序章 『選定の剣』
アーネリア王国にはひとつの伝説がある。
国の名前の元になった聖剣を振るい、魔の脅威を切り払った英雄の伝説である。
「次の者、前へ」
騎士の声に従い、人の列が一歩前に進む。
ここは王都アーネリアスの建国記念公園にある聖廟、普段は厳重な魔術結界に守られた一角。
その神聖な場所に僕と同じ年齢の若者達が列を為していた。王国で成人を迎えた者が受ける儀式の順番を待っているのだ。
儀式の名は『選定の剣』。
順番を待つ間の暇つぶしに聖廟の石碑を読んだところ、建国王アーネリア1世はかつて聖岩に突き立った剣を引き抜き、聖剣の主となる事で勇者と認められ、魔王を倒す偉業を為したらしい。
そうして平和の世に王様となった彼は自らを導いた聖剣を再び岩へと突き立て、王国の守り神として奉った経緯が刻まれていた。
「次の者、前へ」
そう、聖剣アーネリアは建国記念公園の聖廟に現存し、建国王が引き抜く前と変わらぬ姿、聖岩に突き立てられた形で残されていた。
そして王の偉業に倣い、成人時に聖剣を引き抜けるか試すのが『選定の剣』の儀式である。
剣に認められない限りどんな力自慢でも引き抜けないとされる儀式、参加者の大半が聖廟の見学で終わる儀式だ。
「次の者、前へ」
御触れによると儀式で抜剣の偉業を為した者は『王族格』としてお城に召し上げられる、らしい。
「要するに玉の輿って事だよ、ブロウ」
「スティーブ、声が大きいって」
僕の前で列に並んでいるのが同じ村出身のスティーブ。僕が持つ『選定の剣』の知識は大半が彼の受け売りだ。
剣を引き抜く事が出来ればお城に招かれる、確かに玉の輿っぽくはあるけど。
「そんな事できた人いるの?」
「バッカ、お前、王国ン百年の歴史で建国王以外にも『抜剣者』は3人いったっての!」
それは知らなかった。
「一人は確か騎士に取り立てられて、一人は王族の姫さんを嫁にしたって話だぞ! ……まあその人は元々貴族だったらしいんだが」
「残り一人は?」
「分からん。俺の読んだ本には書いてなかった」
雑談する間にも列は進み
「次の者、前へ」
スティーブの番がやってきた、彼は興奮した面持ちで前に進む。
騎士と神官が見守る中、岩に突きたった聖剣の柄を両手で握り締め、
「ぐ、ぐ、ぐ……」
両足を踏ん張り、力いっぱい引き抜こうとしているのだと思うがピクリとも動く様子は無い。村では身体が大きい方から数えて早いスティーブなのだが、選ばれなければ引き抜く事は出来ない伝説は本当のようだ。
「ふぬぬぬぬ!!」
最初は英雄のように格好良く引き抜こうとしていた彼が、そのうち片足を岩に引っ掛けて根の強いヤマイモと格闘するような構図になっていた。
ある意味分相応で落ち着く光景ではある。変に力を入れると途中で折れたりするんだよな、ヤマイモ。
「それまで」
健闘空しくスティーブの挑戦は失敗に終わった。
「流石は、伝説の、剣、ピクリとも、動かなかった、ぜ……」
「本当に抜けないんだ、凄いな」
死力を尽くしたスティーブは全身から疲労感を漂わせて敗北を認めていた。
そして彼の敗北は僕に教訓を与えてくれたのだ。
「次の者、前へ」
「あ、はい」
騎士の指示に従い、僕は気楽に聖剣の柄を手にする。元々引き抜けるとは思ってなかったのだが
(スティーブが教えてくれた。どうせ抜けないならどれだけ力を入れたって無駄なんだと)
進んで徒労する事もない。
僕は神官の視線を感じながら、せいぜい戸棚を引き開ける程度の力で剣を引っ張ってみた。
みき。
「……あれ?」
スティーブがチャレンジしていた時の様子を見るに、突き立った聖剣はピクリとも動かなかったと思ったのだけど。
なんだか手応えがおかしい。
……少し動いた気がする?
「気の、せい?」
みきき。
もう少し力を入れて引っ張ってみた結果、ほんの僅かに、そして不確かに揺れ動く感触があった。
「まっ、まさかっ……!」
ついぞ先まで抜けるわけがないと思っていた僕も流石に興奮を覚える。
スティーブが渾身の力を込めても微動だにしなかった聖剣が確かに揺れ動いたのだから、これはもしかして。
知らず両腕に、腰に力が入った。
この時、僕は少し前の「どうせ引き抜けたりしないよ」感を忘却の彼方に放り出し、完全に引き抜く気で聖剣の柄を掴んで
「ふんっ……!!」
ボキリ。
「…………うん?」
鈍い金属音が僕におかしな手応えを寄越し。
異音を最後にして聖廟の中に奇妙な沈黙が満たした。
手の中の感触を確かめるべく、僕は引き戻した手元を見やる。
僕の両手には、握り締めた聖剣の柄。
「えっ、えっ、まさか……本当に引き抜けた?」
反射的にそう考えたのは仕方が無いと思う。
驚きのまま聖なる岩の方に目をやって
「……あれ?」
僕は未だ聖岩に突きたった剣の刃を目の当たりにする事となる。
「……あれれ?」
いや、違った。
剣の刃の半ばが岩に刺さっていた。
「うん?」
改めてもう一度手の中の剣を見る。
聖なる輝きを欠いた剣の半分がそこにあった。
「うん……?」
刃の半分が岩に刺さったままで、もう半分が僕の手の中にある。
「あの、騎士さん?」
おそらくは僕以上に呆然としたままの騎士に声をかける。
「なんか、その……折れたみたいなんですけど」
聖剣、折れた。
僕がその事を口にしたのを契機に、儀式に立ち合っていた騎士と神官が大慌てに駆け回る。
騒然とした場をどこか遠くから眺めているような感覚の中、僕は思った。
妹よ、おお妹よ。
「聖剣とヤマイモを同じに見たのが悪かったのか、どう思う?」
屈強な騎士達が揃って僕の方に殺到するのを眺めつつ、田舎の妹に問いかけた。