夏音(なつおと)
気が付けば、走り出していた。
家の玄関に荷物を放って、驚いてる母親に「忘れ物!」と嘘をつき、家を飛び出して花火大会のある河川敷に向かう。
いつもの人気のない河川敷が嘘のように、花火大会と夏祭りのせいで人が溢れかえっている。その人ごみをかき分けて、あいつの姿を探す。
「見た目可愛いから付き合ったけど、重いんだよなー。面倒だわ、あの子。」
脳裏に浮かぶのは、部活が終わった後、忘れ物に気づいて部室に取りに行った時に聞いた、バスケ部の先輩が扉越しに笑いながら放った言葉。
そして、最近話してもらえないんだ。と、今にも泣きそうな顔で、無理矢理笑ったあいつの顔。
「――もう、ダメなのかなぁ…。」
今日の夏祭りが最後の望みだと。先輩の気持ちを聞いて、駄目だったら諦めると。あいつは言っていた。
高校に入学してから1年と半分、些細なことで一目惚れしたあいつが、ずっと想い続けて、やっと叶えた恋なのに。
こっちの想いなんて知らずに、告白してOKをもらったと嬉しそうに報告しにきたあいつの笑顔が浮かんで消えた。
「くそっ、どこだよ…。」
今更ながら携帯を鞄と一緒に家に置いてきたことを後悔する。屋台の端から端まで走り回り、折り返した時だった。
「…先輩。」
あいつの彼氏が、部活で同期の人たちと、お洒落な大人っぽい女性たちを連れて歩いていた。
「お、一人で夏祭りかよー。なんなら俺たちと回るか?」
「えー、誰ーこの子?」
「俺らの部活の後輩。」
「いーじゃん、こういうウブな子あたし好き。」
「あー、ハイハイ。あんた年下好きだもんね――。」
目の前でかわされる会話なんて頭に入ってこなくて。
ただその輪の中に幼馴染がいないことが、それが示す意味だけがグルグルと頭の中を回る。
「あの……先輩の彼女、は?」
「お前、なんであいつのこと知ってんの?」
「……幼馴染なんです、俺たち」
そういうと先輩は一瞬驚いた顔をして、またすぐ笑顔に戻った。
「ふーん、じゃあお前には悪いことしたことになんのかな?
さっき別れたんだわ、彼女とは」
「そう…ですか」
「しっかし、驚いたなぁ、お前とあいつが幼馴染だったなんて。
なんで言わなかったんだよ」
「わざわざ言いませんよ」
俺は、うまく笑顔を作れただろうか?このままだと先輩を殴ってしまいそうで。
「すいません、親に焼きそば買って来いって言われて来てて、遅いと怒られるんで失礼します。」
とっさの割には上手い嘘をついて、俺はまた人ごみの中をかき分けていく。
先輩があいつと一緒にいたなら、俺は笑顔で家に帰っていた。
でもここにいないということは、部活が終わった後、先輩にあいつはふられたのだろう。
――なら、今どこにいる?
恐らく泣いていることだろう。でも、意地っ張りなあいつは泣いたまま家に帰ったりはしない気がする。
とはいえ、人の多い河川敷や、その付近で立ち尽くして泣いてるのも想像がつかない。
――わたし、隼人とこれからずーっとここで花火みるの!
