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輻輳の世界

「どいたどいたぁ!!」

「てめっ、どこ見て走ってやがんだ!」

「わっはっはっ!そりゃすげぇ!」

「ねぇ、あんた聞いたかい?」

「かぁちゃん!あれ食いてぇ!」


 ここが――


「ん?どうした月夜見?ちゃんと付いて来ねぇとおいてくぜ?」


 今晩泊まる町。


「…こりゃ聞いてねぇな…」


 鈴風の呆れ顔が視界に入ったが、今はそれどころではない。

 こんな風景は、見たことも聞いたこともなかったのだ。

し鈴風は、町、と言っていたけれど、書物の中の町とは、似ても似つかなかった。

 そもそも、私の読んでいた書物は、殆どが明国のものであった。

 それも、随分と古そうなものばかりだ。

 時代や国の差を考えれば、私のちっぽけな常識はこの町では通用しまい。

 このような町が、この国では一般的なのだろうか。

 鈴風に尋ねてみたいが、例の如く打つ手がない。

 まぁ、この先話せるようになってから、尋ねてみれば良いだろう。

 話せるようになってから。その発想が自然に出てきたことに我ながら驚く。

 私は、いつの間に、自分はいつかは話せるようになるのだと思い込んでいたのだろう。そんな保証はどこにもないのに。


――きっかけさえあれば、すぐ声は出るようになる。焦んなくていいからな。


 あぁ…あのときからか。


「どうした、月夜見?んなぼーっとして」


 暫くの間隣を大人しく歩いていた鈴風が、突然そんな風に問うてきた。

 どうやら私は傍から見れば、ぼーっとしているように見えたらしい。

 何でもない。

 そう伝えたくて、私はまた、見たこともない町並みに視線を巡らせた。


 山上から見たときに思った通り、この町の家々の瓦の色は、実に様々であった。

 あの家は赤色、あっちは黄色。

 統一感などは微塵も感じられないが、何故か、全ての建物がこの町に溶け込んでいる。

 先程の山より、もっともっと高いところから見下ろせば、この町自体が大きな花畑のように見えるに違いない。

 まぁ、花畑なんて見たこともないのだけれど。

 そこまで思い至ったとき、


「ぼーっとしてみたり、きょろきょろしてみたり、忙しい奴だな」


 目の前に、鈴風の顔が現れた。

 布の隙間から見える目が、こちらをじっと捉えている。

 彼の目から、その考えを読み取ろうと試みたが、私如きの対人能力ではそのような高度なことは出来ぬらしい。

 無表情な私を映す、彼の双眸からは、何も読み取ることが出来なかった。

 そのうち、彼の心情も、把握できるようになろう。

 彼の心が、少し気になったのだ。


「さて、まだ昼過ぎだし、ちょっと散策してから宿とるか」


 私を覗き込んでいた瞳が、再び前へ向けられた。

 少しの安心と、少しの寂しさ。


「ほら、行くぞ」


 差し出された彼の手を、私は躊躇うことなく握った。

 やはり、彼と触れ合うのは、何度経験しても慣れることはないようだ。

 …それ程何度も触れ合っているというわけでもないのだが。

 この気持ちは何なのだろう。

 まぁ、今の私が、人の感情についてとやかく考えても仕方が無い。考えるだけ、無駄なこと。分かるはずもないのだから。

 鈴風に手を引かれながら、辺りの露店に目をやった。

 野菜や果実などの食べ物。

 着物や簪や櫛などの店まである。

 一見すると何を売っているのかも分からないような、怪しい店も立ち並んでいた。


 そのような店を、実に様々な人達が物色している。

 友人、親子、恋人。

 特に若い女性達は、楽しそうに、きらきらとした笑顔を浮かべながら、美しい品々を手に取っている。

 そして、その傍では、恋人と見られる男性達が、これまた楽しそうに微笑んでいる。

 何故あれ程楽しそうなのか…謎だ。


「どうした?欲しいもんでもあったか?」


 私の視線の先を見た鈴風は、どうやら勘違いをしてしまったようだ。

 誤解を解かなくてはと、首を横に振ってみたが、


「んな、遠慮すんなって!」


 どうやら分かっていただけなかったらしい。

 私の手をがっしりと掴んだ鈴風は、そのまま露店の方へと進んで行った。


 こんな奇妙な格好をした男と、無表情な女との組み合わせは、何処へ行っても浮いてしまうわけで。

 つまり何が言いたいかといえば、私達はあの露店には近づくべきではないということだ。

