98話 海王国からのSOS(16)
ドォォォォォォン! という地面や空気を激しく揺さぶる衝撃に、俺は現実世界でリアルに寝台から転げ落ちた。体も数ミリ浮いた気がする。
「あで!」
地面に転がって腰を摩った俺の肩にキュイが乗り、警戒している。そこにバタバタと足音がして、直ぐにクナルが駆け込んできた。
「大丈夫か!」
「うん。何があったの?」
現状が何も把握できていない俺を立たせたクナルが窓の外を指す。そちらを見て、俺は目を丸くして震えた。
乳白色の結界の外に巨大な影がある。長大な、蛇にも似たその姿を俺は知っている。
俺の知る龍ってやつに似ている。が、神々しいのではなく禍々しい。
体は真っ黒な鱗に覆われ、頭には棘のような突起物が複数出ている。手足はなく、ヒレなのか蝙蝠の羽なのか分からない皮膜みたいなものもついている。
目は鋭く濁った赤色をしていて、こちらを睨んでいた。
山一つ分ありそうだと思った霊亀の倍くらい大きなそれが長大な体をくねらせながら距離を取り、突進してくる。突き刺さりそうな細く鋭い頭からぶつかって、さっきと同じ衝撃が伝わった。
「うわぁ!」
よろける俺をクナルが支えてくれる。
その間にも場はもの凄い混乱だ。
「俺はトウミを補助しに行く。シユ様が塔へきてほしいと言っていた」
「分かった。クナル、気をつけて」
伝えて着替えようとして……不意に後ろからギュッと覆うように抱きつかれた俺は驚いてそちらを見た。
「クナル?」
「気をつけろ」
不安そうな声と表情、ぺたんとした耳。それらを見て、心配だって言われている気がして、俺は笑って頷いて同じように抱きしめた。
「クナルこそ、一番危険だから気をつけて。無理しないで」
「あぁ」
女神様、どうかクナルを守ってください。危険が少ないように、お願いします。
俺の祈りが不意にクナルを覆って、次に海神の涙に吸い込まれていく。すると取れてしまいそうな首飾りの真珠がクナルの胸元にスッと埋まった。
「……は?」
「うわ……」
俺、また何かやらかした?
鎖骨の辺りに薄らと盛り上がっている部分があるけれど、これって海神の涙……だよな。え? 埋まった? 埋まるのあれ!
「……後で事情説明つきあえよ」
「うん。ごめん」
なんて言い訳しよう。あと、取り出せるのかな?
そんなことを思う俺の頭を一撫でしたクナルは頼もしく口の端を上げる。
「まぁ、これで外れるかもしれない心配もなくなったからな。存分に働くさ」
「うん。気をつけて」
出ていった人を見送って、俺も手早く着替える。肩にキュイを乗せて向かったのは塔の一番上。今もこの結界を維持するために必死になっているだろう人の元だった。
門番はすんなりと通してくれた。そうして最上階へと駆け上がった俺が見たのは、今にも倒れてしまいそうな紫釉だった。
「紫釉さん!」
浮いている宝珠を抱きしめたまま真っ青な顔をした彼は苦しそうに顔を上げ、僅かに笑みを浮かべる。冷や汗を流す彼へと駆け寄った俺は思った以上に状態が悪いことに気づいた。
手と足に力が入っていない。だからこそ縋るようにするしかなかったんだ。
時折痙攣し、それでも魔力を注ぐと苦しそうな声が漏れる。そんな人をとても見ていられない。
「紫釉さん休んで! こんな状態じゃ」
「ダメです。結界が、壊れてしまう。そうしたらこの国の民はあの怪物に食われてしまう。我は構いません。マサ殿、痛みだけでもどうか」
「その場しのぎの治療じゃもう!」
辺りを見回し、椅子を引き寄せて座らせた。酷い汗で息もずっと切れている。白い肌は透けそうな程に青白くなってしまっている。
手に触れても脱力していて動く感じがない。それにとても冷たくなっている。手はずっと震えたままだ。
「マサ殿、お願いです」
「っ!」
どうする? どうしたらいい! 何度鑑定眼で見ても原因が掴めない。ただ状態異常を示す部分が黄色くなっている。危険度が増したってこと?
