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朝焼色の悪魔-第1部-  作者: 黒木 燐
第6章 暴走
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7.軋む歯車

「なんかすごいことになっちゃってる」

 極美は男子トイレの窓からこっそり外を覗きながらつぶやいた。


 駆け出しのジャーナリスト真樹村(まきむら)極美(きわみ)は、うどん屋で主婦達の話を聞いてから、どうしてもその公園のことが気になった。それで、店を出るとすぐに場所を聞きながらその公園を探し当てた。彼女にとっては慣れない土地で、道を聞いた人たちも例のウワサを知っているのか、あまりいい顔をしなかったので若干手間取ったが、思ったより簡単にたどり着くことが出来た。

しかし、いざ公園内に入ってみると、夕方のこの時間なのに人っ子一人いなかった。普通なら遊ぶ子供らや散歩する人たち等で賑わっている時間帯である。それなのにこの静寂さは周囲のざわめきと対照的で、まるでここだけが異空間を形成しているようだった。

とりあえずせっかくここまで来たのだからと、極美は公園のベンチに座って休憩することにした。

「いったいここで何があったのかしら……?」

 極美は周囲を見回しながら思った。しかし改めて見ると、人気がないだけで何の変哲もない公園でしかないように思われた。多分、事件とその後立ったウワサのせいで一時的に過疎化しているだけなのだろう。

「まっ、そんなうまいこと特ダネが転がっているわけないか」

 極美はそうつぶやくと立ち上がった。帰ろうと数歩歩いたところで、彼女が入って来た反対側の入り口から、少年が1人周りを気にしながら入ってくるのが見えた。極美はとっさに近くにあった公衆トイレに身を隠した。

彼女に隠れる理由はない。しかし、なんとなく彼の様子から、隠れなければならないような気がしたのだ。

トイレの陰から様子を見ていると、少年はキョロキョロとあたりを見回した。どうやら誰かを探しているようだった。しかし、誰もいないことを確認すると、少年は軽くため息をついた。ところがその後、何か気配を察したらしく、少年はあろうことかまっすぐにトイレに向かってきた。

(やばっ…)極美は焦って女子トイレの個室に隠れた。

この公園のトイレは、例の事件で徹底的に消毒されたらしい。今もキツイ消毒液の臭いが篭っていた。そんなところに身を隠してしまった極美は、何となく物悲しくなってしまった。

(もう、何隠れてんだろ、あたし。せっかくだからあの子からなんか話でも聞き出せばいいのにさー)

 極美自身が自分の行動を理解出来なかった。彼女は子供の頃からカンだけは鋭かったので、自分でも気がつかないうちに、なにか尋常ならざる雰囲気を察したのだ。

少年は、トイレの周囲をぐるっと回って様子を探っているようだった。しかし、少年だけあって流石に女子トイレまで入ってくる様子はなかった。

彼の足音が遠のくのを聞いて、極美はほっとした。彼女は個室から出ると、また公衆トイレの建物の陰から顔を覗かせて、そっと少年の動向をうかがった。少年は公園内を歩き回り何かを探っているようだった。時折考え事をしたり、深いため息をついたり、足を止めた場所で頭を抱えたと思ったら、そこからいきなり走って逃げたりと、妙な行動が目立つ。

(何やってるのかしら? かっこいいコなのにヘンな子ねえ…)

 極美は少しあきれ気味で彼を観察していた。少年は、疲れたのかベンチに座って相手を待つことにしたようだ。極美が座っていたところから対角線上にある遊具の近くのベンチだ。極美は迷ったが、もうしばらく観察を続けることにした。

 しばし待つと、少年の待ち人が現れたようだ。彼は立ち上がると、待ち人の方角へ歩いて行った。しかし、極美の位置からは少年の進行方面がまったく見えない。彼女は女子トイレの中に戻り、入り口の反対側にある窓際に向かった。そして、視界を遮る型板ガラスの窓を少しだけそっと明け、覗いてみたが目隠しの為に植えてある木が邪魔になってほとんど見えない。仕方がないので思い切って男子トイレの方に入り、同じようにして窓からそっと覗いてみたら、なんとか少年達が視界に入った。

