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朝焼色の悪魔-第1部-  作者: 黒木 燐
第3章 潜伏
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1.歪んだ朝

20XX年6月1日(土)


 雅之は、祐一と一緒に夜道を歩いていた。何処に向かっているのかわからないが、彼は祐一の歩く後を黙ってついて歩いた。すると、物陰から男達が数人現れて、二人を取り囲んだ。

「秋山雅之だな」

 男の一人が言った。

「祭木公園ホームレス殺害容疑で逮捕する」

 男はニヤニヤ笑いながら雅之に手錠をかけた。雅之は驚いて祐一を探した。しかし、いつの間にか祐一は居なくなっていた。気がつくと雅之は取り調べ室の机の前に座っていた。その前にはさっきの男が座っており、ライトを雅之の顔に当てた。眩しさに彼は顔をそむけた。

「5月31日の夜、お前はこの男を暴行して殺害した、そうだな」

 男は笑いながら、自分の後ろを指差していった。そこにはあのホームレスの死体が、あの時の格好のまま転がっていた。雅之は、驚いて立ち上がったが、後ろの男達に押さえつけられて、また席に座った。

「祐ちゃんは…、西原君はどこ?」

 雅之は不安になって聞いた。取調べの男は答えた。

「西原祐一な…、あいつはあそこで首ば括っとる」

 男は窓の方を指差した。窓の外には吊された祐一がぶらぶらと揺れていた。

「祐ちゃん!」

 雅之はまた立ち上がったが、再度男達に押さえつけられた。

「お前もすぐに後を追え!!」

 男達は雅之を指差して、げらげらと笑っている。刑事だと思っていた男達は、いつの間にかホームレスに変わっており、場所はあの公園に移動していた。雅之を囲んでげらげら笑い続ける男達の後ろで、死んだ男が起き上がった。口から黒い吐物を垂らしながら、ふらふら立ち上がり、ゆっくり雅之を指差した。

「ツギハ、オマエ、ダ」

 男はそう言うといっしょになってげらげら笑い出した。 


「うわぁっ!!」

 雅之は飛び起きた。眠れないと悶々としながら、いつの間にか眠っていたらしい。全身汗でびっしょりになっていた。目を覚ます直前に、宗教めいた荘厳だが気味の悪い歌が聞こえた。とにかく気味の悪い夢だった。雅之の良心の呵責から見た夢だったのだろうか。

 雅之は、起きあがるとバスルームに向かった。何となくフラフラして階段から落ちそうになる。洗面台で自分の顔を見ると、寝不足のせいかひどい顔をしている。熱いシャワーを浴びると、心なしかすっきりしてきた。(やっぱり、よく眠れなかったからかな)雅之は気を取り直した。昨日男に引掻かれた右手の甲の腫れは治まっていたが、傷口からかすかに血がにじんでいる。それで、部屋に帰って大きめの絆創膏を貼った。

 雅之は落ち着いたらあの夢が急に気になり、祐一のことが心配になり始めた。それで、メールを送ってみたが、返事が来ない。不安になって電話をしてみようと思ったところで返信が来た。返事は自分のことよりも、雅之の方を気遣うような内容だったが、どうやら彼は大丈夫なようだ。雅之は安心した。安心すると少しお腹が空いてきた。そう言えば昨夜からろくなものを口にしていない。その上何度も嘔吐している。雅之は何か飲もうとキッチンに向かった。そこでは母親の美千代がいつものように朝食を作っていた。

「まーちゃん、おはよう。気分は大丈夫なの?顔色がすごく悪いわよ」

 美千代はは雅之の顔を見るなり言った。

「あまり寝られんかったけん…」

「あらまあ…、大丈夫? ごはん食べれる?」

「うん…、おなかは空いとるし」

「ちょっと待って、すぐに出来るから」

 美千代はいそいそと支度を始めた。


 正直、味はどうでも良かった。とにかく食べられるだけ食べたが、やはり食は進まない。それでも2/3ほど無理矢理腹に詰め込み雅之は席を立った。

「あら、いつもならおかわりするのに、本当に大丈夫なの?」

 美千代が心配そうに言った。

「うん…」と、力無く雅之が答える。

「今日も学校でしょ? 休んだほうがいいんじゃないの?」

「うん…。でも補習とかあるし…」

 それに…、オレが学校に行った方が都合がいいんやろ。そう言いそうになって雅之は思わず言葉を飲み込んだ。


 さっさと支度をすませ、雅之は家を出た。よい天気で空も青く、空気は爽やかで心地よい朝だ。太陽が眩しい。だが、雅之がその太陽を見た時、眼の奥がかすかにズキンと痛んだ。寝不足のせいだと思った。今日は早く帰って早く寝よう。雅之は思ったが、果たしてゆっくり眠れるかどうか一抹の不安を感じていた。しかし、あのホームレスを殺してしまったことが、永遠に彼から平穏な眠りを奪ってしまったことに彼はまだ気がついていなかった。


