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Dear Killer  作者: 野良丸
14/15

羊は生贄




『ヒトツメによる被害は、全世界に広がり、壊滅状態となった小国も少なくありません。それらは通常のヒトツメよりも強力な力を持つ神話型のヒトツメによるもので、世界中から一刻も早い討伐を望む声が集まっています。

 続いては、二ヶ月前から行方不明となっている名雲羊介さんと松川智代さんのニュースです。福岡市の学生が街中で撮影していた動画に二人ではないかと思われる人物が映り込んでおり、警察は二人が福岡近辺にいると見て捜索を――――』

 ラジオから流れるニュースを聞きながら、沙奈はカセットコンロに火を点ける。

 三月上旬。まだまだ凍えるほど寒いこの時期に、二人は山梨県にいた時のように山中で生活をしていた。理由は当然、先程のニュースだ。

 そろそろ沙奈の限界が迫ってきている今、完全治癒後の羊介のことを考えると人目に触れるのは避けたい。

 リュックを引き寄せてから手袋を外すと、指先まで黒硬質化した両手が空気に触れる。その手を鞄に突っ込んで、コンビニ袋を取り出した時、その音に反応してか、隣で寝袋にくるまっている羊介が寝返りをうった。起こしてしまったかと思ったが、羊介の瞼が開くことはなかった。

 沙奈は気を取り直して朝食のパンをくわえ、リュックから二つの財布を取り出した。そろそろ食料の買い出しに行かなくてはならない。

 ダミー用の財布に適当に千円札を数枚移す。その時、札の間からカラフルな紙が滑り落ちた。なんだろう、と拾って目の高さまで上げる。

 それは福岡にあるらしい遊園地の割引券だった。そういえば、山籠もり前に買い物をした時に貰っていた。

 割引券を持つ手は完全に黒硬質化し、マフラーで隠している首は、顎下まで黒硬質化が進んでいる。そうでなくとも、今の二人の状況で遊園地に行くなど自殺行為、あるいは警察やEYESへの挑発行為にしかならない。

 割引券をダミー用の財布に移すと、二つの財布を鞄にしまう。

 そして、くわえっぱなしだったパンを黒い手で掴むと、食事を再開した。一口かじると、咀嚼しながら空を見上げる。枝葉の隙間から覗く空は青く雲一つない。強い日差しに手を翳すが、昔のように日に透けることはなかった。

 不意に、沙奈の背中が僅かに震える。警戒するように周囲を見ながら、カセットコンロの火を消し、食べかけのパンを地面に置くと、音を立てないように地面を擦って羊介に近付こうとする。

 しかしその前に羊介は目を開いて身体を起こして立ち上がった。沙奈と同じように周囲を見ると、思わず顔をしかめて舌打ちをする。

「いつの間にか囲まれてるな」

 三方向から感じるヒトツメの気配に、羊介は覚えがあった。虎型も、蠍型も、鷲型も、皆、羊介が一度戦ったことがある相手だった。沙奈がEYESを抜けた後、適応感染者がどうなったか羊介は知らないが、ヒトツメ化する前に殺されたと想像していた。

 しかし少なくともこの三体はヒトツメとなって生きており、指し示したようにゆっくりと距離を縮めてきている。

「お前は隠れてろよ」

 沙奈は頷いてから問う。

「一人で勝てますか?」

「お前がいたところで変わんねーよ。むしろ、俺が勝ってもお前が死んでたら笑えねー」

 まぁそれに、と羊介は言葉を続ける。

「ここで死んだところで、早いか遅いかの違いだろ。俺が歳取って死ぬ前に人間は滅ぼされるだろうし。それなら、ここで戦って死んだ方がマシかもな」

「駄目ですよ」と沙奈は注意口調で言う。

「名雲さんには、私を殺すって大役が残ってるんですから」

「俺が殺されたら次はお前だろ」

「あぁなるほど」と沙奈は納得しながらも、

「でも負けないでくださいね」と言って、羊介から離れていった。

 羊介はすぐに敵意を放つ。連携を取ることが出来る知能の高いヒトツメが誘いに応じるか疑問だったが、三体ともそれに反応すると一気に距離を詰めて姿を現した。

 竹谷悠生と共に捕縛した虎型。長い尾を入れて五メートルを超える蠍型。後方上空にいるらしい鷲型は木々により姿が隠れていて見えないが、全長は羽を広げて五メートルほど。察知能力に優れており、生い茂る木々で姿は見えずとも気配だけで羊介の場所や動きまで完全に把握している筈だ。

 羊介が手足の先まで黒硬質化を進行させると同時に、蠍型が距離を詰めながら身体を横に回転させる。しなるように横から飛んでくる鋭利な尾先を、羊介は地面に胸が付くほど低く伏せて避けた。そこへ間髪入れずに、枝葉を散らしながら鷲型が上空から襲いかかる。人間を引き裂けそうな、握り潰せそうなほど巨大な鉤爪を前に飛んで掻い潜ると、今度はそこへ虎型が跳びかかってくる。その動きは予測出来ていたが、回避行動に間に合うほど身体が素早く動かない。両腕を顔の前で交差するが、お構い無しに突進してきた虎型により羊介は吹き飛ばされる。その時、視界の隅で蠍型が身を捻っているのが見えた。羊介は空中で無理やりに体勢を変えて地面に右手を着くと、一呼吸も入れずに再度身体を浮かせる。次の瞬間には、蠍型の尾が振り払われ、伸びたままの右手の先に空気の流れを感じた。

