第二十七章 嵐の兆候
「……ふぅ、ようやく終わったか」
カノンがラザフォードの家を出る頃にはもう夜の帳が降りていた。
家々の、仕切られたカーテンから薄く灯りが漏れている。
カノンの手には、しっかりと学園の制服が握られている。
ラザフォードには短期間の教えしか必要ない。
気はそれぞれ捉え方が違うから、カノンの全てを教えると逆に混乱するからだ。
……あいつは間違いなく強い。
気を扱える者は極々少ない。
雪男と会う確率の方が高いだろう。
「……あ、ルルどうしてるかな?すっかり忘れ……なんだ?」
カノンは街が見渡せる高台にいた。そして城壁の向こうに何万という火の玉が見えたのだ。
カノンの心がざわつく。
……あれは敵か味方か……
あの量……味方とは考えにくい……
仕掛けてきたか!
「……逃げる…………いや、間に合わない!」
見回してみれば、街は包囲されていた。
……だが、何故城壁の兵士が気がつかない?
街の民は敵軍の動きが静か過ぎて気がついていない。
だが、兵士は目で見えるのに……
まさかっ!
カノンは軽く迷った末、学園に向かって走りだした。
風が耳もとでベールのように音を防ぐ。
光が、目の端で流れていく。
カノンは、ふと視線の先にバケツを見つけ、すぐさまブツブツと呪文をかける。
カノンが通り過ぎると同時に、バケツの中の水は形をなして2方向に飛んでいく。
ラザフォードとルルへの伝言だ。
ライアンを呼ぼうとしたが、彼の部下が敵の手に落ちている事を思い、止めた。
「……はぁ……はぁ……」
何回も脚が空回りしそうになる。
だが、それを懸命に動かし、一秒でも早く学園長に会おうとしている。
ポケットに手を突っ込み、ライアンからもらった魔磁カードを掲げながら城へ突入する。
「キミキミ、ちょっと待ちなさい!」
学園の制服を羽織っているので、衛兵は下手に出ているが、着てなかったら終わりだろう。
「……ライアンに警告しろ!」
鋭く言うだけでカノンは止まらない。
「え?ちょっ……キミ!」
衛兵が部屋から出てくるときにはカノンはもう2つ先の角を曲がっていた。
「……きっと魔力が集まる、最大の場所だ」
学園長室。
学園を魔力の膜で覆っているのは、恐らく学園長だろう。
つまり、それほどの魔力を発していればカノン程の手練ならばすぐわかる。
幾階段を上り、角を曲がる。
「そこだ!」
カノンが最後の角を曲がろうとすると……
ドンっ!
「……きゃぁ!」
「うわっ!」
曲がろうとした先に、少女とスーツを着た女性がいたのだ。
そのうちの少女を弾き飛ばしてしまった。
「あぁ!ごめん!
あれ……?……血のにおい?」
カノンは急いでいるに関わらず、スーツの女性の匂いに気がついた。
微妙だが……ルルの血の匂いがする。
「……え?血?」
驚いている女性。
彼女がルルに何か関わったのは確実だ。
「おい!ルルに何した?」
掴みかからん勢いで、今度は女性に歩みよる。
「……ルルさん?ルルさんを知ってるの?」
今度は少女だ。
カノンはピタリと止まり、眼光鋭く、少女を見つめる。
「私はルリ。ルルさんとはヴィオルの森で会ったの。
その後、傷だらけの大怪我で……今は医務室にいる」
「……なんだと!?」
カノンはかなり混乱している。
ソフィーですら先程、状況を理解するのにかなり手間取っていたのだ。
「……とりあえず今はそれどころじゃない!
