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イサカ村の漁火守  作者: リグニン


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3/3

第3話 漁火

濁の日。古池はこれによる被害を防ぐために必死だった。しかし、死霊による脅威は古池の想像を更に上回っており…。

ポツ、ポツポツ、ポツポツポツ…。


小雨が降って来た。加藤は顔を強張らせて車を走らせる。薄っすらと霧が出てきて視界は悪い。


「すまねえ。あんたにとって後ろの友達が大事みたいに、俺にとっても悟が大事なんだ。あいつは死なせねえ」


「…構いませんよ。自分達だけ助かろうなんて思ってませんから。無理矢理引きずってでも避難させましょう」


「頼む」


海に近付くにつれて霧が濃くなって来た。視界が悪い。赤信号なのにも関わらず突っ込んで来た車とぶつかりそうになったりした。それから船小屋に着く。古池はまだ船小屋にいた。漁火のキューブを小型船に乗せようとしている。


加藤と光莉は急いで駆け寄る。古池は急いでキーを取り出してエンジン始動を試みるが慌てては上手く刺さらず先に加藤に取り押さえられた。光莉は素早くその手から鍵を奪取する。


「よしてくれ、火継の儀を完遂させないととんでもない事になるのはお前だって知ってるだろ!!」


「分かってるよ!だがな、お前が火継の儀に拘る理由がそんな大義名分じゃない事も知ってるぞ!お前はな、単に死にたがってるんだ!!息子が死んだ事を、自分のせいだって責めて!体のいい償いのために死にたいんだ!!そうなんだろ!?」


「何を…」


暴れる古池を加藤はぶん殴った。ようやく大人しくなる。


「お前は簡単には死なさねえ!濁の日は過ぎるんだよ!だがな、火継の儀は毎年2回もやらなきゃならねえんだ。そしてそれは俺達にしかできない。そうだろ?…今はどうにもならねえ。生き延びるしかねえんだ」


「剛…。分かったよ…」


ようやく諦めた様で古池は大人しく谷池神社に同行する事にした。3人が車に向かう途中で何やら聞き慣れない音が聞こえた。


ズル…ズル…ズル…。


オオオ…オオオオ…。


体を引き摺る音。唸り声。海面には薄緑色を帯びた白色の物体が浮かび上がっている。


「嘘だろ、あまりに早過ぎる…。死霊だ!皆、今すぐに逃げよう!」


古池が言う。それぞれ逃げ出すが加藤が動かない。2人は振り返ると加藤はふらふらと海に向かって歩き出す。


「剛!!」


名前を叫んで古池が駆け寄り、加藤の腹を殴る。口らから水を吐き出した。


「おえっ!!何しやがる!!」


「立ち止まってないで逃げるんだよ!!!」


「あ、ああ。すまん。ちょっと鳥居の方が気になってな」


「もう一発ぐらい殴っとくか…?」


そんなやり取りをしながら3人が車に戻る。後部座席にいる赤田の体を起こしてシートベルトをさせた。古池の意見で後部座席には光莉と赤田、前部座席の助手席に加藤と運転席に古池が乗った。先程の様な事態になった時に手を打てる様にだ。


車を発進させて谷池神社に向かう。光莉がバックミラーで先程の死霊を見ようとすると古池から「見るな!」と注意された。病院を通り過ぎて角を曲がった先にある神社に車を停める。


加藤が赤田を支えながら鳥居を潜り、階段を登って谷池神社の中へ入る。神主の田辺は春子の名前を出すと何も聞かずに社務所の奥の部屋に案内してくれた。田辺は古池の話を聞くと「念のために結界を補強して来る」と言って社務所を出て行った。


畳張りの和室の上でも4人は各々腰を下ろして休む。


コチ、コチ、コチ、コチ…。


重い沈黙の中、室内を満たすのは時計の針の音ばかりだけだった。沈黙に耐えかねたのか加藤が口を開いた。


「春子さん、大丈夫かな」


「心配には及ばないよ。濁の日だって死霊がここまでの高さには来ない事は郷土史で確認済みだ。それに、母さんなら今だって多少の死霊は払える。問題ないよ」


「ならいいんだか…」


コチ、コチ、コチ、コチ…。


しばらくすると赤田がパチリと目を覚ました。赤田のそばて心配そうにしていた光莉はパアッと表情が明るくなる。


「大丈夫?私が分かる?」


「ん…。何だか頭が重い。確か、えっと…ここはどこ?」


「今の碧にはちょっと説明が難しそう。まあ、とにかく安心できる場所よ」


「そっか」


加藤は赤田が気が付いたのを確認するとコップに水を注いで持って来た。赤田はお礼を言って受け取りそれを飲む。まだぼんやりしている。「あんな事があったばかりだ。無理もない。私がしっかりしなくては」光莉は自身にそう言い聞かせた。


