第二十章 敵の襲来と敵を襲来
「ふぅ、ルルは自信過剰なところがあるからな。
一回でも負けたら……
考えないことにしよう」
カノンは気絶したルルを担いでユーマ達のもとへ急いだ。
あの時、カノンが使った魔術は一つだけ。
自分の分身体を水と氷で作っただけだった。
分身体だから、攻撃されても痛くも痒くもなく、悠々とルルの後ろに周りこめたのだった。
「……だいたい、俺は水のマスターだぞ?なんで具現化すると氷になるんだよ……」
カノンのもっともな言い分である。
今回のルルの敗因を呟きながら、ふと、夕日を見つめた。
「……」
カノンはルルについて考えていた。
……あれから何もないけど、ユー爺はどう考えているんだろう……
ルルがルルでなくなったのは2回。そのどちらも、強い殺気を放ち、一度は神や魔王の技を使った。
信心深いユー爺が何かあるのではと思うのも無理はないけど……
「……ルル、お前は一体……何者なんだ……?」
カノンの呟きは、夕日と共に闇へとのまれていく。
「……遅かったの」
ユー爺は岩陰のエルフの面倒をみていたようだ。
あれから一向に目を覚まさないエルフに、カノンはルルを重ねていた。
ユーマはルルをチラッとみるとカノンに言った。
「……カノン、ルル様にちゃんと教えなさい。
……我流は、滅びへと繋がる」
「……だが、時間がないんだ。
今この瞬間にも、この国は蝕まれている。
人が死んでいる。
ルルには即戦力となってもらわなければ……」
「……死んでしまっては意味がないじゃろう?」
先ほどのカノンはユーマを疑った。
ユーマがルルを信じなくなったのかと思っていた。
だが、カノンは気づいた。
自分がユーマを信じていなかったんだと……
「……さて、晩ご飯にしようかの……
……これ、ムーン!」
ユーマは井戸の中をのぞき込んで、大声を出した。
「……ニャ!?」
ムーンの声が反響しながら帰ってくる。
……井戸の中にいるのか?
ユーマは井戸の縄を引っ張り、バケツを引き上げている。
「……?」
カノンがユーマに何をやっているんだ、と聞こうとした時、バケツに入ったムーンが井戸から引き上げられた。
「……バカやってないで飯にするぞ」
カノンは呆れたような声を出した。
「早く作るんじゃぁ!」
「早く作るニャ〜!」
2つのバカデカい胃袋に少々落ち込みながらも、カノンはインスタントウィザードを数本、馬の背から取り出した。
中身を小分けにできるので、ある程度調理してから入れ、調理してから入れを繰り返している。
今日は火が使えないので、これらを活用するようだ。
「……じゃぁ今日は……」
……ピーン……
「……っ!」
……な……んだ?
カノンの手から、インスタントウィザードが滑り落ちてしまった。
なぜなら、言いようがない恐怖がカノンを襲っていたからである。
ユーマやムーンも目を見開き、冷や汗が流れ落ち、ガタガタと震えてしまっている。
ゴソッ……
カノン達が恐怖に怯えているとき、今まで目を覚まさなかったエルフが、人知れず起き上がっていた。
カノン達は気づかない。
彼女が恐ろしい殺気を放っているのに……
なぜなら彼女の殺意の矛先はカノン達ではなく、他の者たちにむかっていたからだ。
彼女はボロのような布を纏っているにも関わらず美しかった。
しかし彼女の美しさは、彼女が放った一言で三割減となる。
「……コロシテヤル」
唸るような言葉も、周りを取り巻く冷たい風にかき消されていた。
カノン達の前に現れたもの、それは体長20メートルは下るまい、巨大な大蛇だった。
全身を硬い、赤いウロコで覆われ、目は恐ろしく凶暴、さらには鋭い牙を持っている。
風の間にシューシューという音と、ズルズルっという蛇が動いている音が混ざる。
「……ニンゲン……ホロボス……」
片言の言語だが、恐怖を与えるには十分すぎた。
蛇に睨まれた蛙よろしく、カノン達は身動きがとれない。
ほんの僅か開いた大蛇の口から、体液が垂れる。
その下にあった岩は、煙をあげながら一瞬で溶け去った。
大蛇は、その巨体からは想像できないほど、素早いスピードで突っ込んで来る。
その速度のなか、大蛇は口を開いた。
「……マジかよ」
カノンがそうこぼしたのも無理はない。
大蛇の口の中には赤い光が集まり始めている。
光の玉は徐々に大きくなり、大蛇も突進してくるのだ。
誰だってこう言うだろう。
「……静かで、恩寵の豊かな大地よ。自然の象徴であり、我が力の源よ。
今、一度の破壊の御力を。我に仇なす敵を倒す力を……」
ユーマの動きは早かった。