早く学園長に会わないと!」
カノンは2人に簡単に現状を早口で説明した。
「……な、なんですって!?」
2人は異口同音に声をあげる。
その顔には恐怖がありありと浮かんでいる。
「それで……敵の数は……?」
ソフィーは青ざめながら
「3万は下らないだろう」
「さ、三万……」
だがこれも希望的観測だ。
倍近くいると思っても変わりない。
「俺は学園長に会わねばならない。あんたはラザフォードを学園長室に連れてきてくれ。
ルリと言ったか?あんたはルルを叩きお越した後、街に帰り皆に伝えろ」
「ちょっと待ちなさい。何であなたが?」
ソフィーは訳がわからないといった顔だ。
「俺には義務があるんだ。そして権利もある。
ルリ、お前にはそれがわかるな?なら行動してくれ」
ルリは覚悟を決めたように頷き走り出した。
その速度は決して速いとは言えない。
が、しかし、呪文をいくつも詠唱しながら駆けている。
赤、緑、黄色、青、様々な光を窓の向こうに放ちながらルリは角を曲がっていった。
恐らく森に警告をしたのだろう。
「……あなたは…………誰なの……?」
僅かに籠もった声がカノンを呼び止めた。
ソフィーは混乱しているようだ。展開が展開だ。無理はないが……
再び駆け出そうとしていたカノンは首だけで振り返って言った。
「……この国を守る者だよ」
最後にニヤリと笑い、疾風のごとく絵に飛び込んだ。
そこには一片の迷いもためらいもない。
「もう!わかったわよ!」
残されたソフィーもまた両手で風を呼び起こす。
そしてその中に飛び込んで消えた。
街の遠くにいた敵軍。
その中にはあるエルフがいた。
美しい顔だちは見る影もなく、頬はこけ、青白い肌はカサカサしている。
そのエルフこそ、北でカノンが助けて行方不明になったエルフだった。
――――――――――――――――
「……おや君は?」
カノンが学園長室に入ると学園長、レイスは驚きの声を上げた。
部屋をグルグルと歩き回っていたようで、考え事をしていたみたいだ。
「こんばんは、学園長。俺をご存知ですか?」
カノンは親しげに、だが礼儀正しく挨拶をした。
その冷静さは先程とは別人だ。
「残念ながら。ところで今は急用があるのじゃ。済まないがまたにしてくれ」
「こちらの方が急用だ。
学園長、いやレイス。敵の大軍が迫っている。早急な対策が必要だ」
カノンが一息に言うとレイスは面食らった。
口を開け、信じられないといった顔をしている。
「……それは本当かね?」
「あぁ、本当だ」
カノンは学園長レイスを見た瞬間に思い出した。彼はある研究で有名だったからだが、それというのは生命の魔法だ。
だがそれは今関係ない。
「……民衆を非難させ、戦える者は城壁に向かわせるべきだ」
「君は……誰なのかな?生徒ではないな……」
「んな事は今問題じゃない。軍は街の外に配備。民や子供でも強い魔力を持つ者には軍の補佐を」
カノンは有能な指揮者のように指示を飛ばす。
レイスはというと、一瞬黙った末、カノンの言う通りに軍への要請を送った。
「君を信じよう。そして……この街の戦いの指揮を任せても良いだろうか?」
レイスは戦闘自体は得意な筈だが、指揮をするのは不慣れならしい。
「……良いだろう」
コンコンっ……
ノックと同時にソフィー、ラザフォードが飛び込んでくる。
「学園長!既に城壁前に敵軍が押し寄せています!」
ソフィーは叫びながらカノンの方に向かってくる。
「ラザフォード。扱えるようになったか?」
ソフィーを無視してカノンはラザフォードに向かって話かける。
するとラザフォードは微笑んだ。
「バッチリだよ、師匠」
「ならば俺と来い。死を覚悟してな」
微笑みはすぐさま決意に満ちた顔になり、神妙に頷いた。
「レイス、敵軍を壊滅させる必要はない。
より被害が少ないように配慮するんだ」
それだけ言うと、カノンとラザフォードは扉の向こうに消えた。
――――――――――――――――
『……ルル!起きなさい!』
……ん…………うるさいですね……
『……起きなさい!ルル・アーヴィング!』
あぁ、ジュピターさんですか。
何を焦っているのです?
『起きなさい!起きなさい!』
全く……わかりましたよ……
私はこの上なく重い瞼をあけます。
あけたところで、今までの事が一気にフラッシュバックしていきます。
「……あ!」
私は飛び起きて体制を整えます。
敵は……木々の攻撃は…………あれ?
「……ルルさんっ!」
後ろから不意に声をかけられ、間合いを取りながら振り向きます。
あれ?
