していた。
とは言え両親はさっさと自分達だけで何処かへ旅行に行ってしまったので、彼女は弟妹の食事の世話や諸々の家事をしなければいけなかったのだが。
小さな頃はあれだけ姉にべったりだった弟はもう小学五年生だし、その下の妹も四年生なので基本的に自分の事は自分でできる。それでもずっと家にいる限りは一日三食食事の用意をしなければいけないので舞は基本的に家を空けることは出来なかった。しかし彼女自身には特に予定がなかったので結果オーライというところなのだろう。
新社会人としての生活が始まって一ヵ月、ずっと慣れない仕事に気の休まらなかった舞は連休くらいは恋人と何処かへ遊びに出かけたかったのが本音だ。しかしその希望もどうやら叶うことはなさそうだった。
先月からやっと恋人として付き合うようになった増田は、年中無休のファミレス勤務のうえに店長という立場ではそうそう休む訳にもいかないし、彼の職場は連休中の方がむしろ忙しいくらいなので、暦通りに休める舞とは休みが全く合わないのだ。
それでも彼女は仕事が終わって帰って来る増田のために彼のアパートまで夕食を作りに行ったり、朝に起こしに行って朝食を食べさせたりと甲斐甲斐しく世話を焼いている。もちろん夜に増田の部屋に行ってもそのまま泊まったりせずにきちんと家に帰っているが、舞としてはそのまま泊っても構わないくらいの勢いだ。
しかし付き合い始めてまだ一か月しか経っていないのと、増田の妙な拘りのせいで二人はまだそういう関係にはなっていなかった。
だがそれももう時間の問題なのかもしれない。
それほどに舞は増田に心を開いていたからだ。
舞は増田に部屋の合い鍵をもらっているので、好きな時に勝手に部屋にやって来ては彼女のしたいようにしていた。そんなこともあって今ではすっかり綺麗に片付いた自分の部屋を眺めながら、増田は嬉しそうにする反面、何処か落ち着かなげにしているのだった。
ゴールデンウィークの折り返しの日、舞は増田の仕事終わりの時間にファミレスまで迎えに来ていた。
仕事以外の場では相変わらず彼女はスッピンに近い薄化粧しかしていなかったので、もしその姿を職場の人間が見ても即座にそれが舞だとはわからないだろう。そのくらい仕事中の彼女とはイメージが違っている。
もともと彼女は高校二年生の途中まで髪は茶色に染めていたし顔には化粧をしていたが、増田の好みに合わせてそれらは全て止めていた。そして今でもプライベートの時は黒いストレートの髪をそのまま背中に流してスッピンに近い顔をしているのだ。
「やぁ、舞ちゃん久しぶり!! 新しい職場はどう? もう慣れたかい?」
かつて舞の先輩として一緒に働いていたチャラ男先輩が、彼女の姿を見つけて嬉しそうに話しかけて来る。彼は舞がここでアルバイトをしていた時から気軽に会話をしていた男性で、その下心の無い様子とノリの良い性格のために舞が気軽に話のできる数少ない人間の一人だった。
「えぇ、おかげさまでだいぶ慣れたわ。先輩も良い人達で本当に助かっているし」
「そうか、それはよかったなぁ。うーん、それにしても受付嬢かぁ、舞ちゃんらしいよなぁ…… やっぱり仕事の時はばっちり化粧をキメてるんだろ?」
そう言ってしげしげと遠慮なく自分を眺めまわす先輩を見ている舞の顔には以前と違って不機嫌な表情は浮かんでおらず、その様子からは春に就職をしてから明らかに何処か雰囲気が変わっているのがわかった。
どこがどう変わったかはっきりとは言えないが、こうしてあからさまな視線を受けてもそれを咎めようとしないことからも、どうも彼女は寛容になったと言うか細かい事に拘らなくなったと言うか、要するに性格が少し丸くなったように見える。
それから尚も無遠慮に自分を眺めまわすチャラ男の視線をまるで気にしない素振りで舞は話を続けた。