冷静に呪文を唱え、魔具である指輪を地面にあてる。
すると地面に黄色の陣が組まれていく。
だが、次の瞬間、大蛇の口から赤い光が放たれた。
それは炎が超高圧縮されたもので、真っ直ぐにカノン、ユーマを狙ったものだった。
「……その力、今こそ示せ!“アース・エクスプロージョン”」
ようやくユーマの詠唱が完成する。
陣の光が強くなり、地面が大蛇に向かって爆発していく。
まるで地面の中を、巨大な生き物が走るように……
そして爆発と光が交わった、その瞬間、一帯から音が消え、赤と黄の光だけが支配した。
爆発による粉塵も消え去ると、カノン達も徐々に周りが見えてくる。
カノン達を中心に瓦礫が積み上がり、先程とは打って変わって悲惨な状況だった。
後ろにあった井戸は、もはや原型を留めていない。
「……!?」
「……どこニャ?」
一同は揃って驚きを隠しきれない。
今まで目の前に迫っていた敵は、大蛇はいなくなっていたのだ。
カノンは急いで周囲を見回すが、姿はどこにもない。
「……あの程度でやれたとは思えない」
「……確かに。
カノン、ルル様とエルフを連れ、離れるぞ」
「そうだ!ルル!」
ルルは無事だった。
敵の攻撃の間際、カノンはアイス・シェルを唱えたからだ。
だが、極めて危ない状況だったのには違いない。
アイス・シェルはドーム状にルルを覆っていたが、大半は溶け去っている。
それだけ大蛇の炎は強大だったのだ。
「……よかっ」
ドガン!
カノンがルルに駆け寄った瞬間、後ろの瓦礫が吹き飛ばされる。
その砂煙から姿を露わににしたのは、血にまみれた大蛇だった。
「……シ……」
大蛇の目は、先程より獰猛になっている。
「……“アイス・シェル”」
カノンは後ろで気絶しているルルに、アイスシェルをかけ直した。
……やばい、死ぬかも……
カノンは自嘲するような笑みを浮かべる。
敵は間違いなく魔界のモンスター。
それもかなり高位のものだろう。
蛇は本来、水を司るもの。
しかしこの大蛇は属性的には、正反対の炎を扱っている。
相反する属性を使うには、それなりに高いレベルが求められる。
これらから、だいたいのレベルがわかるのだ。
カノンなどは、誰に教わるでもなく、これを経験から学んでいる。
「……カノン、ここは退くぞ!」
ユーマは馬に乗ろうかというところだ。
「……ユー爺、ルルを連れて先に行ってくれ」
「……なんじゃと?」
「エルフは?第一、こいつの速さならすぐに追いつかれる」
そう、カノンが考えていたのはエルフの事だ。
エルフを見つけた途端に敵が、それもかなり高位のものが現れた。
第一、エルフを見つけた時、周りにはオーク“しか”いなかったのだ。
オークが数十匹位だったら、エルフに傷つけることすらできないだろう。
つまり、他に誰かがいたのだ。
エルフをも倒せる誰かが……
「……我、水の契約者なり。我が名の下に宝具の召還を許可する。呼び掛けに応えよ、アイス・インペリオ!」
カノンが右手を前に突き出すと、そこにキラキラとした光が集まって来る。
その光の数は徐々に増えていき、形を成していく。
遂には淡い青の光を放つ、クレイモアになった。
カノンが以前、ダークエルフと対峙した時に呼び出したものと同じ物だ。
名をアイスインペリオ。
水のマスターのみが扱えるという伝説の武器。
水を操り、水を支配するカノンにのみ使用を許された武器だ。
輝いて見えるのは、剣がとんでもなく冷たく、剣の周りの水蒸気を瞬間冷却しているからだ。
普通の者が持てば全身の血が凍りつき、斬られれば、その事にすら気がつかない。
カノンはアイスインペリオを構えると、大蛇を真っ直ぐに見定めた。
「……コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス……」
大蛇は麻薬中毒者のように、精神を錯乱しているのだろうか、同じ言葉を繰り返し続けた。
……明らかに様子がおかしい。
ここにきて、ようやくカノンも気づいたようだ。
……魔界の魔物とはいえ、高位になればなるほど通常は知性が発達するものだ。
レベルでいうと、この大蛇はダークエルフの上、竜人の下位だろう。
そんな地位にあるものが……
「……おい!蛇の王よ!
お前は何者だ?」
……変な質問って事はわかってる。
ただ、今は情報が欲しいんだ。
どんな些細な事でも良いから、何故大蛇はこうなったのか、何故我々を襲うのか。
少なくとも、まだ、俺らがルル様御一行だとは気づかれてないはずなのに……
「……オウ?……ワタシガ、オウ?
