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朝焼色の悪魔-第1部-  作者: 黒木 燐
第3章 潜伏
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5.家族の絆

 さて、当の由利子は、自分が全く知らないところで話題にされているなんて露ほども思わず、部屋で悶々としていた。結局洗濯物は部屋干しにした。中国の黄砂なんて、一体何が混ざっているかわからないので気持ち悪くって、とてもベランダに干すなんて出来ないと思ったからだ。昨日はあんなに青空が広がって気持ちよかったのに、今日は景色が嫌な色に霞んでいる。

(乾燥機を買った方がいいのかも)

冬季以外はちゃぶ台代わりの炬燵に頬杖をついて、ぼんやりテレビを見ながらそう思った。猫たちはベッドの上で、思い思いの格好をして寝ている。

「おまえたちは悩みが無くていいねえ…」

 由利子は手近にいたはるさめの頭を軽くポンポンと叩きながら言った。はるさめはうざったそうに薄目を開け、起き出して体の向きを変えながら再び寝転がった。

 由利子が悩んでいたのは、もちろん洗濯物のことではない。例のホームレス殺害事件のことが、どうにも頭から離れないのだ。関係ない、有り得ない、忘れよう…と思えば思うほど気になってしまうのだ。

「あ"あ"あ"~~~、もう!」

 由利子は、両手を伸ばした状態で炬燵のテーブルに突っ伏し、そのまましばらく動かなかった。どうやら落ち込んでいるらしい。にゃにゃ子がむくっと起き出してベッドから降り、由利子の背中を登りはじめた。彼女は人の背中が大好きなのだ。しかし、今回調子づいた彼女はそのまま頭まで登っていき、髪の毛で滑って由利子の左側にころりんと落ちてしまった。由利子がそれに気づいて顔をそちらに向けると、ころりんとなった状態のにゃにゃ子がきょとんとして飼い主を見ていた。由利子は吹き出した。

「あはははは…、おまえはホントに悩みがないねえ」

 そういうと、大きくため息をついたが、吹っ切れたように立ち上がり電話に向かった。日はすでにだいぶ傾いていた。


 雅之は、午後から再び倦怠感に襲われて横になっていた。昼食を食べた頃は、特に何ともなかったのだが、3時を過ぎた頃から急に気分が悪くなりはじめたのだ。右手の例の傷口は腫れは引いたが治る気配がなく、絆創膏には血が滲んでいた。雅之はその手を見ながら、(やっぱりばい菌が入ったのかなあ)と思った。彼は、今一人きりだった。母親は昼食後、ちょっと用があるからと家を出て行ってしまったのだ。「夕方には帰るからね」彼女はそういうと、いそいそと出て行った。

 時間が経つに連れだんだん熱が上がってきたらしく、ひどい頭痛と寒気がし始めた。そのくせ大量の汗が出る。さらに手足の関節まで痛みはじめた。急速に容態が悪くなっているのが自分でも判る。

「母さん…」雅之は不安そうにつぶやいた。「早く帰ってきて…」

 雅之は母を呼んだ。無理もない。日頃悪ぶっていても、まだ15歳にも満たない少年なのだ。外はもう日が落ちかかり、徐々に薄暗くなっていった。雅之はさっきからひどい吐き気に襲われていた。しかし、トイレまで起きるのも辛いので、ずっと我慢をしていたが、限界だった。雅之は意を決して起きあがり、薄暗い中を壁や手摺りを伝い、よろけながらトイレまでたどりつき、そこで、昼食べた物を全部吐いてしまった。何故かほとんど消化していない。その上もうほとんど胃の中が空なのに吐き気が止らない。

「母さん、なんで帰ってきてくれんと……」雅之はうめくように言った。彼はしばらく便器を抱えてうずく まっていたが、数十分後少し楽になったので、部屋に帰ることにした。とにかく起きているのが辛かった。トイレを出て自室への階段を上ろうとしたが、2・3段上ったところで意識が朦朧としてきた。雅之は手摺りに寄りかかって、何とかして自室に戻ろうとしたが、とうとう力尽きて階段の途中で倒れ、そのまま動かなくなった。


