居眠り教授との出会い3−1
「人を見かけで判断してはいけない」
湊は身を以って今日それを経験した。
人生初めての気絶を味わい、湊は生まれて初めてゴキブリが死んだフリをする気持ちが理解できた。
それはとどめを刺されない為だ。
現に湊も意識が戻っているにもかかわらず、死んだフリをしていた。
湊が天使だと思った女が椅子の人物に話しかける。
「大丈夫ですか、教授!?」
「私は大丈夫だよ。どっちかというと彼の方が心配だよ…」
「あんなゴキブリいいんです!勝手に研究室に入って…見た瞬間まさしくゴキブリでした!!」
「そんな…ゴキブリだなんて言ったら駄目だよミリくん」
椅子の人物が教授で、湊を気絶させた女の名前はミリらしい。
教授に嗜められてミリが自分を正当化するように反論する。
「だっ…て…コイツ入った瞬間、地べたに這いつくばってこっち見たんですよ!!それにその後キョロキョロしてて…まさに私の目にはゴキブリにしか見えませんでした!!
大丈夫です教授!ちゃんと駆除してみせますから」
狂気を含んだオーラを放ちながら妖しく微笑んだミリは意気込んで言う。
そのセリフを聞いた湊は戦慄し、生命の危機を感じた。
ヤバイ!このままだとマジで殺される−−−…そう思った湊は、こっそり逃げようとする。
ミリにバレないよう細心の注意を払いながら湊は右手の人差し指をほんの僅か動かした。が、ミリの目はハンターのように目敏かった。
ピクリと湊の筋肉が動いたのに瞬時に気づき、湊から焦りのニオイを嗅ぎ取ったミリは、床に這いつくばったまま動かない湊を仕留めようと近付いてくる。
これはもう死んだフリをしていても見逃してもらえな…い無理だ!と悟った湊は反撃に出た。
「お前!ここ土禁だぞ!!」
ミリはヒールの高い靴を履いていた。
「これ室内履きよ。ゴキブリのくせに靴を脱いだ事は褒めてあげるわ。でも誰の許可得て、ここに入ってんの?」
「か、勝手に入ったのは悪いけど…、鍵閉めてないそっちだって悪いだろ!」
「何?パンツ穿いてない女はレイプしてもいいって言ってんの?」
ミリは蔑むように湊を見下ろしている。ミリの突飛な例えに湊は一瞬戸惑ってしまう。
「…な…、そんな事一言も言ってねーだろうが!!何でそうなるんだよ!?」
「対して変わんないわよ。このゴキブリが!何も盗んでなくても警察に突き出してやる」
「けっ…!?俺は泥棒なんかじゃねーよ!俺は−−−」
「ゴキブリでしょ」
湊が言いきる前にミリが言葉を被せてくた。
人の話を聞かないやっかいなタイプだ…こういうタイプはいくら本当の事を言っても聞き入れてくれない。自分が信じている事以外は信じないのだ。
その証拠にミリは本当に警察に電話をしようとしている。
この状況をどう切り抜ければいいのか湊は無い頭をフル回転させて考えていると、絶体絶命に陥った湊を教授が助けてくれた。
「まぁまぁ、彼の話も聞いてみようよ。何か事情があるかもしれないよ」
「そんな!こんなゴキブリに人権なんてありません!!」
「でも彼、泥棒には見えないよ。ちゃんと彼の言い分を聞いてあげないと。それに本当に泥棒なら、こんなにおとなしく座ってないでさっさと逃げてるよ」
教授の言う通り湊はおとなしく正座していた。
教授に説得されてミリは湊を一瞥し、全然納得がいかないみたいだったが折れた。
「解りました。じゃあ話を聞きます…」
「うん。ありがとう」
湊は教授に命を救われた。
そして逃げなくて良かった…と心から思った。
もし逃げていたら警察に通報され、指名手配された上に逮捕されていたかもしれない……
後から解った事だが、ミリの言う『ゴキブリ』とは『教授に近付く虫』という意味だった。
ガラステーブルを挟んでお互い向き合って座る。
湊は目の前に座る2人の女性を観察した。
2人は全く対照的だった。
教授はパッと見、性別の判断がしにくい。
髪はボサボサでパーマなのか寝癖なのか…前髪で目が隠れていて、見た目ムク犬みたいだ。
白衣に、いつまで着てんだよ!?と突っ込みたくなる程の首まわりがだらんだらんの薄手のトレーナーにだぼだぼのジーンズ。みすぼらしく、白衣を着ていなければ「教授」って紹介されても誰も信じないだろう。
男か女か区別しにくいが、少し大きめのトレーナーからでも判る程の立派なものが目立っていて、それを見れば明らかに女だと判る。
それにただでさえ怪しいのに何故か教授は右目に眼帯をしていて、それが余計に怪しさを倍増させていた。
それに比べて、もう一人の天使みたいな悪魔ミリは、いかにも女の子って感じだった。
前髪を斜めに分け、ストレートの長い髪はサラツヤしている。
服は白いレース編みのふんわりワンピースで、顔もそこいらの芸能人より断然可愛い。何だか見ているだけでいい匂いが漂ってきそうだ………いや、実際いい匂いがする。
このサラツヤな長い髪をなびかせながら俺に迫って来た時には嬉しかったが、パンツが見えるのも気にせず俺を仕留めにきた時には本当に殺意すら感じた。
いや、殺意しかなかった。
湊はミリを警戒し敵意すら感じた。そしてミリも湊に敵意を感じていた。