舞と増田 其の三 新しい職場とそこでの出会い
四月一日付けで舞は人材派遣会社の正社員になった。
それから約一週間、みっちりと基礎研修を受けた後に各職場に派遣されることになる。それは生産工場のラインから一般事務職、イベントコンパニオンまでその業務内容は多種多様に渡り、その中から自分の希望と求人に応じて派遣先が決められるのだ。
しかし舞の場合は最初から企業の受付業務を会社から指示されていた。
そもそも人事の採用担当者は、舞の採用を決めた時から既に彼女を企業受付に行かせるつもりだった。
女性に対してその容姿の優劣によって業務内容を決めるのは今の時代であればそれは「セクハラ」と言われるものなのだろうが、まさに美女と言っても差し支えない舞の容姿を生かすために工場のラインに行かせるのは馬鹿げた話であるし、舞自身もそのように自身の優れた特徴を前面に打ち出せる職種に興味を持ったこともあり、即座にその派遣先が決まったのだ。
企業受付と言えばその会社の顔になるので、最低限の接遇やマナー、ビジネスの常識などを入社後一週間で厳しく叩き込まれた。しかしもとより学業面では残念な部分の目立つ彼女は、その基礎研修にもギリギリ付いて行ける程度で、毎日夕方になると頭から湯気が出そうになるほど脳を酷使していたらしい。
それでも彼女なりに必死に食らい付いて行った結果、予定通りに派遣先に赴任して行ったのだった。
赴任先は全国展開する大手不動産会社の地方支社で、舞の住むS町からは電車で四駅のオフィス街にある。そこの総務部が受け入れ先になっていた。
舞自身が初めての社会人経験であるうえに、企業受付の経験もない。それに赴任先が大手企業であることや、一週間で叩き込まれた基礎知識、マナーがどこまで通用するのかもわからなかった。
そんな諸々の事を考えると不安で押し潰されそうになる彼女だったが、今月からやっと彼氏と呼ぶことが出来るようになった増田の応援と、もう被り慣れている外面の仮面を最大限活用して何とか順調な滑り出しをしつつある。
最初に赴任先の総務部に挨拶に行った時には、そのフロア全体が騒めいていた。
それは真新しい受付嬢の制服に身を包み、バッチリと化粧を施した舞の姿が美しすぎたからだ。
恋人の増田の好みもあって彼女の髪は自然のままの黒髪ストレートなのだが、その長い髪を後ろで纏めた姿は髪を染めるのが当たり前になっている昨今、とても清楚で美しく見えたのだ。
些か気が強そうな切れ長の瞳と筋の通った鼻、いつも微笑みを絶やさない薄めの唇も全てが美しくバランス良く配置されて、その顔は誰が見ても美人と言うほかなく、さらに素の状態で170センチを超える長身はヒールの高い靴を履くことで更に高くなっている。
確かに企業受付は会社の顔と言えるのだろうが、これだけ美しければ他にもっとその容姿を生かせる仕事があるだろうと皆思ってしまうほどだった。
派遣先には既に同じ会社の先輩が二人いて、彼女たちが丁寧に仕事を教えてくれた。
女だけの世界には色々と難しい部分があるのだが、先輩二人は新人の舞にとても良くしてくれて、舞もそんな先輩たちにはとても感謝していたし、彼女達と上手に付き合おうと舞なりに気を遣うようになっていた。
それまでどんな人間に対しても強気な姿勢を崩さなかった舞にはその変化はとても大きく、早速彼女が社会の中で揉まれて少しずつ変化している様子が見て取れるものだった。
企業受付の業務は午前九時から午後六時までの拘束九時間、実働八時間の勤務で、基本的に残業は無く土日も完全に休みだ。
それは弟妹の面倒を見なければいけない舞にとってこれほどピッタリな職場は無かった。いや、それどころか、夜間にアルバイトをしていた高校生時代よりも家に帰る時間がむしろ早くなったので、彼女としてはとても助かっていたのだ。
