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Dear Killer  作者: 野良丸
13/15

山羊は浸食




『鳥取、島根では例年を遥かに超える大雪が依然として続いており、転倒する方や、雪によって走行出来ない状態になった車などが見受けられます。この雪は明日の大晦日、明後日の元日も降り続けるであろうとのことです』

「はい、お待たせ」

 少ししゃがれた優しい声に、沙奈は店内に置かれたテレビからレジカウンターに向き直る。

 カウンターの向こうにはコロコロとした笑顔を浮かべる老婆。こちらに差し出された手には紙袋が握られている。長袖から覗く枯れ枝のような手首を見ると、母親の顔が頭に浮かんだ。

「外は凄い雪だねぇ。あなた歩いて来たんでしょ? 帰りは大丈夫?」

「はい。寒さには強いですし、ボディーガードも付いてますから」

 そう言って沙奈は振り返って店の外に視線を向ける。そのボディーガードは吹雪を気にする様子もなく店先で欠伸をしていた。いや、途中でクシャミに変わったため、寒いは寒いらしい。

 沙奈は老婆に別れを告げてから店を出て、この大雪のせいで人っ子一人いない道を黙ったまま羊介と共に歩く。

 そのうち二人は国道沿いのビジネスホテルに着いた。ここが、一週間前から二人が宿泊している場所だった。

 ホテルの玄関でボンボン付きのニット帽やピーコートを払う沙奈の横を羊介は全身真っ白のまま通り過ぎようとする。しかし、伸びてきた手にジャケットの裾を掴まれ、顔をしかめて立ち止まった。

 身体の雪を落とし、ホテルの三階にある部屋に戻った沙奈は、おそらく冷えているであろう身体のために、着替えを用意すると浴室に入った。

 山梨県で黒硬質化に気付いてから二ヶ月ほど過ぎた。今では、胴体は完全に黒硬質化し、肘の辺りまで浸食が進んでいる。

 黒硬質化に気付いた頃は、羊介や適応感染者のような超人的な力を感じることはなかったが、ここまで浸食すると、流石に常人と同じとはいかなかった。羊介や適応感染者と比べると弱いが、人の域を超えた力が今の沙奈にはある。とはいえ、痛みを感じない身体でそんな力を使うのはあまりに危険なので、相変わらず戦闘は羊介に任せきりだった。

 しかし、一度目の完全治癒後、羊介のヒトツメの力は僅かに弱くなっており、ヒトツメ一体を相手にしても以前のように苦もなく勝てることは少なくなっている。勝つために黒硬質化を進行させ、そうして以前に増して羊介の治癒をしていて気付いたことがあった。治癒の力を使う度に、自身の黒硬質化が急激に進むのだ。

 そのことから、沙奈は自身の力は治癒ではなく吸収なのではないかと思っている。何故そのような力を手に入れたかなど相変わらず分からないままだが、ようするに研究員の言っていた『限界』とはウイルスの許容量のことだったのではないだろうか。

 羊介がこのことに気付いているかは分からないが、言ったところで何かが変わるわけもなく、沙奈から言う気もなかった。


 浴室の引き戸が開く音を、羊介は両手を枕にしてベッドに仰向けに寝たまま聞いていた。

 一度、目を閉じてからすぐに開くと、ベッドサイドチェストに置かれていたリモコンを手に取り、テレビを点けた。

 刑事ドラマの再放送から報道番組にチャンネルを変えると、ちょうどヒトツメのニュースが読み上げられていた。

 ここ一年間でヒトツメが出現した月日や場所をまとめたフリップがテレビに映る。月日の横から矢印が伸びており、その先はシールで隠されていて見えない。

 羊介はベッドに寝たままテレビに視線を向ける。

『これがヒトツメの出現した日付で、今は隠れているこちらが、ヒトツメを討伐した日付です』

 タレントなのかアナウンサーなのかよく分からないキャスターは、そう言ってシールを一気にめくった。他の出演者の「あー」という小さな声が聞こえ、キャスターはフリップを軽く叩いた。

