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朝焼色の悪魔-第1部-  作者: 黒木 燐
第5章 出現
28/37

6.アクロスティック

 由利子と如月は文章の仕掛けに気がついて興奮しているものの、他の者たちは何がなんだかわからない状態であった。ギルフォードは、二人に尋ねた。

「なんですか、『ねこ大好き』って?」

 如月がその質問に答えた。

「縦読みのことですよ。英語ではアクロスティックとかいいませんか?」

「はい、アクロスティックなら知っています。推理小説等にもよく使われますね。でも、何故、それが『ねこ大好き』なのですか?」

 ギルフォードの質問に、如月が再度説明する。

「以前、ある巨大掲示板で、ある人が縦読みで『氏ね』と締めようとしたら最後の『ね』が思いつかんで、苦し紛れに『ねこ大好き』と入れたことが由来らしいですワ」

「それで…」と、如月に続いて由利子が言った。「このメールの左端を縦に読むと…、あ、ちょっとアレク、何か書くものを貸してください」

 由利子はわかりやすくしようと、紙に書いて説明することにした。

「まず、最初のメールから左端の文字を抜書きしてみます」

由利子は、ギルフォードから紙とペンを借りると、彼の横に膝をついて座り込み、パソコンディスクの空いた場所に紙を置いメールの左端の文字を書き写し始めた。


  げんき? 僕のこと覚えてる?

  ー度くらい、お返事ください。

  無理かどうかは、やってみないとわからないだろう?

  はじめてだけど、君だったらだいじょうぶ


  はげしいほど君が大好きだっていう

  自信が僕にはあるんだ。

  まずはメールして。連絡先を教えます。

  つねにきみを見ていたよ。素敵な人だっ

  て、ずっと思ってた。眠れない夜を過ごしてた。

  いつでもまっているからね。

  ルネより。


「こうなります」


《 げ/ー/無/は/ /は/自/ま/つ/て/い/ル 》


「で、次のは、こう」



  きのうメールした、ルネです。

  みてくれたかい?

  二度もメールしてごめんよ。でもぼくは

  こんなに君が大好きなんだ

  レポートを書いていても、忘れられなくて、だから、

  がんばってきみに愛されたいって思ったんだよ

  とにかく、へんなメール送ってごめん。よかったら

  メールのお返事くださいね。

  らくな気持ちでいいの。どうかお願い、一度でいいから

  れんらくしてください。

  ルネより

  かならずだよ。


《 き/み/二/こ/レ/が/と/メ/ら/れ/ル/か 》


(いち)長音符(ちょうおんぷ)にして声に出して読んでみます。『げ ー 無 は  は 自 ま つ て い ル 』『き み 二 こ レ が と メ ら れ ル か』。わかりました? 念のため、ちゃんと読んでみます。『ゲームは始まっている。君にこれが止められるか』。どう? アレク、あなたへの挑戦状みたいに思えませんか?」

由利子は、ギルフォードに向かって言った。

「確かに、そう受け取れます…。でも、どうして僕宛てに…」

 教授の問いに、葛西はウンと首を縦に振って言った。

「この犯人は自己顕示欲が強そうですから、文面は違うかもしれませんがおそらく何箇所も送っているでしょう。ただ、どこでもスパムとして開かれることなく処理されているのかもしれません。だけど、アレク、あなたを強く意識しているのは間違いなさそうです」

「だけど、僕がもともとどんな理由で日本に呼ばれたかを知る人は少ないです。最近頓に、警察のアドバイザーのようになってますが、表向きは一介の客員教授という立場だし」

「でも、彼らはあなたに挑戦してきたんです」

 と、葛西は言い切った。その横から如月が心配そうに言った。

「せやけど、単なる愉快犯のイタズラメールかもしれへんですよ。変に騒ぐとそいつを喜ばせるだけやないですか?」

「いや、如月君。単にイタズラと片付けられない理由があるんだ」

 葛西はポケットから携帯電話を出しながら言った。

「僕は今から本部にどう対処すべきか聞いてみます。僕はこういうのは専門外なので」

そしてすぐに電話をかけ始めた。

「まあ、いきなり騒然としていますけど、何かあったのですか?」

 由利子のためにお茶を淹れて研究室に戻ってきた紗弥は、先ほどとうって変わった教授室の雰囲気に驚いた。ギルフォードは、簡単に経過を話した。紗弥はさっそく興味を持ったらしく、応接セットのテーブルに紅茶を置くと、お盆を持ったままギルフォードのパソコンを覗きに行った。