ポツポツポツポツ…ザーーッ…。


時計の針の音を覆うように雨音が激しくなって来る。加藤はため息をついて辺りを見渡す。恐らくある事を考えているのだろうが、それは赤田を除いて全員だった。ただそれを口に出すのが恐ろしいだけで。


ついに古池が立ち上がった。


「ちょっと田辺さんの様子を見て来る。何だか胸騒ぎがする」


「あ、ああ。何もないとは思うが気を付けて行けよ。何かあったらすぐに呼ぶんだ」


「分かってる」


古池はそう言って外に出た。


「あ、猫ちゃん」


赤田が急に間の抜けた声を出した。


「え?どこ?」


光莉は辺りを見渡す。それらしい姿は見当たらない。光莉は赤田の方を向くと彼女は何もない方向を向いている。その視線は徐々に赤田の方へ向かって来る。光莉はゾッとして赤田の腕を無理矢理引っ張って視線の先の存在から赤田を遠ざけようとする。


「いたたたたた!!何するの!」


「碧…よく聞いて。あなたの視線の先には何もいないわ」


「え?だって…」


困惑しながら赤田は視線を戻す。


「あれ…?」


「どうかしたのか?」


加藤が尋ねた。光莉は加藤に赤田だけが見た猫の存在を教えた。赤田は先日の夕方も同じ猫を民宿ふるいけの駐車場で見かけた事を話した。加藤もその猫には心当たりがないらしい。どうやら赤田にだけ見える様だ。赤田はそれを聞いて身震いをした。


気味が悪いな…何て言葉を言いかけて飲み込んだ加藤。これ以上下手に皆の不安を誘う様な事を言う必要はない。


「うわあああああああ!!!!」


耳をつんざく叫び声が聞こえた。古池の声だ。加藤は「悟!!!」と叫んで出て行く。光莉も一緒に行こうとしたが、赤田の方を向いて少し考える。


「私は大丈夫。一緒に行こう」


光莉は赤田の手を引っ張って加藤の背中を追った。


バシャバシャと境内の地面を水溜まりごと蹴りながら走る。古池は社務所から少し離れた場所で立ち尽くしていた。少し離れた所には白いぶよぶよの死霊が徘徊していた。そして、田辺と言う名前の神主は…服装を見なければそう判別できないほどに白く膨れたぶよぶよの死体に成り果てていた。


加藤は手元を隠して堪らえようとしたが我慢できずに嘔吐してしまう。光莉は赤田の目を覆って見せない様にした。


「あ…ああ、どうして。一体、どうして…」


古池が声を震わせる。


「じ、神社の中は聖域たがら、入って来れないんじゃないの…?」


血の気の失せた光莉が声を震わせて言う。


「…村の人数が少なくなって、神格が少し低いんだ。でも、この神社は結界で隠されてるから死霊には見えないはずだし、こんなに高い所に来る訳なのに、どうして…」


ここにいては危ない。分かっているが動けない。あり得ない事が起きた。安全であるはずの場が安全ではなくなった。死体を見る事を諦めた赤田は震える光莉を見て驚いた。


「光莉…?何か、ポケットに入れてる…?」


光莉がその言葉にギョッした。さっきよりも顔色が悪くなる。赤田はゆっくりと手を伸ばすと光莉の胸ポケット中に手を入れ、中身を取り出す。それは、紗綾形の模様の入った木くずだった。漁火の一部である。


