事情聴取
目覚ましが鳴った。朝の5時である。
三村の母校のサッカー部はハードなトレーニングで有名で、朝6時からの練習があった。
その頃の習慣が抜けず、目覚ましはいつもこの時間である。
(…毎回の事ながら、酷い夢だよな。天皇杯の季節は、試合のある日ごとにこの夢だ)
寝室から居間に出てみると。
男は――――昨日最後に見た時と同じ姿勢で。
冷凍ピラフは――――ほとんど手つかずであった。
「腹減って倒れていたんじゃないのかよ…」
訳のわからない奴である。
なのに。
「俺はジョギングしてくる。昼飯時になったら車に乗せてやる。お前の国の言葉が解る奴と一緒に食う」
なんでこんなに気にかかるのか。
***
鍵は、かけてこなかった。
ジョギングから帰ったらもう勝手に出て行っていたとかだったら、それでもよかった。
しかし、マンションに戻ってみてもまだ、男はそこにいた。
(冷凍食品は食えんってか)
朝食を終えて、改めて、タオに電話。
「あ、お前、今日店休むって言っていたよな?昼飯、俺の店で食わないか?」
***
港北ニュータウン。
地下鉄の駅のすぐ近くに、その焼肉店は存在する。
三村敦宏が自らプロデュースし、都内の高級焼肉店で修業していた兄と共同で開いた店だ。
その、会話が外に聞こえない個室で。
「先輩、誰ですかその人」
「昨日お前の店で飯食ってから中華街で拾ったんだけど、名前もわからん。攫われた恋人を探している中国人?らしい。こいつ日本語片言で、俺じゃどうしようもねーんだわ。通訳頼む」
「…パスポートとか、在留許可とかあるんですか?この人」
タオ、本名・田川道夫は、サッカー部の先輩が連れて来た男を不審者を見る目で見つめた。
「ない…気がする。だが、警察へ通報するのは後にしようぜ。恋人がどうなっているか知らないままで強制送還はちょっとな」
「ないんですか!関わるのは止めにしましょうよ!!不法在留の片棒なんて、俺も先輩もサッカー人生どころか一生が終わりますよ!!」
「おい!お前がこいつの立場だったらどーする?その決断だと会いたい人とまた暮らせるたった一度のチャンスを潰されて、永久に離れ離れになるんだぞ?」
体育会系の部活では、先輩後輩の間柄は絶対である。
「…解りました。じゃあ先輩はちょっと静かにしていて下さい」
タオが、男に向き直った。
「…はじめまして。貴方のお名前は?」
男は、やや間を置いて三村には聴き取れぬ単語を発した。
「もしかして、こういう字で書きますか?」
タオはテーブルの上にあったアンケート用紙の氏名欄にボールペンで
「桂花」
と記入した。
男は頷いた。
「あーやっぱり!だって、貴方、その花の香りがするんですよ!いい香りですよね!!…で、年齢は?」
「…32、か3」
アンケート用紙の『男性』と『30代』に丸をつけ、『32,3歳』と付け加えた。
「出身は、何処の国ですか?」
「…中国本土、とでも言っておこう」
『海外』『中国本土』
「パスポートはお持ちですか?」
「ある」
桂花は、小豆色のパスポートを取り出し、提示した。
タオは写真の顔と目の前の顔を見比べた。
「…偽造じゃないですよね、うん、わかりました、私は貴方に協力しましょう」
「ありがたい」
その「謝謝」だけは、三村にも聞き取れた。
「恋人の特徴について、お聞かせくださいますか?」
「外見は、20歳前後。月の様に輝く肌に、夜空の様な黒い瞳。俺が彼女に逢ったのは、嘗ての主に命じられて国境へ向かう前日に主の義父の邸に招かれた時。屋敷の舞姫が、彼女だった。嫦娥がこの地上に舞い降りたのかと、錯覚した。その瞬間、俺は彼女と共に在る為なら何もかもを棄てられると、確信した。気付いた時には、俺は彼女の血管に口をつけていた。無理を言って、財産の半分を渡して自分の家に連れk―――」
(惚気ている場合じゃないって理解していますか?)