 羊介が地面に両足を着くと、三体のヒトツメはそれを囲むようにゆっくりと移動する。

 今の羊介は間違いなく狩られる側だ。それは彼も理解しており、そして、その場合にすべきことを分かっていた。

 相手の出方を窺うことはせずに、ひたすら動き続ける。

 羊介はリーチが長く厄介な蠍型に狙いを絞ると地面を蹴った。

 完全治癒によりウイルスが弱体化している羊介の力は、適応感染者のものと大差ない。そんな彼が三体のヒトツメと渡り合えているのは、幾多の戦闘で培ってきた勘の良さがあってこそだった。

 彼等の戦いを傍目に見ている沙奈からすれば、羊介は未来が見えているのではないかと思ってしまうほどの動きをしていた。

 しかしだからこそ、勘が一度でも外れると、そこから立て直すことは至極困難となる。

 羊介は的確な回避と防御を、ヒトツメも目玉への攻撃だけは避けて、互いに小さな傷が増えていく中、その均衡は、何の予兆もなく破られた。

 虎型による横殴りの一撃が、これ以上ないほど的確に、羊介の側頭部を捉えた。おそらく、ちょこまかと動く敵に業を煮やした、狙いも何も付けていない一撃。しかし、今の羊介には、そのような攻撃が、最も回避しづらいものだった。

 羊介は地面を転がった後、身体をフラつかせながら立ち上がる。頭部からの出血で赤く染まった顔に、不敵な、だがどこか自嘲的な笑みを浮かべていた。

 そんな羊介を見て勝機を察したのか、虎型と蠍型が先程以上の勢いで突進する。おそらく鷲型も上空で眈々と隙を狙っているのだろう。それ自体は、先程までと変わらない。

 ぼやけた視界とフラつく身体でどこまで防ぎきれるかは分からないが、羊介のやることにも変わりはない。

 まずは一体潰す。それが出来れば、勝機は見えてくる。

 そして、そう考えていたのは、羊介だけではなかった。

 敵が一体減れば名雲さんならなんとか出来る筈。

 羊介が防戦一方になっている時からそのための術を考えていた沙奈は、現状を見て行動に移すことを決めた。

 木陰から飛び出し、出来る限りの速度で、一番手前にいる虎型に接近する。その後は簡単だ。虎型の注意を引いて、この場から離脱すればいい。戦いとなると危ういが、追いつかれない程度に逃げることくらいは自分でも出来る。なんなら蠍型も付いて来たって構わない。ヒトツメになりかけている身体なら、以前のようにどこかに引っ掛けて怪我をする心配もない。

 その時、とある考えが沙奈の頭に不意に浮かんだ。

 沙奈が持つ治癒能力、あるいは吸収能力は、もしかするとヒトツメの能力なのではないだろうか。もしそうだとすれば、ここまで黒硬質化が進み、八割はヒトツメになったと言ってもいいであろう今、身体能力と同じように、その能力も向上しているのではないだろうか。昔は不可能だった再ヒトツメの治癒を成せるほどに。

 ただの思い付きに過ぎないが、沙奈は迷わなかった。

 突進してくる二体を迎え撃とうと羊介が眼光を鋭く光らせた時、気付けば、沙奈は虎型の背中へ飛びかかっていた。

 目の前の敵に集中していたのか、虎型は、沙奈が背中にしがみついたところでようやくその存在に気が付いた。低い唸り声をあげると、背中に前脚を伸ばそうとする。舌打ちしながら一足で距離を詰めた羊介は、その前脚を蹴り飛ばす。

 そして、文句を言おうとしかめ面を沙奈に向けて、その光景に思わず目を見開いた。

 淡い光が沙奈と虎型を包んでいく。普段ほど眩い光ではないが、それは確かに能力が発動している証だった。

 その様子をいつまでも見ている余裕は、今の羊介にはない。接近してくる蠍型を沙奈から遠ざけるため、誘導するように地面を蹴った。上空に意識を向けると、鷲型も依然として羊介を狙っていることが分かる。

 先程までの凶暴な様子が嘘のように大人しくなった虎型は、十数秒後、その形を変えて、人間、若木の姿に戻った。

 以前は不可能とされた再ヒトツメ化した対象の治癒。それが出来たことに安堵の息を吐き、気を失っている若木に目を向ける。最後に会った時より少し痩せたように見えた。

 沙奈はコートを脱いで若木の身体に掛けると、戦闘音のする方向を見て腰を浮かせる。

 しかし、不意に視界が揺らいで、沙奈はその場に倒れ込んだ。両手を地面につけて起き上がろうとするが、力がまるで入らない。それどころか全身から力が抜けて、意識も遠くなっていく。

