TKG
某役所、勤務五年。大学をトップで卒業し、優先的に仕事場が選べ、解雇されることも出世コースから外れることもなく、給料も安定していて、まさに理想の生活をしている。それが私。
そんな私が最近ふと思ったことがあった。
それは、卵かけご飯を朝に食べられる奴の気が知れない、だ。
もちろん、ただの私の主観であってそう思わない人は大勢いるだろう。喜々として食べるやつもいるだろう。なんとなく食べるやつもいるだろう。
一人暮らしの私は通勤のために朝は早いし、夜ごはんを残し、翌日の弁当のおかずや朝ごはんにまわせるほど料理上手でもない。朝は海苔の佃煮とご飯。昼は弁当。夜は飲み会やコンビニ弁当、たまに炒め物、といった感じだ。
こんな私にとってむしろ卵かけご飯は毎朝の朝食にちょうどいいのではないかと思うだろう。
だが、私は食べない。断じて食べない。
理由は簡単、味が嫌なのだ。
大人にもなってそんな……、と思っているやつ。そいつは少し誤解をしている。私は別に卵が嫌いなわけではない。昼飯に親子どんぶりを食べたりするし、飲み会の場でもだし醤油を使った卵かけご飯を食べたりする。ビールや焼酎にも合うからな。
私が言いたいこと、というよりもここで重要なのは、『朝に食べる卵かけご飯』というところだ。
朝の口の中やのどにある胃液の匂いと卵のにおいや唾液の味と卵の味が混ざることが嫌なのだ。ついでに言えば麦茶と卵の味が合わないことが不満だ。
まあ正直、前者が二割で後者が八割なのだがな。だらだらと話しておいて何だが、単に麦茶に合わないご飯が嫌いなのだ。
そんなことを私は仕事終わりに同僚に話してみた。
するとどこからか聞いていたのか三十も年が上の課長が「これだから若ぇもんは。日本の本当の『食』ってもんを知らねぇ」と少し大きな声で、仕事場全体に聞こえるように喋った。それもナウい言葉を使うのなら『どや顔』で。
あなたと話していたつもりはなかったのですがとか。日本の本当の『食』って何ですか? とか。あなたたちの頃よりも進んだ食文化で成長したので美味しいと不味いとの区別くらいはできますよとか。私の話を聞いてどうしてそういう結論に至ったのですか? とか。色々と喋りたいことが頭の中を駆け巡ったため数秒間コメントできずにいた。
そのためか、人がまばらだった仕事場が微妙な空気になり、課長も不機嫌になった。こういう人は自分のコメントを部下が返さなかったりなどの自分の嫌なことがあったら次の日に人間性を否定する説教をしてきたりする。そうならないためにはこの空気を1秒でも早くなくさなければならない。今後の仕事に支障をきたすこともある。
「そこまで言うのでしたら、課長が教えてくださいよ」
上司に対して言葉を伸ばすことや、感動詞を使うのは避けたほうがいい。人によって違ったりするが、大半は嫌がるからだ。もちろん敬語で話すことを忘れてはいけない。そして今この状況で一番重要なのは、少し挑発的に言うことだ。本気で挑発的に言ったら激怒するかすねるかのどちらかになり、無関心のように言うとそんな奴には教えないと言い、さらに不機嫌になる。
大事なのは、自分は年下であることを、飲みに行きたいことを暗にアピールすることだ。
そういう態度をとって、課長が飲み会に誘いやすい雰囲気を作るのである。そうしなければ、自慢したそうな上司の機嫌はとれない。
酔っ払いというものは、酔っているときのことはすっぱり忘れ(忘れたふりをしている人もいるが)酔っていない時のことは、ねちねちと覚えている。そんな人たちが職場の大半を占めていると思うと、時々、いや、結構不安だ。
「は~、若ぇもんは自分で学ぼうともしないのか。こりゃ、日本の将来はお先真っ暗だな」
そう言っている課長は誰もが見てわかるほどに上機嫌になった。
お前の頭の中は真っ白だけどな、なんて思っても口にしてはいけない。第一に機嫌を取ることを優先しなくてはならない。
「ま、仕方ないか。まだまだ『ガキ』なんだから、そういうことを教えていくのも大人である俺たちの役目、か。よし、若いの、今日は飲みに行くぜ」
こういう人は喋る前に何か一言独り言を言わなくては気が済まない。しかも、相手にはっきり聞こえるように、皮肉をたっぷり込めて、自分は上であることを証明するように。まさに、犬が吠えるように。
そんな態度にいちいち反応してはいけない。こういう態度は一週間に平均三回、多い時には五回ある。いちいち反応していたら、身がもたないのである。
