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Dear Killer  作者: 野良丸
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蛾は不変



 悠生の暴走から一ヶ月が経っても、その原因は不明のままだった。大きく変わったことといえば、黒硬質化の操作が最低限可能な適応感染者の訓練、そして、羊介を除く適応感染者の単独戦闘が禁止されたことくらいだろう。

 悠生の暴走を聞いても、完全治癒を望む適応感染者はいなかった。それどころか、三人増員し、総勢十二名となっている。その中に悠生のような学生はいないため、三人を一班とし、各地の支部を回ってもらうという案も出ていた。

 少し変わった力を持っていたとしても、人一人の死なんてこんなもんだ。久留米が死んだりすりゃあ、それこそ世界の運命が変わるだろうがな、と思いながら、羊介は研究所内を資料室に向かって歩いていた。適応感染者が増加しているとはいえ、頻繁にヒトツメが現れるおかげで彼が暇を持て余す時間はぐっと減った。

 それでもどこか退屈そうな表情で歩いている羊介の耳に、緊迫した声が届いた。

「また暴走したらしい! 室長に連絡を!」

 羊介は近くのドアに目を向ける。廊下側の窓は全てカーテンで遮られ、中の様子を見ることは出来ない。おそらく、羊介か適応感染者でなければ室内の声も聞こえなかっただろう。

 今度は誰か。順番でいえば虎型の女か、と思いながら羊介は止めた足を動かす。だが、その足はすぐに止まった。

「それも、ヒトツメ化後、標的であるガ型ヒトツメとともに逃走した模様です! 他の適応感染者を応援に――――」

 ガ型? 虫の蛾か?

 羊介は口角を上げると、部屋の前まで歩き、前蹴りでドアを開けた。




「暴走の原因は、一度ヒトツメになった身体で黒硬質化と治癒を繰り返すことだと思うんです」

 向き合うようにシートが横を向いているワゴン車の後部座席。羊介の向かいに座っている久留米沙奈は何の前振りもなくそう言った。

「そういうことは俺じゃなくて大久保にでも言えよ」

「言ったけど聞いてくれないから名雲さんなんかに言ってるんです。ただの愚痴です」

 そう言う沙奈の表情には、珍しく不満さが滲んでいた。

 まぁ、こいつは端から適応感染者っつー人間擬きプロジェクトには反対っぽかったしな、と羊介は気にした様子もなく顔を横に向けて窓の外を見る。

「今回暴走した清水さんは、六番目の適応感染者です。若木さんや津森さんと比べると戦闘経験も少ないです。でも、ウイルスの動きは一番活発で、ヒトツメの力を使うことなく普通に生活しているだけでも一週間か二週間に一度は治癒が必要なほどでした。きっと、治癒回数は、一番多いと思います」

「それも大久保に言ったのかよ?」

「竹谷さんが亡くなった翌日に。でも、その可能性もあるかも、でお終いでした」

「まぁ、あいつら……っつーか一般人からすりゃあ人間擬きの戦力は今さら外せないだろうな。定期的に一人や二人死んでも代わりは人間擬きが勝手に補充してくれるわけだし」

 沙奈の眉間に皺が寄る。

「それに、人間擬きだってその可能性があることを分かっててやってんだろ? ならいいじゃねーか」

 そこでようやく沙奈の眉間の皺に気付いた羊介は短く笑ってから、膝に肘をつき、前屈みになって不敵な笑みを浮かべた。

「反対するならあいつらのウイルスを完全に消しちまえばいいだけだろ? それをしないっつーことは、お前も頭では分かってんだよ。あいつらが必要な犠牲だってことを」

 その言葉に沙奈は目を僅かに見開いてから、ふっと表情を消して普段通りの雰囲気になった。

「……名雲さんって、本当に遠慮のない人ですよね。もう少し柔らかい言い方を覚えた方がいいと思います」

「柔らかい言い方?」と今度は羊介が眉をひそめる。

「はい。名雲さんの言葉は直接的過ぎて相手の胸を豪速球で抉ってる感じなので、胸にぽよんと当たる感じの言葉遣いを」

「跳ね返されたら意味ねーだろ」

 呆れた表情をする羊介に、沙奈は「それもそうですね」と答えた。



「名雲さんの言う通りでした」

 空を駆けて蛾型ヒトツメと戦う羊介を離れた場所で見ながら、沙奈はそう言った。

 山の中の拓けた場所にある休憩所にいるのは、沙奈の他には岡田のみだ。岡田は、車内での二人の会話を思い出しながらも、

「なにが?」と問いかけた。

「適応感染者の方達のことです。本当に反対してるなら、竹谷さんが暴走して亡くなった時に他の人全員を完全治癒していた筈ですもんね」

 普段と変わらない淡々とした言葉。しかしどこか自嘲的な響きがあるように感じるのは、岡田の気のせいだろうか。

「でも、それは久留米さんだけのことじゃないよ。みんな分かったうえで、反対出来ずにいる。僕だってそうだ」

「反対出来ずにいる、と言うなら、私が無理やり完全治癒をして適応感染者を無くしても、皆さんが仕方ないと言ってくれますか?」

 その言葉で、岡田はようやく気付いた。

 彼女は、一般人と適応感染者の間で押し潰されそうになっているのだと。普通の板挟みとは違う。両者とも、完全治癒に反対という主張は同じなのだから。ただし、適応感染者は一般人を守るために命を削り、そして一般人は自分達の安全のために適応感染者の命を賭けている。おそらく、それが彼女の胸に引っ掛かっているのだろう。そして何より、似ているようでまるで違う両者の主張が、完全治癒を望む沙奈の主張と真っ向から反発している。

 両者の主張に挟まれ、自分の主張を口にすることも出来ず、そこから逃げた先には何があるのか。

 岡田は目を細めて二つの影が交差する空を見上げる。

 そういう意味では、あの殺人鬼の少年は唯一の存在なのだろう。一般人はもちろん、適応感染者の枠からも飛び抜けた存在である彼には、彼女を押し潰すような主張はなく、煙に巻くような遠回しな言葉も吐かない。自分の言葉を遠慮なく話し、やりたいようにやる。そんな彼に、彼女は憧れに似た感情を抱いているのかもしれない。あるいは――、

「あ」と小さな声に、いつの間にか下げていた顔を上げると、羊介の右腕がヒトツメの巨大な目を捉えていた。

 そのまま落下していくのを見て、沙奈が一歩だけ足を前に出して振り返る。

「岡田さん、行きましょう」

「あぁ」と頷き、先行して歩き始める。先程の一撃を見るに、おそらくヒトツメは既に死んでいるだろう。それでも沙奈の足取りは急かすほどに速い。

 もしかしたら彼女は期待しているのかもしれない、と岡田は思う。

 羊介が、その圧倒的な力で、現状を壊してくれることを。




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