少年は、女の子連れの女性と向かい合っていた。極美は最初母親かなと思ったが様子がおかしい。まだ幼い少女は、腰紐をつけられ女に引っ張られていた。

「何、あれ? 犬や幼児じゃあるまいし…。何考えてんのよ、あの女!」

 若干憤りを感じながら、じっと我慢してなおも様子を見ていると、少年の後に彼の友人らしき少年と少女が現れ、続けて青年が駆けつけてきた。少し遅れて初老の男と女性警察官が走ってきた。

「なんかだんだん人数が増えていくわね」

 極美はその光景を見ながら、なんとなく可笑しくなってくすっと笑った。

しかし、さらに観察すると、ことは思ったより深刻であるように感じられた。女の手元に何か光るものが垣間見え、初老の男が盛んに女を説得しているように見えた。だが、流石に極美のいる場所からは会話の内容までは聞き取れない。彼らの雰囲気や女性警察官の存在から考えて、男二人は私服警官だろうと極美は判断した。

初老の男の説得が効いたのか、女の子は無事に解放され年上の少女と共に婦警に連れられて去って行った。極美はほっとした。いったい何があったのかわからないが、子供が被害に遭うのを見るのはたまらない。しかし、まだ少年二人が残っている。

「説得できるのかしら、あのおじいさん刑事……」

極美は固唾を呑んで見守っていた。しかし――。


 刑事と少年たちが説得を試みる中、途中から女の様子がおかしくなったように見えた。女は急に泣き出したかと思うと、しばしの沈黙の後急に笑い出した。その後しばらくの間何か言いながら、いきなり少年に向かってナイフを振り上げた。しかし、少年は魅入られたように動こうとしない。

(逃げて! 何してるのよ!)

 極美が思ったその瞬間、若い方の刑事が少年たちに向かってダッシュし、ほぼ同時に少年の友人が彼をかばおうと小柄な身体で前に立ちふさがった。老刑事の方はすばやく上着を脱ぐと、それを手に持ち女に向かって走った。女は最初少年を刺すように思われたが、すぐにその切っ先を自分の喉元に向けた。老刑事は、それを阻止するため手を掴もうとしたが、間に合わず、彼の指先を切っ先が走った。そのまま女は笑いながら自分の喉を切り裂いた。ついで血しぶきが散る。老刑事は仁王立ちになって、彼女から飛散する血液を最小限に留めようとしたが、身体だけでは防ぎきらないと思ったのか、すぐに手に持った上着を女に被せ、そのまま倒れこもうとする彼女を支えた。若い刑事は少年たちをかばった体勢で、老刑事の方を向き、悲鳴のような声で彼の名前を呼んでいた。

「……う、うそっ!!」

 極美は、自分が目撃している光景が信じられなかった。その時になって、初めて彼女はこれが自分が求めていたスクープだということに気がついた。

「そうだ、カメラっ、カメラはっ!?」

 極美はカメラを出そうとバッグの中を探した。


「多美さん!!」

 葛西は少年達を庇った体勢のまま、もう一度多美山に向かって叫んだ。多美山の陰で美千代が崩れるように倒れていくのが見えた。多美山は美千代を支え、地面に寝かせながら言った。

「俺はまだ大丈夫だ! 早く外で待機している救急と、公園の周りを警備させている警官から2・3人呼んでくれ。充分な装備で来るようにな」

 事態が事態だけに早口だったが、その声は落ち着いている。葛西は少しほっとしながら答えた。

「了解!」

 葛西はすぐに起き上がり、無線でそれを伝えた。すぐに救急車が公園内に入って来た。

「ジュンペイ! 子供らは大丈夫や?」

 多美山は、美千代を介抱しながら後ろを向いたまま問うた。

「はい、佐々木君の方は大丈夫ですが、西原君の方が気を失ってしまったようです」

「そうか。救急隊員にそっちも見てもらったほうがいいな」

「多美さん、美千代のほうはどうなんですか?」

「うーん……」と、多美山はうなった。「厳しいな、これは……」

 多美山は答えかかったが、良夫がいることを考慮して言葉を濁した。当の良夫は、まだ状況が把握出来ないらしく、葛西に抱きかかえられたままの状態で、へたりこんでいた。おかげで良夫はまだ現場の惨状を目の当たりにしていない。