「……ルリさん?何でまだ森……って、あれ?」
何で?ここは……どうやら保健室のようです。
「ルルさん、ちょっと混乱していますね。とにかく気がついてくれて良かったです。
まぁともかく、今から話す事を良く聞いて下さい。手短にお話します」
ルリさんはあの優しい笑顔ではなく、何か真剣な顔をしています。
少し息が上がっていて、よっぽど急いで来たのでしょう。
……………………
…………
……
「なんですって!?」
私は気がつかないうちに学園に逃げ込み、さらに敵軍が進行していると……
「それで、カノンって人が指揮を取っていて……」
「どこですかっ?カノンはどこですか?」
たぶん間違いなくこの街で戦闘が行われるでしょう。
そうなればカノンを見つけるのは不可能です。
「……先程までは学園長の部屋へ」
学園長の部屋!行きますよ!
「……え?」
ルリさんは口をポカンと開けています。何で……
あっ!
私の翼……完璧に具現化しちゃってます。
たぶん今感情が高ぶっているせいでしょう。
緊急事態です!しょうがない!
「……ルリさん、あなたは何も見ませんでした!
では、私は行きます!」
未だ呆然としているルリさんを後目に、窓の外へ飛び立ちます。
もう消せないんですから仕方ありません。
耳元で風が唸りを上げています。
城は予想以上に大きく、王宮より大きいんではないでしょうか?
「……こ、これは!」街の周りには大量の赤い篝火。数え切れない程で、街を完全包囲しています。
そして私が今まで見たことのないような怪物。
どれもこれも今まで見てきた以上に大きく、まがまがしいです。
「……戦争が始まる…………」
旅の中と今とは戦いの重みが違い、なんとかしなければという焦りだけが広がっていきます。
「そうだっ!カノンは……」
私も魔力についてはだいぶ感じ取れるようになってきているので、粗方の位置はわかります。
街の周囲の強い邪気が邪魔していますが、城の中で強い魔力を探すのは簡単です。
「……これ……は先生ですかね?あ、こっち……も違います。
もっと透き通った力……これかな?でも2つある」
それは案外近くにあり、100メートルと離れていません。
とりあえず、行ってみましょう。
隼が滑空するように、城の一段と高い塔へと向かいます。
「あ、やっぱりカノンだ」
城の屋上に出ているカノンを発見。
最高スピードで時折翼を羽ばたきながら突っ込んでいきます。
「ん?ちょっ……おまっ!ルル!何で飛んでくんだ!」
カノンは私に気づくや怒鳴り始めました。
ちっ……誰のせいだと思ってるんですか……
まぁ、おいといて。
「……状況は?」
たったの一言でカノンの表情が変わります。
「見たと思うが敵は大軍。なるべく被害のない戦い方をする。
軍を街の外に配備し、魔力の強い奴がそれをサポートする予定だったが、敵方の動きが速すぎた。
だからなるべく城壁で食い止める作戦をとる。民は城へ逃げるよう指示してある」
……なるほど。なかなか良いですね。
ですが穴がひとつ。
「私は昼間、何者かに森で襲われました。そいつが手引きしてしまえば、城壁など……」
するとカノンは顔をしかめ、歯を噛み締めています。
「やっぱりそうか……城門の兵士からなんの連絡もないんだ。仕方がない。何としても城は死守だ」
「……ですね。私達はどうしますか?あと、そちらの方は?」
黙って敵軍を見つめている少年。
剣をゴッソリと装備しています。
「……ラザフォードだ。魔力は使えないが、気を使える。
今回の主戦力となるはずだ」
気……ですか。
確かにこの少年からは強い力を感じます。
これが気ですか……魔力とは違う、針のような鋭さがあります。
「……で、私達の役目は?」
当然この中にはラザフォード君も含まれます。
気は魔力と相反するものなので、相手の魔力を消す事が可能かもしれませんからね。
「俺は城門の内側で控えて、侵入してきた奴らを迎撃する。できたらルルもそうして欲しい。
飛ぶ事は……仕方がない。相手は飛べるかもしれないしな……
ラザフォードは城への道を塞いでくれ。戦い方は……“身体”に従え。
全て身体は知っているから心配すんな」
ドンッ……
遠くから爆発音が……
きっと城壁を破壊しようとしているのでしょう。
ですが、強い魔力が城壁にバリアを張っているみたいですね。
「……始まりましたよ、カノン。私は先に行きます。再びこのように語れる時、その喜びを“生きて”分かち合いましょう」
そう言って私は門へと滑空していきます。
あれ?そういえば服が綺麗になってる。死地に赴くならキチンとして行きたいですから良かったです。