見えないものは直せない。分からないものは直せない。俺の知識がきっと足りていない。このままは危険だって、俺だって分かるのに。
不意に、震えた手のまま紫釉が俺に触れた。苦しいのに、それでも微笑んで。
「今を乗り切れればいいのです。お伝えした通り、そう長くはなかった。悔しくはありますが、今を守れればもう贅沢など申しません」
「そんなのダメですよ!」
俺は嫌だ。今だって、悲しそうなんだ。目を見れば分かるんだ。笑っているけれどその目は泣いている。まだ諦めたくなんてないはずなんだ!
俺は宝珠を見て立ち上がる。そしてそこに触れて、魔力を注いだ。
「マサ殿!」
俺の置いた手に宝珠が吸い付くとピリピリする。科学館とかにあった静電気のガラス玉みたいだ。それが俺に繋がって魔力を吸い取っていく。
でも、俺の魔力は膨大だ。今だけでも乗り切ってみせる。問題は……。
「紫釉さん、魔力は俺が注ぎます。でも、結界の修繕とか細かな感覚が俺じゃわかりません。お願いできますか」
「そんな! もの凄い魔力を消費するんです。倒れてしまいますよ!」
「大丈夫です。俺の魔力、虹色級なので」
この無駄に多い魔力を今使わなくて何に使うんだ。俺には戦うことなんて出来ない。それならせめてこういうことくらいはしないと。
紫釉の表情が締まり、座ったまま震える手を宝珠に置いた。すると彼は驚いた顔をして俺を見た。
「凄い……本当に結界の維持に必要な魔力が足りています。これなら補強と修繕のみに魔力が使える!」
紫釉の体から青い光の帯のようなものが流れて宝珠へと吸い込まれていく。すると俺の手から取られる魔力が僅かに増した。
けれど同時に宝珠の中に、なにやら映像が映り込んだ。
「え?」
それは結界から見える映像だろうか。突然外壁の外の映像が映り込んだ。そしてそこにはクナルと燈実の両名が、リヴァイアサンに対峙しているのが見えた。
「あ!」
思わぬことに声が出る。それは紫釉も同じで、心配そうな表情で食い入るように見ている。
間近に見るリヴァイアサンの大きさはやはり大きすぎて分からない。ベヒーモスに似た圧迫感を感じる。こんな巨大な魔物を討伐しようとしているなんて。
「リヴァイアサンって、どうやったら討伐できるんだよ」
「体の何処かにある逆鱗と呼ばれる部分を貫けば死ぬと、天啓がありました」
「逆鱗?」
それって、弱点ってこと? でも何処にあるか分からないんじゃどうしろと。
「作戦では寝床を探し、そこに強力な眠り薬と痺れ薬を撒いて行動力を削いで探し、逆鱗へと一斉に攻撃する予定だったのです」
「それでもおそらく倒しきることはできないでしょうが」と彼は続ける。それでもかなり弱らせることはできると予測していたそうだ。
そのまま追い立て、海面に姿を出したところで地上からも攻撃をしかけて挟み撃ちにする。それが海洋都市ルアポートとの討伐予定だった。
「我の体が多少まともになれば海中だけでも勝負を決することが出来たかもしれない。そうでなくてもこの程度はするつもりでいたのですが」
宝珠の中でリヴァイアサンはクナル達に向かって突進をする。もの凄い速さのそれをクナルも燈実も除けた。よく見たら足の辺りからジェット噴射みたいな水が吹き出ている。
「クナル殿は水と氷の精霊と親和なのですね」
様子を見ていた紫釉に俺は頷く。
宝珠の中のクナルはグングンと上へ向かい、そこで手を上へと大きく伸ばしている。するとそこに巨大な槍が現れた。氷で出来たその槍は……え?
「大きすぎない!」
隕石みたいな大きさになっている槍を思い切り振り下ろしたクナルは更に水の魔法で後押しし、槍の速度は弾丸みたいになっている。
それがリヴァイアサンの胴体に突き刺さると、流石の魔物も大きく胴をくねらせ海底を叩き、それで大きく町が揺れた。
「うわぁぁ!」
「っ!」
結界も軋むような音を立てる。俺は慌てて魔力を注いで、紫釉も修繕を行った。