ふと思い出した、幼い頃の記憶。まさか、そんなはずない。だって、ここ数年はお互い忙しかったりで、一緒に花火を見ていない。
なにより、そんな前のこと覚えているはずが、ない。
そう思いながらも、俺は、約束の場所に向かっていた。
――走れ、もっと、もっと速く。
目的地の前に立ちふさがる階段を一段飛ばして駆け上がる。今は1秒でも時間が惜しかった。
着いたのは、河川敷から少し離れた神社。ここの境内の階段を登った先、社の裏の木々の隙間からは花火がそれは綺麗に見える。
地元民でさえあまり知らない、俺とあいつが見つけた秘密の特等席。
街の明かりは届くが、騒がしさは聞こえないここは、河川敷で夏祭りがあっても静けさを保っている。
「遅い。」
そんなに大きくない神社なので、駆けてきた俺の足音が聞こえたのだろう。うずくまっている人影から非難の声が飛んできた。
「誰かも分からないのにきっついこと言うなよ。」
「……分かるわよ、何年一緒にいるのよ。」
刺々しく言われたのに、胸がドキリするのは何度目だろうか。
憎まれ口にももう慣れてしまっていて。重いと先輩が言っていたのは、周りに気を遣いすぎるこいつの性格を指してのことだろうが、
実はこいつ、親しい人間には遠慮というものが欠けていて、昔からの仲間うちでは二重人格じゃないのかと言われてるぐらいだったりする。
「……ふられたか?」
「うるさい。」
「実はさ、さっき先輩に会った。」
「っ、じゃあ分かってるでしょ!なんでわざわざ聞くのよ!」
「うん。だから探しに来た。」
「なっ……。」
勢いに任せて振り上げられた腕から力が抜けていく。
泣いていたんだろう、赤くなっている目元に心が痛むが、それを表には出さず、わざと明るい調子で言う。
「そもそも、最初にお前、『遅い』って言ってるし?」
「それは…。」
「しっかし久々だな。二人でここ来るの。お前も俺もここ数年、受験とかで忙しかったしな。」
「友達と行くって、あんた約束破ったじゃない。」
「それは、お前が先に『男子と二人っきりで花火なんて友達に勘違いされる』っていったんだぜ?」
俺としては勘違いしてくれて大いに結構だったのだが。
そんな俺の言葉が気に入らなかったのか、ふいとそっぽを向く幼馴染に、つい笑みがこぼれた。
「何よ」
「いや?拗ねるとそっぽ向く癖、昔から変わんないんだなって。
高校に入ってさ、お互い会えば何があったとか話したりはしてたけど、それだけでお前が拗ねたりとか無かったから、懐かしくてついな。」
「…あっそ」
癖を指摘されたところだからか、声は恨めしげでも、今度はそっぽを向くことは無かった。
「で、花火見るのか?」
「…。」
「俺は、お前と花火が見たいよ。」
「!っな、何言って。」
赤みの差す頬にしてやったりと、内心で笑う。
今回の件で思い知った。
俺はどうしようもなくこのこいつのことがが好きで、そして大切に想ってるんだと。
俺の部活の先輩に一目惚れしたと聞いた時は、もの凄くショックを受けたが、長年想い続けた初恋は、時に胸を高鳴らせはしたけれど、恋人になりたいとかの欲は小さくなっていて。
それより、こいつの幸せを願うものに変わっていってて。
こいつが幸せになるならいいと、見守っていけたら満足だと、あの時は自分の恋心に蓋をした。
――でも、周りがこいつを傷つけてしまうのなら、見守ることに意味がなくなる。
「俺はずっと、夏希のことが好きだよ。」
久しぶりに面と向かって呼ぶ名前に、愛おしさがこみ上げる。
――あぁ、なんだ。こいつが幸せになるなら見守ろうなんて、自分で自分の気持ちを誤魔化そうとしてただけじゃないか。
真っ赤になって口をパクパクさせる夏希が可愛くて、自然と笑顔が浮かぶ。
「返事は急がない。今の関係に満足してないわけでもねぇし。
ただ、お前が傷つくのはもう見たくない。」
「じゅっ……。」
「ん?」
「十年早いわよ!あんたがあたしと付き合うなんてっ。」
「十年か。ま、今まで待ってたし、後十年ぐらいなら俺待つけど?」
「っ。」
今までドキドキさせられるのは俺の方ばかりだったから、真っ赤な顔に少しだけ、優越感に浸る。
「せっかくだし花火見ていかね?もったいないだろ。」
「なにそれ、滅茶苦茶じゃない。」
まだ目は赤いし、失恋の痛みも多分きっと消えてない。
それでも、今浮かべてくれてる夏希の笑顔に、探しに来て良かったと、俺も笑顔を返した。