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河童の日  作者: 辰野ぱふ
5/7

5.

 祖母の貴美は、相当なおてんば娘だった。三人娘の長女で、今の正栄堂の前身であった店を、やはり貴美の両親が営んでおり、父の方針で、「このまま男の子が生まれなくても、お前が、この店をやるんだ」と言い聞かされてきた。ソロバンは学校に通う頃からずっと習っていた。

「風呂敷包みに包んでソロバンを持ってさ。近所のみわちゃんと通うのが楽しみだったよ」

 祖母は子どもの頃にかえってしまったのか・・・・、にっこり笑うと少女のようだった。

「ね、その・・・・」

 「ソロバン」と、言葉をつなごうとして、正太郎は、ぞぞーっと寒い気がした。

「ソロバンって、歩くと、チャッチャカ音がするだろ。あれで歩くと楽しいねえ」

 正太郎は身も凍った。その祖母の声が頭の中いっぱいに響いていた。

「わしが、言ったんだよ。みわちゃんにね。じゅずだまの実をつんで行こうって」

 祖母の話しでは、祖母の家はもとは牛久沼の反対側にあって、もっと沼に近い所を歩いたのだそうだ。その沼の入り口にじゅずだまが密生している場所・・・・、祖母が見つけた秘密の場所があったのだ。

「じゅずだまをね、つなげて、首かざりにしたり、髪に飾ったり。そんなことが楽しかったよ。でも、みわちゃんが言ったんだ。だめだって。お母さんがだめだと言うって。沼の近くに降りたら危ないからって」

 祖母はひとつひとつ言葉をかみしめながら、思い出の中に帰って行った。


 貴美は、気も強かった。おとなしいみわが、なんでも自分の言いなりに遊ぶと思っていた。

「だって、じゅずだま取るだけだもの、だいじょうぶよ。それに、あそこのススキは 大きくて、かんざしにするのに、いいし、色もいいし・・・・首かざりも、かんざしも、両方作れるよ」

「貴美ちゃんたら、おてんばなんだもの。あたしは着物を汚したらうんとしかられるから、ぜったいにいや」

 貴美は、ぶうっとむくれた。いつも、貴美が遊びでもなんでも考えて、みわをさそってあげるのに。

「あたしは、帰る。お嫁に行く前の娘はおとなしくしているもんだって。ちゃんと今から考えなくちゃいけないのよ」

「意気地なしねえ」

「あら、おてんばよりは、ずっといいわよ。意気地なんて、女には必要ないわ」

 みわは、貴美にくるっと背を向けると走って行ってしまった。

 そのうしろ姿に向かって、貴美は思いきりアカンベーをした。

 沼に近くなるとススキがぼうぼうに生えている所があった。まだ穂が若くてきれいだった。じゅずだまもたくさんある。実はまだ、きれいな若い緑色だ。それを見たら貴美は胸がおどった。

 貴美は大きくてきれいな実を選んで、たもとの中に入れていった。

 あした、これで二重の首かざりを作ろう。そして、ススキと組み合わせた、うんとごうかな髪かざりも。それを見たら、さぞかしみわはうらやましがるだろう。

「でも、あげないんだ」

 貴美は実を集めるのに夢中になった。みわのくやしがる顔や、ほかの子が欲しがる顔を想像すると楽しくてしょうがなかった。

 ススキも穂がつやつやで、元気のいいのを選び、帯と身体のすきまにいっぱい刺していった。

「バカー! みわのバカー! 絶対、宝を分けてあげないからね!」

 貴美はおどけて、はねて踊った。

「ほらね。こんなにすてきなのがいっぱい。たくさん髪に飾ってね、お祭りに踊るんだ」

 ふんふんと、鼻歌を歌いながら、ススキを空にかざして見た。そして、空をあおぎながら、ぴょんぴょんとはねて、踊った。

 それに合わせて、持っていた風呂敷包の中のソロバンがカチャカチャと軽い音を立てる。

 その音が心地よくて、ますます調子にのって、はずみ、はねる貴美は、うっとりともう祭の気分になっていた。

 ふと、その時、貴美と一緒にはねて、とんでいるもう一つの影があった。

 それが近づいてきて、貴美はそれに気がつき・・・・、踊りを止め・・・・、息が止まりそうになった。 貴美は目をまんまるにしてその物を見つめた。

 それはちょうど貴美と同じ背かっこうの河童で、ちらりと貴美を見つめた小さな目は、血ばしっていた。

 河童も踊りを止めて、じっと貴美を見た。 民話などの絵で見るとおり、くちばしがあって、顔から腹にかけてはこけの緑を薄くしたような色。からだ全体がぬれているように、てらてら光っている。背中には石のような深い緑色の甲ら、頭には古くなったような黄ばんだ皿がのっていた。

 貴美は腰をぬかしそうになり、じりじりと、うしろに下がって行った。でも、河童はちょうど貴美が入って来た、けもの道をふさいでおり、そこを抜けないと帰り道には出られない。

