中坊ですよ!
水島春樹のさえない中学剣道はどうなる?という話です。
年が明けて四月、春樹は中学生になった。地元の室第一中学校に進学したのだが、そこの剣道部は形だけのものである。顧問が未経験なだけでなく学校には道場がなかった。
名ばかり剣道部の部員は鳴動館の会員であり、つまり中体連主催の大会に参加するためであり、彼らにとって部活の練習とは鳴動館での稽古を指していた。
彼らにとっての変化とは稽古の厳しさや激しさの強度であり、東京で泣いていた鬼も帰る頃には涙が乾いて、やはり鬼は鬼なのである。
七月中旬、春樹は二年生で中体連の全国大会への切符を手に入れた。全国予選は例の県立総合体育館ではなく県南体育館で行われた。
鳴動館の夏は目まぐるしい。七月下旬に日本武道館で全日本少年剣道錬成大会の中学団体の部に出場した。コート決勝で土浦清心館に敗れる。
八月上旬、宮崎県の日南総合体育館で開かれた九州中学校剣道大会。これに彼らは室第一中学校の名で出場した。
参加16チームを4つのリーグに分け、総当たりで二位までが決勝トーナメントに進める。彼らはリーグを二位で突破し、トーナメント初戦で佐賀の東成学園に敗れた。
なお、このとき監督を務めた島野教頭は卓球で九州チャンピオンになった経歴を持つが、竹刀を握ったことはない。そこで我らが佐山館長が同行し、有効な指示を送った。
一つ息を入れて八月下旬。栃木県中央体育館のて全国中学校剣道大会で室一中として出場する。
各都道府県から一校ずつと主催地である栃木から2校の計48チームで3校リーグを行い、各リーグの一位による決勝トーナメントで優勝を争う。
室一中の最高成績は5年前のベスト8である。これを上回らんと奮起したが予選リーグで敗れた。
県予選を含めた4大会での春樹の成績は3勝0敗11引き分け。次鋒という前半のポジションで決定的なミスはないものの、益にも害にもならず煮えきらない気持ちで引退する三年生から次期主将に言い渡された。
翌年、室第一中学は三年続いた全中出場を途切れさせる。
全中の本大会を優勝したのは福岡の古川東部中学校。三年前に日本武道館で鳴動館と決勝戦を争った天斉館のメンバーが4人いた。
全中への道が絶たれてから一週間後、春樹は人のいない鳴動館の師範室で佐山と対面していた。
「さて、春樹。お前の進学先について俺んとこにいくつか話が来とる。お前、剣道を続ける気はあるんか?」
「はい」
「どういうレベルでやっていくつもりや」
「今年ダメだった全国大会出場、いや優勝を目指したいです」
「ほんまか今言ったんは。お前は小学生んときは落ち着いとるなかでも一本に飢えて、そんで掴んだ機会は離さんちゅう気概があった。そいつが中学校に上がったらどうや。うわべではセカセカやってるように見えて、勝負どこでお茶濁すような剣道や。考え方はいくつあってもええと思うが、全国優勝したいやつの剣道には見えん」
「その、どうしても怖いんです。キツいんです。昔だったら打ちに行けたチャンスが今はリスクに見えて。勝ちたくても負けるのが怖くて、それで…」
「何となくそんな感じは見えとった。だからお前に自信つけたろ思ってキツい稽古させてきたったけど、どうにも上手くいかんで今年の結果もアレやったな。やけんお前の戦う気持ちもなくなったんかと思っとったけど、そうか、まだ勝ちたい気はあって、だから迷っとったんやな」
「はい。どうしても前に出たいのに、ほんとに…」
「お前の気持ちはわかった。それやったら良い話があるわ。進んだら最後絶対引き返せん道、必死こいて前だけしか見れんとこ。そういうとこがお前に合っとる」
かくして水島春樹の次の戦いが始まる。
割とコーチや先生から高校の推薦を知らない間に断られるという話はありますよね。ルートやコネ、いろいろあるとは思いますが、自分のやりたい剣風が出来たら素晴らしいなと思ったりします。