1の出逢い 思い出す
『どうしてっ!どうしてっ!
貴方様は私と一緒になってやると言っていたではありんせんかっ!
私はその日を夢見て今日まで生きていたというのにっ。
貴方様にお会いして愛されてからというもの貴方様以外の男に私は触れられたくなかったのに……、ここで生きるためっ、貴方様が迎えにきてくれるまでと辛抱していたのにッ。
ねえ、お願い聞いてくださんし……。私を置いていかないで………。鷹之助さまぁっ!』
わたしは男に縋りついた。いかないで……、置いていかないで……と呟きながら。
『本当にすまない。お前にそう言ったが俺にはとても叶えられそうにない。お前は美しい。初めて会ったその時よりもずっと。こんな俺のことは忘れて他の男のものになれ。……けれど、もういかなければならない。他の仲間が待っているんでな。
だから白菊……、離せ』
そういうと男はわたしの手を振り払い、その衝撃でわたしは後ろのほうで尻餅をついてしまう。
いたい……。
乱暴にされても、畳の上に押しやられても男に捨てられることが一番辛くて、哀しくて、胸が張り裂けられそうだ。だから嫌っ、とわたしは言葉を続ける。
『貴方様以外の男など私は欲しくありんせんっ。たとえ天地がひっくり返ろうと私が愛しいるのはこの世でただ一人……、鷹之助様だけでございます。
あの場所でお会いし、優しくして下さった!愛してくださった!鷹之助様だけです……。
裏の世界で生き続けてきた私は、鷹之助様が居ない表の世界でどう生きればよいのですかぁっ。
待ってくなさんし!たかのすけさまぁっ!』
わたしは振り返りもせず、すたすたと去ってしまう男に手を伸ばし泣き叫びながら、言葉を続けた。が、いくら言い募っても男は一度振り返ってくれない。顔は涙と鼻水で化粧が落ち、わたしの着物はいつの間にかはだけ、髪はざんばらでぐちゃぐちゃ。
折角鷹之助様のために綺麗にしたというのに……。
男は部屋の襖に手を掛け足を止めた。
わたしはやっと通じたと思い喜んだ。
だが、現実はそう甘くはなく、男はわたしの期待とは裏腹の冷たい声で言った。
『何度言わせるつもりだ?白菊。お前は賢く、容量がいいと思って気に入っていたというのに』
『た、鷹之助様?』
『はっきりいうぞ。白菊。俺はお前のような下賤な遊女を愛したことを後悔している。正直、俺はどうかしていた。あんな汚い場所にどうして頻繁に通っていたんだろうな。あろうことか、遊女を買ってしまうなど……っ。
武家生まれのお千代に会って気づいたんだ。いかに血が大切だということがな。
お前を買い、表に出させてやっただけでも感謝してほしいものだな』
『ふ、ふぇ……っ』
瞳には憎悪と嫌悪、絶望に満ちていた。私が最も好きな人は目の前にはいない。
『落ち着いたか。やっと分かったようだな。はっ、最後の善意に生活に必要な仕送りはしておいてやる。
……じゃあな』
そういうと男は襖を開け、ばんっと乱暴に閉めた。
それがわたしには鷹之助様の心からの拒絶のように聞こえ、自分の中の何かが壊れていくのを感じた。
『いやああぁぁぁぁあああっっ!!』
それからわたしは意識が途絶えた。
これは、前世で過ごした記憶の一部_____
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「陛下。陛下。エトワール陛下」
「ん…、もう少し寝かせろ」
「いけません。書斎の椅子に頬杖をしながら寝てるなど。お身体に悪うございます」
そういうと嗄れ声の男は溜息を漏らし、今度は涙声で訴える。
