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河童の日  作者: 辰野ぱふ
4/7

4.

 正太郎はふと気になって、作業所をのぞいて見た。

 父の隆正が、もくもくと、かまどに焼き菓子の生地を並べていた。

「な、何か、手伝おうか」

 そっと近づいた正太郎は、隆正に声をかけた。隆正はびっくりすることもなく、

「ふうん。ずいぶん、珍しいこというなあ」

 と、正太郎をじろじろとながめた。正太郎は居場所がないような、不安な気持ちになってしまった。

「それじゃあ・・・・。そこの、おまんじゅうを箱に 詰めてもらうかな」

「うん」

 正太郎の無口は父に似たものだ。皆にそう言われる。だからこの二人が作業しても、器械の音や箱詰めの音がするだけだった。

 そうやってどのくらいいたのだろうか。正太郎が、

「夕飯食べたの?」

 と、ぽっそり聞いた。

「さっき」

 そして、また沈黙が続いた。

「ああら、珍しい。雨が降る。雨が降る。正ちゃんが手伝うなんて、いったいどういう風の吹きまわしだろう」

 母が、作業所に顔を出し、ぱっとあたりがにぎやかになった。それは、白黒の画面が急にカラーに変わるような感じだった。

「正ちゃん、夏休みの宿題なの?」

「えっ?」

 と、聞き返す正太郎に、

「家のお手伝いをするようにって、夏休みのプリントに書いてあったものね。ちゃんとやってもらわないと」

 と、正太郎の返事も待たずに

「お父さん、お姉さん達がそろそろ帰るから、ちょっと顔出して下さいな。おみやげもね、四軒分、お願いしますよ」

 さっさと自分の言いたいことだけ言って、行ってしまった。

 父も行ってしまった。

 正太郎は、河童饅頭の包み紙をながめていた。みんなが動く気配は、かすかにこの作業場まで聞こえてきていた。

3 

 夏が過ぎ、秋分の日が過ぎた。

 日の落ちるのが早くなると、どんどん心細くなる。帰り道に橋をわたるたび、河童のことを思い出したが、冬に近くなるにつれて、それがだんだんこわくなってきた。

 ある雨の日。また、母から用事をたのまれた。近所に甘くておいしい柿のなる木のある家があって、もらった柿を母がむき、正太郎が祖母に持って行くことになった。

「さっき、夕飯を持って行く時に、忘れちゃったのよ」

 と、母は、つやつや光るオレンジ色の実ののった、四角いガラスの皿を正太郎に渡した。ずうっと心のどこかで、祖母に聞きたいことがあった。今日は、その日なんだな・・・・と、正太郎は思った。

 学校から帰ったばかりで、まだ六時前だったが、雨のせいもあって、どんよりと暗い日だった。

 この間と同じように、祖母の部屋の障子はしまっていた。そして、片手で障子を開けると、案の定、電気をつけていない暗い部屋に祖母はぽつんと座っていた。

「ばあちゃん! 暗い時は電気つけろって言っただろ」

「はーあ」

 くぐもったような、へんてこな返事が返ってきて、正太郎は、どきんとした。

「だいじょうぶか? ばあちゃん!」

「はあ。隆正か」

「違うよ、正太郎だよ」

「そうかい」

 正太郎は、部屋の中に踏み込んだが、祖母のぼんやりとしたシルエットがわかるだけで、なんだかきみが悪かった。

「だいじょうぶか? ばあちゃん!」

「さっきからねえ、スイッチが見つからんのよ」

 正太郎は皿を置き、電灯からぶら下がっているひもの行方をたどった。

 それは、祖母の目の前にあった。

「あ、あるよ。こ、ここに」

 なんだか知らないが、胸がどきどきした。

蛍光灯がつく時、じーっと電気がいきわたる感じが、正太郎は嫌いだった。

「この蛍光灯、もう、変えた方がいいな」

 祖母の部屋の電気は特に、接触が悪いように思えた。

 祖母は、何も言わずに座っている。

「ほら、これ」

 と、正太郎は皿をさしだした。

「は」

 と、祖母は皿を見つめて、

「おまえ、食え。わしゃ、いらんから」

 ぼっそり言った。

「だって、かあちゃんが、ばあちゃんのためにむいてくれたもん。食べれば」

「そうだね」

 そう言いながらも、祖母は半分眠っているようだった。

 言葉が途切れると、世界が終わったような感じだ・・・・。と、正太郎は思った。黙っていると、この部屋の湿気はいつもにも増して重くなる。

「こういう暗い日は、時間がわからない。ずうっと眠っていると、一日が終わってるんだよ」

 祖母は、柿の実を小さく切って口に運んだ。

「ソロバンには、行ってるかい」

 またか・・・・と、正太郎は思った。でも、いつもどおりのことを言われると、ほっとする。やっぱり、いつもの自分のおばあちゃんなんだ・・・・という感じがした。

「あのさあ、うちのさあ、おまんじゅうなんだけどさあ・・・・」

 答える変わりに、正太郎から質問を始めた。ソロバン塾のことを思い出したら、すんなりと口に出てきたのだ。

「河童の伝説ってのはわかるんだけど・・・・、ほかに、何か意味があるのかなあ。最初に名前をつけたときに・・・・」

「ふふ・・・・。そりゃ、わしがつけたんだよ。伝説と言っても、こんなに有名になったのはつい最近のことだもの」

「じゃあ、最初の名前は何だったの?」

「名前なんかないさ。ただの茶饅頭。それだけで、名前なんかなかったよ」

 祖母は、もう冷めきっているようなお茶をずずーっとすすった。

「正太郎。おまえ、河童を信じるかい?」

 じろっと、正太郎に視線を移した、その祖母の目に強い力があることに、正太郎はちょっと、びっくりした。

「わしが、河童に会ったことがあると言ったら、信じるかい?」

 正太郎の背筋に冷たい感覚が走った。電気が頭に抜けていくようだ・・・・と、正太郎は思った。

「信じるよ」

 正太郎は、今また、祖母の前にどっかりと腰を下ろしていた。こうやって話しを聞く情景を、もうずいぶん昔から知っていたように思えた。

「『じゅずだま』って知ってるか?」

「ああ、そこらに生えてる草だろ」

「あの実がなってたんだから、今ごろだったろうと思うよ。冬が始まる前だったんだよ」

 祖母も長い話をしようとしていた。そして、ゆっくりと祖母の昔話しが始まった。

「昼でも、こうやって暗い中にいると、夢かどうかわからなくなることがあるんだよ。どこからどこまでが頭の中のことか、どこからが今なのか・・・・。そのうち、本当にわからなくなる日が来るのかもしれないねえ」

 そう言っている祖母の顔をおそるおそる正太郎はのぞき込んだ。祖母は目を閉じていて、寝ているんだか、起きているんだか・・・・、その境界線をさまよっているように見えた。

 そして、たてに深くしわのきざみ込まれた祖母の口から、ぽつぽつと、言葉が紡ぎ出された。



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