「えぇ、そうね。もちろん仕事の時はばっちりメイクを決めているわよ。やっぱり受付は会社の顔と言われているので、それなりに小奇麗にしなくちゃいけないからね」
「おぉ…… 一回見てみたいなぁ、バシッと化粧を決めた舞ちゃんのスーツ姿。今みたいにスッピンで素朴なのも良いけど―― うーん、タイトスカートから延びるその長い脚で踏まれたい……」
「……はぁ、相変わらずねぇ」
一見強気で高飛車に見える物腰のせいで声を掛け難い舞に対しても、昔からチャラ男先輩は動じることなく軽口を叩いていた。彼の言葉も態度も何処までが本気なのかもわからないほど全てが冗談にしか見えないのだが、その言葉には嫌味もいやらしさも全く無いので彼女としても話をしやすかったのだ。
「そうそう、店長ならもうすぐ出て来るから、ちょっと待っててな」
「えぇ、ありがとう」
何処か楽しそうな顔をしながらロッカールームに消えて行くチャラ男を見送って廊下で佇んでいると、何人もの従業員が舞に気付いて声を掛けて来る。
彼女は下心を持って近付いて来る男や自分に嫉妬心を抱く女に対しては容赦なく厳しい態度をとっていたが、それ以外の相手にはにこやかに接していた。むしろその強気な性格と態度はその他の女性従業員から頼られる部分も多かったし男性社員にも一目置かれていたので、舞を苦手にしている者以上に慕っている者も多かったのだ。
そんな何人もの元同僚達に声を掛けられて笑顔で挨拶をしていると、背後から一際大きな声が掛けられた。
「あぁ、舞ちゃんだぁ!! 久しぶりだねぇ、元気だった!?」
若干高めの可愛らしい声は振り向く前から誰のものかわかったので、舞は嬉しそうに笑顔を浮かべて振り返る。するとそこには予想通り満面の笑みを浮かべた桜子が立っていた。
彼女は今日、連休中の繁忙のために残業をお願いされて今仕事が終わったところだった。
「あら、桜子じゃない。今日は遅くまで仕事だったのね、お疲れ様」
「あぁ、舞ちゃん、最近はメールくらいしか出来なかったけど元気そうだね、良かったよ」
「うふふ。正直に言うと最初はもの凄く大変だったんだけど、やっと最近慣れてきてね――」
それから暫くの間舞の新生活の話を興味深げに聞いていた桜子だったが、急に思い出したように話題を変えた。
「そうだ。今日は店長を迎えに来たんでしょ? どう? 順調?」
「おかげさまでね。彼ったらやっと最近彼氏らしい態度をとってくれるようになったから。それまではずっと遠慮ばかりしていて大変だったのよ。でもまだまだこれからかしらねぇ、彼ったら全然私に触ろうとしないし……」
少々不満そうな口ぶりではあるが、表情は満更でもなさそうだ。
「まぁね。店長の気持ちもわかるけどね。舞ちゃんみたいな素敵な女の子と二人きりになったら、ちょっとした切っ掛けで自分を止められなくなるんじゃないかなぁ。男の人って大変みたいだよ? 健斗もそうだからよくわかるんだ、うんうん」
「あら、木村君にもそんなところがあるの? 彼って結構奥手で我慢強いイメージがあるけれど……」
「えへへ…… ま、まぁね。あんな彼でもあたしと二人きりになったら色々とあるからね…… なんか自分を抑えるのが大変そうで。でもあたしの病気のせいで彼にはずっとお預け状態だったから、ちょっと可哀想だったんだ」
「そうね、あなた達こそ付き合いも長いのに、まだだったわね」
「うん…… でもね、内緒なんだけど、明日の夜に彼のアパートに初めてお泊りに行くの。今からちょっとドキドキするよ」
「……えぇ!? 凄いじゃない!! それじゃぁ、明日の夜は……」
「……うん、きっとね……」
白い頬をポッと染めて恥ずかしそうに桜子が俯くと、何処か羨ましそうに見つめながら舞は話を続ける。