葛西はなんとか彼らをこの場から遠ざけたかった。美千代の上半身は多美山の陰に隠れて葛西にはどういう状態かよくわからなかったが、確認できる彼女の両足はぐったりしながらも時折痙攣し、その周りを血がゆっくりと広がっている。その様子から、多美山が「厳しい」と言った意味がわかり、葛西は何とも表現できない無力感に襲われた。そこに無線が入った。

「え? 外人の男と女性の二人組みが中に入れろって五月蝿い?」

 葛西が言うと、すぐに良夫が言った。

「ギルフォードさん…、来てくれたんだ」

「すぐお通ししてください。専門家の方です。あ、その前に防護服の着用もお願いします」

 葛西はそういうと無線を切った。

「意識を失ったっていうのは、その少年ですね」

 と言いながら、防護服に身を包んだ救急隊員が1人走ってきた。葛西はすぐに答えた。

「はい、そうです。診てやってください」

救急隊員は、祐一を診ると言った。

「多分、この状況を見たショックで失神したんだと思いますが、ここは危険ですのでとにかく救急車に運びましょう」

 葛西は彼を救急隊員に任せることにした。担架で運ばれる祐一を見守りながら葛西は言った。

「よろしくお願いします。佐々木君、西原君についていてくれるね」

「もちろんです」

 良夫はすぐに答えた。

「頼むよ」

 葛西はそういうと、しばらく祐一が運ばれていくのについて行き、救急車に入ったのを見届けると、多美山の方に向かった。そこには既に生化学防護服を着た警官や救急隊員たちが集まっており、数人が美千代の蘇生を試みていた。彼らは防護服を着用していない葛西に言った。

「危険ですからそれ以上近づかないで!」

 葛西は仕方なく足を止めて言った。

「すみません、状況を教えてください。多美さんは大丈夫なんですか?」

「ジュンペイ」多美山は言った。「とにかく、防護服ば着てこんね」

「多美さん、どういう状況だったんですか? 怪我はないんですか?」

「美千代の自殺を阻止しようとしたばってん、止められんやった。おまえ達に血が飛ばんごとすっとが精一杯やった…。あげに躊躇せんで喉をかっさばくとはなあ……」

 そういって振り向いた多美山を見て、葛西は息をのんだ。彼はほぼ上半身にかけて美千代の血を浴びていたのだ。

「そんな……」

 葛西はそういうと、へなへなとその場に座り込んだ。目の前が真っ暗になったような気がした。

「ジュンペイ! しっかりせんか、情けなかぞ。さっさと防護服を着て職務につけ!」

「は、はいっ!」

 多美山に怒鳴られて、葛西は立ち上がった。彼は公園の入り口に待機している警察車両に向かって走った。走りながらも涙で眼鏡が曇る。

(これだから、眼鏡は……)

 泣きながらも妙に冷静にそう思った。

(いや、泣いている場合じゃない。しっかりするんだ、純平!)彼は涙を拭いて気持ちを奮い立たせた。途中、公園の出入り口でギルフォードと紗弥に出合った。ギルフォードは既に防護服を着ていた。

「ハイ! ジュン」

 ギルフォードは葛西に声をかけた。葛西は一旦すれ違ったが足を止め、ギルフォードに向かって言った。

「アレク、多美さん……多美さんが……、あのっ、よろしくお願いします」

 葛西は、一礼すると、また走り出した。

「大変なことになってるようですね。サヤさんはこの辺で待っていてください」

 ギルフォードは、防護服を着ていない紗弥に向かって言うと、すぐに駆け出した。


 ギルフォードが現場に駆けつけると、美千代が救急車に乗せられようとしていた。彼女には感染防止のための厳重な措置がなされている。

「お疲れ様です。Q大のギルフォードと申します」

 ギルフォードは隊員達に挨拶すると、すぐに尋ねた。

「容態は?」

 彼の問いに、1人の隊員が答えた。

「我々が駆けつけた時はすでに心肺停止状態でした。なんとか蘇生させましたが出血多量で依然危険な状態です。女性がこんな風にためらいなく自分の喉を掻き切っただなんて……」