『これを見れば一目瞭然。過去と比べると、明らかに、現在のEYESはヒトツメに押されています』

 新発見のように言っているが、少し前から同じような報道はされている。まだそこまで大事になってはいないが、こうしてニュースにまでなるということは、情報を規制する意味がないほど一般人に対してもそのことが隠しきれなくなっているのだろう。

 報道番組の話題は、本題であるフリップの一番下――矢印の指す先に日付ではなく『未討伐』と書かれたヒトツメのことに移っていた。正しくは、ヒトツメ『達』となるが。

『その最たる理由としては、やはりこの群れを成すヒトツメでしょう。群れと言っても三体ですが、一体一体が強大な力を持つヒトツメですからね。EYESの発表では、虎型、蠍型、鷲型のヒトツメが共に行動しているとのことですが――――』

 二週間前に現れて、関東の二地域を襲って千人近い死者を出した三体のヒトツメ。その三体が適応感染者と当てはまるのは、果たして偶然なのだろうか。

 当然、羊介も、この一致には気付いているが、どこか疲れたような表情を変えることなくテレビを見続けている。

『えー、続いてはこちらです。ロシアやチュニジア、アルゼンチンに現れた特殊なヒトツメ。何が特殊かと言いますと、皆さんお分かりでしょうが、通常のヒトツメは実在する動物……例えば先程のような虎や蠍、鷲といったものですが、海外には、実在しない、空想や神話の生き物を模したヒトツメが出現し、何百、何千人もの命を奪っています。その出現したヒトツメというのが、こちら』

 キャスターの言葉と同時に画面が切り替わる。並べて表示されたのは、荒い二枚の画像。ヒトツメの特徴である巨大な単眼、塗り潰したような黒色の身体を持つソレをキャスターの指示棒が差す。

『まずこちら。画像の方、ぼやけていて若干分かりにくいですが、三つの頭があることははっきりと見えます。こちらがチュニジアに出現した、三つの頭を持つ狼、ギリシア神話に登場し、地獄の番犬とも言われているケルベロスに酷似しているヒトツメです。

 続いてもう一枚。こちらはアルゼンチンのカタマルカにて撮影されたものです。写真には上半身部分――尖った嘴と、身体は精々、鋭い鉤爪の前足しか写っていませんが、目撃者によりますと、下半身はライオンのもので、伝説上の生き物であるグリフォンのような姿をしていたとのことです。

 そして、映像はないのですが、ロシア北部の海岸沖でも正体不明のヒトツメが目撃されています。全身が見えたわけではなく、船上から見えたのは数本の足のみ。巨大な蛸かイカ型のヒトツメなのではないかと言われていますが、目撃した船員の中には伝説上の生物であるクラーケンの名前を上げる方もいるそうです。さて皆さん』

 キャスターが振り返る。並んで席に付いているコメンテーター達に問いを投げ掛けるのかと思いきや、自身の胸に手を置いて自己主張を始めた。

『正直、僕としては、この写真の二件はそんな驚いてないんです。三件目。巨大な蛸のヒトツメなのかクラーケンなのかも……まぁ言ってしまえばどうでもよくて、どちらかと言うと、海にヒトツメが現れたってことの方が危機感を覚えるんですが、橋場さんどうでしょう』

『いやまったくその通りだと思いますよ。本当に海にヒトツメがいるとすれば――――』

 羊介はテレビを消して、今度こそ眠る気で目を閉じた。


 ホテルに置いてある浴衣を着た沙奈が浴室から出ると、羊介は既に寝息を立てていた。

 完全治癒後、羊介は身体能力や治癒力だけでなく察知能力も弱体化した。寝ている時など、九割機能していないといってもいいほどだろう。沙奈がどこかに行っても以前のように目を覚ますことはないだろうし、沙奈がヒトツメの力を使えば寝首をかくことだって可能だろう。

