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河童の日  作者: 辰野ぱふ
2/7

2.

 待ちに待った春休みがきた。

 正太郎が入っている近所の小学生のための子供会で、こんど中学生になる六年生の「追い出し会」をやることになった。

 今年は父母の集まりががんばって、水戸に一泊旅行に行くことになった。

 水戸の偕楽園、近代美術館などを見学に行くという。

 どうせ行くのなら、どこか遊園地にでも行きたかったと、正太郎は思った。偕楽園はまだいい。お弁当を食べて・・・・外だから、走ろうと騒ごうと、自由にできた。でも、美術館なんかに行って何が楽しいだろう。

 あんのじょう、正太郎が聞いたこともない日本画家の先生の展示会をやっていて、ちょっと難しいからと、低学年のグループは、外の公園に行くことになった。

「ちぇっ・・・・いいな。おれも、外に行きたいな」

 ずうっと六年生になるのを楽しみにしていたのに、こういうときは、そんをした感じになるものだ。

 高学年のグループもすぐに飽きてきて、みんなかってに早く見て、ざわざわしてきていた。

 ところが、正太郎はある絵の前から動けなくなった。それは、小川芋銭という人が描いた「河伯」というもので、泳いでいる河童を描いたものだった。

 河童饅頭に描いてある河童はもっと太っちょで、どこかユーモラスだが、芋銭の絵の河童は墨絵でも、ひょろりーと細くて、鋭い目をしていた。

 他にもいくつか河童の絵があって、三味線のけいこをしているのもある。これは色付きで、頭の皿がなければ、なんだか人間の子供に見える。

 「白藤源太 河童を睨ミ飛ばす図」というのは、やけに河童が小さい。

 正太郎はもっとよく知りたくて、ぎっしりと字がつまっている説明文を必死に読んでみた。

 説明によると、小川芋銭は牛久に住んでいた人だそうで、スケッチマンガなどを描いた人だそうだ。この展示会には出ていないが「河童松」という絵もあるそうだ。

 正太郎はあの日、何かの木に走り寄っておしっこをしたけれど、あの時の木はなんだったのだろう。暗くてわからなかったけれど、松だったかもしれない。松と河童とは何か関係があるのだろうか。

 正太郎の耳の奥に、あの河童の声がよみがえった。

「ナ、見してくリヨ」

 今、思うと、なんだか河童は悲しそうな声を出していたような気もする。

「ああ、見せるだけなら、見せてやれば良かったかな」

 正太郎はぶつぶつとつぶやいた。

「なになに、村木! 暗いなあ。あんた、いつからそんなにマジメになったの?」

 急にクラスメイトの塩野恵美がうしろから声をかけたので、正太郎はドキリとして、振り返った。

「ちょっと! これ、チョー変だよ。河童が三味線弾ひいてるよ! それに・・・・なにこれ? 河童虫だって! そんな虫いるわけないじゃん! マンガだよ! これ。こいうの、ゲイジツって言っていいわけ?」