「まっ、ひどい文章! 座布団全部没収ですわ」

 メールを見るなり、紗弥は一刀で切り捨てた。

「多分わざとでっせ、紗弥さん」

 と、如月が言った。

「縦読みだと気づかせるために、わざと不自然な文章にしたんやと思います。現に教授はメールを読んで悩んではりましたやろ?」

「まあ、『僕だよ』にひっかかってメールを開けるなんてアッサリ敵の術中にハマるあたり、そこらのスケベオヤジとレベルは一緒ですわね」

 紗弥は返す刀でギルフォードも叩き切った。ギルフォードは両手で顔を覆うと指の間から紗弥を見て情けない声で言った。

「サヤさぁ~~~ん、スケベオヤジってのだけはやめて下さいよ」

「エロオヤジのほうがよろしいかしら?」

「どっちもイヤですよ!」

 ギルフォードはきっぱりと断った。

「あらま、ホントにすごい文章」

「思い切りアッーなメールやね」

「教授がうっかり開けちゃうわけだ」

「で、ルネって誰よ」

「ルネ・シマールかな?」

「誰よ、それ?」

「アタシのママが若い頃好きだった美少年歌手だって」

「知らんわ、『ミドリ色の屋根』なんて」

「知ってんじゃねーか」

「おまえら、いつの生まれだ」

 すでにギルフォードのPCモニターの周りには、研究生がたかってわいわい言っていた。ギルフォードは仕方なく、右上の|-|をクリックしてブラウザを最小化した。

「あ~~~、またぁ、ずる~~~い」

「こすか~~~」

 ギルフォードはわめく学生達を再度無視して如月に言った。

「キサラギ君、みんなを連れて行ってください。これから彼らと大事な話をしますから」

 ギルフォードは由利子と葛西を指して言った。

「了解しました。おい、みんな行くで!」

 如月は彼らを外に出した後、最後に部屋を出てドアを閉ようとした時、ギルフォードがその戸口に立って言った。

「みなさん、この件は口外しないようにしてください。万一君たちの誰かからこの件が漏れたことがわかったら、ここにいる全員の単位を落としますからね!」

 ギルフォードにくぎを刺された学生たちは「教授の横暴だあ」などとぶうぶう言っていたが、まずいと思ったのか如月がフォローした。

「みんな、教授の言うことは間違ってへんよ。僕たちにも守秘義務があるしこの件はまさにそれや思うわ。誰にも言わへん。ネットにも流さへん。ええな!」

「はあい」

 学生たちは不服そうにだが如月の言葉に了解した。

 学生たちが出て行ってから教授室は静けさを取り戻しため、葛西のぼそぼそと電話をかける声が際立った。とはいえ、ギルフォードの教授室は研究室の中にパーテーションで仕切られただけの部屋なので、自分らの持ち場に戻った学生達が引き続き盛り上がって話す声も良く聞こえる。

「ユリコ、口外しないという約束で、お話があります。守れますか?」

 ギルフォードは、由利子の方を向くと真剣な顔で言った。正面から見据えられて、由利子は不覚にも一瞬ドキリとした。まともな顔をするとかなりいい男だからだ。もちろん由利子の返事は決まっていた。

「はい、もちろんです」

「OK、では、またあっちの席にもどりましょう。長くなりますから」

 二人はパソコンから離れ、先ほどまで座っていた応接セットに戻った。葛西は少し離れた窓際で電話している。由利子が座ると、早速ギルフォードは話を始めた。

「信じられないと思いますが、あなたは知らないうちに、バイオテロ事件に関わってしまったようです」

「はぁ~?」

 由利子はギルフォードが言ったとおり、思い切り信じられないという顔をして言った。

「僕にはテロと断言する決め手がありませんでしたが、今のメールで確信しました。何故かはわかりませんが、このF県下で、バイオテロを起こした連中がいます」

「あのォ、それを信じろと? 大体なんで東京じゃなくてこんなとこから始めるっていうんですか?」

「それは、わかりません。しかし、交通機関の発達している現在、どこで起こるかより、確実に感染を広げるほうが有効ですから。F空港からだって、2時間以内に東京に、12時間ほどでヨーロッパに着くんですよ」

