父の帰宅
乗馬服→ドレスに修正しました。
『今日も置かれている…』
扉前の床に置かれているもの。
花をモチーフにした金色のラインが優美に色づく封筒1通に、棘が丁寧に処理された赤い美しい薔薇が一本。薔薇には濃紺のベルベットのリボンが綺麗に巻かれている。
私はそっとそれらを拾い上げ、自室に入った。机の上にはいつものように水のみが入っている1輪刺しの花瓶が置いてある。封筒と薔薇が毎日置かれるようになってから、侍女のベティが用意してくれていた。折角お嬢様宛にこんな綺麗な薔薇が届いたのですから、と榛色の瞳を柔らかく細めて。
私はガラスのシンプルな花瓶に薔薇をさし、封筒の裏表を見る。宛名は書かれていなかった。もちろん差出名も。
薔薇の紋様が押された蝋をそろりと指で触れ、顔も名も見知らぬ差出し主に束の間想いを寄せてからペーパーナイフで開封した。
『今宵は満月だそうです。外で眺められるようでしたら、ジンジャーハニーティーを飲んでからお休みになられることをお勧め致します。女性が身体を冷やすのは良くないことですから。』
リボンと同じ紺色のインクで書かれた文章はいつものように私を気遣うもの。綺麗な字体でジンジャーハニーティーの作り方もきちんと書いてあり、丁寧で細やかな気遣いが出来る男性のようだ。差出し主が誰か分からないため、少しの情報で勝手に想像するしかない。けれど小さな情報が少しずつ増えても私の中で真面目で誠実そうという想像は消えることがなく、むしろそれを裏付けるものが増えている気がする。
手紙の話を友人のマリーにしたところ、個人を特定する情報が何もない見知らぬ相手から一方的に好意を寄せられるのは怖いし危ないことだから気をつけなさいよ。とお小言を貰ってしまった。マリーはいつも私のことを心配してくれる良い友人だ。だから、何かあったらすぐに相談するようにしている。
「カトレアお嬢様、そろそろ夕飯ですわよ。今夜は子爵様もご一緒されるそうです。」
「まあ、それは大変。急いで準備しないといけないわね。ベティ、手伝ってくれる?」
「もちろんですわ。既に湯浴みの準備ができておりますので、そちらへどうぞ。その間に夕食の服を用意しておきます。ちなみに髪はどうされますか?」
「今日は上げようかと思うの。お父様が久々にご一緒されるのですから、きちんとしていないと」
「承知いたしました。では。」
静かに頭を下げて、ベティが洗面所の扉を閉めた。
「お父様、ね」
領地と王宮の仕事で忙しい毎日を送るお父様が時間を作って家でご飯を召し上がるとなると、もしかすると何かあるのかもしれない。何もなく、家族に会いたかったからという理由で帰ってくることもあるけれど、なんとなく違う気がした。もしかすると、考えたくはないけれど私の縁談の話かもしれない。そろそろ結婚適齢期の折り返し地点の年齢になっているのだから。
我が家には嫡男となるべき男子はおらず、私か妹のエリザベスが婿を取って跡を継ぐしかない。長女である私が政略結婚するのは決められた責務、仕方ないことなのだ。考えたくはないことだけれど。私はそっと着ていたドレスを脱ぎ、湯浴みを始めた。
「お久しぶりです。カトレア様」
黒い長い髪を後ろで縛り、執事の黒い正装に身を包んだ男性が玄関口から挨拶してくる。
「こちらこそお久しぶりですわ、ジェット」
階段を降り、軽く会釈をしながら挨拶を返す。父付きの執事見習いである彼がここに居るということはお父様が帰ってきたのだろう。政略結婚のことを思い出し気分が憂鬱になる。
「カトレア様、宜しければこれを。」
「まあ、ありがとうございます。なんて可愛らしいのでしょう。これは…お菓子でしょうか?」
ジェットが上着のポケットから出した小さい紺色のリボンがついた瓶を受け取り、中を眺めてみる。
白、ピンク、黄緑、水色、綺麗な色とりどりのとげとげがついた小さい粒が何個も入っており、とても綺麗だ。思わず笑顔が溢れる。
「これは東洋の国のお菓子で、金平糖というらしいです。甘くて美味しいですよ。」
「コンペイトウ?名前も可愛らしいのですね。砂糖菓子でしょうか。こんな素敵なものを頂くことがあまりないのでとても嬉しいです。ありがとうございます。後日何か御礼をさせて下さいませね。」
眼鏡の奥の瞳を優しい笑みの形に変えて名前を教えてくれたジェットは今日も素敵な男性に違いなかった。彼は私より2つ上の20歳で、5年前からこの家で父の秘書として働いている。妹は彼にとても懐いており、私も彼のことを真面目で信頼に足る素敵な男性だと好ましく思っている。彼がいてくれればこのハーバルディウス子爵家も安泰だろう。ふと彼が私の婚約者であれば良いのにと思ったが、それはあり得ない話だった。爵位もなければ商人のように多くのお金を持っているわけではないただの執事見習いの彼との結婚を父が認めるわけがなかった。
