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広寒宮-横濱奇譚-  作者: はぐれイヌワシ
11/13

炎のおおみそか

※似非大分弁ご容赦。


「…なあ、桂花よ。お前って、そげな腑抜けだったんか?」


この男に、中国語の会話内容が解る筈も無い。

しかし、桂花の瞳から光が消え、従容として死に赴こうとしていた事だけは理解できたらしい。


「愛する女が危機にさらされちょるのを目の前にして、諦める男じゃったのか?」


三村が、未だ呆然とする張を尻目に、桂花の元へ駆け寄る。


「俺がチームを失くした時は、俺一人、いや、チームの皆、サポーターが集まっても覆す事は出来んかった。

親会社と協会が密室で決めた事が、日本中に知れても尚、運命を変える事は出来んかった。

俺は無力を嘆き、苦しんだ。

今も尚、俺はあん日の幻影を夢見て、今はもうどこにもなかチームを求めちょるらしい」


三村が、額から流れる血を右手に掬い取った。


タオが、呻き声を上げながら、動き始めた。


「―――でも、お前の女は今ここに存在するんじゃろ?自分から祖国も棄て、家族も棄てて、たった一人彼女だけがお前をこの世界に繋ぎ止める存在なんじゃろう?お前が血を失ってボロボロの状態でここまでやって来たんも、彼女を取り戻す為だけなんじゃないのか?