「そうなのね。まぁ、あなた達の付き合いの長さを考えるとむしろ遅いくらいなんでしょうけど。それにしてもおめでとう!! やっとなのね」
「う、うん…… ま、まぁ、まだそうなるかわからないけどね」
「いやいや、曲がりなりにも彼の家に泊るんだから、普通に考えてもそうなるでしょう? とにかく今度、結果を詳しく教えてね、約束よ」
鼻息も荒くこの話に食いついてくる姿を見ていると、桜子は中学生時代の舞を思い出す。
その当時から彼女はこの手の話題が大好物で、人の色恋沙汰にいつも首を突っ込んでは興味津々に話を聞いていた。今ではすっかりグラビアモデルのような肉感的美人になった舞ではあったが、根っこの部分はあまり変わっていないことが今の彼女の姿を見ているとよくわかる。
もともと舞は同年代の女子に比べると昔から顔も雰囲気も大人びていたし、背も高く身体の発育も早かった。だから今でも化粧をバッチリ決めると見ようによっては四、五歳上に見えるのだ。ただし実際には今度の誕生日で十九歳になる彼女は、私服を着てすっぴんでいると年齢相応のあどけなさも残しているのだが。
そして増田の好みがそういった素朴な女性なので、プライベートの舞は敢えて薄化粧で済ませていた。
そんな風に場合に応じて化粧の仕方を変える舞を、桜子は以前から羨ましいと思っていた。
最近では桜子の化粧の腕も多少は上がっていて、以前のように口紅の塗り過ぎで辛い物を食べ過ぎた人のような唇になることもなくなっていたが、彼女に化粧の仕方をレクチャーした母親の楓子の溜息が止まらなかったことからもそこに至るまでの道筋は相当大変だったらしい事が伺われる。
そんな事情もあり、普段の桜子は基本的に薄化粧で済ませていて、それ以外の化粧の仕方は未だにできなかったのだ。
桜子のお泊りの話題に舞が異常な食いつきを見せていると、ロッカールームから増田が姿を現す。彼は舞の姿を見つけるととても嬉しそうに笑顔を浮かべて、以前のような何処か戸惑ったような顔をすることは最早なくなっていた。
「やぁ、舞ちゃんごめん、遅くなっちゃったよ。待っただろう?」
「ううん、全然待っていないわよ。それより和也さんは疲れているんだからゆっくりでいいのよ」
「大丈夫だよ。さぁ帰ろうか。――それじゃあ戸締りするからみんな出てよー」
「お疲れ様でしたー」
「お疲れー」
ファミレス前で桜子と別れた舞と増田は、仲良く並んでアパートへ向かって歩いて行く。
二人が付き合うようになってからまだ一月も経っていないが、そこに至るまでの期間は約三年あったので彼らの間には付き合いたてほやほやの初々しさはない。しかしそこにはお互いを信頼し合う様子が見えて、彼らの間違いない絆が感じられるのだ。
そこには二人ともが若いカップルであれば醸し出せない落ち着いた雰囲気が溢れていて、ともすれば熟年カップルのような姿にも見える。
「毎日こんな遅い時間にすまないね。でもいいのかい? 両親に何か言われたりしない?」
「ううん、両親は私の事なんて気にしないから。それに弟も妹もこの時間はもう寝ているから、私としてはむしろこの時間の方が自由に身動きが取れていいのよ」
舞は自分の事を気にする増田に嬉しそうな笑みを浮かべながらそう答えると、そんな姿を見つめながら増田は一人考えていた。
舞の両親は相変わらず子供たちを放置しているらしく、春から社会人になった舞は今でも弟妹の面倒を見ているようだ。今回の連休でも両親は二人だけで旅行に行ったと聞いているし、その間はやはり舞が一日三食の食事の世話から掃除、洗濯までしているのだ。
彼女は事も無げにそんな話をするが、増田のような普通の家庭に育った人間からするとやはり彼女の家庭は普通ではないように聞こえてしまう。それに彼女だって小学校六年生までは両親が揃った家庭で育ったと聞いているし、弟も妹も幼少時は実の父親が一緒にいたはずだ。
