それが新型。
「莉子、魔法少女になりなっ!」
仁王像の表情とポーズ、そのまんまの祖母が強い口調でそう言った。
「はあ? なりたくないよ。私、中学生になったばっかりだし青春楽しみたいし」
「なーに言ってるんだい! うちの家系はみーんな魔法少女なんだよっ!」
「初耳だよ」
私の言葉に、祖母の顔がさらに恐ろしい顔に変わる。
そして、怒りのたっぷりこもった口調で言う。
「魔法少女になるんだよ……」
ジリリリリリリリリ。
アナログな目覚ましの音が鳴り響く。
私は目をこすりながら呟く。
「最悪な夢だ。夢の中とはいえ、まさか魔法少女なんて言葉がばあちゃんから出てくるんなんて……」
そんなこと呟きつつ、着替えを始める。
カバンを肩にかけ、充電しておいたスマホを手に取る。
タイミング良くメールが届いた。
「お、イオリンからだ」
私はそう言いながらスマホを操作する。
イオリンこと小川伊織は、私のクラスメイトであり友人だ。
こんな時間から彼女からメールが届くということは……。
私はメールを確認する。
ずいぶん楽になったけど、まだ熱があるの。
今週いっぱいはお休みするね。
小説を貸す予定だけど、詩織が届けてくれそうにないので来週まで我慢してね。
「小説の事は気にしないで。きちんと治してまたカラオケ行こうね、っと送信」
私はメールの返事を出すと、階段を降りた。
教室に入った途端、森洋平が私の前に現れた。
「おはよー」
「おはよ! それより、望月。土曜日さ、カラオケ行かない?」
「あー……明日は、ばあちゃんの一周忌なんだよね。来週なら大丈夫なんだけど」
私はそう言い終わると同時に、森の横をすり抜けて自分の席へ向かう。
「じゃあ。来週がいいかなー。そういや田中は小川が参加しないと行かねー、って言ってたっけ」
森は独り言のように呟きながら、私の隣の席に座る。
冬休み明け早々の席替えで、森と隣の席になった。
一ヶ月という期間は、趣味が近い同志が仲良くなるには充分な時間。
「田中君、イオリンに惚れてるねぇ。まあ美人だから無理もないか」
私はそう言って笑う。
「小川は、今週の始めからずっと休んでるだろ。インフルエンザで」
森はそう言うと、空っぽの席に視線を向ける。
そこはイオリンの席だ。
今日も、ポニーテールの後姿は見えない。
「んー。そうだねぇ。今日も休むって朝メールきたよ。あ、妹のほうは元気そうだったけど」
私の言葉に森は「妹のほうは風邪すらひかなそうだしな」と口にしてから、続ける。
「そういやさ、知ってる?」
「なにを?」
私がそう尋ねると、森は細い目をさらに細くしてニヤリと笑う。
そして、もったいぶるようにゆっくりと口を開く。
「今年、流行してるインフルエンザって、実は――」
森の言葉を遮ったのは、ホームルームを告げるチャイムの音。
「また後で教えてやるよ」
彼はそれだけ言うと、窓の外に視線を向けた。
まるで子守唄のような数学教師の授業を聞きながら、私は睡魔と必死で戦う。
眠気冷ましに窓の外に視線を向けると、グラウンドの裸の木々が寒そうだ。
中学生になって早十ヶ月。
穏やかで平和な日々が過ぎていく。
「もー! 今日は早く帰りたかったのに担任のハゲデブロリのやつ! 雑用を可愛い生徒に押し付けるなよ!」
放課後の教室。
静かな教室に私の声だけが響く。
「しょーがないじゃん。俺と望月は今日、日直なんだしさ。ってゆーかハゲデブロリってのは酷くないか?」
森がそう言って苦笑いをする。
「酷くない! 金曜日は録画したアニメを消化する日、って決めてるの!」
「そんなの知らねーよ」
森が笑う。
私はあきらめて雑用を片づけることにした。
「あ、そうだ!」
森の言葉に、私はホッチキスを握ろうとしてやめた。
「ん?」
「今朝、言いかけたこと教えてほしい?」
「そんなに喋りたいなら、どうぞ」
「なんだよー。その言い方……。かわいくねーなあ。ま、いいや」
森はそう言ってから、コホンと咳払いをして続ける。