「確かにそうですが…」

「テロが必ず首都やその付近で起こるとは限りません。たとえば、1984年にアメリカで実際にあった、ラジニーシ教団というカルトがおこしたサルモネラ菌によるバイオテロ事件は、オレゴン州ワスコ郡で起こりましたよ。今回のテロは、日本国内で何箇所もウイルスをばら撒いた結果、K市のみで成功したのかもしれません。とにかく、今わかっているだけで、マサユキ君を含む7人、いえ、おそらく8人が犠牲になっています」

「ちょっと待ってください。雅之君が感染していたんですか?」

「そうです。彼が暴行したホームレスが感染・発症していたからです」

「それで私も関わっていると…」

「そういうことです」ギルフォードは言った。

「悪いことに8人目の犠牲者はヒロシマまで出かけています」

 その時、葛西が話に割って入った。

「お話の途中ですが、アレク、例のメールを県警のサイバー犯罪対策部に転送してください。管理者に発信元の確認をさせるということです」

「わかりました。すぐに転送しましょう」

「それは私がやっておきますわ。教授はお話を続けてください」

 紗弥がその役目を買って出た。

「お願いします、サヤさん」

 ギルフォードは彼女の申し出を受け、任せることにした。葛西は電話を続けながら、紗弥をサポートするために彼女の傍に行った。ギルフォードは、テーブルに右肘を付くと掌であごを支え、指で顔下半分を覆いながら仏頂面をして言った。

「それにしても、ナガヌマのあのクソオヤジ、ロコツにバックレやがって…」

「へ?」

「あ、すみません、下品な言葉を使ってしまいました。今のは忘れて下さい」

「はあ」

 由利子は驚いたが、こんなに日本語がしゃべれるし学生たちとも付き合っているのだから、多少乱暴な言葉だって知ってるだろうと考えた。だがそれでも(一瞬別人が居るかと思った…)と、今までのイメージの違いに少しとまどってしまった。

「ナガヌマさんは、このことを知っていたんです。少なくとも嗅ぎつけていたのに、僕が聞いた時にアカラザマにごまかしてました。あとで電話でとっちめてやります」

「それで、あのメールのメッセージが理解できました。テロリストがあなたに挑戦してきたわけですね」

「僕に対しての挑戦だけではないでしょう。それならテロを起こす前からなんらかのアクションがあったはずです。それにしても、敵さんは僕があのメールを開けることを見越していたようで、キモチワルイですけれど」

「それで思ったんですが、『ルネ』って名前に心当たりはないですか?」

 由利子は気になっていたことを聞いた。

「それこそ、縦読みの文字あわせに使うための適当な名前じゃないんですの?」

 予想外に自分の隣で声がしたので由利子はぎょっとした。いつの間にか由利子の横に座っていた紗弥が言ったのだ。

「いえ」由利子は平静を装って言った。「それならルネでもルッキオでもルンルンでもルフィーでも、極端な話ルパン三世でも構わないと思うんです。わざわざルネという名前にしたというのが気になるんです」

「ルネ…ルネ…。う~~~ん…」

 ギルフォードはしばらく考えていたが、首を横に振りながら言った。

「学生時代にまで記憶をさかのぼってみましたが、ルネという名の男性に心当たりはありませんねえ」

「って、女性には心当たりはないんですか?」

 由利子が訊くと、ギルフォードと紗弥が二人そろってにっこりと笑った。何となく訊いてはいけないことを訊いたのだと思って、由利子はそれ以上の追及をやめた。微妙な空気の中、電話を終えた葛西がギルフォードの隣に座った。

「とりあえず、連絡待ちです」

 葛西は言った。すると、紗弥が立ち上がった。

「由利子さん、お茶、冷えてしまいましたから、淹れなおしてきますね」

「あ、そんな…。大丈夫ですよ、お構いなく」

 由利子は遠慮したが、ギルフォードが遠慮なく言った。

「あ、ついでにジュンと僕の分もお代わりお願いします。サヤさんも一緒にブレイクしましょう」

「かしこまりました。今度は教授以外はコーヒーにしましょうね」

 紗弥はそういうと、カップを下げ部屋を出て行った。その間、ギルフォードは由利子に今までの事件の経過を説明した。

「出血熱だなんて、そんな映画みたいな…」

 由利子はそれでも信じられないという風情だった。

「ダスティン・ホフマンが出てきそうですよね」

 葛西も言う。ギルフォードは二人を見ながら、しごく真面目な顔をして言った。

「今の時点では何とも断言できません。病原体の正体がわかっていないからです。今のところ、『きわめて一連の出血熱に良く似た症状のおそらくウイルスが原因の非常に危険な感染症』としか言いようがないんです。まさに『名前のない怪物』です」