 それに抗う術はなく、沙奈はそのまま意識を失った。体内を無数の虫が蠢くような気持ちの悪さを感じながら。



 沙奈が目を覚ますと、戦闘音は止んでおり、枝葉の隙間から見える空は橙色に染まっていた。

 しかし、それらを気にしている余裕は、今の沙奈にはなかった。

 目を覚ますと同時に感じた、限界へのカウントダウン。

 傍らの若木には目もくれずに立ち上がり辺りを見回すと、少し離れたところで羊介がうつ伏せに倒れていた。

 残りの二体はどうなったのか。そんなことは、どうでもよかった。

 すぐに駆け寄ってしゃがむと、羊介の背中に両手で触れる。黒硬質化した肌の上からでも、心臓の鼓動は感じられた。

 白い光が二人を包む。カウントダウンが加速し、沙奈は思わず唇を噛んだ。

 虫が身体を這い上がってくる。そして何かを、口から吐き出したくなった。これが羊介の言っていた感覚だろうか。

 沙奈は考えながら、治癒を続けると同時に羊介の身体を揺する。このままでは、ヒトツメ化してしまう。羊介を治せたとしても、

「名雲さん、起きテください。このままじゃ――」

 自分の手で、殺してしまう。

 その声を、羊介は朦朧としながらも聞いていた。蠍型、鷲型を仕留めたことさえ夢か現実かも分からないほど曖昧な意識。身体は眠ったままなのか、指を動かすどころか瞼を開くことさえ出来なかった。

 不意に、瞼の向こうに感じられた白い光が止み、背中から手が離れた。そして、

「シんじゃえ」

 黒い世界に、聞き慣れた筈の声が響く。だが、羊介の知る彼女は、どんな相手にもそのようなことは言わなかった。彼女は人に対して呆れるほどに優しく、愚かなほどに愛情深かったから。

 羊介の頬に、一滴の水が落ちて、そっと伝った。

「こんなセカイ、シんじゃえ」

 だから彼女は、世界を恨み続けたのだろう。




 羊介が再び目を覚ましたのは翌朝だった。

 身体中の痛みに顔をしかめながらゆっくりと上体を起こしたところで異臭を感じた。立ち上がって周囲に目を向けると発生源はすぐに見つかり、負傷した右足を引きずりながら近付いていく。

 猿型ヒトツメ討伐のため岡山へ行った際に見せられた動画が頭に蘇る。巨大な拳により、爆発したように首から上が無くなった死体。

 若木も、同じように死んでいた。そこに頭部があったことを示すように血が飛び散り、その中心の地面には小さな拳の型が残っている。

 羊介はしばらく死体を見下ろしてから、再び歩き始めた。

 常に動きながら戦っていたわりにはそれほど移動はしていなかったらしく、二枚の寝袋と、それぞれの傍らに置かれた鞄はすぐに見つかった。

 沙奈の鞄を開けて、中からミネラルウォーターと、残り一つしかないパンを取り出す。

 これしかねーのかよ、と顔をしかめてから、その場に座って食事を始める。

 何時間、あるいは何日間眠っていたのだろう。身体の中が空になったような空腹感はパン一つではまるで満たされず、何かしら残っていないかと鞄をひっくり返す。

 地面に落下した洋服など日用品の中から財布を二つ見つけて中身を確認すると、ダミー用の財布の中に遊園地のチケットを見つけた。

 なんだこりゃ、とチケットを顔の前まで上げてまじまじと見ていると、視界の隅で何かが風に揺れた。

 反射的に目を向けると、それは一枚の洋封筒だった。

 チケットを持っていない方の手で封筒を取って表面を見てみると、そこには『名雲さんへ』と書かれていた。

 再び、なんだこりゃ、という表情を浮かべながらも、封を開けて便箋を取り出す。



 Dear Killer

 この手紙を貴方が読んでいるということは、私は既に貴方に殺されたのでしょう。

 私は今、雪を見ながらこの手紙を書いています。

 そういえば、貴方と初めて会ったのも、雪の降る日でしたね。

 あの時、私は久留米さんご夫妻と一緒に映画を見に行っていました。

 そこで名雲さんと出会い、EYESの人達と知り合い、新しい学校生活も始まりました。学校外でも里香さんや竹谷さんといったお友達も出来て、こうして思い出してみると、名雲さんが退屈そうにしていた時が、私にとっては楽しい時でした。

 この逃亡生活も、名雲さんにとっては退屈だったと思いますが、私はそれなりに楽しかったです。

 最後になりますが、万が一、憶が一、それより遥かに低い可能性だということは分かっていますが、もしも私を殺したことに対して何かしら後悔しているのならば、気になさらないでください。

 それではさようなら。

 今までありがとうございました。



 後悔なんかするわけねーだろ、と羊介は鼻で笑ってから立ち上がる。

 後悔があるとすれば、ただ一つ。

 殺し損ねたことくらいだ。





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