西から東へ
水島春樹らは剣道部後援者の運転するバスに乗って東京に着いた。今年のインターハイは日本武道館、ではなく綾瀬の方が会場である。
会場近くの高校の体育館ですぐさま稽古を始める。東京の大学に進んだOBが防具を持って待ち構えており、普段通り、いやそれ以上の激しさで鍛えられた。これが今年の嶺越が試合前に行う調整だ。
男子団体戦予選リーグで嶺越は横浜光清と大阪の利徳と戦う。中堅戦が終わって光清とは2-0、利徳とは2-1の場面で春樹はいずれも敗た。どちらも大将の池田の働きで事なきを得た。
どうした、こんなところで躓いていてなにが日本一か。今はこの2試合で今日の日程が終わることを不幸中の幸いと考えるしかない。
明けて大会最終日。決勝トーナメント一回戦、相手は近畿王者の西宮商科。この難敵を4-0で下した。春樹は二本勝ちを収めている。
昨日は闇雲なところがあった彼は、人が変わったように手数が減った。それは消極的になったということではなく、常に先をとって打つべきときに技を出し、打ち合いに持ち込まれても最後はこちらが技を出して終わるというメリハリのある試合ぶり見せるようになった。
これは彼が寝ている間に魔法をかけられたからではない。いや、ひょっとしたら魔法か。滝田の右手はまれに選手を古い家電と対するようにピシャリとやるが、これを食らった側も旧式テレビよろしく正常な機能を取り戻す。
どうやら春樹も例外ではなかった。
俄に勢いづいた彼らは準々決勝で東宮城を5-0、準決勝で春日井第一を4-0で破った。
隣では愛媛の宇和島学園と福岡の嘉西が決勝をかけて戦っている。代表戦で嘉西の麻野がコテを決めた。麻野は6年前の天斉館の中堅で、嘉西では副将を務める。
日本一を巡るでの再戦。春樹は特別な運命など感じていない。お互い才能と努力を尽くした結果の必然的な偶然だろう。いずれにしても九段の借りを綾瀬で返させられる気などさらさらない。さあ、決勝戦だ。
先鋒戦、嶺越の山下が気忙しく動き、流れの中でコテを拾って一本勝ち。続く次鋒の三木もメンの一本勝ち。彼は嶺越レギュラーのもう一人の三年生だった。
しかし中堅の加藤、10秒足らずで二本負けを喫する。
これで完全に流れが嘉西に傾いたと思われた副将戦、始めの声とともに麻野が一歩詰めてくる。これにはたまらず春樹も退がる。いや、引いたのは右足だけだ!そのまま溜めのある左足で蹴り出して、初太刀にメンを先制した。
グッと優勝が近づく。中学生のときから危ないところの嗅覚は抜群な春樹。臭い間合いでコテを引っ掛ける試合運びで時計を進める。
残り30秒、あとがない麻野が遠間から無理にメンに跳ぶ。これを難なく見切った。あっ、崩れると思われた麻野の上体は流れることなくもう一度踏み込んでメンを繰り出してきた。これが届かないか、いや、届く。勝負は仕切り直しになった。
春樹がメンをとられてすぐに笛が鳴る。延長が始まるとこれに勢いづいた麻野が畳み掛ける。連打に次ぐ連打。決まらないと見るや崩しを入れる。これは麻野が優勢か。
いや、春樹、相手の勢いに呑まれず、後傾姿勢になったり足を止めるということもなく捌き続ける。
延長も1分が経過した頃、麻野の攻勢が途切れてきたところで春樹は近間で裏から竹刀を巻く。すると麻野の右手から竹刀は離れ、詰めながら振りかぶる春樹に慌てて竹刀を掴み直して面を守る。瞬間、左胴が袈裟に切られて快音が響く。
嶺越の優勝が確定した。
大将の池田は一本負け。それでいい最後くらい三年生に甘えたって。
大分に戻ると、彼らは県庁へ赴き知事に挨拶した。
帰省して実家でこの話をすると、母の小春がおかしそうにいった。
「あんた日本武道館で優勝したときなんて言ったか覚えてる?」
「いや、全然」
「あんま勝ちすぎて偉くなるのは嫌だって」
「どうしてやろ」
「偉くなってお札の絵になるのは良いけど、切手になるといろんな人に後ろからベロベロ舐められるからだってさ」
聞いてて自分の図々しさに頭が痛くなった。
ともかくこれで西へ東へ動き回る生活は一旦落ち着く。少しはゆっくりするのもいいだろう。
なんてったって春樹は高校を卒業したら…