「じゃあ、アレク、その『怪物』の特定にはどれくらいかかるんです?」

 由利子がもっともな質問をした。ギルフォードはふっとため息をついて言った。

「特定感染症に指定されているようなものならば、最近はかなり早く病原体を特定できます。しかし、今回のような未知のもの、それもウイルスとなると、相手がナノサイズだけに難しいのです。たとえばサーズの時で一ヶ月かかりました」

「そんな、ふうたんぬるい…」

「え? フータン…?」

 聞きなれない言葉に、こんどはギルフォードが戸惑った。

「『ふうたんぬるい』というのは、『とろい』とか『のろま』とか言う意味の方言です」と葛西が口を挟む。

「なるほど。それにしても、面白い言葉ですね」と、ギルフォードは少し珍しそうに言った。そして微妙な笑みを浮かべながら、「さらにそのフウタンなんとか言われそうですが…」と言ったが、すぐに真面目な顔に戻った。

「病原体がわかったとしても、ワクチンを作るには最低半年から1年はかかるんです。大人の事情で何年もかかることもありますし、HIVのように変異にワクチンが追いつかないこともあるんです」

「それじゃあ、手の打ち様がないじゃない!」

 由利子は憤って言った。しかし、ギルフォードは反論した。

「手の打ち様はあります。ただし、それには官民が力を併せて予防措置をとらねばなりません」

 その時、葛西の電話が震えた。ギルフォードと由利子は話をやめて葛西に注目した。

「もしもし、お母さん、何?」

「あらら…」

 メールの発信元がわかったのかと期待していた二人の緊張が一気に解けた。

「仕事やって言うたやん…、うん? そげなことはなかって…」

 そう言いながら、葛西は二人に目ですみませんを言いながら、廊下に出て行った。

「ジュンも方言を話すんですねえ…」

 ギルフォードが言った。

「そりゃあ話すでしょうけど、なんかかわいい」

 由利子が言うと、二人は顔を見合わせ笑った。

「ところで、アレク、今更こんなこと言うの何だけど、日本語すごく上手いけど誰に習ったの?キッカケは何?」

 由利子は会ったときから思っていた疑問を、興味津津で尋ねた。ギルフォードはにっこり笑って答えた。

「学生時代付き合ってた人が日本人留学生だったんです」

「へえ、どんな人?」

「当時は僕より背が高くて…途中で僕が少し追い越しましたけどね、キビシイ面もあったけど、思いやりがあって優しくていい男でしたよ」

「男?」

「はい。それで、彼の母国語で彼と話したいと思いました」

 ギルフォードは隠すことなく、むしろ臆面もなく答えた。

「―――そっ……、そ、そうなの」

 若干の沈黙の後、由利子は言ったが声も若干裏返っていた。

「ちょっとジュンに似ています。初めて会った時、驚きました。で、つい、抱きしめてしまいました。これはジュンにはナイショですよ。彼はこういうことに、かなりウトイみたいですから」

 ギルフォードは笑顔でウインクしながら言った。由利子は、あのK署で見た光景を思い出し、なるほどそうだったのかと思った。由利子はそういうことに対して寛容ではあったが、さすがに身近にいるとなると驚きを隠せず、その後に続く言葉が出なかった。そこに、ちょうど紗弥が紅茶とコーヒーを入れて戻って来た。由利子はほっとした。

