人は殺し合う
悠生とともに戦うようになってから半年が過ぎた。世間が浮かれるクリスマス、年末年始もヒトツメ討伐に費やした羊介達は、その日も蛇型ヒトツメ討伐に宮崎へ来ていた。
真冬の海水浴場での戦闘を早々に終えた羊介と沙奈が夕食に訪れたのは、人で賑わうファミリーレストランだ。本部からの付き添いであるEYES職員の男女二人組は空席の関係で少し離れた別の席に座っている。ヒトツメの同時出現の増加に伴い、いつしか羊介と沙奈に付いてくるのは戦闘員ではなくなっていた。
「なんでわざわざこんな混んでるファミレスに来るんだよ」
料理を注文した後、沙奈が持ってきた水を早速飲み干してから羊介が言う。元々そんなに広くない店内は満席に近く、家族連れも多いため、静かとは言えない雰囲気だ。
「並ばなくてよかっただけマシですよ」
沙奈は少し水を飲んでからそう返す。
「それに、チキン南蛮を食べずして何のために宮崎に来たのかと」
「ヒトツメ退治だろ」
羊介が頬杖をつきながら返した言葉は意に介さず、沙奈はスマートフォンを取り出す。
「明日はチーズ饅頭とマンゴーくりーむロールを買って帰ります」
「土産屋に行くような時間ねーぞ」
「ご心配なく。どちらも空港で買えるものです」
しっかり調査済みらしい。羊介は「あっそ」と返してから大きな欠伸をして、ふと気付いた。
「そういや、お前、右手治ったのか?」
スマートフォンを操作している手を見て言うと、沙奈は「ふふ」と無表情のまま声だけ笑う。
「リハビリは終わりました。前と変わりなく動かせるようになりました」
どこか上機嫌そうに掌をクルクルと返す沙奈に対し、羊介はどうでもよさそうに「へぇ」と言うと、二度目の欠伸をした。
ここ半年で、ヒトツメの出現頻度は何倍にも増した。世間でそれほどの騒ぎになっていないのは、EYESの対応が間に合っているからだろう。
適応感染者は、悠生を含めて十名まで増えた。今までに三回ほどヒトツメが三箇所同時に出現することもあったが、彼等の活躍で事なきを得ている。羊介としては、新種のヒトツメと戦う機会を何度か潰されたため面白くはなさそうだが。
会話もなく互いに暇を潰しているうちに、羊介のチャンポンと沙奈のチキン南蛮定食が運ばれてくる。
「……チャンポンを頼むあたり、名雲さんも結構観光気分ですよね」
「は? 有名なのか、これ」
どうやら偶然に頼んだものだったらしく、沙奈が頷くと「へぇ」と言ってから麺を啜った。
「美味しいですか?」
「普段チャンポンなんか味わって食ってねーから違いが分からん」
「違いとかはどうでもいいんです。美味しいと思ったら美味しいんです」
「じゃあ普通だ」
沙奈の白い目を流しながら羊介はさっさと箸を進める。戦いの後は喉が渇くし腹も減るのだ。そのことを知ってか知らずか、沙奈は空になった羊介のコップを持って立ち上がる。
羊介が何気なく前を見ると、チキン南蛮定食は小皿に入った漬け物くらいしか手を付けられておらず、ご飯、味噌汁、チキン南蛮は丸々残っていた。しかしこれはいつものことだ。痛みを感じない、つまり火傷をしても気付かない沙奈は、出来立ての料理を口に入れることは、まずしない。自動販売機の暖かい飲み物なんかは持つのも飲むのも危険だ。
味に頓着のない羊介でさえ、冷めた飯なんか不味いだろと思うが、そもそも温感も冷感もない沙奈にとっては何も変わらないのだった。
その時、羊介の耳に着信音が届いた。騒がしい店内では誰も気にしないほどの音量だが、羊介は視線を向ける。着信音が鳴ったのは、離れた席で食事をとっていたEYES職員の携帯電話だった。
ヒトツメ討伐を終え、どこか気の抜けた顔になっていた職員達の表情が引き締まるのを横目に麺を啜っていると、テーブルにコップが置かれた。
「おい、さっさと食っとけ。ヒトツメが出たらしい」
抑えたわけでもない声に沙奈だけでなく周囲の客が何人か驚いた表情を羊介に向ける。一方、沙奈は職員達を見てから、椅子に掛けていた上着を羽織ってさっさと帰る用意を始めた。
「食わねーなら俺が食うぞ」
「一口食べてみてください。熱くなかったら食べます」
注文品を持ってきた店員に断りを入れて席を立つ職員達を横目に羊介はチキン南蛮をかじる。
「……めちゃくちゃ熱いから俺が食ってやるよ」
「大丈夫そうですね」
帰る準備万端な格好で再度席に付いた沙奈は皿を自分の方に寄せてチキン南蛮を食べ始める。
「美味ひいれす」
「ちっ。俺も肉にすりゃあ良かった」
チキン南蛮を口に頬張ったまま「ふふん」と勝ち誇った表情をする沙奈に羊介がイラッと顔をしかめた時、職員二人がやってきた。
「お二人とも、すいませんが……」
その言葉に羊介は水を一気飲みしてから、沙奈は頬を膨らませたまま頷いてから立ち上がった。
店を出た四人は、支部に借りたワゴン車に乗り込む。
「千葉に狐型ヒトツメが出現したそうです」
