第二十三章 傍観者
ルル達から遠く離れた岩山。
肉眼ではほとんどその姿を捉えられない場所に、その人はいた。
黒い帽子に黒い服。上着の裾の白いフリルが特徴的だ。
肌は透き通るように白く、そしてウェーブのかかった青い髪、同じく青い大きな瞳。
そんな瞳を片眼鏡が覆っている。
その驚くほど中性的な顔立ちからは何も読み取れない。
「……ふ〜ん。ユーマが死んだんだ。この戦争、どっちが勝っても楽しめそうだね」
わずかにあどけなさの残る口調だが、発せられる雰囲気は年齢を特定させない物だ。
この人物の名前は誰も知らない。
年齢も出身も性別も、全てが謎一点張りの人物だ。
だが、この世の大きな事件には、必ず現れる。
たとえ、それがどこであっても。
そしていつの頃からか、この者は人々にこう呼ばれる。
世界を回る者、“ウォーカー”と……
ウォーカーは懐から黒い手帳を引っ張り出す。
「……よいしょ。次はと……」
一瞬ピクリとウォーカーの手が止まる。
しかし視線は手帳に落としたままだ。
「……いるんだろ?ヴァンレラール」
スッと後ろの影が動き、赤い男、ヴァンレラールが現れた。
「……気づいていたのか。ウォーカー」
「当然でしょ?」
「その手帳か……」
ウォーカーの持つ黒い革張りの手帳。
この世の全ての出来事、過去から今、未来までもが記されていると言われている。
ウォーカーがペンを持つ事はない。
全ては記された歴史のレールをたどっているからだ。
「……さぁねぇ。
ところで魔将さん。何かご用?
それから、なんで殺さなかったの?」
その発言にヴァンレラールは警戒するように目を尖らせた。
「……全てはあの方のご意志だ。私には、計り知れない器の持ち主だ」
ウォーカーはスッと目に影を落とし、ついにヴァンレラールを見つめた。
「……そっか」
たった3文字に、恐怖を覚えるほどの強さが込められている。
魔将、ヴァンレラールですら、その戦慄に身をすくませた。
「……あぁ……俺が、今ここにいる理由か……警告をしに来た……あんたに……」
「警告?この僕に?」
「……あぁ、実際戦闘に巻き込まれたのは偶然だ。
警告というのは、神々について、だ」
神。
ヴァンレラールは平然と口にしたが、魔界の者はその言葉を嫌う。
シャインの者が魔王を恐れるように、魔界の者も神を恐れているのだ。
「……神々が何?」
この時ウォーカーは初めて表情を変えた。
恐怖や喜びにではなく、純粋に驚きからだ。
「……神々は復活する。あの方が復活しようとしなかろうとな。その時……いや、言わずともわかるだろう?」
ところがウォーカーはヴァンレラールの言葉に期待を裏切られたがごとく落胆した。
ウォーカーは心のどこかで望んでいたのだ。
新しい歴史を。
定められていない運命を。
変化に富んだ宿命を。
「……警告はこれだけだ。
……そうだ。これは独り言なんだが、マディスが言ってたな。カノンを殺すって……
じゃぁな……」
ヴァンレラールは影に溶けるように闇へと消えて行った。
その赤い服が見えなくなると、ウォーカーからは目に見えぬ力が発せられた。
「……カノンか。久しく聞かない名前だったな……」
発せられた力は魔力ではない。
むしろそれとは相反する存在である。
境の国では、それは“気”と言われた。
いわゆる肉体エネルギーである。
精神エネルギーである魔力とは相反する存在だ。
シャインにいる気を操れる者は五指に満たないだろう。
更に気と魔力を併用できるものは、ウォーカーを除いて恐らくたった一人しかいない。
それがカノンだ。
カノンの類い希なる力は、魔力と気を扱えてこその物だ。
カノンの生まれもったセンスがそれを可能にした。
もちろん、才能は、あるだけでは意味がない。
幼い頃からの並々ならない努力も欠く事は出来ないだろう。
ヒュー……
「……おっと」
強い風が荒野をめぐる。
そのせいで、考えに耽っていたウォーカーは危うく帽子が飛ばされそうになった。
「……今日は一段と風が強いな……
……ん?」
もう夜も深まってきている。
いつの間にか誰もいなくなってしまった荒野に、天から一筋の光が差した。
穏やかな白い光は、まっすぐに地に刺さった剣へと降り注いで、その刀身を輝かせている。
「……へぇ」
ウォーカーは、ほんの少し、目を輝かせた。
今までに見たことがない光景に、わずかな間だが心を奪われていたのだ。
「……!?」
それは音符だった。白い光の中に、赤い無数の音符が見えたのだ。
それに伴い、美しい音色が聞こえてきた。
安らぎの歌。そう名付けるのがふさわしいだろうか。
音符はゆっくりと剣へと降り注いぎ、躍動を始めた。
まるで何かを待っているかのようだ。
数秒後、大地から淡い光を放つハンドボールほどの球体が浮かび上がる。
球体は徐々に形を変え、人型になっていく。
それがユーマの姿と認識できるようになったとき、地平線から何かが走ってきた。
ヘラスだ。
ユーマの召還獣。
ヘラスは土煙を上げて真っ直ぐにユーマの光に向かって走ってくる。
その速度は、カノンの最高速度を優に超えている。
まるで大地を滑っているかのようだ。
ヘラスはついにユーマの下に来ると、ゆっくりと右足を上に振り上げた。階段を登るかのように……
見えない階段を登るヘラスは、徐々に色素を失っていく。
頭、首、前足、胴体と、光に飲み込まれ、また光の一部となっていくのだ。
ついには、ヘラスも光の玉となった。
ユーマはいつの間にか玉に姿を戻し、じゃれあうかのようにヘラスの玉の周りを旋回し始めた。
ヘラスもまた回りだしそのまま、白い光と音符の中、天へとゆっくりと登っていくのだった。
ウォーカーは最後まで見定め、光が完全に消えてからクルリと後ろを向いた。
「……やっぱり風が強いな……」
帽子を押さえて歩きだしたウォーカーは何を思うのだろうか?
その足取りは軽快で、南に向かっている。
黒革の手帳をもう一度開き、呟いた。
「……さてと、次は……」
ウォーカーの目的は誰も知らない。
ウォーカーが何者か、誰も知らない。
ウォーカ―の願いは誰も知らない。
ウォーカーの……