 救急隊員はそう言うと、首を横に振った。救急車の中を見ると、すでに多美山が乗っていた。彼は血まみれの衣服を脱いで、毛布にくるまっていた。元気そうなので、彼にかかっている血は美千代のものだろうとギルフォードは判断したが、彼が右手を手当てされているのを見て顔をしかめた。すかさずギルフォードは、最後に救急車に乗り込もうとしていた隊員に尋ねた。

「すみません、中に入って少しタミヤマさんのお話を聞いていいですか?」

「ことは一刻を争いますので、手短にお願いします」

 隊員の許可を得て、ギルフォードは救急車に乗った。前方の椅子に座って応急処置をされている多美山が、ギルフォードの方を見て防護服の中の顔を確認すると言った。

「ギルフォード先生……ですよね。すんません。最悪の結果になってしまいました」

「怪我をされたんですか?」

「ええ、美千代の自刃を止めようとして、指先に切っ先が触れたとです。結局彼女の血を子供らにかからんごとすっとが精一杯でした」

 多美山は悔しそうに言った。

「彼女は頸動脈を切ったのです。あなたが盾にならなければ、血液は相当飛び散ったでしょう。あなたは良くおやりになりました。でも……」

 ギルフォードは沈痛な表情を浮かべ、その後の言葉を濁した。相手が未知のウイルスであるため、現時点では確実な治療法がまったくないのだ。それを察知して多美山が答えた。

「もう、覚悟は出来とります」

 ギルフォードは硬い表情をしたまま無言で頷くと、美千代の方を向き容態を観察した。首は応急処置を施されているが、血がかなり滲んでいる。呼吸も自立では出来ず機械に頼っているようだ。袖をめくってみると、大きな内出血が認められた。点滴の跡と思われた。身体も点々と内出血をしている。ギルフォードは右手で顔を覆った。その後姿に多美山が言った。

「先生、美千代は錯乱する前に周囲が赤く見えたようです。すごい夕焼けだ、と言ってました」

「夕焼け……。マサユキ君も友人に『朝焼けか』と聞いたそうです。やはり……」

 その時、救急隊員が言った。

「タイムリミットです。続きは搬送先の感染症対策センターでお願いします」

「あ、申し訳ないです」

 ギルフォードが焦って救急車から降りると、すぐにドアが閉まって発進した。サイレンの音が否応なく緊張感を招く。また、近隣の噂になるだろうなとギルフォードは思った。多美山と美千代を乗せた救急車が公園を出た頃、葛西が走ってきた。

「ああ、行ってしまいましたか」

葛西はがっかりしながら言うと次にギルフォードの方を見て言った。

「先生……、いえ、アレク、多美山さんは大丈夫でしょうか。感染者の血を浴びても感染しない可能性だってあるんですよね」

「ジュン……」ギルフォードは厳しい表情で答えた。「もちろんそういうラッキーな可能性はあります。しかし、タミヤマさんは、指先に深い切り傷を負ってました。決して楽観は出来ない状態です」

「え? 多美さんが怪我を!?」

「そうです。さっき救急車の中で少しお話ししたのですが、ミチヨさんの持った刃物がかすったということです。傷口に感染者の血液がかかったということが何を意味するか、君にはわかりますね」

「そんな……」

 葛西は呆然として言った。その時、女性の悲鳴が聞こえた。声の方向を見ると男が公衆トイレから女を引きずり出そうとしていた。

「貴様、何をしている!!」

 現場にいる警官達がほぼ同時に叫んだ。ギルフォードも警官達の怒鳴り声に振り向き、男の顔を見て驚いた。

「ナガヌマさん、どうしてここに!?」

 ギルフォードが長沼間に向かって言った。防護服越しなので、どうしても大声になる。

「おっと、少し体型が違うのがいると思ったら、先生だったのかい?」

 長沼間は、女を後ろ手に掴んで引きずるように連れてきた。

「イッタイ! 痛いわね! 離してよ、野蛮人!!」

 女は悪態をつきながら抵抗している。件の女はもちろん極美だった。その騒ぎに気がついて、紗弥も待機していた入り口から走ってきた。葛西は警官達に仕事に戻るように言い、その後、改めてギルフォードに訊いた。