父は身分を尊ぶ、堅い考えの持ち主なのだから。
「いいえ、御礼などとんでもありません。私はただ貴女にこれを差し上げたいと思ったから贈らせて頂いただけですので。貴女の笑顔が私にとっての最高のお礼です。」
「ふふふ、お上手ですわね。わかりました。では改めてこのコンペイトウをどうもありがとうございます。もったいなくて食べれるか自信がないですが食べるのが楽しみですわ。」
お気に召したら言って下さいね。また買ってきますので。そう言ったくれたジェットに勢いよく誰かが抱きついた。きらりと綺麗な金色の髪がふわりと私の視界に広がった。
「ジェット!おかえりなさい!」
「え、エリザベス様!」
ジェットに抱きついたのは私の妹のエリザベスだった。ジェットが家に来たときからエリザベスはジェットに勢いよく抱きつくのが好きで、15歳の淑女になった今も抱きついている。はしたないと何回注意しても彼女は笑ってこういうのだ。
「ジェットはきちんと受け止めてくれるから大好きよ!」
そう、ジェットは必ずどんな状況でも彼女をきちんと受け止める。顔の端正さや身体の細さからして受け止めきれそうにないのに、お父様より細い彼の腕はしっかり彼女を抱き止めるのだ。
もしかするとエリザベスは彼が恋愛的な意味で好きなのかもしれないなと思った。私が然るべき地位の肩を婿に迎えればもしかすると、彼女の恋は実を結ぶのかもしれない。いや、エリザベスにも確認していないのに早計だ。いけない。今日は余計なことを考えてしまう。
「エリザベスは相変わらずお転婆だな。早く席に着きなさい。夕食を食べるぞ。」
「お父様!」
「お帰りなさい、お父様」
低く響く声に後ろを向けば、久方ぶりに見る父がいた。
相変わらず忙しいのか、パリッとした服装とは違い疲れ切った顔をしていた。
「お父様、お髭生やし始めたのね。貫禄でも出したいのかしら?」
「エリザベス、口が悪いわ。」
えへへ、とエリザベスは笑って食堂へ早歩きで向かって行った。
「ベティ、ジェットから頂いたコンペイトウを私の部屋の机に置いておいてくれるかしら?」
後ろに控えていたベティにコンペイトウを預けて私も食堂へ向かう。
「カトレアお嬢様、今日は何をなさっていたんですか?」
「今日は少しだけ散策してきたんです。」
「散策ですか?良いですね。今は秋で気温的にも快適ですから。どこまで行かれたんですか?」
「フィッツィ森林公園です。あそこは都会なのに自然がいっぱいで素敵です。」
「自然がお好きなんですか?」
「そうですね、山とか海とか色々自然に触れ合ってみたいのですが…」
「タリアには自然があまりないですからね。」
「いつかそういう自然が多くて行ったことがないところに行って見るのが夢なんのです。」
横を歩いていたジェットは暫し黙り込んでしまった。ああ、こんなどうしようもない夢を語るなんてジェットに迷惑だったに違いない。謝ったほうがいいだろうか。そんな深い意味で言ったのではないのだけど、きっと優しいジェットのことだ、父に無理を言って叶えようとしてしまうかもしれない。どうしよう。
「でしたら、もし、もしですよ?」
ジェットが体の向きを横に変え、じっと私を見つめる。吸い込まれそうなくらい黒い黒い綺麗な瞳に頷く私が映る。
「もし、どこか自然が多い場所に行けることがあったら、私と一緒に訪れてくれませんか?」
「え?」
ジェットと一緒に?私とジェットはあまり一緒にどこかに行ったことがない。2人きりはもちろん、誰かと一緒にというシチュエーションもほとんどない。彼は執事見習い故にほぼ父と一緒だからだ。父と出かける時でなければありえない。そのジェットと一緒に行きたいところに行く。きっと彼のことだから事前にきちんと下調べをし、スムーズに案内役を務めてくれるに違いない。それに父を良く機転を生かして良く助けてくれているので、何か起きてもしっかり対処してくれるだろう。気遣いだって出来る。
ええ、きっと彼と行きたいところに行くのは楽しいに違いない。
「是非、ご一緒して下さいませ。」
笑顔で答えると、ジェットは一瞬だけ驚いた顔をして、それから温かい優しい満面の笑みで頷いた。
「嬉しいです。」
私達は嬉しそうな顔で食堂を目指した。
読んで頂き、どうもありがとうございます。
柔らかで歌うように綺麗な文章で書き綴ってみたいのですが、経験値が足りなくて全然できていない気がします…
自分のペースで最後まで書き上げていきたいと思います。宜しくお願い致します。