 貴美はちょうど遠せんぼをされたようなかっこうなった。

「ナ、ソリ、いい音だなあ。どういうもんか、ちょっと見せてくリヨ」

 河童は水かきのある、黒ずんだ緑のヌメヌメした手を貴美の目の前に差し出した。

「だ、だめ」

 と、そう言うのがやっとだった。

「オリ、何も悪いことせんよ。見ルだけだラ。ちょっとでいいもん。見してくリヨ」

 貴美はぐっとおなかに力を入れて、うんと強気に見せることにした。

「そこ、ちょっとどいてよ。そしたら、見せてあげる」

 河童が道を開けたら、思いきり突っ走って逃げようという作戦だった。

「ナ、今日は河童の日だから、見せてくリラ、連れてってやんド」

「え?」

「そんだけ踊りれりゃあ、そりゃ、楽しいド。河童の日って、水がつながんねーと、ないもんナ」

「河童の日?」

「そうだ。オリたち河童が集まるんだ。縁日も出るド」

「縁日?」

「ソ。オメーラも、やるド。アメやら、おもちゃやら、くれるもん」

「くれるの?」

「かえてくれるド。ホリ、オリ持ってるもん」

 河童は手を広げて、ガラスのかけらのようなのや、ビー玉のようなのを見せた。

「オマエも、見してみろ。ナ、ソリ、ちょっとでいいからさ」

 河童の縁日ってどんなものなのだろう。貴美の好奇心がふくらんでいた。そして、貴美は頭の中ですばやく計算した。今、ソロバンを渡してしまわないほうがいいだろう。ソロバンをうまく使って、とにかく縁日に行ってみよう。ソロバンを見せる時は、最後の時。貴美がもう帰る時。ちゃんと逃げ道を確保したらちょっとだけ見せて、走り出せばいい。

「じゃ、縁日に連れて行ってくれたら、あとで見せてあげる」

「ホントカ?」

 河童は、くちばしから、ひゅーっという、奇妙な音を出した。それが、喜びの声のようだった。

「あとでちゃんと、ここにまた連れて来て。そしたら、ここで、見せてあげるから」

 縁日に行って帰れなくなったら困るから、貴美はちゃんと先のことまで考えていた。三人姉妹の一番上で、店の手伝いもよくしていた貴美は、しっかりした子どもだった。

「ホントにホントカ。人間は、よく約束破るって聞いたド」

「ほんとにほんとよ。ちゃんと見せてあげる。そのかわり、あんたもちゃんと約束を守ってよ」

「オシ」

 それは河童の返事のようで、河童は先に立って歩きだした。そっちは沼に近づく方で、道はなく、ぼうぼうの草をたおして、ぶんぶん小さい虫が飛び回る中を、分けて入って行かなければならなかった。

 そのうち、足元はじくじくと水気の多い地面になり、貴美のゲタはもうどろどろだった。

「ねえ、本当にこんな道でいいの? 大丈夫なの? 虫に食われてばかりよ!」

「うるせえなあ」

 河童はときどき長い草を引き抜いて、何やら作りながら歩いている。

 あたりはもううす暗くなってきており、貴美はだんだん心細くなってきた。

 地面の中に深く入り込んだ穴があって、その入り口で河童は、いきなり貴美の手をつかんだ。

「キャー」

 貴美が大声をあげると、河童はそのぬるりとした手で、貴美の口をふさいだ。

「バカ、声出すナ! オメ人間だとわかっと、まずいド。声出すな」

 そういうと、河童は泥を貴美の顔にぬりたくった。

「な、なにすんのよ!」

「バカ、声だすナと言ったラ。オリたち、河童の言葉でしゃべんもん。オメ、声出すとまずいド」

 そして、河童は今持っていた草の束を貴美の肩にかけた。

「着物が汚れるよー」

 貴美は半ベソをかいていた。

「バレないド。こうして、行くド。オリの名はヌシだから、オメ小さい声でヌシと言え。ソリだけ。あと、だまれ」

 ヌシは貴美の手首をつかんだまま、そのきみの悪い穴の中に、ずんずんと入って行く。貴美はもう帰りたくなっていた。

「ねえ」

 と、貴美が話しかけようとすると、ヌシはすごい顔でこちらをにらむ。貴美は後悔し始めた。

「年寄りん中には、人間にえらい目に合ったのもいるかんナ。家族やら、恋人やらを殺されて、人間をカタキとおもっているかんナ。見つかったらつかまんド。化けた方がいい」

 足元のぬかるみはますますひどくなり、おまけに土の天井は低く、そこからも泥水がぽたぽたと落ちてくる。着物のすそも、もうどろどろ、たもとも、おびも土色で、水がたっぷりとしみこんで、たれていた。

 あたりは暗くて、貴美にはよく見えない。ヌシはわかって歩いているのだろうか。

(ああ、こんなに汚れて! ぜったいにおこられる! へんな河童! 自分勝手なんだから!)