話を聞く限り、舞の母親は自分の子供達にあまり興味がないらしい。
舞自身も幼少期から育児放置気味に育てられたようだし、彼女の弟妹に至っては完全に舞が育ててきたようなものだ。舞と話をしているとよく弟妹の話題が出てくる半面決して母親に言及されることはなく、そこからも彼女が自分の母親に関して色々な意味で諦めている様子が伺える。
その様子を見た増田は腹が立つのと同時に舞がとても不憫に思えた。
今年社会人になったとは言え、未だ十八歳の少女にとってあまりと言えばあまりな家庭環境をどうにかしてあげたいと思うのだが、単なる恋人でしかない増田にはそこまで口を出すことは出来ないだろう。
それでも彼は自分に出来る範囲で何かできることはないかと考えてはいるのだが、なかなかこれといったことを見つけられないまま過ごしていたのだ。
そんな事をモヤモヤと考えながら歩いているうちにアパートに到着すると、増田がカバンから鍵を出す前に舞が合い鍵で扉を開けて当然のように中へと入って行く。それはこの連休に入ってから既に見慣れた光景になっていて、増田はまるで自分が結婚をしたような錯覚を覚えていた。
部屋の中は数日前からとても綺麗に片付いてまるで自分の部屋ではないように感じるが、以前の部屋がとても彼女を迎え入れるような状態ではなかったことを考えると、決して掃除をしてくれた舞に不満などあるわけもなかった。
部屋の中に入ると、居間――と言っても六畳と八畳の続き間だが――の真ん中に置かれたテーブルには既に食事の準備がされていて、あとは温め直すだけになっている。
連休に入って舞が夕食を作りに来るようになってから、増田は職場の賄を食べるのをやめていた。もともと彼は賄を食べた後に自宅でもコンビニの弁当を食べる生活を送っていたが、さすがに舞の手作りの夕食が美味しすぎたので、それを腹いっぱい食べたくて腹を減らすようにしていたのだ。
「やぁ、今日もとっても美味しそうだ。いつも悪いね」
「ううん、和也さんに喜んでもらえるなら、連休が終わっても毎日作りに来てあげるわよ。家も近いんだし私は全然平気よ」
「うーん、それはとても魅力的な申し出だけど……さすがに平日はやめた方がいいよ。舞ちゃんだって仕事があるし、家事だって忙しいだろ」
「大丈夫よ。まぁ、あの人がもっとしっかりしてくれれば何も問題はないんだけど……」
「そ、そうか…… さ、さぁ、せっかくだから冷めないうちに頂こうかな、あぁ、どれも美味しそうだな!!」
まるで取って付けたような笑顔を浮かべながら増田が料理を食べ始める。
舞の手料理はお世辞抜きで本当に美味しくて、もう夜の0時も近いというのに二度もお代わりをする恋人の姿を舞はとても嬉しそうに眺めていた。その顔は他の人間には絶対に見せないような無防備な表情で、それだけ彼女が増田を信頼している様子が見えるものだった。
恋人が作ってくれた料理を本当に美味しそうに食べながら増田は考えていた。
普段から舞はあまり両親については触れないが、たまに彼女がその話題を口に出すときはいつも何かに耐えるような辛そうな顔になる。舞自身はもう就職もして順調に過ごしているので実家を出ることもできるのだろうが、まだ小学生の弟妹の事を考えるとそう単純な話ではなかったのだ。
付き合う前は及び腰だったが、いざ付き合い始めるとこれだけの美貌とスタイルの持ち主が恋人である事実に舞い上がりそうになる。それに未だ十八歳の少女とも言える彼女の若さは見る度に眩しくて、そんな誰が見ても美女と言える女性を恋人に出来たことに、自分はなんて幸運なのだろうとさえ思うのだ。
しかし今年三十九歳になる自分の年齢を考えると、このまま何年も恋人同士で終わるとは思えなかった。実際に舞がどう考えているかはわからないが、もしも万が一彼女とこのまま何年も付き合った場合、果たして自分は責任をとれるのだろうか。