 正太郎は言葉につまってしまって、

「へ、変かなあ・・・・」

 と、消え入りそうな声を出した。

「ぜえったいに、変!」

「で、でも・・・・別に絵だから・・・・いいんじゃあないかな・・・・」

 恵美はやけにじろじろと、正太郎の顔をのぞき込んだ。

「ははあ・・・・そうかあ!」

 ぱっと恵美の顔が輝いて、得意そうに笑った。

「河童のかた持つと思ったら・・・・村木のとこ、河童饅頭だもんね! あの店、村木の店になるわけよね! 大人になったら、お菓子やさんかあ。それで河童なのかあ!」

 正太郎は何と返事したらいいかわからず、ぐっと言葉を飲み込んだ。正太郎がやっと一言考える間に、恵美はその数倍もの言葉を一気にまくしたてる。

「なるほどね。商売のためなのね・・・・。小学生なのに偉いじゃん、村木」

 恵美は正太郎の背中をどんとたたいて、宝を探り当てたように一人満足して、河童の絵と、正太郎の顔を何度も見比べ・・・・意味ありげな笑いを残して行ってしまった。

 正太郎は、まだしばらくそこから離れられず、ぼんやりと絵を見つめていた。

 今度はやはり同級生の坂口が、友達と騒ぎながら近づいて来た。

 正太郎は無視しようとしたのだが、坂口は正太郎のことを目ざとく見つけて、不思議そうに寄って来た。 

「ようよう、おめえ、変なもんを、ずいぶんと熱心に見て。おいおい、こんな字ばっかの見ておもしろいの?」

 坂口は正太郎より背も図体も一回りでかい。悪いやつではないが、人をからかうのが得意だし、笑うと迫力があるし、正太郎などちょっとびびってしまう。

「なんかよう、シブイしゅみだなあ」

 坂口も芋銭の絵をじっと見つめた。

「よお。これさ・・・・、なんかジジくさくない?」

 坂口は絵の秘密を探ろうとしているのか、顔を横にして見たり、目を細めてみたり・・・・いろいろ試して見てみた。

「こんな絵描きがよ、牛久にいたなんて知らなかったぜ」

 正太郎は、何か言おうと思ったが・・・・、さっぱり言葉は出てこなかった。

 どこから来たのか、また恵美が会話に入り込んできて、坂口のシャツを引っ張った。

「ダメダメダメ、坂口! じゃましちゃあダメだよ! 村木は、しっかりした考えを持ってこの絵を見てるの」

 坂口は、きょとんと恵美を見つめた。

「将来の展望っていうやつよ。それに経済的な展望と親孝行にもつながるし。あんたもちょっとは見習って、まじめに将来のこと、考えなさいよ!」

 正太郎はまだ口ごもって、もごもごしていた。

「とにかく、あんたなんかにこの絵の良さはわからないわよ。研究のじゃまはいけません。さ、どいて、どいて」

 恵美はさっさと坂口を追い払い、再び意味ありげに正太郎に笑いかけた。

「さ、どうぞ、ごゆっくり。お菓子でもうけたら、あたしのこと、思い出してね」

 ぽかんとしている正太郎を置いて、恵美はさっさと行ってしまった。


 新学期が始まり、通学路の街路樹が若い緑色になった。そして、五月には風も緑色に見えるようになった。

 正栄堂の本店で店番をする母に届ける物があって、正太郎は自転車で牛久駅近くまでおつかいにやって来た。

 正太郎の家は駅から三キロほど離れており、ずっと沼に近いところにある。母はいつもワゴン車を自分で運転して菓子を運び、店が開いている時間は、だいたい店に出ている。

 正太郎は、母に届けものをしたその日、駅の近くで、犬に吠えられている子供の河童の像を見つけて、その回りをゆっくり回って見た。

 河童はまん丸の目をしていた。

 あの時の河童はこんなに小さくなかったし、かわいくもなかった。

「こんなやつだったらさ、仲良くしてやってもよかったけどさ・・・・」

 河童を見てからもう半年だ。記憶ってふしぎなもので、だんだんうすれてくるところと、強く残るところがある。

「あの日は暗かったし、あせってたからな。もしかしたら、何かのかんちがいだったのかもしれないよな」

 正太郎はまじまじと、その子どもの河童を見つめた。

「あらら・・・・、また河童かあ」

 運悪く、またまたこんな所で恵美と出会ってしまった。

 恵美は、わざとらしく河童のまわりをぐるりと回り、正太郎の顔をのぞき込んだ。

「それで・・・・どう? 何かわかった?」

「??」

 正太郎は何がわかったのかわからないのか‥‥わからずに、きょとんと恵美を見た。

「河童の研究で、なにかお菓子に通じる秘密とか・・・・そういうことがわかったの?」

「べ、別に・・・・」

正太郎は消え入りそうな声で言い、うつむいた。

「村木と河童をむすぶ謎の鍵って・・・・やっぱり、おまんじゅうだもんね。でも・・・・河童の方ばかり研究しないで、もっとお菓子の研究をした方がいいんじゃなあい?」

 恵美はやけにまじめにそんなことを言うと、手に持っていたバトンをくるくる回し始めた。

「どお、うまいでしょ。あたし、二年の時からやってるの」

 恵美はじょうずに、バトンを回しながら空に放り投げ、自分もくるりと一回りしてバトンを取った。

 正太郎は、ぽかんとそれを見つめていた。

「村木の商売についてはね、あたしにも意見があるんだ!」

 恵美はバトンを脇にきゅっと挟むと、正太郎の顔をのぞき込んだ。

「あのね、正栄堂ね、お菓子を売るだけじゃなくてね、小さい喫茶店を作るといいよ。だって、村木んちのあんこ、おいしいもんね。あれでアンミツとか甘いのやったら、いいと思うよ」

 正太郎はまだアホづらで、恵美を見つめていた。

「これ、あたしのアイデアだからね。もし、ほんとうに店を開いたらさあ、アンミツくらいはおごってよ」

 なんと返事したらいいものか・・・・、正太郎は頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。

「あ、たいへん、練習におくれちゃう」

 恵美は勝手に話しを終えると、

「へへへ、このバトン、これも河童に関係あるんだよ!」

 と、謎の言葉を残して、さっさと行ってしまった。

 何の感想も持てないまま、正太郎は河童の像をにらんでいた。


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