……シャァアァアァァァ!」
一瞬理性を取り戻したかと思ったが、それもつかの間、今度は音ではなく、映像が頭の中に押し寄せてくる。
それは、酷いモノだった。
元は闇の蛇王、バナス。
誰よりも敵を倒す事を生きがいとし、先頭に立って戦った。
しかし、その戦いには美学すら感じられ、卑怯な手段、不意打ち等は決して使わなかった。
部下の者には優しく、時に厳しく、王の鏡のような存在だった。
そう、一週間前までは……
影がバナスに近づく。
その影はバナスに、強力な暗示をかけた。
“お前の部下、家族、仲間は全て人間に殺された”と……
堕ちたのはそこからだ。
バナスはシャインに来ると、手当たり次第に惨殺を始めた。
以前のように正攻法ではなく、殺せるならどんな汚い手も使った。
……次第に理性を失い、極度の被害妄想にみまわれたって事らしい。
カノンの、恐らくユーマの頭にも情報がなだれ込んで来る。
「……っ!」
ユーマは声を上げずにうずくまった。
頭がその情報量に追いつかなかったんだろう。
流石のユーマも歳には勝てないようだ。
ユーマは頭を抱え込み、狂ったようにのた打ちまわっている。
「ユ、ユー爺……」
カノンの頭の中は、まだ情報でいっぱいだったが、自我は保たれていた。
「……シューシュー……」
ハッとカノンは我に返った。
気がつくと、本の5メートル先には、ダラダラと酸の体液を垂らしながら、バナスが口を開けている。
「……」
カノンにとっては、心情的に一番やりにくい相手だろう。
次期王になるものとしては、このバナスの気持ちは痛いほどよくわかる。
……なんら変わりはないんだな……
カノンは今までは、敵は殺す、生かさない、の2言だった。
相手に慈悲をかければ裏切られる。
生かしてかえせば、敵側に情報を与える事になる。
そういう訳で、カノンはいつも敵と見たら一片の慈悲もなく切り捨ててきた。
昔から、この旅でも、そしてきっとこれからも……
「……すまない」
ユーマは耳を疑った。
いや、消えゆく自我の中での、幻聴だったのかもしれない。
カノンが敵に謝るなんて……
「……シュー、シュー」
バナスはもう戻れないだろう。
麻薬のように、一度その道に入ったら絶対に抜けられない。
殺るか殺られるかの修羅の世界。
カノンはバナスが哀れに思えた。
自分に似ていたから、そして、彼が真の王だったから。
「……シャー!」
カノンはアイスインペリオを下げ、うつむいている。
そこには、バナスへの憐れみ、そして彼を騙した奴への怒りが渦を巻いている。
バナスはカノンが剣を下ろしたのを見ると、口を大きく開け、赤い光をため始める。
「……俺の左腕をやるよ」
カノンは突然呟いた。
今にも殺されそうな者の発言にしてはおかしな事だ。
「……う……ぅ……あ……」
ユーマは何か言いたげに動いたが、立ち上がることすら出来ない。
「……いいんだ。俺には俺なりの考えがあるから……
“全知全能の神、ユピテルよ。
我が力の源、ウンディーネよ。
水の神、オルカよ。
我が左腕に哀れなる蛇の王、バナスを。
そして我と共に歩むべき運命を授けたまえ……」
呪文を唱えるというより、慈しみの言葉をかけるようにゆっくりと紡ぎ出された言葉は、空気に染み渡るようだった。
そしてバナスにゆっくりと近づくと、左手をその額にあてる。
バナスは身をよじったが、嫌がっている素振りはない。
むしろ、じゃれている雰囲気さえある。
今までとは全く違う目だ。
「……俺が、お前を受け止める。
お前が誰かを殺そうとするときは俺が止める。
お前を殺すのは惜しいんだ。
お前は真の王だから。
それに、お前は被害者だからな……」
「……シュー」
バナスからくぐもった声が漏れ、そして静かに目を閉じた。
カノンの左の掌、バナスに触れている部分から淡い光がこぼれる。
その光は徐々に強く、大きくなっていき、カノンとバナスは光の玉に包まれた。
「……ル……ラ……ル……ル……ラ……ル……」
ユーマはようやく意識を取り戻した。
美しい歌声を聴いた気がしたからだ。
「……この歌は……
カノン!カノン!どこじゃ!」
周囲を見回すユーマの目に、光の玉が写る。
「……カノン……」
ユーマはこの呪文を知っていた。
古より伝わる呪文。
かつて愛する者を失った者が、その魂を自らに憑依させた事に端を発し、今では自分の肉体に他人を住まわせるまでに発展した。
だが、ここでも属性が関係してくる。
同属性でないと、良くて意識不明、悪くて肉体崩壊になるのだ。
今回の場合は水属性の蛇と水のマスターで相性はいい。
だが、根本的にカノンは光の国に属し、バナスは闇の魔界の者だ。
今までに例がないために、どうなるのかは誰にも、カノンですらわからない。
よほどバナスを救い出したかったのだろう。
「……主よ、カノンをお守り下さい……」
今のユーマには、ただただカノンの無事を祈るしかなかった。
そして、自分の無力さを呪った。
「……ん」
光の玉から少し離れて、アイスシェルの中。
カノンに気絶させられていたルルがようやく目を覚ました。
「……あっ」
ここはどこでしょう?真っ暗ですね……
「……そうだ!カノっ……!