「祐一! ごはん出来たけん、さっさと部屋から出て来んね!」

 ドアが気忙しくノックされて開き、母親が顔を覗かせて言った。

「あ、ゴメン、すぐに行くけん」

 祐一は言った。彼はさっきから携帯電話を手にしてずっと考え事をしていた。何度もメールの内容を書き直しつつやっと書いた文章の量は、30字程度だったが、さらにそのメールを出そうかどうしようかと悩んでいたのだ。母親に呼ばれたので、彼はメールを下書きに保存し、電話を机の上において部屋を出た。居間に行くとまだ誰もテーブルには就いていなかった。

「何や、誰も来とらんやん」

 祐一が拍子抜けしたように言った。

「あんた、いつもなかなか来んけん先に呼んだと!」

 と、母は笑いながら言った。

「うわ! 騙された!」

 祐一は言った。母親はさらに笑った。

「あ、オレそれ運ぶわ」

 祐一は母親が料理を盛った皿を運ぼうとしたのを見て言った。運びながら祐一は唐突に訊いた。

「かーさんさ、オレが警察に捕まったら困るよね」

 母の動作が一瞬止ったが、すぐにあははと笑いながら言った。

「何ば言いよっとね、あんたは! あんたが悪そうをするはずなかろうもん。この真面目の星一徹君が!」

(かーさんが思ってるほど真面目じゃないよ、オレ…)

 祐一は思ったが、あんまり笑われるので口には出さなかった。


 食事が終わって、祐一はまた部屋に戻ろうとしたら、妹の香菜が驚いて言った。

「あれぇ? おにいちゃん、今からおにいちゃんの大好きなアニメがあるやろ? 見んと?」

「あ…、ああ、すぐに来るよ。 ちょっと部屋に用があるけん」

「うん! すぐに来てよ、一緒に見よ! ジュースとお菓子持って行っとくけんね!」

 香菜は、食卓の椅子からぴょこんと飛び降りると、冷蔵庫に向かった。母があきれ顔で言った。

「こん子はも~、今食べたばっかりなのに…」

「食べ盛りやからなあ、二人とも」と、父親が発泡酒を飲みながら言った。

「オレもたまにゃあビールが飲みたかばってん…」

「我慢して下さいよ。食べ盛りの子どもたちのせいで食費がかさむんだから」

 やぶ蛇であった。

 祐一は部屋に戻るとまた携帯電話を手に取りメールを開いた。電気もつけず椅子にも座らず、立ったまま、文章を何度も読み直した。


 〔明日朝、K駅前の交番に行く。雅之も来てくれ。待っとるから。〕「


「あんたが悪そうをするわけなかろうもん」と言う母の笑い顔が浮かんだ。

(かあさん、ごめん)祐一の顔が歪んだ。(オレ、やっぱりこのままにはしておられんけん…)

