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真琴が会釈すると、鮮やかな色の髪が胸に零れ落ちる。服はやっぱりジャージだった。
「楽太郎くんが、マチを!」
真琴とぼくは、すこしバツの悪そうな顔をする。以前、これで依頼金を半分にされたことがあったのだ。
「楽太郎くんのぶんも、ちゃんとお礼します! お茶でも飲んで待っててください!」
「いえ、今日はご家族でゆっくりされてください」
手招きされて戸惑うぼくを制し、真琴はまた頭を下げる。暗闇だから一見わからないけど、彼女は今すっぴんだ。光の下にはいきたくないのだろう。
「うちの探偵も、それを望んでますから」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられながら、ぼくはうなずく。
「でも……」
「いいんです。では、後日あらためて」
「――待って!」
立ち去ろうとするぼくらを引き止めたのは、マチだった。夫人の腕から抜け出し、ぼくにかけよってくる。
「どうもありがとう」
頬を寄せ、耳のすぐそばでささやかれる。
「ラクが探してくれてよかった」
そして、鼻にキスをした。
それを見て、真琴がにやりと笑う。追川夫人は驚く。追川さんは、ちょっと悔しそうだ。
びっくりしてかたまったぼくの背を叩いて、真琴は追川一家に向き直る。
「では、後日あらためて」
「はい、ありがとうございました」
何度も頭を下げる夫人たちに背を向け、真琴は歩き出す。
そして、また振り向いた。
「追川さん、元気な赤ちゃん産んでくださいね」
「えっ……」
驚く夫人にかわって、マチが一声、にゃあと鳴いた。
○○○
依頼を受けた日は、満月だった。だから今日は、ちょうど半月。比較的仕事が早く終わったといえる。
月明かりと外灯の下、ぼくと真琴は並んで歩く。昼間のように人目を気にすることもなく、自由に会話をしながら歩くことができるのは夜の特権だった。
「ラクはいつももてるのな」
先ほどのマチを思い出し、真琴が唇を曲げる。ぼくはそっぽを向いた。
「こういう捜索も得意だし、うちのナンバーワン探偵はラクだね、きっと」
どうやら一杯引っ掛けてきたらしい。かすかにアルコールのにおいがする。悪酔いではないらしく、足取りは軽く楽しそうだ。
ほんのり頬を上気させる真琴は、初めて会ったときとあまり変わっていない。八頭身の体も長い足も背中を揺れる髪も、長年一緒にいる割に変化がない。
「――ラク?」
立ち止まったぼくに、真琴が振り返った。
「疲れた? どっかでジュースでも買う?」
ぼくは、真琴が好きです。
「そーいやそろそろご飯なくなるな。仕事の金も入るし、たまには贅沢するか」
ぼくがどんなに言っても、真琴には聞こえない。彼女はただ、ぼくの頭を撫でるだけ。
「ラクもたまにはワンとか鳴かないと、なにかあったとき困るでしょ? 無駄吠えされるよりはいいけどさ」
彼女はぼくの言葉がわからない。
だからぼくの想いは通じない。
真琴はぼくにリードをつけて歩かない。ちゃんと帰ってくるとわかってるから、一人で遊ばせてくれる。
でも、彼女にとって、ぼくはやはりただのゴールデンレトリバーなのだ。
「行こう? ラク」
歩き始めた背中を、じっと見つめる。彼女が空を見上げれば、ぼくもそれにならった。
そして、もう一度、真琴を見つめる。
彼女がぼくの言葉がわからないのなら、ぼくは一言だけ言い続ければいい。それ以外の言葉は一切口にしなければいい。
だからぼくは、真琴にこれしか言わない。
「いい月だね、ラク」
でも彼女には、一声鳴いたようにしか聞こえないのだ。
「真琴が好きです」
END