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「……悔しい?」
こくりと首が動く。唇をきっと引き締め、彼女は地面を睨むように見、かぶりをふった。
「どうして私はあの家の子に生まれてこなかったんだろうって、いつも思う」
本物の親子にはなれない。この差は、とても大きい。
「だからもう、この家から出ようって飛び出したのはいいんだけど、私、ずっと家のことばかり考えてるんだよね」
それでも、心はつながっている。ぼくはマチを見てそう思うのだけど、やはり彼女には越えられない壁がある。
ぼくにも、越えられないものがある。
「私、なに不自由ない生活させてもらってたっていうことを実感したわ。ごはんは食べられない寝るところはない。保護されるのは嫌だったからずっと逃げてたけど、正直もうこんな生活したくない」
昔のぼくと、同じ生活をしている。その苦労が骨の髄までしみこんでいるぼくは、マチの言葉に大きくうなずいた。
「私、愛されてた。だから今、お母さんたちに心配かけてるのがとてもばかだと思うの」
自分が求める愛を与えてもらうことができる。正直、ぼくはマチがうらやましかった。
ぼくがほしい愛はマチとは別のものだ。マチのもらっている愛はぼくも少なからずもらっている。ただ、ぼくがほしい真琴の愛は、ぼくではない別の人に向けられている。
そう思うと心が沈むので、ぼくはそれを息で吐き出した。
「じゃあ、家に帰る?」
「うーん……」
帰るとなると、話は別らしい。マチは悩むそぶりを見せ、しきりに瞳を泳がせた。
「帰りたいから、声をかけたんでしょ?」
そうじゃなかったら、探偵助手とわかっているぼくに近づくわけがない。帰りたいけど帰るきっかけがつかめなくて、ぼくに声をかけたのではないだろうか。
「ラクと話してみたかったの。もう、相談できる人にはしつくしちゃったから……ラクはその気持ち、どうするの?」
彼女は、どうやって割り切るかと聞いている。つまり、ぼくがどうやって真琴のことをあきらめるか知りたいらしい。
「どうもしない。ぼくは、ずっと真琴を好きでいるよ」
「つらくない?」
「つらいよ」
でも、割り切ることのほうがずっとつらい。
「ぼくが真琴を好きでいても、真琴は困らないでしょ? だからぼくは、ずっとずっと、真琴を好きでいるよ」
この気持ちは、墓の中まで持っていくつもりでいる。許される限り彼女といよう。報われない恋でも、ぼくは一生、真琴を想い続ける。そう決めたのは、ずいぶん前のことだ。
「マチの想いは、ちゃんと受け止めてもらってるよ。両想いなんだから、ぼくはそれがとてもうらやましい」
思ったことを、正直に伝える。相手の信頼を得るためには自分の本音を伝えるのが一番。けれどこれは意図せずやったことだ。
マチの反応がないので、ぼくはにこりと笑ってみる。彼女はうなずくものの、まだもやもやが残るのか、行動に移そうとしない。
「帰りたくない?」
「帰りたいけど、怒られるのが怖い」
ぼくは今までで、一番自然に笑ったと思う。
「怒りなんてしないさ。心配してたよ」
そしてぼくは腰をあげ、ベンチから降りた。
○○
「――マチ!」
ぼくらの姿を見るなり、追川夫人は大粒の涙を流した。
マチを怒りもしなかった。抱きしめて、無事を安堵して泣いていた。
いつしか日は暮れ、帰宅したご主人がぼくを見てすぐに真琴に連絡してくれた。探偵にお金を払ってまでマチを探すのに、何の抵抗もない優しい人だった。
「ああマチ! もうどこにも行かないで!」
「お母さん……」
真琴がくるまで、追川一家は家に入ろうとせず、ずっと外でマチの帰宅を喜んでいた。
血とかそういうものは関係なく、追川家は強い絆で結ばれているのではないだろうか。抱き合う家族の姿に、ぼくはそう思った。
「――ラク」
控えめな声で、真琴がぼくを呼んだ。
追川家の感動の再会に水を差したくなかったのだろうけど、マチが気づいて一声あげたので、すぐに見つかってしまった。
「結城さん!」
「あ……どうも」