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朝焼色の悪魔-第1部-  作者: 黒木 燐
第5章 出現
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2.月と葉、そして夜

「ミツキちゃんの名前は美しい月という意味ですかぁ、キレイな名前ですねえ」

「本当は『海』と『月』という字にしたかったんですけど、それだと『クラゲ』って言う読みになるんです」

「『Sea』と『Moon』で、クラゲですか。なんかわかるような気がします。フウリュウですねえ。英語ではJerry fishですよ。ゼリーの魚。無粋でしょ?」

「あはは、ゼリーウオ! それもわかるなあ。で、私の名前が『美しい葉っぱ』と書くんで、それにあわせて『海』を『美しい』という字に変えたんです」

「そうなんですか。ミハの名前も素敵な意味ですね」

 美葉とギルフォードは、すっかりうちとけて話が弾んでいた。彼らの間には美月が 満足そうに寝そべっていた。彼女は中型より少し小さいサイズの雑種で、顔は薄茶のハチ割れ模様で手足とおなかが白く狼っぽい長毛の可愛い犬だ。寒い冬に、海岸にダンボールに入れられて放置されていたのを、美葉に拾われたのだという。

(もう、美月ったら、私にだって初日は懐かなかったのに)


 由利子は少し複雑な気持ちで彼らを見ていたが、ここまでなるのに実は一悶着あったのである。


 美葉は、用心深い美月が一瞬で懐いたのでつい安心してギルフォードも部屋に上げたのだが、心配になってキッチンでお茶の用意をしながら、由利子を手招きした。呼ばれたのに気がついて由利子が行くと、美葉は、リビングで無邪気に犬と遊ぶ欧米人の大男の方を見ながら聞いた。

「あのさ、ひょっとして、あの人、由利子の彼氏?」

「え? あの変な外人が?? 冗談でしょ、違うよ、ほら、あの私を追い越していったバイクの人だよ。あんた非常階段から見てたやん」

「だってあんたがさー、早く部屋に帰ってカギを閉めとけとか焦ったような声で電話してくるもんだから、びっくりしてすぐに部屋に帰ったもん。それに私、目が少し悪いけん遠いと顔だってようわからんし、てっきり髪を染めたヤンキーかと…」

 そうだった。長沼間の話を聞いてから急に不安になった由利子は、美葉の部屋まで行く間すら心配になって、緊急に電話したのだった。


「さあ、お話を聞こうじゃないですか」

 車に乗り込んだ由利子が挑戦的に言うと、

「職務上、あまり詳しいことは言えないが」

 と、長沼間がこう前置きして言った。

「俺たちが追っているのは多田美葉ではない。彼女の男だ。だが、女の方を見張っていれば、必ずやってくると踏んでいるんだ」

「美葉の彼氏がロクでもないヤツだってことは、想像がつくわ。でも、彼はまだ事件は起こしてないんでしょ?」

「俺たちは、社会的な事件を未然に防ぐことが仕事なんだ」

「そういえば、私の父が言ってたけど、友人に左翼系の人がいた時に、知らない間に自分も色々調べられていたって言ってた…。あっ、わかった! それで、美葉だけでなく、私のことまで調べたのね! ネット上の記事まで?! 信じられない!」

 由利子は、車の窓ガラスをこぶしでバンと叩きながら言った。

「ここで暴れないでくれ。職務上得た情報は、第三者に漏らすことはない。今回だって、君とアレクサンダーが偶然ここで会わなかったら、おそらく教えることはなかったはずだ」

「そんなの免罪符にならんやろ!」

 由利子の怒りは収まらなかった。

「いいから聞きなさい」

 長沼間は静かな命令口調で言った。

「君が来る前にアレクサンダーが言ってた『大変な事』と、俺たちの追っているヤマがもし同じものなら、ヤツはすでにコトを起こしてしまった可能性がある」

 それを聞いて、ギルフォードは少し怒った顔をして言った。

「やっぱりわかってたんじゃん」

「だから、あくまでも予測の域だ」

「その大変な事って何?」由利子はすかさず尋ねた。

「詳しいことは言えない。まだ確定ではないし、だいたいこんな地方都市で実行するとは思えない。誰だって首都を狙う。だから、俺たちはヤツを九州から出す前に捕まえたいと躍起になっているんだ。俺たちが彼女を見張ることは、つまり、彼女をそいつから守ることになる。お互い損はないだろう? だから、あんたから彼女にさりげなく伝えて欲しい。張り込みの目標は彼女ではないこと。それから、会社と自宅以外の寄り道はしばらく慎むことと、人通りの少ない場所には近づかないこと。」


 由利子は話すタイミングを考えていた。文句を言いに行くつもりが逆に頼みごとをされてしまった。想定外もいいところだ。しかし、いくらなんでも美葉に彼氏が犯罪予備軍だなんて伝えられない。

「って、見張ってる人たちの仲間を部屋に入れちゃったの、私? 由利ちゃんったら、何考えてるのよ!」

 美葉は急に不安そうな顔をして由利子に抗議を始めた。しかし、由利子の立場としては、話をするきっかけが出来たことになる。

(とは言え、いったい何て言ったらいいのよ)

チャンスは出来たものの、由利子は困ってしまった。

「えっとね…」由利子は口ごもった。美葉は半べそをかいている。この状態であんなことを教えて良いのか迷った。しかし、話が話だけにこのままシカトするわけにはいかない。

(ええい、ままよ!)