彼女が女性として一番輝く時期を自分のようなおっさんと一緒に過ごして、そこに彼女の幸せはあるのだろうか。
気が早すぎるのは十分わかっているが、もちろん自分としては彼女と結婚まで視野に入れていきたいと思っている。それはそこまで彼女の事が好きになってしまったからだ。
付き合う前はニ十歳もの年齢差と舞のあまりの美女ぶりに思わず尻込みしてしまったが、実際に付き合い始めると彼女の思わぬ家庭的で温かい部分にすっかりのめり込んでいる自分がいた。まだ付き合って一ヵ月だが、舞を誰にも渡したくないし彼女のいない生活は最早考えられない。
自分がまさかこんなにも人を好きなったことにも驚いたが、これほどまでに惹かれる女性に出会えたことはまさに奇跡としか言いようがないだろう。
「和也さん、どうしたの? 仕事でなにかあったの?」
思わず深刻な顔をしていた増田に気付いて、心配そうな顔で舞が覗き込んでくる。薄化粧でも十分に美しい彼女の顔に一瞬見惚れそうになるのを苦労して増田は平静を装った。
「な、なんでもないよ。ちょっとだけ考え事をしちゃってね……ごめん」
「ううん、謝らないで。和也さん、あなたきっと疲れてるのよ。さぁ、ご飯を食べ終わったらお風呂に入って来てね。もう沸かしてあるから。その間にお布団用意しておくから…… それでお願いなんだけど――」
「だ、駄目だよ、泊って行きたいだなんて言っても、それはまだ聞けないからね」
「……はぁい、わかりましたぁ」
そう言って拗ねたように上目遣いをする舞が可愛すぎて思わず抱きしめそうになる増田だが、そんなことをしてしまうと絶対に我慢できなくなる自信があるのでそれだけは絶対に出来なかった。
増田だって男なのだからこんな美女を前にして冷静でいられるはずもなければ、一度理性の箍が外れてしまうと大変な事になるのはわかっていたからだ。
それにしても、と増田は思う。
自分の部屋に来るようになってから、舞は何度も自分との関係を結びたがっているような素振りを見せているが、それはどこまで本気なのだろうか。
今だってこのまま泊まりたいと言いそうだったし、もしもここで自分が良いと言ったら彼女は本当に泊って行くのだろうか。しかし彼女はそんなことで冗談を言ったりふざけたりするような性格ではないので、きっと本気なのかもしれない。
夕食が終わると舞を家に送るために増田は一度外に出る。
彼のアパートと舞が住んでいる駅前のマンションは歩いて三分しか離れていないので、食後の運動にちょうどいいと言って増田は絶対に舞を一人で帰すことはしなかった。そんな姿にも舞は嬉しそうに素の笑顔を見せる。
現在夜中の0時十五分、この時間ではさすがに誰も見ていないので、さり気なく増田が舞の手を握ると彼女も握り返してくる。その滑らかな触り心地の手からは彼女の温もりが感じられて、その温かさに増田は心まで癒されていた。許されることならこのままずっとこの手を握っていたいところだが、残念ながら約三分後には舞の自宅マンションに到着していた。
「それじゃあおやすみ、舞ちゃん。気を付けて」
「えぇ、また明日ね。朝起こしに来てあげるからゆっくり寝ていてもいいわよ。それじゃあおやすみなさい」
「うん。それじゃ」
名残惜しそうに増田が舞の手を放すと、彼女はくるりとその場で身を翻す。
そしてその勢いのまま増田の頬に唇を押し当てた。
ちゅっ
増田にはそんな音が聞こえたような気がした。
「それじゃ、また明日……って、もう今日だけどね。おやすみなさい、和也さん」
手をひらひらとさせて去って行く舞の後姿を見つめながら、増田は舞の唇の温もりが残る頬を暫くの間恥ずかしそうにさすっていた。