91話 海王国からのSOS(9)
その夜、やっぱり足が重怠くてリデルを訪ねると、やはり足に疲労が溜まっていると言われて今はマッサージをしてもらっている。
ベッドにうつ伏せになり、脹ら脛に温かいタオルを当てられ、両手で圧迫しながら血流を促すようにしてくれる。これがとても気持ちいい。
同時に、最近のレッスンのことや今日のマッサージのことを話すと、リデルは面白そうに笑った。
「クナルと随分打ち解けたのですね」
「ん……かもしれないです。でも今日のはちょっと困ってしまって」
「ふふっ、素敵です。きっとあの子は貴方を誰にも取られたくないんですね」
「? 俺を欲しい人なんて、いるんですか?」
うつ伏せのまま問いかけると、リデルの手が僅かに止まった。気づいて振り向くと、彼は困った笑みを浮かべていた。
「無自覚と自己肯定の低さもここまでくると心配ですね」
「え?」
「そうですね……まず、トモマサさんは人気があると思います。親愛か、恋情かの違いはあれどね。私もトモマサさんのことが好きですよ。のんびりとお茶をする友人として」
「俺も、リデルさんとはそういう関係で好きですけれど」
でもあの言いようはもっと違う意味も含んでいそうな気がする。
「それに加えて、今後は奇跡の聖人という評価も加わります」
「え?」
「分かりやすく言うと、政治的な意味での利用価値ができたんです」
その言葉に、俺はゾッとしてリデルを見てしまった。
きっと青ざめていたんだろう。リデルは目尻を下げて気遣わしい顔をした。
「殿下は守るとおっしゃいますが、手が届かないところで何かある可能性もあります。身分の低い家が貴方を無理やり手込めにして権威を強めるとか、有力貴族が家の格を上げるためにとか」
「そんな!」
「だからこそ、自衛してください。私も友人がそのような理不尽な思いをするのは嫌ですし、許せません」
こうはっきりと言われると怖くなって、思わずギュッと自分の腕を握る。その手にリデルは触れて、やんわりと微笑んだ。
「そういう意味では、クナルが少し意識的に貴方を囲っているのは悪くないのですよね」
「囲う?」
「……ねぇ、トモマサさん。クナルのことは嫌いですか?」
「え! まさか! 好きですし、大切ですよ!」
この世界にきて真っ先に俺を案じて寄り添ってくれた人だ。そんな相手を嫌いになるなんてありえない。
それに……離れたくないって思えるくらいには……不安だって思えるくらいには居たいんだ。居てくれると、安心するから。
俺の頭をやんわりと撫でるリデルが頷いている。眼鏡の奥の瞳が柔らかく俺を見ている。
「それなら側にいて。その好きを大事に温めてみてください。貴方の気持ちを、否定しないでくださいね」
「? はい」
俺の気持ち。それは、最近少し分からなくなっている。
今までなら家族が、星那が一番大事。俺が店や家族を守らなきゃって思いでいた。
でも今はそれもあまり必要なくなってきて、皆が俺自身を認めて大事にしてくれて……クナルが俺を甘やかして。
知らない感情が増えたんだ。不意にドキリとする心臓や、熱いと感じる体。撫でられると嬉しくなる気持ちや、甘えて凭りかかることへの安心感。
今はこれらに振り回されて、対処ができない。何処から湧き上がる気持ちなのかも分からない。我が儘になる自分も、馴染まない。
でもそれらと向き合えば何かが見えるはず。
その先がどうなるのかは……まだよく、分からないけれど。
◇◆◇
紫釉との約束の日、王都の港に俺とクナル、そして殿下とロイの四人でいる。
こうして港に立ったのは初めてだ。行ったのは手前の市までだったから。
立ち並ぶ倉庫と、そこからの桟橋。大きな船が複数入港できるのだろう立派なものだ。
だが、何故か俺達がいるのはそんな港のもの凄く端っこだった。
「ここでいいんですか?」
「そうだね。彼等の船は少し特殊だから、普通の場所だと無理なんだよ」
苦笑する殿下の説明だけれど、不安な理由もある。ここ、桟橋とかがある場所じゃなくて本当に港の端っこ。行き止まりにいるんだ。
どうやって船に乗るんだろう?
思って見ていると、突如離れたところの海面にぷくぷくと泡が浮き始めた。それは徐々に数を増していき、軽く海面が持ち上がっていく。
「え?」
「あぁ、来たね」
今では「何か海底で爆発した?」 と言わんばかりの水の盛り上がりとなっている。同時にもの凄く大きな影が下から浮き上がってくるのも見えた。
「マサ」
クナルが腕を掴んで少し後ろへと引く。俺と、俺の肩にいるキュイは引っ張られて後ろに。次にはザバァァン! と大きな波を立てて巨大なものが現れた。
「……亀?」
目の前が影で暗くなるくらい大きな生物が現れる。山くらいありそうなそいつは大きさこそ怪獣映画の亀型怪獣だが、間違いなく緑色の亀だ。
あれ? 俺が行くのは竜宮城なのか?
一瞬血迷ったことが浮かんだが……だって、亀がお迎えだよ? そう思うじゃん!
その間にも亀は此方に向き直り、大きな頭を下げてくる。頭は俺達のいる陸地に。そしてそのままクパァと口を開けた。
「え!」
亀が口を開けると、そこにいたのは紫釉と護衛の燈実だった。二人は特に気にした様子もなく亀の口の中から出てきて、俺ににっこりと微笑んだ。
「こんにちは、マサ殿。再びお会い出来て嬉しいです」
「紫釉様! あの、この亀は……」
思わず聞いてしまう。すると彼は後ろを見てクスクスと笑った。
「見慣れませんよね。驚かせてしまいましたか?」
「あぁ、いえ」
「これは霊獣です。霊亀の子供でしてね。地上と海中を安全に行き来できるのでたまに力を貸してもらっているのです」
霊亀と呼ばれた大亀は何処か誇らしげな様子でいる。それにしても、霊獣というのは案外いるものなんだな。
「其方も素敵なお供を連れておりますね。地上の霊獣はあまりお目にかかれませんので、とても嬉しいですよ」
綺麗な青い瞳をキュイに向けた紫釉に、キュイは最初警戒した。だが彼が指を近づけその匂いを嗅いで、直ぐに警戒を解いてしまった。
「ふふっ、可愛らしい。柔らかく、温かなものです。やはり海の生物とは違いますね」
柔らかな毛を楽しむように指先で撫でながら彼は嬉しそうに微笑む。そうしていると余計に綺麗で、目のやり場に困ってしまう。
「シユ殿、続きは後で存分になさると良いですよ。そろそろ出発しなければ」
「おぉ! そうでしたね」
殿下に声をかけられ、ポンと手を打った人が俺とクナル、そしてキュイにも例の真珠のネックレスをくれる。それぞれが身につけたところで、俺達は霊亀の口の中へと案内された。
「……大丈夫かな?」
思わず弱気になる。だって、巨大亀の口の中に自ら入っていくんだよ? 勇気がいる。
その俺の背後にぴったりと付いてくれるクナルが、トントンと肩を叩いた。
「俺が守るから、安心しろ」
「うっ、うん」
頼もしいし、信じてる。でもそれ以上にドキリとした。低く頼もしい声音が心地よいのだ。
霊亀の口の中は、なんだか異空間みたいだった。言うなれば暗くて狭いトンネルみたいな感じでひんやりとしている。
数分そうして歩いていると、少し先が明るくなっている。出口だって分かって、どこかホッとしてしまった。




