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A Couple of Graves  作者: 浮芥彼
第二章
6/9

第二話 吹き抜ける風は

その日は、朝から雨が降っていた。


昨日降り出した雨がまだ降り続いていて、世界を灰色に染め上げている情景は、さながら千晴と尚哉の心をそのまま映し出したかのようだった。


そんな、どこか判然としない、靄がかかったかのような胸中の中、二人は教室で、いつ止むとも知れない雨を眺めながら、喋っていた。


「雨、昨日からずっと降ってるね」


「うん」


「止まないのかな」


「さあ?」


「ねぇ、尚哉」


「ん?」


「何か面白い話してよ」


「……ない、かな」


「………」


「……じゃあ、あんまり面白くなくても、いいなら」


「うん。いいよ」


二人は互いに視線を絡ませることなく、雨を眺めながら、どこか上の空で会話をしていた。


しかし、尚哉は腹を括ったのか、真剣な眼差しを千晴に向ける。


「アヤカのことなんだけど」


「………」


「どう思う?」


「……さあ?どうだろう。でも、あたし達は今まで色々、 自分達に出来ることはやってきたつもりだけど?」


「……それは俺も同じ気持ちだよ」


千晴の言葉一つひとつが、どこか諦めの色を帯びた冷たい声色に聴こえて、その声、言葉に、尚哉は腹を括った分だけ憤慨していた。


「…チハル」


「……何?」


千晴は、尚哉の顔を見ずに無愛想に短く返す。


「………」


尚哉はじっと千晴を見つめ、静かに言葉を紡ぐ。


「チハル、こっち向いて」


「……。……なんで?」


「俺が話してるんだから、チハルは俺の方見なきゃ駄目」


「………」


「………」


千晴の態度に我慢も限界だったのか、瞳に鋭い光を湛えて 、千晴を半ば睥睨するように瞳を据えると、千晴の頬に両手を添え、強引に自分の方に向けさせた。


「!……痛い、尚哉」


「チハルが悪い」


「………」


尚哉は千晴の頬から手を離すと、その視界に千晴をしっ かりと入れたまま、言葉を紡ごうと口を開く。 千晴は、顔こそ尚哉に向いているものの、瞳は完全に伏せていた。


「……チハル」


尚哉が構わず言葉を紡いだ。


その声は、雨の水とは違う、静かな洞窟の地底湖のそれのようで、酷く清澄だ。


心の隅々まで、その声は浸透してくる。


「………」


千晴は黙ったままだったが、明らかに先程までの濁った光ではなく、煌めく光が瞳に戻り始めていた。


「俺達は、アヤカの側にいなくちゃいけない。それは俺達が最も望んでいることを実現するために、絶対に必要なことなんだ。諦めていいことじゃない」


「……分かってる。分かってるよぉ…」


尚哉の言葉を聴いた千晴が、緊張の糸でも切れたかのように、堪らず涙を零す。


「………」


尚哉は、そんな千晴の涙をスッと指で拭う。


まるで、痛みを分かち合うかのように。


「…ふっ……うっ」


千晴は、更に瞳から熱い涙を流しながら、嗚咽混じりに言葉を紡ぎ出す。


「でもっ……でもっ……綾香にあたしたちは見えてないんだ よ……?」


「……そう。あの事故の日以来、なぜかアヤカは俺たちのことが見えなくなってしまった……。俺たちは、今もこうしてここにあるのに」


ここで、尚哉は自分の言葉に違和感を覚えた。


(ここに『ある』……?ここに『いる』じゃなくて?どうして、俺は『ある』って言ってしまったんだろう…?)


なんだか嫌な予感が全身を這いずり回り、気持ち悪い。


しかしそれに気づかなかった千晴は、構わず語り出した。


「だから……またあたしたちのことが見えるように、あたしたちは綾香に話かけたり、常に綾香の側にいるようにしてた…」


若干の戸惑いを残しつつも、不注意で間違えたのだろうと思い直し、尚哉は千晴の言葉を継いだ。


「……うん。そうだね。……アヤカも、俺たちがここにあるんじゃないかと思って、いつも通りに机を並べたりして、 俺たちが現れるのを待ってた。……まあ最近は、そんなアヤ カを見てるのが辛くなってきちゃってたけどね」


(……!?まただ。また『ある』って言ってしまった…… )


「……うん。それに、綾香にあたしたちが見えてなくても 、あたしたちが動かした物を見ることは出来る。あたしたちのことだけを見て欲しかったから、そーゆーのは見て欲しくなかった。でも、結局昨日もあたしたちのことじゃなくて、動いた物しか見えてなかった。それが、凄く辛 い」