「もう、湯沸し室までの往復が大変ですわ。早く壊れたポットの補充をしてくださいな」

 紗弥は言った。

「すみません、明日、電気屋さんに行って安いの買って来ます」

 ギルフォードが、頭を下げながら言った。

「すみませ~ん」

 葛西も戻って来た。

「仕事中にはかけるなって言ってるのに、もう、母ときたら…」

「そういえば、今日は土曜日じゃない。皆さん仕事なんですよね」

 何とか立ち直った由利子が言った。

「僕らは基本土日休みなんですが、現場の方はそういうわけにはいかないもんで」

 と葛西が言うと、紗弥も続けて言った。

「ここも人使いが荒くて大変なんですの。先週なんか資料が来るからって、日曜に総出で集合をかけられましたのよ」

「い~じゃん、今日なんか頼んでもいないのに、ユリコ目当てでみんな来てるじゃ~ん」

 ギルフォードは例のスネスネ口調で言いながら、紅茶を一口飲んだ。

「あ、あたし? みんな私を見に来たの?」

 思ってもないことを言われて、由利子は焦った。そこにまた葛西の携帯電話の震える音がした。葛西は急いで電話に出た。

「はい、葛西です。…え? 判りました? めっちゃ早ッ! あ、いえ、失礼しました。それで…?」

 みんなの緊張が一気に高まった。

「はい、発信は携帯電話からですか。やっぱり。で、所有者は?」

 しばらく相手の報告を聞いていた葛西の顔色が変わった。

「そ、そんな馬鹿な! あり得ません。その子はもう亡くなっています!」

 ギルフォード・由利子・紗弥の3人は顔を見合わせた。嫌な予感がした。

「で、その電話の電波発信は?……え?……H埠頭で消えた? ってことは、海に投げ捨てたって事ですか?…それで?」葛西はしばらく相手の話を聞いていた。

「わかりました。また連絡します。どうもありがとうございました」

 葛西は電話を切ると、みんなに向かって言った。

「このことは、内密にお願いします。アドレスが実在した人物のものだったので、差出人の特定が容易かったそうです。メールの発進元は、秋山雅之の携帯電話からでした。他にも多数に送った形跡があるそうです」

 皆は改めて顔を見合わせた。

「どういうこと?」

 由利子が言った。

「テロリストが犠牲者の携帯電話を手に入れていたということです」

 ギルフォードが答えた。しかし、声のトーンが今までと違っている。由利子はそれに気づいてギルフォードの顔を見た。彼の表情は硬く、笑顔がすっかり消えていた。葛西が続けて言った。

「雅之君のケータイが敵の手に渡っていた。そして、雅之君のお母さんは行方不明…。まさか…」

「おそらく連中は、マサユキ君が感染していることを知り、ロックオンしていた…密かに観察していたんです。彼の死すらも。そしてさらに彼の母親を連れ去り、彼女から息子の携帯電話を奪った」

 淡々として話すギルフォードの様子を、紗弥が心配そうに伺っている。

「マサユキ君はまだ14歳でした」ギルフォードは静かに続けた。「確かに彼のやったことはサイテーです。裁かれるべきことです。しかし、彼は充分苦しんだでしょう。罪を償って再出発も出来たはずです。現に自首するつもりで友だちのユウイチ君にメールでそれを伝えていました。だけど、テロリストがウイルスをばら撒かなければ、彼は殺人という大罪を犯すことはなかったんです。何故ならあのホームレスは、発症し死につつあったからです。そして、彼は自分の罪と病の双方に苦しんだ挙句に殺されたんです。そして彼を殺した連中は、あまつさえ彼の携帯電話を利用して、下品な挑戦状メールをばら撒きました。これは死者への冒涜に他なりません」

 ギルフォードは淡々と話し続けたが、声のトーンはさらに下がっていった。

「メールに隠されたメッセージのとおり、このテロは彼らにとってゲームなんです。メール送付のやり方自体がお遊びです。必ず読まれるという前提は考えていない。気づけるなら気づいてみろ、そして、止められるものなら止めてみろ、という、犯人のからかい口調すら聞こえて来ます。これは、多くの人命を賭けた最低最悪のゲームです…!」

 そしてギルフォードは何かに耐えるようにして黙り込んだが、その表情は紗弥でさえ今まで見たこともないような厳しいものだった。室内の空気が異様に張り詰める。しばらくの沈黙の後、ギルフォードは

”********, *******,****!! ”

と、英語で何かつぶやくと立ち上がった。

「すみません、少しの間失礼します」

 そう言うと、ギルフォードはすたすたと歩いて研究室の外に出て行ったが、まもなく彼の向かった方向でものすごい音がした。残った3人は顔を見合わせた。隣に居る学生達の声も一瞬途絶え、その後ひそひそと話し始めた。由利子たちは、誰からともなくカップをを手に取り、一斉にコーヒーを飲み干した。なんとか緊張が解け、3人はほっとため息をついた。

「相当怒っていますわね」紗弥が最初に口を開いた。「今回何を壊したのやら…」

「意外と熱血だったんだ」

 由利子が感心して言うと、葛西が戸惑ったように紗弥に尋ねた。

「僕、よく聞き取れなかったけど、なんか英語ですごいこと言ってませんでしたか?」

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