ふぎゃぁぁぁ!」
飛び起きた私の頭にゴっ……という音とともに鈍い衝撃が走ります。
レンガの壁に頭突きしたより痛いです……
そして自分の叫び声が響き、一種の拷問のようです。
「……岩……ですかね?」
目に涙を浮かべながら、おずおずと、その犯罪的に堅い屋根を触ってみます。
……ピトっ……
ピシッ……
「……ふぎゃぁぁぁ!」
触れた瞬間、手が凍りつきました。
痛いんです……離れないんです、岩から……
……岩?
氷?
カァノォ〜ン!
全てはカノンの仕業ですね!
成敗して差し上げますよ!
「……風よ、纏いて敵を打て!風よ、集いて敵を打て!」
私の右手から風弾が、左手から風矢が放たれます。
まぁ放たれるとは名ばかりで、ほとんどゼロ距離衝撃波ですがね。
ドンッ……
風矢によって傷つけられた氷。そこに風弾がぶつかり、氷は粉々に壊されます。
む、もう夜ですか……
赤い月が夜空に登り、満天の星空が私を迎えてくれます。
チカッ……
むむ?
目の端で何かが煌々と光っています。
何でしょう?光の玉?
私は立ち上がると、服についた砂を払い、玉へと近づきます。
「なんだ、ユー爺もいるんじゃないですか」
玉の側では、ユー爺が跪いて祈りを捧げているようです。
あの玉は何かの魔法なんでしょうか?
強い魔力を感じますね。懐かしい感じの……
「……ルル」
「……あっ、ムーン。いたんですね」
足下にムーンがちょこんと座っています。
もういい加減驚きませんが……
「……大事な話しがあるニャ。カノンの事ニャ」
ん?どうしたんでしょう?
ムーンがいつにも増して真剣な表情です。
「……なんですか?」
「……ニャ。
……
………
……」
「……えっ?」
……カノン、なんて危ない事を……
ムーンによると、私が気絶している間に大蛇が襲ってきて、なんだかんだで大蛇の魂を左腕に閉じ込めるらしいです。
閉じ込めると言っても、蛇に自我は与えられ、カノンがそれを暴走しないように抑える事になるんだそうです。
言うなれば、アパートの大家さんですね。
大蛇は体を失うというリスクを、カノンは逆に何らかの影響を受けます。
相性が良ければ影響は少ないですが、今回はかなり悪いらしいので、カノンの命の保証はないと……
こうしている間にも、光はどんどん強く、大きくなっていきます。
「……過去に行われた生体封印術での最たる例は、ルルのご先祖様ニャ」
「……どういう……こと……ですか?」
話の展開に全くついていけません。
「……なんでルルは属性を2つ持ってるニャ?」
「は?そ、それは私が賢者の末裔だか……ら?」
「……じゃぁなんで賢者は属性を2つ持ってるニャ?」
えっ……
ようやく私の頭も追いついてきます。
つまり……
え〜と……
「……生体封印をしたから……ですか?」
ムーンはその通りと言わんばかりに深く頷き、説明してくれます。
「……アーヴィング家を始めとする賢者の祖先は、生体封印を行ったのニャ。
そのときの相手との相性は、属性は違えども、悪くはなかったらしいニャ。
で、彼等が受けた影響は、子孫に相手の属性を付加させる、だったのニャ。
これはハンパじゃないニャ。時間は複雑なのニャ。
これはまだ、いい影響だったから良かったけれど……」
途中はよくわからないので、すっ飛ばしても、最後は容易に理解できてしまいました。
つまり、何が起こってもおかしくないと……
カノン……
今や光は近くにいるユー爺のすぐ前にまで巨大化し、闇夜を昼以上に明るくしています。
先ほどまで気づかなかったのですが、玉の中から、歌が聞こえてきます。
静かで自然を讃美し、安らぎを与える歌。
聴いているだけで癒され、ボーっとしてしまいそうです。
「……そろそろ終わるニャ。鬼がでるか、蛇がでるか……」
なぜムーンはこんなに詳しいんでしょうか?