 貴美は心の中で悪態をついた。 

 ほどなくすると、どこからか道が集まっていて、たくさんの河童が貴美たちと一緒の方に歩いていた。

 そして、だんだん明るくなってくると、ぱーっと目の前に広く泥の世界が広がった。

 光は暗いオレンジ色で、そこかしこに火が燃えている。そこを埋め尽くす、河童、河童、河童・・・・。

 その数の多さに、貴美は気が遠くなりそうになった。貴美の村の祭でも、こんなに人が集まることはない。河童どうしで肩が触ってしまうくらい、混雑していた。

 河童は、人間の着物のまねのような布をつけていたり、貴美のような草の束ねたのを付けていたり・・・・、もちろんヌシのように何もつけていない、裸んぼのもいる。

 そして、ところどころ地面に、木を並べただけのそまつな屋台を出している。とても食べられると思えないような、どろ色の物がたくさん並んでいて、カエルや虫のようなのも山盛りで置いている。

 河童は仲間で話す時には、違う言葉を使うようだ。「パピプペポ」等の音が多くて、くちばしの先で、低く、ちょこちょこ話す。

話す調子がどこか人間と似ているからか、ふっと言葉の意味がわかるような気がして、耳をすますと・・・・、やはり意味がわからない。

 河童の身体からは湯気のような白いもやもやが出ていて、あたりはぼんやり霧にかすんだようになっている。お風呂場の湯気の中にいるような、じっとりと水っぽいような空気だ。

 みなが動き、話していて、低く歌うような、太鼓のような音がひびいている。あたりはザワザワ、ゴソゴソという音に満ちていた。

 貴美はヌシのうしろにぴったりとくっついて、隠れるように歩いた。自分からもしっかりとヌシの手を握った。

 あたりは独特の臭いに包まれていた。キュウリをたくさん切った、青臭いにおいと、すっぱいようなにおいだ。

 貴美は頭の中で

(だから、お寿司の河童巻きの名前がついたんだ)

 と、うなずいた。

 貴美はヌシの手を強く引っ張って、そっと耳うちした。

「こんなにたくさんの河童が、いつもこの沼にいるの?」

「違うド。水がつながるから、集まって来るド。だから河童の日って言ったド。水はどっかつながる。この世の水みーんな。いっぺんにつながる日が河童の日ダラ」

 ヌシは、一つの屋台の前で立ち止まると、さっき貴美に見せたガラスのカケラを差しだした。

 屋台といっても、粗末な板がひとつ敷いてあるだけで、棒の先に何かが刺さっているものが、板の割れ目からたくさん突き出ていた。

 よく見ると、それはカエルだったり、ミミズだったり、わけのわからない泥のだんごのようなものだったりした。

 貴美は、げーっと思った。

「どれ?」

 と、こっそり耳元でヌシが言った。

 貴美は、どれも欲しくなかった。でも、キュウリの輪切りみたいのがあったので、それを指さした。

 本当にただのキュウリが串に刺さっているだけだった。

 貴美のお腹がギュルルルーと鳴った。そういえば、お昼を食べたきり、何も食べていなかった。

 ヌシはキュウリが一本、丸のまま刺さったのを持っていた。

 貴美はヌシに

「ね、これと、それとで、いくら?」

 と、聞いた。

「関係ねー」

 と、ヌシは言った。

「だって、大きさが違うのに、同じようなガラスを払っただけじゃない・・・・」

 貴美は首をかしげた。

「何でもいいんだ。光ってれば」

「じゃあ、計算はしないのね」

「なんだそりゃ?」

 貴美は風呂敷包を振って、ソロバンをカシャカシャさせた。

「ほら、これよ、これ。ソ・ロ・バ・ン」

「ソ・ロ・バ・ン?」

「そう。これで計算するのよ」

「なんだ?? ケイサンって?」

 ヌシはそういうと、大きな口を開けて、ばっくりと一口で長いキュウリに食いつき、そのまま飲み込んでしまった。ヌシののどを、ごっくりと、キュウリが腹へ下がっていくのがわかった。

 貴美は、しばし、ヌシの顔を見つめ、急に恐ろしくなった。

「食え!」

 小さいが、強い口調でヌシに言われ、あわてて貴美はキュウリを飲み込んだ。バッタのような青い虫を飲み込んだような味がした。

 貴美は胸がむかむかした。

 歩くにつれ、先ほどから聞こえていた音楽がだんだん近くなり、河童が集まって、踊りを踊っていた。

 中心で河童が飛び跳ねており、その周りを、ぎっしりと河童たちが取り囲んでいる。

 ヌシは、どんどん他の河童を押し退けて、輪の中心へと向かった。貴美はかくれるように、ヌシにぴったりとくっついて行った。


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