もちろん私も人間で、イラッとしないわけではない。しかし、人間『慣れ』とは恐ろしいものであって、その会話は入社当初では考えられないことに今や日常風景の一部と化している。この会話にも飽きたな、なんて考える日もある程度に。
そして返す言葉にも気を付けなくてはいけない。
「はい! ぜひご教授願います、課長!」
「そう固くならんでいい、パーっと行くぞ」
「はい!」
まず、一回一回返事をすること。上司の世代の場合返事をすることが一般常識とされているため、それをしないと一般常識が欠けている、という認識をされ、後々になって指摘される。具体的な場所で言えば、飲み会の場で吊し上げるためのネタに使ったり。これだから若いのは使えんな、みたいな感じで。説教のだしに使ったり。若いのは一般常識がなっとらんからこういうミスを犯すのだ、みたいな感じで。
次に、敬語を使うこと。固くならなくていい、は社交辞令であって、本当に砕けた態度をとってはいけない。もしそんな態度をとった場合、九割九分九厘、不機嫌になる。上司はただ、固くならなくていいよ、という自分が上であることを示す言葉が言いたいだけなのだ。
そして飲み会の席にても気を付けなくてはいけない。
人は適度な人数を呼ぶ。席は上司に先に座らせる。乾杯するときグラスは上司よりも下でする。上司のお酒が無くなったら迷わず注文。食べ物はあまり食べない。美味しい部位は上司に食べさせる。勧められたら食べる。相槌を打つ。自分のネタはあまり喋らない。喋るとしたら自虐ネタ。お酒は飲む。Etc.
これらのことに気を付けながら2時間、ようやく本題に入る。
「ほれ、食ってみろ」と課長が勧めてきたのはいつもここの飲み屋で〆に食べるだし醤油の卵かけご飯。(酔っぱらいはあまりネタを持っておらず飲み会の場では基本同じ事しか喋らない。自覚していたりしていなかったりする)この卵かけご飯のおいしさは重々承知のため今更コメントも何もあったものじゃない、と思ったことも100を超えたあたりから数えるのをやめた。
返す言葉は、
「うわっ、めちゃくちゃおいしいですね」
だ。
そして上司は、
「だろう?」
という。
どうして課長が自慢げに話しているのかいまだに不思議である。本当に褒めるべき、自慢すべき人は作った料理人のはずである。
ちなみに、もう少し年を取ったら「そろそろあれ、いきませんか?」「お、いっちゃう?」という会話になる。
最後にみんな苦労しているけど明日も頑張ろう、という上っ面の会話で終わる。上司のためのタクシーを呼び、お勘定を済ませ、上司を部下たちで送っていき、帰宅。
この一連の流れでは私たち部下のストレスはなかなか解消されない。私たち部下に必要なのはストレスを感じないようにすることである。
しかし、一概に上司が悪いというわけでもない。
上司は基本、相手の悪いところしか見ず、自分のいいところしか見ない。しかしそれは、意外と必然的に起こってしまうものでもある。我々部下は、上司の行動にストレスを感じるが、上司もその上の上司にストレスを感じている。その上、上司になればなるほど負う責任が増え、責任の多さに比例して、感じるストレスも多くなる。ストレスを抱えたまま、にこにこと仕事を続けろ、というのもというのも無理な話だ。ちょっとしたことで怒ってしまうこともあるだろう。部下に当たることもあるだろう。大量のストレスにはそれ相応の解消方法が必要だ。そうしないと、つぶれてしまう。ストレスでつぶれてしまう若者に対して、若いのは根性が足りないと上司はぼやいたりするが、根性が足りずに過労で死んでしまうのが多いのは上司のほうである。
と、以上が部下としての心得その一、である。私もまだまだ若いので、この程度のことしかわからない。まだまだ改善が必要なところもある。
ま、私の見解も独断と偏見にまみれているがな。
そんなことを思いながら、上司たちを見送っていった。
その夜、疲れていたのだろうか。家に帰り着くと同時に布団に倒れこみ、すっと意識がなくなった。意識がなくなる直前に引っかかるものを覚えたが、思い出す暇もなかった。
私は夢を見ていた。夢の中でこれは夢だと認識していた。いわゆる明晰夢というやつだった。
目の前は見慣れた職場。しかし、全くの無人であることによって、ひどく不気味に感じる。その上、窓から見える風景は見たこともないような場所だった。田舎の風景の中にビル街があるというまさに、夢のような風景だった。
そんな中、唐突に私の目の前に人が現れた。何の前触れもなく、どこから来たかもわからないが、現れた。
母だった。
母はこう言った。
「あたしは卵の国からやってきた卵の精よ」
この瞬間、今ここが夢の中であることに私は確信を得た。現実で母がこんなことを言っていたら。病院にぶち込んでいる。