彼女の目の前で、全てを諦める気か?」


血に塗れた右手を、桂花の口中に押し込む。

桂花の両の瞳に、三村の貌が映り込んだ。


「飲めよ。お前と彼女は―――同じ存在なんじゃろう?お前がここで諦めたら、彼女の生をも否定することになるぞ。受け入れろ。肯定しろ―――お前の、全てを、な」


桂花が、血液を嚥下する音が聞こえた、気がした。


「―――三村敦宏。貴様は、許さんぞ!」

我に返った張が、再び爪を振り上げた。


が、其れより早く。

桂花が左手に繭を、右手に三村を抱え込んで飛びのいた。


「タオ!」

タオは、トロッコ側から三村に近づこうとしていた。


三村と繭を抱えた桂花と、タオがトロッコに飛び込み、一気にギアを入れた。



「待てえええええええ!!!」

張が物凄い形相で、レール上を疾走する。


その時、彼等の遥か後方で爆発音がした。

三村が振り向くと。

「炎…!?」


小さな炎の点が、徐々に大きくなっている。

三村はヒイラギ屋敷に爆竹の詰まったバッグを置いてきた。爆竹に、何かの拍子で引火したのだろうか。

しかし。

「爆竹…にしては、火の回りが早すぎる…爆発音も、一回きりだ」

「何故だ!何故、火の気がない部屋から爆発した!?自爆装置か?仕込んだのはよもや―――」


***


やがて、ホテルへ続くドアが迫る。

しかし、堅く鎖されている。

このままでは、衝突するか、張に追いつかれるか、炎に巻かれるかしてどの道死ぬ。


桂花が、繭を抱え込んだまま、トロッコの前に出た。

「何をする―――!」


桂花が口を開いた瞬間に、爆風と共にドアが吹き飛んだ。と同時にトロッコがフロントに飛び込んだ。

ドアの向こうのホテルから、客の悲鳴が上がる。


この後に襲うであろう炎の予感を背後から感じた三村は、


「火事だーっ!皆逃げろ!!」


と咄嗟に叫んだ。


何が起こったのかを予見したホテルの職員たちは、一斉に変化した。


さああっという間にホテル中大混乱。

今まで話をしていた職員に喰われる者、狂ったように鞄を振り回す者。

火災ベルを鳴らす者、消火器を取り出す者、荷物を置いて非常口へ一目散に向かう者。

三村とタオは非常口へ向かい、繭を抱えた桂花は―――上り階段の方へ向かう。


「おい、何やってんだ!!出口はこっちだぞ!!」

「うえ、まだ、ひ、きてない。うえから、とんでにげる。おれたち、だいじょうぶ。はやく、にげろ」


桂花達は階段を上っていった。

『とんでにげる』の意味をあまり解りたくもないが、とにかく二度と会うことは無いだろう。


非常口の前まで来た時、三村は背後に気配を感じた。

三村が、気配の方向へ振り返った瞬間―――――――何者かに首を掴まれ、壁に叩きつけられた。




意識は失わずに済んだ。

目を開けると、其処には



「三村敦宏よ。最後にもう一度だけ聞こう――――嫦娥の薬を、口にする気はないか?」



「化け物…になる気はない…と、何度…言ったら…解…る」

苦しい息の下から、三村がやっと応えた。


「人間以外の生物になるのがそんなに嫌か。――――しかし、人間が醜悪な存在である事は、お前が一番知っておる筈だがな?」

言うなり、張は上着の胸ポケットに手を入れて、ある紙片を取り出した。


「…!」

それは、三村が朱に奪われた、ひこ丸のテレカであった。

血飛沫が飛び散って、テレカにこびりついている。


「我が眷属は、人間の遥かに及ばぬ身体能力や、交信能力を持つ。そして、誰かの血を口にすればその者の姿も記憶も言語も知識も全てを手に出来る。

―――三村よ。お前が望むなら、お前を害し、貶めた者共に、自在に裁きを加える事も可能なのだぞ?」


三村の脳裏で、多くの顔が展開する。


無慈悲にチームを失くす決断をとった、大日本空輸の経営陣。

その合併案にノーを出すどころか推進した、Jリーグチェアマン。

三村達を拒絶した、ピラッツサポーター。


三村の視界が、揺らぐ。


「薬…薬っていうが…あんた、今…持って…いるのか?このまま…だと、二人とも…焼け、死ぬぞ」

「無論、私の血肉が即ち―――嫦娥の薬だ」


張はそう言って、自らの左手を食い千切った。

血飛沫が、三村の顔にも飛んだ。

「!…何を…」

左手の傷口が泡立ち、瞬く間に傷が失せる。


「嫦娥の薬を飲んだ者は、その血肉が、新たな薬となって眷属を増やす事が出来る。

決断するのは、お前だ―――三村敦宏。私の血を啜って人を棄てるか、このまま私に殺されるか―――」


三村の瞳は、その血液に吸い寄せられていた。


「選択肢は、二つだ……さあ……お前の意思で……未来を択べ―――三村敦宏」



張が左手を三村の口元まで持ってきた。

三村が意を決し、血液に唇を寄せようとしたその刹那




―――どこからか、歌声が聴こえてきた。


その歌声が、三村を正気に引き戻した。

三村は首を横に振り、顔を張の左手から背けた。


「―――交渉決裂、か。つくづく惜しい男だ」


張が三村の首の骨を握りつぶそうとした刹那。

三村は身体の真横に衝撃を感じ、そのまま吹き飛ばされた。


三村が顔を上げ、張の方を見ると。

「朱…!」


先程まで三村のいた位置に、朱が座っていた。

そして、朱の爪が張の胸を深々と貫いていた。


「朱…よもや…邸に火を放ったのも…お前か?爆…竹…の引火…でこれ、ほど…までに、火の…回りが早い筈はない。邸…そして…この、『広寒宮』…自体に、仕掛けを…した…のは」


朱が爪を引き抜きさえすれば彼女も逃げられる。

しかし、朱は爪を動かさない。

「うん、そうだよ―――『祖娥』。

誰よりも美しい君の為にこんな精緻な建築をする男…大工仕事の得意だった男…覚えているよね?」


祖娥。

久しく呼ばれる事のなかった、真の字。


そして、その字を呼ぶことの出来る唯一の存在――――



「陛下…!」


「思い出してくれたんだね、祖娥。

記憶を持ったまま転生した私は、横浜へ向かい、今度こそ君と生きようとした。

だけど、君はもう、柊の様に棘を身に纏って誰も寄せ付けなくなっていた。

君を孤独に縛り付けたのは、他ならない私だ。

君はもう冬に耐える必要はない。共に、天上の、真の広寒宮へと向かおう…」


張の手から、テレカが落ちた。

三村は、張のそっと閉じた瞼から雫が流れるのを見た


―――と思った次の瞬間、燃え盛る瓦礫が朱と張の上に覆いかぶさった。


二人の姿は、三村の位置からは見えなくなった。



―――死んだら、月へでもゆくがよい。


ふと、三村の脳裏にそんな台詞が浮かんだ。

だが、彼は重大な事項を思い出してしまった。


―――人間である自分には、四方を炎に囲まれた状態から脱出する方法がない!!


三村は自嘲するように、目を閉じた。


―――21世紀を目前にして炎に巻かれて命を終えるのだな、俺は。

―――月には、ひこ丸だっているかもな。



月に居るかも知れない亡くしたチームのマスコットを思い浮かべたのと、


三村の背中を何かが掴んだのはほぼ同時であった。



その感触は、丁度、大きな飛行生物に攫われた―――といえば正しいのだろうか。

兎に角、三村の体は上空に浮き上がる。


そう遠くない上空から、三村を正気に引き戻したあの歌声が聴こえてきた。

どこまでも透き通るような、この世の存在ではない様な女の歌声だ。

必死の思いで、三村が、顔を上げると。


桂花のものとは色が違う長い髪が、微かに見えた。


その長い髪の持ち主の向こうに、桂花の顔が見えた。

どうやら、桂花はその長い髪の女はしっかりと抱きかかえているようだ。


桂花は、三村ではない方向に、微笑んでいた。


―――何だ、お前、ちゃんと笑えるんじゃねえか。



そこで、三村の意識は途絶えた。


***


母上様、どうか私の最期の願いを聴いて下さいまし!


直ぐに火葬の薪を整えて、


それから大層哀しい私の檻を開けて、


炎が我等に休息を与えるように!


火葬の薪から火があがる時、


私達は古代の神々の身許へと参りましょう!


―――ゲーテ『コリントの花嫁』より


大分弁というか、九州弁としても中途半端ですみません。


桂花はホテルのドアを衝撃波でぶっ飛ばしました。

1階で火災発生したら上の階の皆さんは自力脱出絶望じゃね?


分岐ルートも書いてみたい。


懿安皇后の『祖娥』という字は民間伝承です、あしからず。


『前世の記憶を持つ』と主張する人物がいる事は確かなようです。


『―――死んだら、月へでもゆくがよい』は、宮城谷氏の『地中の火』より。

月を、一種の『死者の国』と考える伝承や民話も多いです。


恋人はしっかりお姫様抱っこしつつも三村の事は後足で掻っ攫う桂花に笑ってください。


コリントの花嫁は、最後は火葬で終わります。


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