 ついでに言わせていただければ、私達はいつ危険に晒されてもおかしくない身の上なのだから、早急に宿を手配し、大人しくしておくべきだと思うのだが。


 …これだけ正当なことを考えているのに、話せなければ何もならない。

 私はなされるがまま、鈴風に引きずられて行った。


「おう!いらっしゃ………」


 案の定、店主と思しき男性は、鈴風の顔を見た途端、固まってしまった。

 世話無いな。

 鈴風の顔をちらりと盗み見たが、本人は別段気にした様子もない。


「おう、店主!何かおすすめは?」


 この風貌で、これ程明るい声を出されたら、余計に不気味だと思うのだが。

 しかし、そこは店主。


「あんた自分で付けんのかい?それともそこの嬢ちゃんが付けんのかい?」


 実に天晴、商売人の鑑とでも表現すべき接客を披露してくれた。

 このような怪しげな男にもきちんと接客を行うとは、只者ではあるまい。


「俺が簪なんて付けるわけねぇだろ!こいつのだよ!あと気安く『嬢ちゃん』なんて呼ぶんじゃねぇ!」


「あっはっはっ、そいつぁすまなかったな!何だぁ?にぃちゃん、大事な女かい?」

「…うるせぇよ!」


 …どうやらいつの間にやら仲良くなってしまったようだ。

 こんなどう見ても怪しい男が、どうしてこんな一般人にすんなりと受け入れてもらえるのかは謎だが、そういえば、これまでも、鈴風が他者から拒まれているところは見たことがない。

 意外と世渡り上手なのだろうか。

 それは良いのだが、どう考えても、店主の『嬢ちゃん』より、鈴風の『こいつ』の方が余程失礼であろう。


――大事な女かい?


 …まぁ、大事なのだろう。

 何せ私を主人とやらの元まで、無事に届けなければならないのだから。

 意味合いは、全く、違うけれども。

 既に鈴風の目には私の姿は映っておらず、何やら店主と相談しながら、あれやこれやと物色している。

 代金は持っているのだろうか。

 そんなどうでも良いことを考えてしまう程に、放ったらかしにされた私は、手持ち無沙汰になってしまった。

 私も少し、見てみよう。

 彼からあまり離れるのは心もとないので、隣の、これまた簪を扱っている露店に足を運んだ。

 ここは、簪屋の激戦区なのだろうか。

 そんな、どうでも良いことを考えながら。


「おう、嬢ちゃん、いらっしゃい」


 座っていたのは、先程の店主より幾分上品そうな男性だった。

 かように上品そうな男性からも『嬢ちゃん』などと呼ばれるあたり、私はどうやら童顔であるらしい。

 一応、ぺこりと頭を下げて、商品に目をやる。

 どれも、実に美しい品々であった。

 珊瑚、鼈甲、翡翠、螺鈿。

 それらが、これでもかという程にあしらわれたものばかり。

 これ程贅沢なものを普段から身につけているような人は、一体どれ程の身分なのだろう。


「綺麗だろ?」


 店主が誇らしげに話しかけてきた。

 確かに、綺麗だ。

 私は静かに頷いた。


「そうだろ?しかし、俺も苦労したんだよ」


 そうなのか。

 まぁ、確かに、これだけの品を仕入れるためには、それだけの先立つものが必要であろうし、一介の商人にしてみれば、それは、大変なことだったのかもしれない。

 相槌の打てない私は、また、静かにうなづいた。


「嬢ちゃん、話せないのかい?」


 …少しだけ、驚いた。

 まぁ、これだけ話しかけてもらっておきながら、一向に返事をしないのだ。

 ばれてしまっても仕方無いだろう。

 別に、隠す程のことでもない。

 私は、もう一度、静かにうなづいた。


「そうかい…だと思ったよ」


 だと思った?


「さっきの話の続きだがね…この厳しい世の中で生きていくためには、やはり綺麗なままではいられないのさ」


 余計に、話が見えなくなった。

 どういう意味だろう。


「まぁ、つまりは…」


 そのとき、店主の背後から、三人の男達が現れた。


「こいつらに君を売ろうということだね」


 意味が、分からなかった。


「いい着物をきているし、世間知らずそうだし、おまけに話せないとは…いい獲物だよ」


 そうこうしているうちに、男達はこちらに迫ってくる。

 逃げなければ。

 思っているのに、体が動かない。

 意識の途切れる瞬間に思ったことは…これが、恐怖か。



 

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