それに酷い言い方です。
蛇に決まってるじゃないですか。蛇と合体してるんですから……
私が余計な事を考える隙を与えないがごとく、光と歌は一層強まります。
空気まで振動しているようです。
もはや、直視できません。
「……ちょっ」
目が焼けるかという光に、ついに目を手で覆います。
爆発したかと思う程の光を放っているのが、瞼と手を貫いて目に入ってきました。
しかし、一瞬の後に光は消え失せ、歌も終わりました。
恐る恐る目を開け、指の隙間からカノンを伺います。
暗闇に目が慣れると、そこには、カノン“だった”人が倒れていました。
「……カノン!」
私はカノンに駆け寄ります。
遠目に見て、身長など、体格は変化がありません。
ですが近づくにつれて、徐々にカノンに与えられた影響を目の当たりにしたのです。
左腕にはウロコが肌を覆い尽くし、真っ赤なイレズミがほられています。
爪は伸びて見た目にも固く、鋭い爪に変化しています。
ザッ……
カノンは立ち上がると、ゆっくり目を開け、息を吐き出します。
「……ふぅー……」
瞳は蛇のように細くなり、色が綺麗な青から、濃い紫色に変化しています。
「……カノン!大丈夫なんですか!?」
「あぁ、神に祈りが通じたよ」
カノンは皮肉るように言い、ニヤリとしました。
「……良かった……本当に良かった……」
ユー爺はカノンのそばでうずくまり、嬉し涙に頬を濡らしています。
「……あのさ、俺やることが出来たんだ」
カノンは自分の左手を見ながら言いました。
「……バナスをこんな目にあわせた奴を……滅ぼす……」
「……と、いう訳で、今からちょっと行ってくるから」
ちょっと買い忘れがあったから行ってくるね的な雰囲気でサラッと言いました。
そのまま手をヒラヒラと振って、何故か瓦礫の山になっている、道無き道をカノンは進んでいきます。
「……えっ、あっ、ちょっとカノン!」
私が慌てて追いかけると、少し遅れてユー爺も駆けてきます。
敵の拠点にわざわざ出向かなくても……
なるべく音を立てないように走りながら私は剣を装備して、呪符に魔法を込めます。
呪符には一枚につき一つしか魔法は入れられないし、いちいち出すより詠唱した方が速いという理屈から、あまり皆さんは使わないそうです。
確かに面倒くさいです。いちいち魔力を込めながら陣を書くのは。
ですから、私は一枚だけ、緊急事態用の魔法を込めたのです。
……それより……
「……カノン、先から進んでますけど、相手の居場所はわかってるんですか?」
「……あぁ。蛇には熱を感知する能力があるらしいんだ。この先2キロに、ごっそりいるぞ」
……信用ならないですね。もしそうなら、カノンは人間サーモグラフィーですから。
あっ、サーモグラフィーっていうのは、熱をカメラに写すことができる機械です。境の国にはありました。
「……ちょっと見てきます」
私はカノンが信用ならなすぎるので、自分の目で確かめます。
下から見て見えないなら、上から見ればいいのです。
……ギュゥ……
翼を広げるのは久しぶりなので、最初に目一杯伸ばします。
準備運動は基本ですよ?
「……あぁ、ちょっと待て」
いざ飛ぼうした時に呼び止めるんですから、カノンはやはりバカです。
「む?何ですか?」
「……お前の翼は目立つ。色変えてやるからちょっと待て」
……む、一理ありますね。
私の翼は金色で、動く度にキラキラと魔力が鱗粉のように撒き散らされるのでかなり目立ちます。
暗い夜空を飛んでいたら、すぐにバレてしまいますね……
カノンに諭されるとは……
「……お願いします」
カノンがボソボソ呟くと、私の金色の翼が真っ黒に……
これではまるで……
「……悪魔じゃないですか!」
真っ黒の翼。もう誰がどう見ても、天使とは言えないでしょう。
あぁ、言えますね。
堕天使って……
ムスッと顔をしかめながら、空へと踏み出します。
バサッ、バサッと羽ばたく音が、予想以上に大きく聞こえ、敵さんに見つからないかが心配ですが……
ある程度高くまで上ると……
いました!