「アレク、あの男とお知り合いなんですか?」

「君達の同業者ですよ。公安警察のナガヌマさんです」

「公安ですって……!?」それを聞いた葛西は険しい顔をして言った。「くそっ! いったいどこからこのことを嗅ぎつけてきたんだ!」

 珍しく毒つく葛西に驚いて、ギルフォードは聞かれる前に言った。

「僕じゃないですよ」

 長沼間は極美を引っ張って皆の近くまで来ると、にやりと笑って言った。

「甘いな、オマエさんたち。こんなネズミが潜んでいるのに気がつかなかったのか?」

「民間の方にそんな乱暴は止めてください!」

 葛西が怒鳴った。しかし、長沼間は極美を離そうとしない。それどころか、彼女のバッグの中を探ってカメラを取り出してしまった。極美はそれを見ると自由なほうの手で焦ってカメラを取り返そうとしたが、その手は空しく空を切った。

「何すんのよ、泥棒! 返せってば、馬鹿ぁ!!」

 極美はまた悪態をついたが、長沼間はまったく無視している。

「警官に対して泥棒ですか……」

 ギルフォードは苦笑しながらつぶやいた。

「こいつを見てみろ……と言っても、みんなそんな格好じゃ迂闊にはカメラに触れないな。紗弥さん、このカメラの画像を確認してごらん」

 カメラを渡された紗弥は、言われたとおりに画像を見ると珍しく驚きを表して言った。

「何てこと! この現場が何シーンも写っていますわ」

 そういうと、紗弥はギルフォードと葛西に画像を見せた。特殊な防護服を着た男達や救急車、仰々しい装備で搬送される美千代等、見ただけで尋常でないことが起こっているとわかるシーンばかりだ。ギルフォードはそれを見るなり眉間にしわを寄せ、胡散臭そうに極美を見た。葛西は信じられないという顔をして極美に向かって言った。

「どういうことなんですか、これ?」

「こんなものがネットなんかで流出しちゃあ、マズくねぇか?……おっと、こっちもだ。ほれ、紗弥さん」

 長沼間は極美のスマートフォンを探し出すと、紗弥に投げてよこした。紗弥は難なくキャッチするとそれも確認して言った。

「こっちにも数枚写ってます。こっちには倒れている女性と血まみれの刑事さんの顔まで写ってますわ。遠いから鮮明ではありませんが、確かに不味いですわね」

「ついでにSNSのほうもチェックしてくれないかな?」

「わかりましたわ」

 紗弥はしばらくスマートフォンを操作してから言った。

「SNSはFBツイッターインスタグラムをしていらっしゃるようですが、特に今回の写真のアップはないようです」

「そうか。とりあえず安心だな」

「しかし困ったお嬢サンですね。不審者として警察署までご同行ですか、ジュン?」

 ギルフォードは渋い顔で葛西に問うた。それを聞いた極美は、長沼間に腕を掴まれたまま今度はしくしく泣き始めた。

「ごめんなさい。ちょっと休もうとここに来たら、偶然すごい事件を目撃しちゃって、つい、写真を撮っちゃったんですぅ」

「まあ、反省しているみたいだし、今回は……」

 葛西が言いかけると、長沼間が横で怒鳴った。

「馬鹿か、おまえは。その前に画像をなんとかしろ! こんなもんが流出した場合、どういうことになるかよく考えてみろ!!」

 頭ごなしに言われて葛西はむっとした顔をしたが、長沼間は無視をして極美に向かって言った。

「そういうわけだ、おじょうさん。悪いが画像は全て消去させてもらうぞ。紗弥さん、この女と、カメラとスマホを交換しよう。ちょっとの間捕まえておいてくれ」

 紗弥は黙ったままそれらを渡すと、代わりに受け取った極美の手を取りねじり上げた。これでは極美は痛くて身動きできない。

「いった~い、何よ、この女!!」

「サヤさん、やりすぎですよ。ナガヌマさん、サヤさんを共犯に仕立てないで下さいよ」

 ギルフォードは長沼間の方を見て困った顔をして言った。

「共犯たぁ人聞きの悪い。捜査に協力してもらっているだけだろ」

 長沼間は、うそぶきながらカメラを操作した。その間半べそをかきながら極美が抗議し続けていた。作業が終わると長沼間は

「紗弥さん、もう離していいぞ。これ、返してやってな、ほれ」

 と言って紗弥にスマートフォンとカメラを投げ返した。紗弥はそれらを軽く受け取って極美に渡す。

(ふん)長沼間は思った。(この紗弥って女、やはりタダモノじゃねぇな)