「………」


「もう、一生このままなんじゃ――」


「駄目。それだけは、言っちゃ駄目」


「……うん。そう、だよね。頭では、分かってるの……」


「……うん」


「辛い、辛いよ……。どうして綾香はあたしたちのこと、 見えなくなっちゃったんだろ…?」


「……あの事故がそんなにショックだったのか、なんなのか……。それは判然としないけど…」


――でも。


と尚哉は明瞭とした声色で言った。


先程から感じている気味の悪い感覚は、一旦振り払って。


「あの事故が起きる直前に、チハルが提案してた三人で遊ぶっていうヤツ…。俺たちはあれを実現させなくちゃいけない。俺たちの最も望んでいることだ。……あれは、アヤカの誕生日を祝うためだったんだから。六月二十九日。ちょうど今日がアヤカの誕生日だ。なんとしてでも今日、アヤカに俺たちのことを見えるようになってもらわな――」


「………」


ここまで熱弁を繰り広げていた尚哉が、はたと何かに気づ いたかのように黙り込んだ。その表情は、酷く困惑している。


「……?どうしたの、尚哉?」


千晴が、そんな彼の様子を不安そうな瞳で見つめ、答えを求めようと彼に問いかけた。


「………」


しかし、尚哉は黙ったまま口を開こうとせず、物思いに耽る 。


「……変だ」


「え?」


尚哉の口から発せられた言葉は、あまりに突拍子がなく、千晴は思わず声を上げる。


「……尚哉?ど、どういう意味?」


「……だってさ、考えてみなよ。あの事故があったのが六月の事だろ?で、今日は六月二十九日。アヤカの誕生日だ。そこまではいい。でも、アヤカが俺たちのこと見えなくなって、どれくらい経った?」


「……?どういうこと?」


千晴が、尚哉の言わんとすることの意味が分からず問い返すと、尚哉は明らかな動揺を瞳に浮かべ、どこか虚ろな表情で笑った。


「……アヤカが俺たちのこと見えなくなって、もう一ヶ月以上は経ってるんだよ」


「……え?」


「……それに」


尚哉はそこで一旦言葉を区切ると、千晴のことを見やる。


「……な、何?」


「……チハルも気づいてたでしょ?昨日のアヤカの××、 さ」


「………」


尚哉の言葉に、表情に、千晴も段々と現状を理解し始める 。


……そう。


綾香と千晴と尚哉は六月に事故に遭ったのだが、綾香が二 人のことを見えなくなってからは、もっと長いのだ。


「………」

「………」


(なんでこんな重要なことに今まで気づかなかったんだ… !?)


千晴と尚哉は、今自分たちが置かれている状況が、『綾香が自分たちのことを視認出来ない』から、『自分たちが認識している時間軸と、現実の時間軸が食い違っている 』 になった。


これは、綾香が自分たちのことを視認出来ないのと、何か関係があるのだろうか。

そして、先程から感じている、なんとも形容し難い気持ちの悪い感覚とも。


全く持って自分たちにその覚えがないことを、いきなりこれが事実だと突きつけられても、それを本当だと認識するのは容易なことではない。


二人は今、目の前に、振り払うことの出来ない靄が立ち込めているかのような気分になった。


靄の先には、綾香がいる。


なんだか今度は自分達が綾香を視認出来なくなりそうだった 。


いや、見えてはいるが、それが本当に綾香なのか認識出来ない。 と言った方が適切だろうか。


二人は底なしの泥沼にはまった。


どんどんどんどん沈み込んで行く。


足掻けば足掻く程、足を絡め取られる。


「………」

「………」


二人は押し黙ってしまった。


それは、真剣に今の自分達の状況を理解しようとし ているかのようでもあるし、もう考えるのを放棄してしまったかのようにも見える。


じめじめとした、梅雨の空気が二人を囲む。


あたかもそれは、二人を嘲笑っているかのようだ。


しかし、そんな空気は、ある効果音によって掻き消された 。


教室のドアが開けられたのだ。


今日は土曜日。


教室に来る生徒など、本来ならいないはずなのに。


千晴と尚哉は突然訪れた環境の変化に何かの兆しでも導きたいかのように、藁をも掴む思いでドアを見やった。


――そこには、綾香がいた。


ドアが開けられたことによって、廊下の窓の外の景色が二人の視界に飛び込んできた。


そして、今まで気づかなかった変化に気がつく。


――雨が、止んでいる。


綾香は、自身の後ろに青空を従えていた。


「……綾香」

「……アヤカ」


二人は同時に少女の名を呼んでいた。


「………!」

「………!」


――綾香は、千晴と尚哉のことを見つめていた。


それは、なんとなくその空間を凝視しているのではなく、 確実に、二人を視認している瞳だった。


「………」

「………」


千晴と尚哉が驚きに何も言えずにいると、綾香は急に踵を返した。


そして、二人に背を向けたまま、顔で半分だけ振り返り、 二人に視線を送ると、何も言わずにその場から立ち去る。


「……あ、ま、待って!」

「……あ、ま、待って!」


千晴と尚哉は同時にそう叫ぶと、綾香の後を追って、教室から飛び出して行った。


教室には、開け放たれたドアから流れ込む心地良い風が吹き込んできていた。




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