「老い先短いこの爺の心配など陛下には無視に値するほど軽いものなどですか。まあ、陛下にとってみればこの爺など、政務を急がせ休みもいれず休ませさない、鬼畜で鬱陶しい、早く死んで欲しい存在ですな。……分かりました。まだ、志半ばの爺でございますが、先代のアイダール陛下の元へ逝こうと思いまする。では、陛下お達者で」
「ああああ、分かった!分かったから、一人で小芝居をするのはやめろ」
妾はゆっくりと目を開け、男の方を見やる。床に引きずる長い白のローブにでかい腹を隠すための服、胸まで隠れるふさふさの白ひげに歳とともに薄れていった髪を隠す為に頭に被る帽子。金色の刺繍に無駄に縦に長い。そんなに頭を見せたくないのかと心の中で毒を吐いてしまう。
男はこの国、フランドルの宰相として先代王の頃から仕えている。
名は、ザラフォード・ミラス・ド・ジース・フランドル。彼のファーストネームに我が国の名前が入っているのは、彼の数多くの実績が素晴らしく、先代王アイダールから贈られ、許されたからだ。フランドルの長い歴史の中でもその者は数少ない。
この男がいなくては政が廻らないと言われるほど、この国に無くてはならない唯一無二の存在である。
先代の時代が栄えたのはこの男の類無い手腕あってこそと言われ続けている。
妾は、今は亡きアイダール陛下と王妃シェリアとの間にできた娘であり、今は女王。このフランドル第48代目王、エトワール・ルド・リンチェルト・フランドルである。即位して五年となるか。
腰まで届く黒髪に王族の証である澄んだ青い瞳。ちなみに髪は光の当て方で青く見えたりする。
ふふ、これは自慢だ。
トロンと落ちる瞳に挑戦的で誘惑的な笑みを浮かべ、男の理性を掻き立てる四肢にほっそりとしたウエスト。鈴の転がるような愛らしい声で紡がれる言葉に秘められた誘い文句。何を考えているのか分からない神秘のオーラに包まれた美しい女王と言われている。
そう教えてくれた侍女が「陛下はフェロモンの塊です!」と興奮して言っていた。大袈裟に申す者たちだからな、多少先入観入っているのだろう。
しかし、フェロモン……誘惑か……。
まあ、国を動かす仕事は男ばかりであるからな。そいつらを誘惑して優位に立てれるのならば、王として喜ばしい。
現に妾の美に当てられた外交官相手に不利の条約を結ばせたのが一つや二つではない。
使えるものを最大限に使用してこそ意味がある。
「今日の政務は終わったとギル将が申していたから、休んでいたというのに……。何用だ?」
「ええ、確かにそうギルは申しましたが、まだ日が高いゆえ、明日の分の政務もして戴こうとおもいましてな。ふぉ、ふぉ、ふぉ。エトワール陛下は先代王と同く優秀で爺は大変ですわい」
大変なのはわたしだッ!
このクソジジイ、昨日もそんなこと言っていなかったか?昨日休めなかった分、今日休みが欲しくて日が高くなる前に仕上げたというのに、はあ。
……死んだ先代王もとい父様が憐れに思えてきた。確かに優秀だが仕事に鬼畜過ぎる。
はあ。
ギルというのは、ザラフォードの弟にあたるフランドルのギルバート老将軍。
老いたと思わせない雄々しく力強い太刀筋に、身体は熊のように大きくがたいが逞しい。
容貌魁偉という言葉はこの漢にあるためだと思う。
余談だが、彼の武勇伝には他国との戦を咆哮ひとつで勝利を導き、勝ち得たとザラフォードから聞いた。
ふむ、本当にギル将が咆哮ひとつで敵を震え上がらせることができるなら怖いもの見たさで妾も聞いてみたいものだな。
だがいたずらに戦を起こしたくはないので叶わぬことではあるが、な。
「……冗談でございます。この所陛下には根を詰めてきましたので政務はございません。ふぉふぉ」
嘘なのか、そう納得して脱力感と今まで張り詰めていた緊張感がなくなったわたしは、ゆっくり背もたれに預ける。
気づけば、一人称が「妾」から「わたし」になっている。一体いつからだ?