 由利子は半ばヤケになって言った。

「美葉、あんた、今、危険なんだって」

 直球ストレートである。

「私が危険? なんで??」

 美葉は由利子の真意が掴めずに鸚鵡返しに聞いてきた。由利子は公安警察官というと美葉が不安になると思い言葉を選んで答えた。

「あのね、車の中の人たちは法務省カンケイの人で、彼らが探しているのはあんたの彼氏…、いや、もう元カレ?」

 それを聞いて美葉は信じられないという顔をして言った。

「ゆっちゃん…結城さんが何かしたと?」

「私にも詳しいことは教えてくれなかったけど、何かしたというより要注意人物みたいな感じやったなあ」

「確かに最近様子が変かったけど、あの人がそんなのに追われるようなことするわけないやん」

 美葉は、きっぱりと言い切った。

「私だってそんなこと思いたくないけど、危険といわれたらやっぱり用心するべきだと思う。しばらくは会社と家の往復だけにして、あまりで出歩かないで。それから、人通りの少ないところには行かないで。私からもお願いします」

「由利ちゃんがそんな言うんなら…。どうせ彼にはもう会わんつもりやったし」

 美葉は、由利子が本気で心配していることに気がついて言った。

「なんだか取り込んでますね」

 二人がキッチンに篭ったまま出てこないので、ギルフォードが様子を見に来た。その横に美月が嬉しそうにやってきて座り、皆の顔を交互に見ながら尻尾を振った。

「そうだ、ミツキちゃんにかまけてしまって、自己紹介が遅れて申し訳ありません。僕はアレクサンダー・ギルフォード。アレクとお呼び下さい。Q大で教授をやってます。アヤシイモノではありません。ご心配なら、大学のサイトを確認してもらえば、写真付で僕が載ってますから」

 丁寧に自己紹介され、美葉は驚いて自分も自己紹介を始めた。

「え~っと、多田美葉です。よろしく…で、いいのかしらね?」

「オ~、ミハさん! ステキな名前ですね。九州の女性は美人が多くてウレシイです」

 美人と言われて美葉は流石に悪い気はしなかった。警戒した表情がかなり和らいだのを、由利子は見逃さなかった。

(さすが西洋人は口が上手いわ。日本人だとこうはいかないね)

「じつはですね、あの車にいたオッサンは僕の講義の聴講生なんです」

 その説明に、美葉だけでなく、由利子まで同時に言った。

「えっ?」

 そのあと、由利子はたたみかけるように言った。

「あの、助手席の渋いオッサン?」

「そうです。あのオッサンです、ユリコ」

 由利子は(自分もオッサンじゃん)と心でツッコミを入れたが、ギルフォードはにやりと笑って言った。

「タイプですか?」

「話を何処に持っていくつもりですか」

 由利子はあきれながらも、少し顔を赤くして言った。その横で美葉が確認するように言った。

「じゃあ、ホントにあの人たちの仲間じゃないのね」

「違います。ただ、依頼があれば捜査には協力しています。これは義務です。それで、今日たまたま通りがかりに彼を見つけたんで挨拶しようと近寄ったら、目立つからって、あの狭い車に乗せられたんですよ」