助手席に座った女性職員が口にした言葉に、羊介が僅かに反応した。そういえば前に新種として狐型ヒトツメが現れた時は適応感染者達が相手をしたんだった、と沙奈は思い出していた。そして今回も――場所が場所だ。羊介達がいくら早く駆けつけようと、本部に待機している適応感染者達が到着前に片付けてしまうだろう。捕獲出来た場合のことを考えれば、急ぐに越したことはないが。
「現場に急行しているのは竹谷君と若木さん、柴田さんの三名です」
前ほどオドオドせず自信が付いた悠生の表情、悠生と羊介が助けた虎型ヒトツメの女性、若木、蠍型ヒトツメだった若い男性、柴田が順に沙奈の頭に浮かんだ。適応感染者の中で悠生と若木は一、二のベテランであり、柴田は前回の狐型ヒトツメ討伐に参加している。象型である悠生はもちろん、虎型も蠍型も素早いわけではないため、敵に逃げられないかだけ不安だが、万が一にも負けることはないだろう。ヒトツメの出現場所にもよるが、早ければ一時間ほどで討伐、あるいは捕獲完了の報告が来てもおかしくない。
しかし、四人が宮崎支部に着きヘリに乗り換えてから二時間が経っても連絡はなかった。ヒトツメ出現の報告から既に三時間近く経過している。
逃げられた場合や返り討ちにあった場合は連絡がある筈だ。狐型のすばしっこさに苦戦しているのか、鼬型の時のように追いかけっこの最中か、といったところだろうと羊介は考える。出来ることなら、到着までの四、五時間逃げ回って欲しいものだ。
しかし、それから一時間後に届いた連絡は、ヒトツメ討伐、あるいは捕獲したというものでも、逃走された、返り討ちにあったというものでもなく、本部に帰還のこと、という一言だった。
明け方、本部に着いた四人を迎えたのは、目の下に隈をつくった大久保泰子だった。泰子は付き添いだった職員二人を別の管理職に任せると、沙奈と羊介に付いてくるよう言って室長室に移動した。悠生、若木、柴田の誰も出迎えてくれなかったことに、沙奈の中の嫌な予感が肥大していく。
「結果から言えば、狐型ヒトツメの討伐には成功したわ。三人とも大した怪我もなく、ね」
自席に着いた泰子の言葉に、沙奈は立ったまま頷く。それで終わらないのは分かっていた。
「戦闘後、竹谷君が突如ヒトツメ化し、他の適応感染者により、沈静化――」
そこで泰子は言葉を止めて、小さく首を横に振った。
「いえ、はっきり言うわ。他の二人により、討伐されました」
沙奈が再度頷き、来客用のソファに腰掛けている羊介は無表情のまま黙っている。
「原因は今のところ不明。現場にいた人に話を聞いてみたけれど、竹谷君の様子は普段と変わらず、黒硬質化も肘の辺りまでしか進んでいなかったそうよ」
「……黒硬質化と治癒を繰り返したことによる反作用でしょうか?」
真っ先に浮かんだ可能性を口にした沙奈に、泰子は首を横に振る。
「まだ何とも言えないわ。他の二人を検査したけれど、ウイルスにおかしな動きはないし……」
「で?」と羊介の声が沙奈の背後から飛ぶ。
「話はそれだけか?」
羊介はソファから立ち上がり泰子に顔を向ける。そして、頷いた泰子を見ると、
「んじゃ眠てーから帰る」と言ってさっさと部屋を出て行った。
「……予想はしてたけど、彼は動じないわね」
閉じられたドアを見ながら呟いた泰子は、沙奈に向き直る。
「沙奈さんは大丈夫?」
「はい。今のところは」
普段と変わらない様子で頷く沙奈に、泰子は「そう」と陰のある笑みを向けてから、
「それじゃあごめんけど、二階の休憩室に行ってもらえるかしら。そこに若木さんと柴田君がいると思うから、黒硬質化の治癒をお願い。そうしたら今日はもう休んでもらってかまわないから。……若木さんも柴田君もちょっと弱ってるみたいだから元気ないと思うけど……」
沙奈は頷き、一度頭を下げると踵を返して部屋を出て行った。それと入れ違うかたちで入ってきたのは、白衣姿の研究員だった。
「室長、解剖準備、完了しました」
「了解。すぐ向かうわ」
『誰かが死んじゃった時の話とかヒトツメ化しちゃった時の話はよくしてたんだけどね……』
ぎこちなく笑い、そう言ったきりうなだれてしまった若木の様子を思い出しながら、沙奈は小さいリモコンを手にとる。スイッチを押すと部屋の灯りが少しずつ小さくなっていき、真っ暗になる前に沙奈はベッドにもぐりこんだ。
しかし、部屋が真っ暗になることはなかった。カーテン越しに差し込む日で、室内は十分に明るい。若木と柴田の治癒を終え、寮の自室に戻るまではまだ暗かったが、シャワーを浴びるなどの身支度をしている間に日が上る時間になっていたらしい。
しかし、それでもすぐに眠気は襲ってきた。ヒトツメと戦った羊介など、それこそ死んだように眠ったことだろう。
というか、眠かったなら、ヘリの中で寝ればよかったのに。どこでも眠れる名雲さんなら……――――。