 その時、返されたカメラや携帯電話のチェックをしていた極美が悲鳴に近い声で言った。

「何よ、これぇ!! 綺麗さっぱり画像データが無くなってるじゃない!!」

「すまんな。面倒だったから全部削除したよ。カードに保存してある分もな」

 と、長沼間は、しれっとして言った。

「うっそぉ~!」

極美は一瞬気が遠くなったような気がした。カメラにはこれまで取材した時の写真も記録されていたが、全てはオシャカである。極美はマジ泣きして抗議した。

「ひどい! 官憲の横暴だわ! 訴えてやるから!!!」

「オマエな、それより自分の立場を考えたらどうだ?」

 長沼間が言うと、ギルフォードも援護する。

「彼は公安の人ですから、容赦ないです。怖いから大人しくしたほうがいいですよ」

「えらい言われようだな」

 長沼間は苦笑すると、極美への職務質問を始めた。

「身分を証明するものは?」

 極美はしぶしぶ運転免許証を差し出した。名刺も持っていたが、この場でそんな雑誌記者を証明するものを出したりしたら、どうなるかわからない。

「え~と真樹村……ゴクミ……でいいのか?」

「『きわみ』です」

 極美は内心むっとして答えた。今まで散々そう読み間違えられてきたからだ。

「まきむらきわみ……、住所は東京都○○区……。東京から来たのか、ご苦労なこった。で、観光か?」

「はい」

と、極美は観念したかのように大人しく答えた。

「観光客が1人で、なんでこんな人気のないところに来たんだ?」

 理由を聞かれて、極美は適当にそれらしく説明をした

「今日はI美術館とかに行ってぇ、その後有名な○○ラーメンを食べてぇ、……え~っとそのあとぉ街中をぶらぶら歩いてたら、ちょっと疲れたんで、休もうと思ってこの公園に入ったんですぅ。でもまさか、こんなに誰も居ないなんて……。ここで以前何かあったんですか?」

 極美はどさくさに紛れて聞いてみた。因みにラーメンを食べたのは昨日のことである。しかし、長沼間はけんもほろろに答えた。

「知らんな」

(ちぇっ)