ここにいる全員の視線が光莉に集まる。光莉は涙目で首を横に振る。


「だって、こんな事になるなんて…。浜辺に落ちてる物なら、大丈夫だって…」


「捨てるんだ!!今すぐに!!!」


古池が叫んだ。ビクッと体を震わせて光莉はすぐに投げ捨てた。


「私のせいだ…」


そう言って泣き崩れる。


「今は誰のせいとか言ってる場合じゃない!…悟、本殿か社務所に籠城しよう。死霊は基本的に仕切られた建物の中には入れない。そうだろ?」


「いや、ここにはもう安全な場所はない。数が多過ぎる。連中は仕切りを突き破って来るだろう。より高い場所へ避難しないといけない」


赤田は光莉の手を握った。


「反省は後よ。立てる?」


「うん…」


それぞれ雨の中を走って車へ向かう。辺りを徘徊する死霊はのそ、のそ、とゆっくり歩み寄る。古池の言葉に従い3人はなるべく死霊を見ない様にして車に飛び乗る。運転席側に加藤が座ったため助手席にいる古池から鍵を受け取って車を運転する。死霊達の間をすり抜ける。


何とか谷池神社を抜ける事が出来た。


「剛、病院へ行こう。ここまで来たら、もう母さんのいる場所の方が安全だ…」


「………………」


加藤は無言で車を走らせる。


「剛…?」


一体何を考えているのか、加藤はアクセルペダルをベタ踏みしている。


…プチッ、ニュッ、ギュムム。


まるで空気を入れたゴム風船を捏ねる様な音が聞こえる。加藤の体は風船の様に膨らんでいく。加速する車。目の前には積みブロック。古池は「衝撃に備えろ!」と叫んだ。ほぼ同時に加藤の口から水が噴き出し、車は勢い良く壁に激突した。


「うっ、うう…」


赤田は呻いて体を起こす。死霊に囲まれる前にこの場を脱する必要がある。隣で気絶している光莉に声をかけると何とか意識を取り戻した。


「皆、出よう。病院へ行くんだ…」


古池の言葉に従って車から出る3人。古池は運転席で変わり果てた友人を一瞥すると首を横に振って気を取り直す。辺りを見ると多くの死霊が辺りを徘徊している。神社のみならずこの高さまで上がって来ているのはいつもより事態が深刻な事を現していた。


「…駄目だ。これじゃ病院までの安全なルートがない。より高い所へ…。公民館へ行こう」


そう言って歩き出すと古池は小さく呻いて顔をしかめる。


「すまない、左腕が上がらない。足手まといになる様なら遠慮なく僕を置いて行ってくれ」


「冗談言わないでください。皆で生き残るんですよ」


赤田はそう励まし、それぞれ体の痛みを我慢しながら皆で公民館へ向かう。ふと、赤田は立ち止まって病院の方を向いた。


「…………………」


「ちょ、ちょっと碧?!」


様子がおかしい赤田に光莉は思わず声がうわずる。


「えっ、いや…大丈夫」


「しっかりしてよ!もう!」


「大丈夫だって。それより早く行こう」


3人は公民館へ急いだ。古池の言う通り、高い所に行けば行くほど死霊は少なくなる。古池は鍵の隠し場所から鍵を取り出すと右手でドアを開けて皆で中に入る。古池は鍵を閉めた。それから公民館の角を回りながら何かを唱えながら文字を書いている。恐らく春子の行なっていたそれと同じ類いの物だろう。


それから、古池は右手で祈り、光莉はすすり泣き、赤田は光莉の背中を擦っていた。全員が公民館に避難している事さえ目を瞑ればつい先程までのあらゆる異常事態が嘘のようだった。赤田が生死をさまよい、水死体の様な死霊が闊歩し、聖域で神主の田辺が惨殺され、加藤が目の前で膨れ上がって水を噴き出しながら死んだ。一度に体験するにはあまりに凄惨な出来事だった。


今さっきまでの出来事は、ただの夢だったかもしれない。誰かがそう思った、そう思いたかったその時である。


…バンッ、バンッ…。バンッ!


生存者かもしれない。赤田は振り返ろうとする。


「見るな!…生存者なら、きっと声をかけるはずだ」


…バンッ、バンッ、バンッ…。


オオオ…オオオオオオ…。


窓を叩く音。唸り声。死霊だった。


「大丈夫だ。ここへは入って来れない」


そう言う古池の声はまるで自分に言い聞かせる様だった。


バンッ、バンッ、バンッ、ミシッ、バンッ!

バンッ、バンッ、バンッ、バンッ!!

ギシッ、バンッ、ギギギ…。


壁を叩く音が増える。


「死にたくない…死にたくない…」


光莉が頭を抱える。赤田は光莉の耳元で「大丈夫。大丈夫だから」と小声で呟く。皆、目を瞑って祈る。


…ポタリ、ポタリ。天井から水漏れしている。今まで雨音で気付かなかったのだろうか。気が付けば小さな水たまりができている。



バンッ、ギシギシッ、ガンガン!!ガンガン!!