とでも言いたげな顔をしつつ、後で三村に見せる為に日本語でアンケート用紙の余白にメモをとっているタオの手が止まった。
「お待たせいたしました、葱カルビでございます」
三村が注文していた焼肉が届いた。
「先ずは腹ごしらえして下さい。行倒れたら、もう彼女に逢えませんよ?」
タオがそう言うと、桂花は、刻んだ葱が乗った肉を取って――――
――― そのまま、口へ運ぼうとした。
「ストップストップ!!焼肉って言っているのに生肉食う奴があるか!!生喰いたいんだったら、注文するから!!食中毒起こされたら困るのはウチなの!!」
三村が桂花の腕を抑え込み、納得させた後に改めて納豆ユッケを注文した。
「おい、中国人って生モノ喰わないんじゃなかったのかよ!」
三村がタオに思わず問い質した。
「そんな事俺に言われても…桂花さん、話を続けて下さい」
タオは再び聞き取り体制に入った。
「連れ帰ったはいいが、俺はそのまま気を失った。だから、この時点では彼女とは何もない。次の日直ぐに国境へ向かっていたら、急を告げる報せが届いた。政変が起こり、主は自らの妻子を殺してから首を吊って死んだ」
「政変!?天安門事件ですか?それとも、何か別の権力闘争?」
「あえて言うなら…民衆反乱、だろうか」
「うわー、やっぱりマスコミは報道しませんけど、そう言う事って今でもあるんですね」
と言った所で、
「お待たせいたしました、納豆ユッケでございます」
桂花はすぐさまかぶりついた。
三村は『生肉を食う中国人』を訝しげに見つめながら
「…まあ、いいや、俺達もぼちぼち食おうぜ、ほら」
いつの間にか、タオの取り皿にはちょうどいい焼き加減の葱カルビが複数配置してあった。
***
一通り食べ終わった所で。
「話の続きをしていいか?」
「どうぞ」
「さて、俺は宙に浮いた。折しも国境に、敵国の軍が攻めよせていると言う情報が入った。反乱軍に降るか、敵軍の一員となるか」
「敵国!?」
(あれ、今、中国と戦争している国ってどこだっけ?台湾?)
と思いつつ流石に其処までは詳しく聞けなかった。
「そして、反乱軍からは『一族を人質にとった』との連絡と―――『彼女は頂く』という連絡が入った」
「頂く!?」
「俺に迷いはなかった。彼女を取り戻す為に、家族と、国を棄てた」
「―――」
果て、どれ程の美貌で儒教精神の根強い中国人に、家族を見殺しにする決断をさせる事ができるだろうか。
「勿論、家族は皆家で死体になっていた。でも、彼女の死体はなかった」
「――― それで、日本に来たわけですか」
「違う、話には続きがある。そのまま敵国の一員となった俺は、反乱軍と共に嘗ての主たる一族を殲滅するように命じられた。その戦いの中で、『彼女の行方を知っている』という人物に出会った。彼は彼女とは長い付き合いで、彼女の秘密を知っている、俺と同じ存在だった」
「秘密?」
「詳しくは言えない―――が、一つだけ。彼女は枯れぬ泉だった」
「枯れぬ泉?」
タオは疑問を抱いたまま、メモを続けた。
「彼女と俺が再会したのは長い時を経た後だった。でも、彼女と俺は今度は新しい主によって引き離されそうになった。既に俺は家族と国を棄てた事によって国中から『裏切り者』と罵られる存在だったが、また裏切る羽目になった。大義名分に『嘗ての主と共に征く』と宣言したのよ。今思えば俗界の欲丸出しの宣言だよな。嘗ての主の係累は、俺が根絶やしにしたんだぜ?」
(二つの勢力から『裏切り者』扱いされているって、先輩、相当ヤバい人を匿っていないか?)
パスポートは本物みたいだけど、いつその二つの勢力が襲ってくるかわからない。
「俺は彼女を逃がした後、独りで頂に登った。でも、何も見えなかった。彼女の側にいる事だけが俺の望みだと確信した俺は今度こそ何もかもを投げ出して彼女の元へ走った」
(そこまで夢中になれる相手がいるのは、ある意味では非常に幸せなのかもしれない)
「人が近寄る事の出来ない地で、俺達は確かに幸せだった。人々の中に紛れても、直ぐに探し出せた。―――あの月の無い夜までは」
(やっと本題か)
「眠っている彼女を、俺が留守にしている間に攫って行った奴がいる。手掛かりは、彼女の鼓動だけ。それを頼りに、日本まで来た。笛の音と警備の仕事で稼ぎながら行方を捜していたが、行き倒れる直前にこの男に―――救われた」
「この街には、いるんですか?」
「確実に、近づいている」
そこで桂花は、話を止めた。
「話は、以上ですね?何だか手掛かりは掴めませんが…はい、これ読んで下さい」
タオは、三村にアンケート用紙を手渡した。
三村はアンケート用紙を見つめた。
日本語に訳されているにも関わらず、幾つか意味、どころか読み方の解らない単語がある。
その単語の一つを指差して、中国語の解る後輩に問う。
「なあ、これって…桂の花と読んで『けいか』って読むのか?」
「はい。あっ、『桂』っていっても日本で言う桂の木じゃなくて、中国だと金木犀や銀木犀の事になるんです。日本だと『トイレの芳香剤の香り』扱いされるんですけど、元々はいい香りですから、中華料理だと結構頻繁に使われるんです」
「だから、金木犀の香りがするんだな…」
とは言っても、殆どの日本人はやっぱり三村と同じ様に『トイレの匂い』と認識するだろう。
中華料理ならいざ知らず、ここは焼肉店である。
「とりあえず、店を出よう。俺のマンションで、色々準備したい」