 美千代は、いつものように朝の掃除に余念がなかった。一階の掃除はすでに終わらせ、二階の雅之の部屋に来ていた。そこは、男の子の部屋にしては、かなりきちんと片付いている。雅之はかなり几帳面な性格だった。しかし、そのせいで、美千代の目にあるものが目に付いた。それは、無造作に丸めて屑篭に捨ててあるものだった。美千代はそれを拾い上げて広げてみた。それは、汚れた制服のシャツだった。

「もう、あの子ったら…。制服のシャツだって安くないのに…」

 美千代はため息をついた。しかし、妙な汚れだった。どす黒い汚れが点々とついている。中には少し大きめの染みもあった。

「いったい何で汚したのかしら…? 血…じゃあないわよねえ…」

 そういいながら、なんだか家で洗うのが気持ち悪くなってきた。それに今日は出かける予定がある。

「そうだ」美千代は独り言を続けた。「お義母さんに洗ってもらおう!」

 美千代は、歩いて15分位のところに住んでいる夫の母親を思い出した。二人は近くに住んでいるのに滅多に会うことをしなかった。特に、夫が単身赴任で大阪に行ってからは盆正月くらいにしか会わないんじゃないかというほどに疎遠になっていた。たまには役に立ってもらわないと…。美千代は、いい人を思い出したことに満足した。その時、「エブリシング」のメロディが鳴り響いた。美千代の携帯電話の着信音だった。はっとして彼女はエプロンのポケットから携帯電話を取り出してメールを確認した。彼女はにっこりと笑っていそいそと返事を書き始めた。その間、彼女の癖だろうか、ずっと左手の親指のツメを噛んでいた。


 30分後、すっかりおめかしをした美千代が家を出て行った。


 雅之の祖母、珠江は、紙袋に入ったシャツを手に、ぼんやりと窓の外を見ていた。そこには、たった今シャツの洗濯を頼むだけの用件でやってきた、嫁の後姿があった。夫が単身赴任中だというのに、あの派手な格好はなんだろう。美千代も珠江もお互いを嫌っていた。同居は断固として美千代が認めなかった。それは珠江の夫が亡くなって、一人残された時ですらそうだった。珠江も気兼ねしてまで一緒に住もうという気にはならなかった。

 珠江は、袋からシャツを出して広げてみた。なんか汚い染みがたくさんついている。それに、なんとなく生臭い臭いがした。いったい雅之は何をやってこんなに汚したんだろう。珠江は思った。何か悪いことに関わってなければいいのだけれども。

「全部、あの嫁のせいだ」

 珠江は吐き捨てるように言った。

 雅之は子どもの頃はとても素直で良い子だった。今だって、なんとなく斜に構えており悪ぶっているけれど、本当は優しい子なのだと珠江は思っていた。小学校の頃の雅之は、母親がここに来ることにいい顔をしないので頻繁ではないが、たまに顔を見せに来た。その時は、少し家に上がって何をするでもなく珠江の傍に座って少しテレビを見て、帰っていった。彼が中学になってからは、ますます足が遠のいたが、この前、珠江が友人から感染されたインフルエンザで寝込んだ時、やはり様子を見に来て、玄関に果物やらジュースやら置いて行った。あの時は、本当に苦しかったのに、息子も嫁も見舞いにすら来なかったが、雅之だけが心配して様子を見に来てくれたのだ。。

「ううっ…」

 珠代は思い出すと情けなくなって涙が出てきた。そのまま涙が止まらなくなってしまい、目頭を手で押さえた。仕方がないので落ち着くまでキッチンの椅子に座っておくことにした。数分後、ようやく気持ちが落ち着いた珠江は、立ち上がると、風呂場まで行ってバケツに水を入れ、さらに、しこたま漂白剤を入れると、最後に預かったシャツを入れた。他の洗濯物と一緒に洗うのは気持ちわるかったので、別洗いをすることにしたが、こうすれば、多少汚いものでも消毒されるだろう。

「さて…っと」

 珠江は気を取り直しベランダの戸をあけた。明るい日差しと爽やかな風が心地よい。

「洗濯ものが良く乾くやろうねえ」

 彼女はそうつぶやくと、ぐうっと背伸びをした。

「さっさと洗濯と掃除を終わらせて、あとはゆっくりすることにしよう」

 そう言うと、珠江は家事の続きに戻っていった。


 明るい空、日差しを受けて輝く新緑、申し分ない朝だった。誰もこれから起きる恐ろしい事態など想像もしていなかった。しかし、水面下では確実になにかが広がろうとしていた。そしてそれは、その災厄を作った人間達でさえ予想だにしていなかったのである。

 ―――ただ一人を除いては。



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