「実はな、いま流行してるインフルエンザって、ただのインフルエンザじゃないらしいんだ」
「ああ、新型でしょ?」
「そーじゃなくて。今流行してるインフルエンザって、死と直結してるらしい」
「使徒?」
「そう。……いや、なんか違うもん連想してるだろ。死、だよ」
「ああ、そっちね。だけど、インフルエンザで死んじゃう人もいるし、珍しい話じゃないでしょ」
「違うんだなー。抵抗力の問題じゃないんだよ」
「じゃあ、なに?」
私の問いに、森は殴りたくなるほどのドヤ顔でこう言ってのけた。
「インフルエンザの時に見る夢は、天国とつながってるんだってさ!」
私はそれを聞いて、作業に戻った。
「はいはい。分かったよ」
「信じてねーな? 三組の中川と花村が言ってたんだよ。あとネットにも書いてあったし」
「その二人に騙されてんのよ。あとネットの情報、鵜呑みにしちゃダメ」
私はそう言ってホッチキスで冊子を閉じ、次の冊子を作るべく紙を二枚に折った。
ふと視線を感じて顔を上げると、教室のドアの前に誰かが立っていた。
それは美人でスタイル抜群で、ポニーテールがトレードマークの……。
「あれ? イオリン?」
私の言葉に森は辺りをキョロキョロ見回し、ドアの前の彼女を見つける。
「小川……?」
「インフルエンザで休んでたはずだよね?」
私の言葉に、彼女は「もう大丈夫」と囁くような声で言った。
そして、イオリンは俯き、ポニーテールを揺らし始めた。
「大丈夫?」
私がそう尋ねると、彼女が肩を震わせているのが分かった。
直後。
大きな笑い声が辺りに響いた。
「ばっっっかじゃないの!」
イオリンはそう言うと、髪を束ねていたゴムをほどく。
「あ、妹のほうか!」
森がそう言って彼女を見る。
「その『妹』って呼び方やめてよね! 私には『詩織』って名前があるんだから!」
詩織は森を睨みつけながらそう言うと、あっという間に髪の毛を束ね終えた。
綺麗なツインテールの髪型は、詩織の特徴だ。
「あのさー。ポニーテールはイオリンのトレードマークなんだから間違えるって。ってゆーか、一卵性双生児の小川姉妹は、髪型で識別してるんだから紛らわしいよ」
私の言葉に詩織は腕を組んで言う。
「相変わらず失礼ね。私とお姉ちゃんの区別が、髪型でしかできないんなんて、うちの親じゃあるまいし!」
「おめーの親も区別できないなら、俺らじゃ無理だよ!」
「いつも見てる顔を区別できない愚民とは、付き合ってらんないわ」
詩織はそう言うと、こちらに背中を向けた。
「あいつ、何しに来たんだ?」
森が小声で私に尋ねる。
「きっと私達と話したいんだよ。いつもツンツンだけど本当は寂しがりやだから」
私がそう答えると、詩織がぴしゃり、と言う。
「聞こえてるわよ!」
「あー。ごめん、ごめん。でも間違ってないでしょ」
私の言葉には答えず「あんたらなんか相手にしてらんない。帰る!」とだけ言って教室を出て行こうとして、ふと足を止める。
こちらに背中を向けたまま、彼女は言う。
「さっきの話、聞こえたんだけどね、今流行のインフルエンザって、天国とつながってるって本当よ」
「詩織まで何言いだすのよ」
私がそう言っても彼女は続ける。
「インフルエンザの時に見た夢は、夢じゃなくて本当の天国なの。そこで『帰ろう』とか『目を覚まさなきゃ』って寝てる本人が思わないと、そのまま向こう側へ行っちゃうんだって」
「バカバカしい。森といい、詩織といい、なーに寝ぼけたこと言ってんのよー」
私はそう言って額に手を当てる。
森は、慌ててこう質問する。
「もしかして、小川……いや、姉の伊織がそれを体験したのか?」
「そうよ。お姉ちゃんから聞いたの。死んだ伯父が『こっちに来ちゃダメだ!』って怒鳴るんだって。生前はあんなに温和だった伯父が鬼のような形相だった、って」
「もーう。子供っぽい話はやめよう」
私の言葉に詩織がこちらを振り向き、口を開く。
「信じておいたほうがいいわよ! どーなっても知らないんだからね!」
