第一話 その先には
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「………か、……やか、…綾香!」
「………」
これはある日の学校帰りでの出来事。
綾香、千晴、尚哉の三人は、まだ着慣れない夏服を着て、住宅街の道路を肩を並べて歩いていた。
いつもの風景。
なんの変哲もない、気持ち悪くなる程の平和が、この時三人を包み込んで、微睡んでいた。
「もー、綾香ちゃんと聴ーてた?すっっっごい大事な話してるんだからね!」
「………」
千晴が頬を膨らませてそう言うと、綾香は読んでいた本と顔を千晴の方に向け、一瞬千晴の顔を見ると、直ぐにまた本に視線を落としながら、こくこくと二回頷いた。
「あー、うんー、そうだねー」
唐突に尚哉が意味不明な相槌をしてきた。恐らく、いつものように千晴の話など聴かずに、聴いているかのように相槌をしているつもりなのだ。
「……今は尚哉に話してない」
千晴が殊更に頬を膨らませてそう言うが、尚哉の返事は、
「へえー、それでー?」
と、明後日の方向を向いてのモノだった。
「……むう」
千晴は尚哉のその態度に益々不機嫌になる。
「………」
すると、珍しく綾香が本から顔を上げ、千晴の顔を見つめてきた。綾香なりの話を聴く誠意、そして千晴の話の先を促しているようだ。
綾香はいつも本を読んでいるが、人の話はきちんと聴いているのだから不思議だ。
「うん。それでね、今日放課後喋ってたことなんだけどね――」
「あー…あの三人でどっか遊びに行きたいってヤツかな?」
尚哉も、いつも千晴の話に適当に相槌を打つ癖に、きちんと話を聴いている。
千晴はなぜだか無性に悔しくなったが、今はそれどころではない。
「……うん。それ」
若干尚哉に返す言葉を刺々しくしたが、尚哉はどこ吹く風である。
「…高校生になってから、まだ一回も皆で遊んでないじゃん?中学校は三年生の受験直前はさすがに遊べなかったけど、その時以外は一杯遊んでたのに」
「んー…そー言われればそうかもね」
「………」
尚哉の肯定に同意するように、綾香もこくこく頷く。
「いいんじゃないかな?久し振りに三人で遊ぶのも」
「……」
――こくこく
「高校生になったっていうことで、遊びの範囲も広がったしね」
「……」
――こくこく
「………」
「ん?アヤカ、どうしたの?」
「………」
綾香がこくこくと頷いて、頭と指で渦を描く。
「……あー、頷きすぎて目、回ったの」
「……」
――こくこく
「……ぷっ」
綾香と尚哉のやり取りをじーっと眺めていた千晴が、いきなり吹き出した。
「ん?」
「……?」
綾香と尚哉が不思議そうに千晴のことを見つめる。
「ん?あー、いや。なんか面白くって」
千晴は、まだ笑いたそうにしていたが、なんとか笑いを引っ込めた、というか無理やり引っ込めた。
だがその所為で顔が可笑しなことになり、今度は尚哉が笑いそうになった。
が、我慢し、千晴が喋るのを待つ。
千晴が頑張った、残念な顔で、
「今のやり取りさぁ~他の人が見たら絶対びっくりするだろうな~と思って」
「……あー、それね……ぷっ」
「…ん?尚哉、何に対して笑ってんの?」
「え?いやいやチハルは気にしなくていいんだよ… ぷっ…くくく……」
「……ふ~ん?ヘンな尚哉」
「………」
綾香が首を傾げた。
綾香の反応速度は、普通の人の三倍位遅い。それを理解している千晴と尚哉には、綾香が随分前の会話に対して首を傾げたのだと察した。
なぜなら三人は、一緒にいなかったことの方が珍しい程の、仲良しな幼馴染みなのだから――。
「いやね、あたしと尚哉は綾香があんまり喋んないことも分かってるけど、周りの人はあんまり喋んない綾香が物珍しく映るじゃない?だから、あたしたちのいつもの会話は客観的に見たら、凄く変なんだろうなーって」
「……」
――こくこく
なるほど、と言うかのように綾香は頷く。
「そーそー。そうゆうことだよ」
尚哉も同意する。
「それと、高校生にもなって男の子がフツーに女の子二人と、しかも幼馴染みと一緒にいるのだって、世間一般では随分珍しいんだから!」
「…チハル、それじゃあまるで俺が普通じゃないみたいじゃないか」
「え、普通じゃないでしょ。どっからどー見ても」
「え」
「……」
――こくこく
「ええ!?」
「尚哉って普段全然驚かない癖に、ヘンなところで驚くよね~」
「……」
――こくこく
「それにそれに、たまに何考えてるんだか全っっ然読めないんだよね~。綾香のお陰で人の表情読み取るのは得意なハズなのに」
「え、そうかな?俺は至って普通だけど…」
「うーむ……。って、あっ!」
「何?急に大声出して。そういうお年頃?」
「違うわい!話逸れまくりなことに気づいただけさ!」
「あ、言われてみれば」
「……」
――こくこく
三人は、いつものように他愛ないことを喋りながら、歩いて行く。
話が脱線してしまうなんてことは、日常茶飯事なのだ。
……しかし、今日に限っては、それはしてはいけないことだった。
いつもしている(というよりなってしまう)ことをその日に限って変えることはとても難しいことだけれど、しかし。
三人は、話に夢中になりすぎて、迫り来る危機に気がつかない。
今三人が歩いているのは、見通しの悪いT字路。明らかに速度オーバーしている車が、ろくに速度を落とさず、T字路に進入して来る。
綾香達目掛けて――。
――危急存亡の秋。
>>>
――ガタンッ
突如教室に鳴り響いたのは、椅子を引く音。
綾香が、立ち上がった音だった。
「………」
「………」
千晴と尚哉は綾香を振り仰ぐ。
綾香は相変わらずの無表情で、帰り支度を始める。
二人には、視線を送らない。
「………」
「………」
二人が綾香を見つめる中、綾香は帰り支度を済ませると、歩き出し、教室から出て行こうとドアに手をかけた。
――ガラガラガラ
ドアを開ける時、綾香が二人に背を向けたまま、おもむろに口を開き、何か言葉を紡いだ。
「 ――――――」
しかし、その声が二人に届くことはなく、二人が教室に入ってきた時の風のように、虚しく霧散した。
そして、綾香は教室から出て行った。
尚哉は、そこで初めてある違和感に気づいた。
綾香の××が――。
綾香がいなくなり、千晴と尚哉だけが取り残された 教室では、先程の雨を連れてくる匂いのした風が、 宣言通り雨を連れてきて、静寂に満たされていた教室を一瞬にして濡らした。
あたかもそれは、何かを掻き消すノイズかのようだった。