バンッ、ガタン、ギシッ、ミシッ、ガン!!

ミシミシ、ギリリリ…ギリリリリリ…!!

バンッ、バンッ、バンッ、バンッ!!

バンッ、バンッ、バンッ、バンッ!!!!



耳をつんざく騒音が四方八方から鳴り響く。


夢だと思いたい現実がすぐそこまで迫っている。

瞑った瞼をこじ開け、これが現実だと見せつける様に。


ただ、ただ、過ぎ去ってくれと祈る。


…壁を叩く音は、雨の降る勢いが弱くなるに連れて少しずつ小さくなって行った。


重苦しい空気の中、光莉のすすり泣く声ばかりがこだました。


それから朝まで何も起こらなかった。


誰もが一睡も出来なかった。




翌朝、始発で赤田と光莉は電車で帰る事になった。イサカ村は濁の日による被害で仕事どころではなくなったからだ。2人は春子に民宿ふるいけには近付かない様に言われているが、左腕がままならない古池では車を運転する等して2人の私物を取りに行く事ができず、念のために日が昇ってから赤田と光莉が民宿の鍵を受け取って取りに行った。幸い何もなかった。


2人は受け取りづらかったが古池から給料をもらった。「何の慰めにもならないが、これで美味しい物でも食べて欲しい」と給料とは別に多少の金を包んでくれた。また、帰ったらできるだけ早く病院で受診してもらい、怪我等あれば労災が降りるから連絡して欲しいと言っていた。赤田はそれに対して「古池さんも怪我人なんだから、私達に構わず早く病院を受診して欲しい」と古池に返した。


火継の儀とされる期間はもう1日残っている事を赤田は心配したが、大勢の村民が高所での避難生活しなければならない事から、火継の儀はしばらくは必要ないだろうと言っていた。


古池は電車が動き出し、2人の姿が見えなくなるまで小さく右手を振っていた。


ガタン、ゴトン…ガタン、ゴトン…。


赤田は窓の外から少しずつ遠くなっていくイサカ村をまだ眺めている。


「碧、気持ちは分かるけどこっちを向いてちょうだい」


「え?」


「怖いのよ。あんたがイサカ村の方を向いてると…」


「ごめん」


そう言って赤田は光莉の方を向いた。スマホを取り出すと大量の通知が来ていた。家族や氷室からである。赤田は目を擦りながらひとまず無事だと連絡する。


「ねえ、そう言えば公民館に避難する前なんだけどさ。あんたどこ見てたの?海と言うには少し視線が高かった様な気がしたんだけど」


「え?ああ…。光が見えたんだ。ふよふよと浮かびながら海に向かって飛んで行ってた。ぼんやりとでしっかり見えなかったけど灯は見た?」


「私は何も見てないけど…。漁火?」


「分からない。そもそもあれ、空を飛ぶ物なの?」


そう言いながら赤田は大きく欠伸をした。


「あんた寝てなさいよ。私が起きててあげるからさ」


「いいの?じゃあ灯が眠たくなったら言ってよ。今度は私が起きてるからさ。…おやすみ」


そう言って赤田は眠った。一睡もできなかった事や度重なる疲れもあり数分と経たずに赤田は眠ってしまった。光莉はその寝顔を穏やかな顔で見ていた。ふと、光莉は「碧」と優しい声で囁く。赤田は眠ったまま返事をしない。


「うふ。うふふ。ねえ、碧。碧ってば」


光莉はニコニコと笑う。赤田は返事をしない。光莉は上機嫌で胸ポケットを探る。中から出てきたのは…紗綾形の、漁火の欠片。


「へえ。これ、外が明るいうちは光って見えないんだね。バレたらどうしようかと思っちゃった」


光莉はうっとりとした顔でそれを眺める。欠片の後ろには古い血がべっとりと染み込んでいる。


「いい思い出ができちゃった♪うふふ、ふふふふ…」


彼女は大変ご機嫌だった。


ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン…。

ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン…。


2人を乗せて電車は彼女らの帰るべき場所へ向かって行った。

文字数を減らして短編にするかより展開を大きくして中編にするか迷って…た時点で一万四千文字目だったので中編にしました。ラストで変に展開をセーブしたくなかったのでオチを決めずに書きました。

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