妾自身が気づかぬうちにザラフォードにおちょくられていたのか。
だめだだめだ、平常心。平常心。冷静にならねば。
「しかしやって戴きたいことはございますゆえ……」
「何だ?申してみよ」
政務がないと分かった妾は機嫌良くザラフォードに発言することを許す。
……この後、己の行動に後悔するとこも知らずに。
「実は近々、宴を催したいと思いまして」
「ほお、宴か久しいな。どのような試行を凝らすのだ?」
「はい、三日間城下も巻き込んだ大々的なものにしようと考えておりまする」
「随分と大きな宴だな。それは宴ではなく祭りではないのか?しかも近々と申したが、期限はいつだ?
お前のことだから心配はないが、城下の通達と予算、大々的に行うのならば、それなりの準備と日数が必要ではないのか?」
「陛下の即位記念と建国記念の日が近いことをお忘れですか?……まあ、政務続きで陛下には日付すらわからなかったぐらい働かせ……ごほんごほん、分からなくて当然ですな」
「今、誤魔化したが、お前……妾を働かせた、と申そうとしたな」
「はて?そんなこと申しましたかな?なにせん爺はもう歳ゆえ物忘れが激しくてですなあ」
「そうか……。もういい続けろ」
一癖も二癖もある爺だから、このまま尋問しても無駄だろうと諦めた。
「今から三週間後でございます。通達は丁度一月前に。城下は宴用の準備を着々と進めていたため通達とは元々、日付と三日間の催しを知らせるだけだったゆえ。した処でなんの混乱もございませんでした。しかし、政務の中には陛下名義の民及び他国の来賓招待状に関する書簡を幾つか忍ばせたのですが……。お気づきになられなかったようでございますな……」
うむ……、このところ仕事が多かったのでな。目を通した書簡は、ごまんとあった。
なので、いちいち書簡や報告書にケチも付けられず、淡々とやるしかなかったため、憶えていない。
仕事に熱が入りすぎたせいか、侍女や周りの者が教えてくれなければ寝食を忘れる日々が多かった。
最近は疲れが溜まり、いくら寝ても体がすっきりならない。先程の仮眠も疲れを抜くことができず、「惰眠」を欲する己の気休めにしかならなかった。目が開いているのに、情報が耳を通り過ぎてしまい頭に残っていなかったり、書簡に目を通してもうつらうつらになったり、書簡の字が三重に見えたこともあった。
………もう文字など読みたくも見たくもない。己の身体が制御できない。何かが起こりそうで嫌だ。
「いや、憶えていないな。しかしそんな回りくどいことはせずとも、直接申せ。忙しかったとはいえ、聞くことはできたはずだ」
「いえいえ、陛下には早く政務が終わり御自愛して欲しかった爺の優しさがございましたため……、通達他はすべて行いました」
「その"優しさ"はあの大量の政務にはなかったのか。思い起こしてみれば、三月ほど前からなかったのではないか」
「ふぉふぉふぉ、これはこれ、それはそれでございます」
まったく白々しく、食えんジジイだッ。
謙遜している物言いがさらに腹立つ。怒涛ともいえる三月で溜まりに溜まった疲れと恨みと怒りで自分が制御できそうにない。しかし、怒りを露わにしてはさらに面倒なことになる。妾は怒りを殺し、気にしていないように外交専用の最上級の笑顔を作る。
「そ、そうか。それはありがたい気遣いだったなぁ。感謝するぞ、ザラフォード……」
「ふぉふぉ、陛下、感謝している割には目が据わっておりますぞ。禍々しいオーラも爺の勘違いでしょうな。ふぉふぉ」
妾とザラフォードの無言の威圧で執務室の空気が重く、冷たい冷気が漂い、入るに入れなかったと小太りの重臣達がこの後直談判してきた。
……悪かったな。