そこだけ明るい光、恐らくは焚き火の炎が見えます。
真っ暗闇の大地に光る点があれば、一瞬で見つかりますね。
私達も気をつけないとですね……
さて、さっさと降りなければ……
私が下降を開始すると、ユー爺がカノンにやっと追いつき、何やら話しこんでいます。
ボソボソとしか聞こえませんが、近づくに連れ、だんだんハッキリしてきます。
「……スを俺の召還獣……した……だ。だか……俺への影……は限り……く軽減した……」
私がすぐ上にいる事に気づくと、カノンはニヤリと笑って黙り、早くいくぞと言わんばかりに歩き始めました。
ユー爺は、ホッとしたような、残念なような、よくわからない表情で私を見つめています。
私が見ているのに気づくと、ゴニョゴニョと聞き取れない程小さい声で言い訳をし、カノンを追いかけて行きます。
……まったく……なんなんですか……?
それに私を置いてきぼりにするとは良い度胸ですね。
すぐに追いついて……
……ッマ、マズいです!すっかり見失いました!
どこにいるんでしょう?
確かこっち……いや、あっちですかね?
あ、でも、そっちって事も考えられますね。
まさかまた迷子になるとは……
こんな大事な時に……
はぁ……
つくづく自分がダメ子になった気分です。
ダ〜メ子、ダメ子、ダ〜メ子……
頭の中に変な歌まで流れてきます。
私は、もうヤケだと踊ろうとした時……
ドンっ!
「……ギャァ!」
あ、あっちから叫び声が……
先ほどのドンっは、何かが飛び出てきたような感じの音です。
地震まで起きたように感じられるのは、気のせいじゃないでしょう。
それと未だ聞こえる叫び声。
良かった、まだカノンは生きてます。死んでたら、声は上がりませんからね。
ですが、ユー爺も含めて2人で挑むなんて危険極まりないです。
いつ死んでもおかしくない状況に、なんとか急ごうと、私は無意識のうちに飛び上がっていました。
あっ……最初から飛べばすぐに見つけられたのに……
近づくに連れ、叫び声が大きくなっていきます。
時折爆発音や何かが風を切る音、金属が合わさる音などが合わさり、ほとんど耳は機能しません。
あの中心部では鼓膜が破れるでしょう……
「……おやぁ、お嬢さん、こんな所にいちゃいけないよ?」
ハッと後ろを振り向くと、血だらけの、翼が生えた豚の怪物が、ニタニタと……
その数、10数体。
怪物のガサガサ肌には、打ち砕かれ、尖った石の破片が刺さり、血が垂れています。
ただでさえボロボロの服が、見るも無惨にチリチリとくすぶっていて、煙を体全体から上げています。
歯も数本、変な方向に曲がり非常に醜いですよ。
私は怪物を見回した後、ただ一言、こう言いました。
「……歯並び悪いと幸せになれませんよ?」
「死ねぇ!」
やはり短気な性格は損をしますね。
怪物の半数は揃いも揃って、持っていた槍、鎌、鉄球を投げてきます。
私は軽く上昇して避けると2、3メートル下を武器の御一行が通っていきます。
そして数秒後、当然、万有引力の法則により……
「……ギャァアァ!」
下に群がり始めていた飛べない怪物さんにクリーンヒットです。
……痛そうですね〜あ、あの人、鎌刺さっちゃってます。
痛いですねぇ……
「……お前、絶対許さねぇ!」
え……?
気づくとすぐ後ろにワニのような怪物が、剣を振り上げています。
ザンッ……
刃は私の翼をスパッと切断。
そのときカノンの魔法が切れ、黒い翼から元の金色の翼になってしまいました。
「……あっ!」
片翼になった私はクルクルと木の葉が落ちるように地面へと……
髪は逆立ち、ゴォーっという風が流れる音が耳を覆い、下の爆音が聞こえなくなります。
「……え……ちょっ!」
目の端に光を捉えて振り向くと、翼の根元から金色の粒子が流れ落ちています。
この粒……これは……魔力?
……あ……れ……?
……なん……か……
……力……が……?
“……ムルアヤリス!”
……え?
“念じろ!”
突然頭の中が光で満たされ、時間が止まったように感じられました。
一秒が何十倍にも引き伸ばされ、すべての動きがゆっくりと動いています。
何?何が行っているんですか?
“種を探せ!”
声が頭に響きます。
ですが……あなたは……誰?
“……ジュピター”
ジュピターと名乗った声が私を安心させ、徐々に魔力や力が戻っていくのを感じました。
魔力が体全体に行き渡るのが感じられると同時に、粒子となった翼は急速に背中に集まり、形を成していきます。
ですが……間に合いません!
このスピードで集まっても、完全に集まりきるには時間がかかるでしょう。
しかし、地面はすぐそこ……
考えなさい、ルル!死なないように考えなさい!
迷ってる暇はありません。
考えるのです。
今は一秒ごとに死への階段を駆け上がっているんですから……
風が耳元を通過する音が一定です。
落下する速度が上がらないのは、翼が出来上がりかけているからでしょう。
……ん?