 沙奈は水を一杯飲んでから窓際のソファに腰掛ける。夕方という時間帯もあり、大窓からは渋滞している国道が見えた。

 テーブルに置いていた紙袋を引き寄せると、丁寧に包装された箱を取り出した。

 包装紙を綺麗に剥がすと、どじょう掬いまんじゅうの文字と、手拭いをかぶって変顔をしている男性の絵が現れた。

 泥鰌と言えば、近頃ニュースで海にヒトツメが出たって騒いでたなぁ、と考えながら沙奈は箱のフタを外す。どじょう掬いまんじゅうという名前に合っているのかは不明だが、あくまで主役は泥鰌を掬う男性らしく、饅頭も男性の顔の形をしていた。じっと見ていると不安になりそうな顔の饅頭を口に運ぶと、中には白餡が入っていた。美味しいが、一口ごとに喉が渇いていくのを感じる。

 椅子の横にあった鞄を膝の上に置くと、お茶のペットボトルと紙コップを取り出した。その際、ふと思い出したような表情をした沙奈は、鞄の中を探って一枚の便箋を見つけると、開いて読み始めた。

 誰かからの手紙ではなく、自分が書いた、正確には書きかけの手紙だ。未来の自分へ、なんてブラックジョークに富んだものではなく、言うなれば遺書のようなもののつもりで書いている。いや、書くつもりでいる。その便箋には、まだ宛名しか書いていないのだ。

『Dear Killer』

 たったこの二言を書くだけに、少し頭を悩ませたことは記憶に新しい。

 最初は、普通に『名雲さんへ』と書いた。しかし、素っ気ない気がして、何か付け加えることにした。

『親愛なる名雲さんへ』

 そう書いて、思わず首を傾げた。

 親愛。親の愛。

 当然、親愛の意味に親が何も関係ないことは知っていたが、文字面だけを見れば、どこまでも自分達に似合わない言葉だ。

 そういう理由もあって、英語表記にしてみた。しかし『Dear 名雲さん』というのはなんとなく間抜けだし、だからといって『Dear YOSUKE』というほど馴れ馴れしいのも拒否反応が出る。

『Dear Killer』

 結果的に、こう落ち着いたのだった。

 今から一週間ほど前のことを思い出しながらお茶を一杯飲み、二個目の饅頭に手を伸ばす。

 沙奈が鞄からペンケースを取り出したのは、四個の饅頭を平らげた後のことだった。

「Dear Killer……」

 宛名を呟くが、本文の出だしがなかなか思い浮かばない。

「んー」と思案顔のまま何気なく外を見る。そうして、出だしが浮かんだ。

『この手紙を貴方が読んでいるということは、私は既に貴方に殺されたのでしょう。

 私は今、雪を見ながらこの手紙を書いています。

 そういえば、貴方と初めて会ったのも、雪の降る日でしたね』

 頭に浮かぶ言葉に任せてペンを走らせていると、自然とあの頃のことを思い出していく。

 関東連続殺人事件の被害者が集まった会で久留米夫妻と会ったこと、久留米家に呼ばれて夜中まで好香の話に付き合ったこと、好香と同じベッドで眠った夜のこと。

『あの時、私は久留米さんご夫妻と一緒に映画を見に行っていました。

 そこで名雲さんと出会い、EYESの人達と知り合い、新しい学校生活も始まりました』

 ふと、ペンを止めて思案顔になった沙奈は、しばらくじっと文面を見てから、消しゴムを手に取った。

 後半の文章は必要ないかな、と思ったのだが、消しゴムを便箋に当てたところで、まぁいいか、と考え直してペンに持ち替える。遺書くらい、思うままに書いてみよう。

 時折悩むように手を止めながらも、沙奈は言葉を書き綴っていく。


 静かに寝息を立てている羊介がその手紙を読むことになるのは、それから三ヶ月後のことだった。




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