そして赴任してから約二週間、やっと仕事に慣れて来た彼女は毎日生き生きと仕事をこなしていたのだった。
「ねえ、舞ちゃんは連休中はどうするの?」
そろそろゴールデンウィークに入ろうかという時期の午後六時十五分、仕事が終わった舞がロッカールームで着替えをしていると、先輩受付嬢の一人、鎌木朱里が話しかけてくる。
朱里は舞と同じ派遣会社に所属する二十四歳の先輩で、ここの受付を始めて既に四年が経過していた。
「連休中は特に予定はありません。一日か二日、同じ町内に出掛けるくらいでしょうか」
「えぇ…… なんか寂しいねぇ、それ。舞ちゃんって彼氏いるって言ってたよね? その人とは遊びに行ったりしないの?」
「えぇ。彼はファミレスで働いているので、連休中はむしろ忙しいみたいで。夜も帰りは遅いから、私が休みだからと言って押し掛けるのもどうかと……」
「いいじゃんいいじゃん、行っちゃえばいいじゃん。そしてそのままお泊り…… うぅーん、いいわぁ、それ。そして朝ご飯を作って一緒に食べるの。うぅーん、憧れるわぁ」
突然妄想の世界に入り込んだ朱里が暴走を始めるが、この姿はもう舞には見慣れたものだ。
どうやら彼女はこの手の話題が好きらしく、度々妄想の世界に浸ってしまうのだ。そしてその姿を見ていると、舞は昔の自分を思い出してしまう。
昔と言っても未だ十八歳の舞にとってそれは中学生の頃の話になってしまうが、その頃の舞も人の色恋沙汰に首を突っ込むことが好きだったのだ。当時から比べると精神的に成長していたし、実際に恋人が出来た今ではそのような事はさすがにしなくなったが、舞としても朱里の気持ちはわかるのだ。
「鎌木さんの連休中の予定は? なにかあるの?」
それを横で見ていたもう一人の先輩、竹渕真琴が話しかけて来る。
彼女は現在二十七歳の先輩で、そろそろ恋人と結婚を考え始めているらしい。その落ち着いた物腰は年配社員に人気が高いようだ。
「わたしは学生時代の友達と旅行に行きますよ。本当は彼氏と行きたいんですけど……うぅ、どうしてわたしには恋人ができないんでしょうか? 一日中受付にいるのに誰も声を掛けてくれないんですぅ」
あぁ、それはあなたが地雷女だと皆知っているからだよ、とは口が裂けても言えない真琴だった。
「それで、あなたはどうするの? 東海林さん。やっぱり大人しく家にいるのかしら?」
「……あの、それなんですが、男の人ってどんなに疲れていても彼女が家に来てくれるとやっぱり嬉しいものなのでしょうか?」
些か不安そうな顔をしながら舞が訊ねる。それはあくまでも真琴に質問しているもので、決して朱里には訊いてはいなかった。
「そりゃあそうでしょ。どんなに疲れていても愛する彼女が来てくれれば身も心も元気になるのが男ってもんでしょ。ついでに違うところも元気になるけどね、あははは」
「ちょ、ちょっと、鎌木さん、東海林さんはまだ十八歳なんだから…… 変な事言わないの!!」
「なに言ってんですか、今どきの十八歳なんてバリバリでしょ。むしろうちらよりもお盛んなんじゃないですか? うひひひ」
「はぁ……」
少々下衆な笑い声をあげる朱里の様子に小さなため息を吐きながら、これだからあなたは地雷女と言われるのよ、と真琴は思ったが決して口には出さなかった。
「それにしても最近の十八歳は発育いいねぇ…… ほんと、羨ましいかぎりですなぁ、旦那」
何気におかしなモノマネをしながら、朱里がしげしげと舞の身体を眺めている。
舞はいま着替えをしている真っ最中で、制服のブラウスとスカートを脱いで下着だけになっているところだ。その豊満な胸と腰を露にした姿はまさにモデルかと言いたくなるような滅多に見ないスタイルで、その容姿を羨ましいと思うのは朱里をしても仕方のないものだった。