……風?
これです!
「……ウィンドカーテン!」
ビュゥー!
突如目の前に突風が吹き荒れ、落下時間が大幅にダウンします。
これを逃す手はありません。
「……んっ……くぅっ……!」
私は全身全霊を込めて魔力を練り上げ、翼へと集めます。
そして翼は、地面に降り立った時には、以前の翼の2倍の大きさになっていたのです。
ウィンドカーテンは私がカノンと戦った時に学んだ魔法。
先ほどカードに込めたのはこの魔法です。
あの時、マントの内側に入れておいたので、魔力を練り上げるだけでその効果が発揮されたのです。
防御用に持っておいたんですが、まさかこんな風に使うとは……
ヒュン!
ドサッ……
風を切る音と共に、手斧が回転しながら降ってきました。
その手斧は私の前髪を数本奪い取っただけですみましたが……
キッ、と空を睨むと、そこにはさっきよりも多くの怪物達がひしめいています。
その内の一体が私に手斧を投げつけたのでしょう。
「……風よ、纏て敵を打て!」
試しに風弾を数発放ってみますが、距離が開きすぎていて、全て余裕でかわされてしまいます。
「……ヒャヒャヒャヒャ」
私の攻撃が意味をなさないと気づくと、怪物達は一様に嘲笑い始めます。
ガキィン、ガキィン……
「……ギャァ!」
後ろでは、カノンが長い爪を持った、虎のような敵達と打ち合っています。
動きが速すぎて完全にはわかりませんが、カノンは5対1で戦っているようです。
敵は私が今まで見てきた敵の中で一番速いです。ところがカノンはそれらと互角以上の戦いをしているのです。
右に薙払ったかと思うと、何故か後ろにいる敵が吹き飛び、下段から切り上げると左右の敵がのけぞり、右斜めから切り下げると、一瞬遅れて手前の敵の剣が弾かれます。
あまりの速さにカノンが霞んで見える程です。
下手に助けようとしたら逆に足手まといになるでしょう。
「……ハァ!」
カノンの気合いを入れた突きが一体の腹部を深々と貫通。
剣を伝ってポタポタと赤い血が垂れていきます。
「……グフッ……」
刺された敵は不敵に笑うとカノンの腕を両手で掴み、引き寄せます。
その口からは血の泡がたち、カノンの髪を赤く染めていきます。
「……くっ!」
「今だ!殺れぇ!」
周りにいた敵が一斉にカノンに武器をガチャガチャと鳴らしながら近寄ります。
私が詠唱しても間に合いません!
ところがカノンはニヤリと口元を吊り上げると、聞こえないほど小さな声で言いました。
「……唸れ、赤き水の守り神よ」
敵が、時間が止まりました。
いえ、適切な表現じゃありませんね。
私が見ていたもの、それが残像だと気づかされた時には、赤い光とシュンっという音が消える瞬間でした。
それから数秒して熱波が広がり、ようやく時間が動き始めたようでした。
カノンの周りの地面に巨大な穴がいくつも空いていますね。
それがちょうど敵がいた所だと気づく頃には、カノンはもう他の相手と剣を交えています。
先ほどカノンが刺した相手は消し炭すら残らずに消滅したのでしょう……
ピクッ……
ヒュン!
「……あ、危ないじゃないですか!」
後ろからの気配に気づき、伏せると、取り残された髪がパラパラと落ちていきます。
どうやら弓で狙われたようです。
トトッ……
トトトトッ……
伏せるのは失敗でした。
私が動きにくい事を良いことに次々と矢が飛んできます。
それも全て急所を狙っているんでしょう。
胸の位置やら、頭やらの近くばかり……
「……バカですねぇ……まったく……」
「……まずは四肢を潰し、動けなくしてから急所を狙わないと……
特に、相手が魔法を使えるなら……」
私の魔法が届かないなら、風で遅いなら……光です!
私は立ち上がり、集中します。
「……もらったぁ!」
「うるさい!」
「ギャッ……」
人が集中しようという時に。
私は後ろから大きな牙を持った蜥蜴男が、噛みつこうとしてくるのを、振り返らずに二剣を逆手に抜き、そのまま手を後ろにひきます。
ザクッという手応えと、一瞬の重みを感じ、すぐに剣を鞘に戻します。
私は光を発動するために、ベルトで揺れているプレートの紐を引きちぎり、プレートを握りしめます。
「……そういえば……風矢にしても光矢にしても、弓が無いのになんでとぶんですかねぇ?」
まぁいいですが……
準備万端。
さぁ、いきますよ!
やられてばっかのルルさんじゃないです!