 その時部屋の外で妹の呼ぶ声がした。

「おにいちゃん、始まっちゃうよぉ~」

「ああ~、すぐ行くけん! ちょぉ待っとけ」

 祐一は意を決して「送信」を押した。無事に送信できたのを確認して部屋を出ると、香菜が待っていた。

「どうしたん? 何か辛そうだよ?」

 と言いながら、兄に手をさしのべる。その手を掴みながら祐一は言った。

「気のせいやろ? 早くテレビ見に行こ! もうオープニング始まっとるやん」

「もぉ! おにいちゃんが遅くなったんやろ~もん」

「あははは…」

 祐一は笑った。二人は手をつないで居間に向かった。妹の手の温かさがいつにも増して伝わってきた。祐一の顔がまた少し歪んだ。

 しかし、雅之がそのメールを見ることはなかった。主のいない部屋で、携帯電話の着信音が空しく響いていた。


「雅之! 雅之! 大丈夫か?」

 雅之は自分を呼ぶ声に目を開けた。目の前には大阪にいる筈の父親の信之がいた。

「父さん、帰って来たん?」

 雅之は、今いる筈のない父親を目前にして、状況が把握できないまま、しかし、ほっとして言った。

「明日、こっちで緊急に会議があるけん帰って来たんや。そしたらお前が倒れとった。母さんは?」

「昼頃出かけていった。夕方には帰るって」

「病気のお前を放ってや!?」

「違うよ、その頃はオレ全然大丈夫で…」

 そこまで言って雅之は口ごもった。本当にオレはそれまで何ともなかったんやろうか…?

「とにかく病院に行こう! ちょっと待っとれ」

 信之はすぐに毛布を持ってくると、雅之を包んで抱きかかえ、そのまま玄関に向かった。そこに何も知らない美千代が帰ってきて鉢合せをした。

「あ…あなた」

 想定外の夫の帰還と状況を目の当たりにして、手に持った荷物がどさりと落ちた。

「おまえは! 息子がこげな状態になるまで気が付かんかったとや!?」

 信之が大声で怒鳴った。

「父さんやめて! オレ本当に昼間は何ともなかったっちゃん」

 雅之が必死で弁解した。

「とにかく今から病院に連れて行く」

「あ、私も一緒に…」

「おまえは家に居れ。階段に雅之の吐いたもんが残っとるけん掃除しとってくれ。何かあったら電話するけん」

 信之は雅之を抱いたままそういうと、美千代には目もくれず玄関を出た。雅之を車の後部席に乗せ、「吐きそうになったらこれにな」とコンビニ袋を持たせた。運転席に乗り込み、

「山田先生に診てもらえるかどうか訊いてみるから、ちょっと待っとれよ」

 というと、かかりつけの医師に電話をかけ始めたが電話はなかなか繋がらない。

「日曜の夜やけんなあ、無理かなあ」

 信之がつぶやいたところでようやく電話が繋がった。

「時間外それも日曜にすみません。息子が高熱で倒れまして…、…はい。……。そうです、急に…。……。…はい、わかりました。どうもありがとうございます!」

「雅之、先生はいないそうやけど、大先生が診てくれるって。良かったな! 行くぞ!」

 信之は車を発進させた。「山田医院なら5分くらいで着く! もう少しの辛抱やからな!」

「ん…」雅之は力なく答えた。全身の関節がたまらなく痛い。皮膚もピリピリしてきた。多分熱は40度近くあるだろう。おまけに喉もだんだん痛くなってきた。何度か吐きそうになりながら、雅之は耐えた。車に悪臭が漂うともっと気分が悪くなりそうだったからだが、父親にも気兼ねをしていた。

「雅之…。母さんはいつもああやっておまえを置いて出て行くとや?」

雅之は答えなかった。

「あのな、雅之…。なんぼ仕事言うたって何年もおまえを放っておいて悪かった。すまん。来年には帰ってこれるように申請しとるけん…」

「父さん…」

「とりあえずは、おまえの病気が治ったら、母さんと3人でどこか旅行でもしような。おれも久しぶりにこっちの温泉でゆっくりしたいし」

「うん…、うん…」雅之はなんどもうなづきながら、心の中で叫んでいた。

(ごめん、父さん、もう遅いんだ! オレ、犯罪者になってしまった…。ヒトゴロシなんだよ!)

 そう思うと涙がポロポロこぼれてきた。後部席で息子が泣いているのに気がついた信之は、雅之が泣くほど苦しいのだと判断した。

「雅之、もう少しやけん、がんばれよ!」

 そういいながら、信之はアクセルを踏んだ。


 山田医院に着くや否や、父は雅之を抱えて病院に飛び込んだ。すでに、大先生こと山田正造は診療が出来るように準備をして待っていた。


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