「つまり、あんたも卵の精として、この世界で生きているの。そんなあんたが卵かけご飯を食べないでどうするのよ」
話の内容がいきなりなうえ、ぶっ飛びすぎて全く理解できない。
「そういえば、私は卵の精だった。なんで今まで忘れていたのだろう。卵かけご飯を食べなくてはならない義務があるというのに」
内容が全く分からないのに夢の中の世界を理解している自分が怖い。そういえば、ってなんだ。誰が卵の精だ。そもそも夢というのは記憶の寄せ集めであって、ごみ溜めみたいなところであって、まあこんな意味不明な夢があっても仕方ないとは思うけど。などと思うことが無駄であることは重々承知だ。せいぜいこの夢を満喫させてもらおう。
「でも母さん、私は」
「醤油が無いならポン酢をかければいいじゃない」
「そうだね、母さん」
卵かけご飯をポン酢で食べるってどうなのだろう。ほんとに一回食べてみたくなった。
「母さん、あのね」
「あんたももう社会人か。時が経つのは早いわね」
それは5年前に聞いたよ、母さん。そして前の文脈と全くつながっていないよ、母さん。
「母さん、私が言いたいのはね」
「卵は黄身よりも白身のほうが栄養あるのよ、知ってた?」
意思疎通が上手くできない。夢の中だからだろうか。いや、夢の中だからすべてのことが思った通りに行くはずなのだが。実は私、自覚してないだけで情緒不安定なのだろうか。常に自分が何を考えているのか自分でもわかっていないのだろうか。無意識のうちにストレスを溜めまくっているのだろうか。
「卵料理じゃ、オムレツが好きだ」
「あんた、あたしのオムレツ全然食べないじゃない」
「味が全くないからね」
「ちなみに、あたしは親子丼が1番だわ」
「親子丼は卵料理の中に入るの?」
「当たり前でしょ」
「じゃあ、私はコロッケが好きだ。ころもをつけるときに使うでしょう?」
「じゃあ、あたしはかつ丼ね。あんたと同じ理由で」
いつの間にか私は自宅にいた。
「それじゃあ、どっちがおいしい料理を作れるか勝負と行きましょう」
明らかに『それじゃあ』の用法を間違っているが、そこは夢の中。なんでもありなのだ。
「望むところだ」
いきなり目の前に大量の食材が現れる。
「ready GO!」
審判が言う。
5秒後、両者の料理が終了する。
いきなりが続きすぎて何が何だか。私料理できないのにとか。どこから食材出てきたんだとか。色々と口調変わりすぎだとか。審判はどこから湧いてきたのだとか。考えても仕方ないが、考えてしまう。
ちなみに、胸にネームプレートを付けた審査員らしき人物が三人待ち構えている。隣に。いきなり。
私は自分の作った(?)グラタンを手で持ち(熱々)
「どうだ、私のペペロンチーノ‼」
と言った。
母はから揚げ定食を持ちながら
「あたしの海老フライ定食に勝てると思って?」
と言った。どうやらこの夢の中ではグラタンはペペロンチーノ、から揚げは海老フライという名前らしい。
「いただきます」
と言って母と私は互いの料理を食べあった。
「負けたわ」
母が負けを認めた。審判・審査員のいた意味はなかった。
そして私は勝った。
「でも、これで終わりじゃないわ」
四天王のような人たちでも出てくるのだろうか。
「あんたの人生、まだ始まったばっかりなんだから、こんなところで満足しちゃだめよ」
違った。まとめに入ったみたいだ。
「人生は卵みたいなものよ。生まれてくるときは生卵。あんたは今、成長途中の半熟卵なのよ。ゆで卵になったら、塩しか味があわない、しょっぱい人生しか送れないのよ。でもあんたはまだまだ違う。改良の余地がたくさんあるわ。辛くて涙が出ちゃう味でも、甘酸っぱくて切ない味でも、苦くて苦しい味でもいいの。卵という名の人生にいろんなスパイスをかけていきなさい。あうかあわないかはかけて食べてみないと分からないのよ。無味無色の卵を食べさせるためにあたしはあんたを生んだんじゃないわ。」
母は続ける。
「挫折することもある、絶望することもある、諦めることもある、後悔することもあるわ。でもね、やらないよりも、やったほうがいいのよ。そっちのほうがより楽しいものよ。限りある人生の中でやらないという選択肢をとることは愚かなことよ。あんたは絶対、味のある人生を送りなさい。いいわね?」
母はそういって私に微笑んだ。私も母に笑い返した。
「最後に一つ言わせて頂戴」
母さんは、言った。
「あんた、冷蔵庫の中に卵以外何もなかったけど、大丈夫なの?」
翌朝、私は卵かけご飯を食べた。
ご精読、ありがとうございました