「……光よ!自らの魂の光よ!自らの肉体の光よ!自らの魔力の光よ!
我、汝の力を欲さんとする者。
我、汝の力を操る者。
解き放ち給え。我らが力を!」
む?
……むむ!?
なんか……いえ、やっぱり!
プレートがデカくなってます。
もう私の身の長程です。
形は……そう、杖!
銀色の魔法の杖です。
腕にしっかりと馴染み、長年使い込んでいる愛用品のようで、手に吸いつく感じです。
先程の呪文のせいでしょうか?
あれは……なんていうか……その……勝手に口走ったもので、どういう効果なのか全くわからないんです。
でも杖なんだから、魔法が使える……筈ですよね。
いや、使えなきゃ困りますよ……
明らかに使えなきゃ邪魔ですもん……
え〜ぃ!こうなりゃヤケです!
私は左手に杖を、右手に剣を構え、短い呪文を叫びました。
「……光よ、集い収束せよ!」
は、速っ!
この呪文は光の粒子を一点に集めるというもの。
呪文は簡単で魔力も少なくて済みますが、恐ろしく時間がかかるんです。
2〜30秒はそれ以外の魔法は使えなくなります。
ところが、ものの2秒で光の粒子は私の前に集まり、激しく輝いています。
「……光蝶、バタフリィ!」
唱えるとほぼ同時に、光から無数の蝶が飛び立ち、一心に大軍に突っ込みます。
ある蝶はマリンブルー。ある蝶はライムグリーン。またある蝶はワインレッドの輝きを放ち、数多の敵を次々と地面に落としていきます。
蝶には眠りの力が備わっているので、私は何もせずとも、どんどん敵は崩れていきます。
もちろん、蝶を倒そうとしてくる輩もいますが、ひらりひらりと舞い、蝶に届く攻撃は殆どありません。
……剣抜いて損しましたね。
この杖だけで十分です。
「……でぇやぁっ!」
ブンッ……
うわっ!
あ、危ない……
蝶を倒すより術者である私を倒す方が楽だと考えたのでしょう。
まだ元気爆発血気盛んな連中は、揃いも揃って鎌やら斧やら棍棒やらを持って、ギラギラした目で向かってきます。
「……風よ、纏いて敵をうて!」
ドンッ、ドンッ……
あれだけの数で真っ直ぐ向かってくるならば、どんなに簡単な魔法でも避けられないでしょう。
現に、見事に2体の胸に命中し、そのまま頭から落ちていきます。
私は杖を手放し二刀を抜きます。
接近戦では長い杖は不利ですから。
翼をたたみ、腰を落として敵を迎え打ちます。
敵の落下するビュォっという風切り音と共に砂煙が舞い、視界を一層悪くさせます。
ズザザザザッ!
剣を私に向けながら突っ込んできた最初の一体を右で切り上げ、右脇からきた敵を左で突きます。
血が吹き出し、気持ちの良いものではありません。
格好良くもありません。
生きるか死ぬか。一瞬の躊躇いが自らの死を招きます。
これが戦争です。
「うらぁ!」
シュン!
スパッ……
「……っ!」
左から一体が鋭い爪を繰り出してきて、それが私の左肩を切り裂きます。
痛みで思わずうずくまると、じんわりと左肩が温かく感じられます。
手で触れてみると、手はすぐに真っ赤に染まり、ツーっと手首に垂れていくのです。
すぐに手で抑えたので吹き出しはしませんでしたが服に血が染み込んでいくのが感じられます。
そしてその魔物は私の血を見て興奮したのか、狂ったように笑い始めました。
肩を裂かれたせいで剣を取り落とし、今は丸腰です。
「……カカカカッ!」
勝ちを確信したのか、周りの怪物たちも私を見下しながら笑っています。
「……もう降参か?逃げたきゃ逃げてもいいんだぞ?
逃げられたらな。ハハッ!」
しゃがみこんだせいで周囲は全て囲まれ、突破は……無理ですね……
……終わり……ですか……ね……
私は諦めて目を閉じ、神に祈ろうとしました。
カノンやユー爺、そしてムーンだけは死なないで生きて欲しいと……
あれ?
気づくと、あれだけ騒いでいた怪物たちの声が聞こえなくなっています。
薄く目を開けると、私は、暗い荒野ではなく、どこまでも続く草原に一人、佇んでいました。
空には入道雲が浮かび、時折吹く風が草を揺らしています。
む?これは……
私の真後ろには5メートルはあろうかという巨大な砂時計がゆっくりと砂を落としています。
……死んだんですかね?
じゃぁここは天国?
こんな所に来れたら、死んでても良いですね……
私は生まれて初めて、真の安らぎを与えられた気がしました。