 極美は心の中で舌打ちしながら言った。

「もういいでしょ? いい加減許してください」

 その様子を見ていたギルフォードは、痺れを切らして長沼間に言った。

「あまり、ここに居られてもリスクが増えるばかりですから、彼女の言うとおりそろそろ解放してあげたほうがいいと思いますけど……」

「怪しすぎるんだよ、この女は。だいたい、さっきも男子用トイレに潜んでたんだぞ」

「ええ? 女性の痴漢ですか?」

 いままで黙ってやり取りを見ていた葛西が、驚いて言った。

「女性の場合は痴女じゃないですか? やっぱり逮捕したほうがいいカモしれませんね」

 と、ギルフォード。

「違います、誤解です。この人が近づいて来たんで、怖くてとっさにトイレに隠れたんです。そしたらそこが男子トイレだったんです。本当です」

 極美は、そういうとわっと泣き出した。

「俺か? 俺のせいか? ……まあ、いい。名前と住所と免許証の登録番号を控えたし、ついでに顔も覚えたから、もう行っていいぞ」

 長沼間は鬱陶しくなったのか、極美を放免してやることにしたらしい。極美はそれを聞くや否や、そのまま泣きながらも脱兎の如く走って公園を出て行った。

「なんだったんですか、あれは?」

 葛西があきれて聞いた。長沼間は苦々しい顔で、極美の去って行った方向を見ながら行った。

「怪しいが、これ以上引きとめようがないんでな」

 そのとき、警官の1人が近づいて来て、葛西に言った。

「葛西刑事、あの女性どこかで見たことがあると思って見てたんですが、『きわみ』という名でやっと思い出しました。グラビアアイドルのKIWAMIちゃんですよ」

「グラドル? あの子が?」

 葛西は意外なことに首をかしげて言った。

「ええ、売れっ子ではなかったですが、週刊誌の袋とじや青年漫画誌のグラビアによく載ってましたね」

「ほう、よく覚えていたな。ファンだったのか?」

 長沼間が、にやりと笑いながら警官に向かって尋ねた。

「はい、お世話になってました」

 ははは、と男性陣から誰ともなく笑い声が上がった。紗弥は呆れ顔で肩をすくめた。

「確かグラドルを辞めたと聞いてますが、まさかこんなところでご本人と遭遇するとは……。そういえば、ジャーナリストになるとか言って辞めたそうです」

「なんだって?」

 長沼間が聞き返す。

「はい。あまりにも職種が違いすぎるので、冗談だと思われて軽くあしらわれていましたが」

と、件の若い警官が答えた。

「まずかったかな……」

 長沼間はそう言いながら、ギルフォードと葛西の顔を見た。

「まあ、いずれにしても、もう近くにはいないでしょうね」ギルフォードが答えた。「ところで、ナガヌマさん、あなたはミハさんを監視していたんじゃなかったですか?」

「外されたよ」

 と長沼間は苦々しい表情をして言った。

「苦情が入ったらしい。ひょっとしたら……・」

「じゃあ、ミハさんは今、誰にも見守られていないということですか?」

「いや、武邑(たけむら)ともう1人ペーペーの部下に張り込みを続行させている。連中は俺と違って見かけで怪しまれたりしないだろうからな」

「確かにアヤシイですもんね、ナガヌマさんは」

「ほっとけ!」

 怪しさでは引けをとらないギルフォードに言われて、長沼間はヤケ気味に言った。その時、公園内に鑑識が入ってきた。それを見て葛西が言った。

「鑑識の方たちがこられました。僕はこれから彼らに説明をしに行きます。アレクもついてきてくださいませんか?」

「もちろんです。そのために来ました。紗弥さん、ちょっと行って来ますね」

 ギルフォードと葛西は、紗弥と長沼間をその場に残し、鑑識の集まっている現場に向かった。

「アレク、そういえばバイクは?」

 葛西が尋ねるとギルフォードが答えた。

「今日はサヤさんのバイクでタンデムで来ました。それに彼女なら、何かあっても臨機応変に行動出来ますから後を任せても大丈夫です」

「そうですか」

 葛西は答えたが、二人がバイクに乗った図を想像してちょっと萌えた。

 


 極美は泣きながら公園を出ると、周囲を見張っている警官達に胡散臭い目で見られながら、そのまま走って公園を後にした。しばらく走って誰も追ってこないことを確認すると、ゆっくり歩き始めた。

「あいつ等、絶対になにかを隠しているわ。あそこできっと何か公表されちゃあマズイ事件があったのよ。でも、証拠隠滅のために写真を全部消されたのは悔しいけど……」

 極美はそうつぶやくと、スマートフォンを開いてにやりと笑った。

「実は、こっちにもあるんだよね」

 そう言って、IDとパスワードを入力しウエブメールを開いた。確認をすると、無事に3枚写真が添付されたメールが届いていた。

「あはは、ザマーミロだわ。私を舐めないで欲しいわね」

 極美は、警官達をあざ笑った。極美は長沼間に見つかった時、咄嗟にトイレの個室に籠り、スマートフォンからパソコンのメールに写真を添付し送信、すぐに履歴を消した。それから降参したフリをして個室を出、長沼間に捕まったのである。

「さて、この写真を見せて、取材の許可をもらえるようデスクを説得すればいいわね。多分取材費も弾んでくれるはずよ。見てなさい。警察が何を隠蔽しようとしているか、私が暴いてあげるから」

 極美は意気揚々と歩き始めた。

「さて、今夜の宿を探すか」

 そう言うと彼女は、5時を過ぎて会社帰りの人たちがあふれ始めた街の雑踏の中に姿を消した。


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