舞は桜子に比べて身長で3センチ、胸囲で5センチ、ヒップで10センチ上回っている。
実際には胸郭や骨盤などの骨格が違うので何とも言えないが、全体的なイメージでは桜子をもう少し骨太にしたような感じだ。
桜子自身も少々お尻が大きめなのを気にしているが、舞のそれは桜子以上に発達していて、俗にいう安産型の「ぼんっきゅっぼんっ」体型なのだった。
「そんなに見ないで下さいよ……」
表面上は平気な顔をしているが、この微妙に視線を合わせない顔は舞にしては珍しく恥じらいを感じている顔だ。以前の彼女であれば「どうだっ」と言わんばかりに誇示していたのだろうが、さすがに彼女も大人になったというべきか、そんなことをすると嫌味になるのは理解できるようになっていた。
「それにしても本当にグラマーよねぇ。モデル並みに背も高いし、出るとこ出てるし…… 彼氏なんてあなたの身体に溺れちゃうんじゃないのぉ?」
「そ、そんなことありませんよ。彼とはまだ……」
「あらぁ……? その反応は、もしかして……」
「こらっ、鎌木さん。そういうセクハラ発言は禁止ですよ。未成年相手にダメでしょ!!」
「はぁい、すいませぇん」
まるで三姉妹の長女のように叱る真琴の言葉に、朱里はぺろりと舌を出すとそそくさと着替えの続きを始める。真琴に叱られるまで朱里はずっと下着姿のまま喋り続けていたのだ。
そんな恥じらいが足りないところもまた真琴から見るとどうなのかと思ってしまうようだった。
着替えが終わった舞が通勤用バッグを抱えて一階のロビーに降りると、既に時刻は六時三十分を回っており、これから残業に突入する者が近所のコンビニのビニール袋を提げて戻ってくる姿が散見された。既に私服に着替えた舞がその横を通り過ぎていくと、大半の男たちは彼女の姿を振り返って見ている。
そんな彼らに向かって心の中で「お疲れ様です」と声を掛けながらロビーを出ようとしていると、そこで舞は声を掛けられた。
「あ、あの、しょ、東海林さん」
舞には全く聞き覚えのない声であったが、仕事がらみであるかもしれないと思いつつ声の方を振り向く。するとそこにいたのは何処か見覚えのある男で、その顔に必死な表情を浮かべて帰宅途中の舞に追いすがろうとしている。
その様子を見る限りこれは仕事関係の話ではなさそうだと思った彼女は、このまま無視をするべきか、彼が追い付くまで待つべきか一瞬判断に迷った。どのみちこのタイミングで仕事の話をされても困るだけだし、勤務時間外にそんな話を振ってくる方もどうかと思ってしまうのだが。
普段の彼女であればここはガン無視で通り過ぎるところなのだろうが、やはり仕事がらみだと後々まずいだろうと思った舞は振り向いた姿勢のままその男性が追い付くのを待つことにした。
「東海林さん、あ、あの、MK通商の高峰です。わかりますか?」
男の言う通り、舞はこの男の顔に見覚えがあった。
それも一度や二度ではなく継続的に相手をしてきた男で、その社名を聞いた途端彼女の頭の中に昼間の彼の姿が浮かんでくる。
「あぁ、高峰さん。いつもお世話になっております。私に何か御用でしょうか? 只今勤務時間外ですので、仕事のお話であれば明日の朝九時以降に再度――」
「い、いや、仕事の話じゃないんだ。そ、そのぅ…… す、少しだけ話をしたいんだけど、これからちょっとだけいいかな?」
この話し方、雰囲気、これは舞にとってはお馴染みのものなので、高峰が態々帰宅途中の舞に声を掛けてきた理由が一目でわかった。
彼女は高校生の時に多くの男子からラブレターをもらい、告白を受けてきた。だから目の前の男の醸し出す雰囲気だけで彼がこれから何をしようとしているのかは手に取るようにわかるのだ。
それでも相手の話を遮るのはマナー上良くないことを学んだ舞は、最後まで彼の話を聞こうと思うのだった。