 意外と嘘つきである。しかし、由利子はともかく美葉は信じたようだ。由利子は美葉にその後のギルフォードとのいきさつを説明してから言った。

「で、せっかく会ったんだから持って行けって私に押し付けたの、あのオッサン」

「因みにバイクは近所の100円駐車場に停めてます」

 ギルフォードはにっこり笑って言った。


「ユリコ、ぼんやりしてどうしたのですか?」

 ギルフォードは由利子が考え事をしているのに気がついて言った。

「あ…あの、ちょっと…」

 由利子が言うと、ギルフォードはにやりと笑って言った。

「わかった! リストラのこと、考えてたでしょ?」

「ええ~?! 由利ちゃん、リストラされたの?」

 美葉は本気で驚き、その後すまなさそうに言った。

「そんな…。じゃ、人の心配しとぉ時やないっちゃない! ごめんね、ややこしい時に呼び出したりして…」

「いやいや、こういう時こそ他の事で気を紛らわせたいものだって」

 由利子は美葉が気にしないように言った。

「ユリコ、次が決まるまで、僕のところでアルバイトしませんか? 高給は出せませんが、当面の生活費くらいにはなりますよ」

「由利ちゃん、渡りに船じゃん」

「わたしも、会社都合だと次の就職に影響しそうだから、自主退職にしようと思っているから、失業保険の出ない間バイト出来るのは助かるけど…でも、アレク、何故…?」

 由利子は、話が出来過ぎな気がして躊躇した。

「実は、僕があなたに会いたかったのは、僕のサポートをして欲しかったからです。実は…」

 ギルフォードはその後を由利子の耳元でこっそり言った。その途端、ユリコはぷっと吹き出してケラケラ笑いながら言った。

「人の顔が覚えられないだって???」

「せっかくこっそり言ったのに、そんな笑わなくてもいーじゃん」

 ギルフォードは、決まり悪そうに言ったが、由利子の笑いは止まらなかった。

「だって、だって…、頭のいいはずの大学の教授が、顔が覚えられなくて悩んでたなんて」

「由利ちゃんったら、失礼よ、そんなに笑っちゃあ…」

 と言いながら、美葉もクスクス笑っている。

「二人して、そんなにウケなくても…」

そう言いながら、ついにギルフォードまで笑い出した。

「全く覚えられないわけではないんです。たとえば、あなた方にはもう次に会ってもすぐにわかります。でも、あなた方は例外なんですよ。それなのに僕はすぐに覚えられるから困るんです。特に相手が重要人物だった場合、困ったことに…」

「まあ、私にも区別がつかない芸能人とかいるから」

 美葉が慰めるように言うと、ギルフォードは照れくさそうに説明した。

「この前バラエティ番組に、リリーフランクとかいう人とヨシダナントカという人が出てたので秘書のタカミネに双子?って聞いたら赤の他人だと言われて笑われました」

「よしだナントカって芳田剛太? 似てるけどいくらなんでもそれはひどいわ」

「あはは、顔オンチ」

 ギルフォードの告白を聞いて、二人は大笑いをした。ギルフォードもつられて笑っていたが、時計を見て驚いて言った。

「うわ、もうすぐ8時です。あの、僕、そろそろ帰りますね。きっと秘書のサヤさんが帰れなくてオニになって待ってます。こんどみんなでヤキトリ食べに行きましょう。オゴリますよ」

 そういうと、立ち上がった。二人は玄関まで見送りに行った。美月もついて来てお座りをしている。帰りがけ、ギルフォードは由利子に言った。

「ユリコ、よかったら今度の土曜に僕の研究室に見学に来てください。これ、名刺です。電話してください。待ってます。じゃ、ネ、みなさん!」

 ギルフォードはばたばた走りながら帰っていった。大男が去ると、いきなり寂しくなったような気がした。美月もつまらなそうにして寝そべっている。

「あ、ごはん作らなきゃ。由利ちゃん一緒に食べて帰ってね。二人の方が楽しいから」

「ありがとう。美葉の料理は美味しいから嬉しいなあ」

「んなこと言っても、あり合わせのものしかないけんね」

 そう言いながら、美葉は嬉しそうにキッチンに向かった。


「あったあった、あははは…、美葉、ちょっと来て!」

 美葉が夕食の用意をしている間、由利子は彼女のパソコンを借りてネットを見ていたが、いきなり笑い転げながら美葉を呼んだ。何かと思って一緒にパソコンを覗いた美葉も吹き出してしまった。

 由利子はギルフォードの言っていた大学のサイトで、彼のページを見つけたのだ。そこには、さっきまでそこに座って犬と遊んでいた、バサ髪を無造作に束ね、よれよれのジーパンにハーレーシャツ、レザージャケットにドクターマーチンの土方靴(脱ぎ履きで玄関先で手間取っていた)の男が、髪を梳いてきっちりと後ろに束ね、細い銀縁の眼鏡をして、しかも黒い洒落たスーツを着て取り澄まし顔で載っていた。



 シティホテルの小洒落たバーのカウンターの一角で、仲良くカクテルを飲んでいる男女がいた。女の方は男よりかなり年上で、下世話な表現をすると、何処かの奥様が若いツバメを連れているといった訳ありな風情だった。男の方はこういう場所に慣れないのか、すこしオドオドしている。

「私ね、今日は誰かと居たい気分だったの」

 女が言った。

「ねえ、今夜ここに泊まらない?」

「ええ? いいとですか? でも…、ダンナさん居るんでしょ?」

「夫のことは言わないでちょうだい。あんな人、もうどうでもいいの」

「でも…」

「それにあなた、もうお酒を飲んじゃったからしばらくは車に乗れないわよ。ヒッチハイクのお礼にホテル代は出してあげる」

「だって、悪いですよ。ここだってあなたが…」

「固いこと言わないの! もし、私を放って帰ったりしたら、飲酒運転を警察に知らせちゃうから」

「あはは、怖いなあ。わかりました、今日はとことんお付き合いしましょう」

 酒の勢いもあり、男の方もまんざらではないようだ。

「名前、聞いてなかったわね」

「僕は森田健二といいます」

「私は…、そうね、美夜子…美夜って呼んで。美しい夜と書くの」

「美夜さん…ですか? なんかテレるなあ…」

「うふふ…。じゃ、そろそろ行きましょうか」

 そういうと、美夜子はするりとカウンターの椅子から降りて健二の手を取った。彼女はさっさと清算を済ませると、健二と腕を組み、寄り添うようにしてバーから出て行った。

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