彼女はそれだけ言うと、走って教室を出て行った。
森は「やっぱりそうかあ。俺も注意しよ」なんて独り言をつぶやいている。
私は大きなため息を一つ。
詩織にからかわれているだけだろう。
まったく十三歳にもなって……。
家に帰って自室に行く途中、ふと仏間を覗いてみた。
遺影の中の祖母は笑顔だ。
しかし、生前の祖母は笑顔どころか、今日の詩織の話じゃないが、それこそいつも鬼のような形相だった。
「襖の閉め方がうるさいとか、箸の持ち方がなってないとか、よく怒鳴られたなあ」
私はそう言って苦笑いをする。
笑った顔なんてそれこそ数回しか見たことがない。
十二年、一緒に暮らして片手で数える程度。
「天国では笑ってんのかなー」
私はそれだけ言うと、仏間の襖をそっと閉めた。
「はい。食後の薬」
母がそう言って私の部屋の入ってくる。
「うん」
私はもそもそと体を起こし、薬を飲む。
「莉子もインフルエンザにかかるのねー」
そう言ってお気楽に笑う母に、今は反論する元気はない。
あれから二日後、私はインフルエンザにかかってしまったのだ。
「体だるい。もいっかい寝るよ」
私はそれだけ言うと、布団を頭まですっぽりとかぶった。
「はいはい。何か用があったら呼んで」
母は電気を消し、部屋を出て行った。
目を覚ますと、私は外にいた。
体はインフルエンザとは思えないほど楽になっている。
「あれ? 私、いつのまに?」
そう言って辺りをキョロキョロ見回す。
私がいるのは、随分と活気のある商店街だ。
肉屋、八百屋、魚屋、花屋の定番の店から、饅頭屋とかソフトクリーム屋などのお土産を売る店もある。
そして辺りは人で溢れかえっていた。
周囲の人を観察してみると、その行動は大きく二つに分かれている。
一つは、買い物をする人。
一つは、行列になってどこかへ向かう人。
行列の先を見る。
ここからでは何も分からない。
「とりあえず、私も行列に沿って歩いてみよう」
そう言って歩き出そうとした瞬間。
目の前に誰かが立ちはだかる。
「ば、ばあちゃん!」
私は飛び上がるほど驚いた。
目の前に立っていたのは去年、亡くなった私の祖母だった。
無表情でこちらを見ている。
そして、祖母は片手に持っていた袋から、ガサガサと何かを取りだす。
饅頭をこちらに差し出しながら一言。
「莉子ちゃん。久しぶりだねぇ。お饅頭、食べなさい」
そう言った祖母の口調は優しく、そして顔中をしわくちゃにした笑顔。
私は後ろに下がりながら言う。
「ばあちゃんじゃない! あんた誰よ!」
そこで気づく。
まさか。
私は行列を見た。
歩いて行く人々は、皆パジャマ姿で、何かにとり憑かれたような顔で歩いている。
ごくり、と唾を飲み込む。
目の前の祖母はまだ笑顔のままだ。
それがかえって恐ろしい。
私は叫ぶ。
「まだ死にたくない!」
そこで目が覚めた。
母が心配そうな顔で覗き込んでいるのが見えた。
「莉子? 目を覚ましたの?」
母の言葉に「うん」とだけ答える。
「良かったー……。あなた、一日中、寝てたのよ。まったく目を覚まさないから、お父さんと病院に連れて行こう、って相談してたところなのよ」
母はそう言うと安堵の表情を見せた。
私は口を開く。
「ばあちゃんが夢に出てきたの」
「あら、そう。怒られたの?」
「笑顔でお饅頭くれた」
私の言葉に、母は笑いながら言う。
「そんなの、鶴子おばあちゃんらしくないわね」
「だよね」
私はそう言って笑う。
間違いなくあれは夢だ。
インフルエンザで寝ていたら、そのまま天国に行くなんて、あり得ない。
だけど、森と詩織に提供するネタはできたかな。
『鶴子さん。お孫さん、うまく追い払ったねぇ』
『ああ。まったく、しょうもない孫だからね。いま死なれちゃ親不孝のままで人生終わっちまうよ』
鶴子と呼ばれた老女は、手に持った饅頭を食べながら続ける。
『莉子が八十年後にでも天国にきたら、めいっぱい叱ってやるさ』
鶴子はそう言うと、顔中を皺くちゃにして笑った。
<おわり>