88話 海王国からのSOS(6)
殿下達が帰った後も、俺は暫く応接室にいた。隣にはクナルがいる。依頼書を並べて見比べながら、彼は小さく息をついた。
「良かったのか、受けて」
「……うん」
逃げられるならそうしていたかもしれない。使命の話がなければ無理だと言っていた。でも……俺は動くって決めたんだ。後悔しないように、力もつけたい。ベヒーモスを前に戦う術もなく逃げの一択しか選べなかった時、俺は絶望した。助けたい人を置き去りに無様に逃げた自分が、本当は一番嫌いだったんだ。
クナルは腕を組んでソファーにもたれ掛かる。そうして、俺の頭をワシッと撫でた。
「無理するなよ」
「……うん。ごめん、迷惑かけて。また、危ないことになって」
俺を守るクナルはどうしても巻き込まれる。俺の選択はきっとクナルを傷つけることだ。今度こそ死なせてしまったら……怖くて、考えたくない。
でもそんな俺を見るクナルは優しい目をしていて、俺の腕を引き寄せてしまう。バランスを崩して倒れ込む俺はクナルの腕の中で、何となく恥ずかしくなった。
「気にすんな。寧ろ他の奴が付くってなったら荒れるぞ」
「でも」
「俺がそうしたいんだ。だから気にするな」
クナルは俺に甘い。こんな風に甘やかしてくる人はいなかった。母も守ってはくれたけれど、こんな風には甘えられなかったな。
トクントクンと音がする。逞しい腕の中が心地よくて抜け出せない。こんなんじゃダメだって思ってるのに。
不安が緩む。望みが浮き彫りになる。
俺は、クナルとこうして一緒に居たいんだ。
◇◆◇
謁見の話から数日、俺の異世界暮らしもとうとう一ヶ月を過ぎた。
今では日常となりつつある宿舎での生活は安定していて、騎士団のメンバーとふざけ合うことも多くなった。
でも、そういう日はクナルが入念に俺を風呂で洗うのがなんとなく疑問状態だ。
そうして約束の謁見の日。
城へと向かい通されたのは豪華な一室。どうやら国賓などと対談する用の部屋らしい。
大きな窓からは日の光が入り、その光は毛足の長い赤い絨毯へと吸い込まれる。家具はどれも重厚で優美で古く、存在感がある。飾られている調度品、花だって今日のために用意されたのだと分かる気合いの入りようだ。
その部屋へと招かれてクナルと行くと、複数の人がいた。
殿下とロイは当然見知っている。だが他の人が分からない。
殿下と談笑している、この中では一番年長と思われる人が此方を見て、パッと目を輝かせる。
年の頃は五十代だろう。きっちりと撫でつけた鳶色の髪に鼻の下の髭。愛想のいいニコニコ顔は少し作り物めいても見える。筋力はそれ程ないようにも見えるけれど、オレンジ色の目は俺だけを見ていて少し怖い。
その人がズンズン凄い勢いで来るのだ。思わず引いてしまう俺だけれど逃げる前に両手を捕まえられる。案外強い力だ。
「おぉ! 貴方様が聖人トモマサ様! お会い出来て光栄ですぞ!」
「あぁ、いえ。あの」
「ただならぬオーラ。これぞまさしく女神に愛された方なのですね!」
「いえ、あの!」
えぇ、どうしよう! ちょっとじゃなくて大分怖い! 凄い勢いと押しで怖い! 言葉も仕草も芝居がかった大仰さでどうしたらいいの!
「出会いの記念に手に口づけを」
「ひぃ!」
「止めろ、迷惑親父」
取られた手にキスをされそうになり狼狽える俺。だが後方から飛んだ声と音もなく近付いた人物に後頭部を鷲掴みにされ、更にはギリギリと締められて男は止まった。
この青年はとてもまともそうだ。
長めのボブくらいの鳶色の髪にやや死んだオレンジ色の瞳。顔立ちは美青年と呼べるのだが、何せ目の下の隈が凄い。唇もかさついているし、顔色も良いとは言えないものだった。
何よりこの両名、耳はない。だが間違いなく獣人だ。背中に鳶色の羽があり、体に対して大きい気がする。
痛みにバタつく男を後ろへと放り投げた青年が前に出て、きっちりとした礼をした。
「うちの父が大変失礼を致しました。後で粛正しておきます」
「あの、大丈夫……です」
粛正って、日常会話で聞く単語じゃないんだけれどな……。
青年の後ろからおかしそうに笑う殿下が来て、ロイも苦笑い。そうして改めて両名の紹介がされた。
「先にきたキモイおっさんがアントニー。ルアポート領の領主で、ギュウスラン伯爵ね。で、その親父にアイアンクローかましたのが息子のファルネ。私の政治的片腕だよ」
「ご紹介にあずかりましたファルネです。この度はルートヴィヒ様を始め、多くの民の命を救って頂き誠にありがとうございます。更には我が領地の急な要請にも前向きに検討をして頂いているとのこと。お手数をおかけしてしまい、申し訳ありません」
ユリシーズと同じであまり起伏のない様子で返してくるファルネだが……有能な秘書みたいな感じがある。真面目が服を着ているみたいだ。
「俺が出来ることでしたら、可能な限り力を貸したいと思っています」
「ありがとうございます」
「いやぁ、実に素晴らしい心根! 心が清らかな者に聖なる力は宿る! あれだけの厄災を鎮めたとなればそのお心の清らかさはどれほどのものか。いっそ、今世舞い降りた女神の使徒なのでは!」
「黙れクソ親父。話が進まない」
一瞬ドキリとするが、間髪入れずにファルネが黙らせた。彼、強いな。
そんなやりとりをしているともう一組が近付いてくる。此方の様子を見て、ひとまず遠慮していたのだろう。もしくは巻き込まれることを拒んだか。
凄く綺麗な人だった。
透き通る海の青さに似た長い髪は高い位置で一つ括られていなければ床に付いてしまいそうな程。肌は真珠のように白く、瞳は深い青をしている。
ほっそりとした体にゆったりした服装で……なんか、母が好きだった中国大河とかに出てくるヒラヒラした服に似ている。とにかく西洋の格好とは全く違うものだった。
何より耳が人のそれとは違う。まるで魚のヒレのようで、半透明に透けている。これも凄く綺麗だ。
後ろには護衛らしい屈強で寡黙そうな人もいて、常に周囲に気を配っているのが分かる。此方は明らかに武人っぽくて、中国の鎧みたいなものを着ていた。
「お話中失礼いたします、ルートヴィヒ王子。我もそろそろ聖人様にお目通りを願いたく思うのですが」
「これは失礼をした、シユ王。どうにもうちの無作法が突っ走りまして」
「ふふっ、良いのです。それはそれで面白かったので」
品良く口元を長い袖の袂で隠し微笑む人が俺へと視線を向けてくる。
なんていうか、男性なのか女性なのかすら分からない綺麗な人だ。見られただけでドキリとする。歩く姿すらも静々という感じで上品で、物腰も柔らかい。
そんな人が俺の前にきて、にっこりと微笑んだ。
「初めまして、聖人様。我は海王国ウォルテラを預かる神子、紫釉と申します。後ろのは護衛の燈実。此度は当方の問題にお力を貸して頂けるとのこと、誠に嬉しく思います」
「あの、相沢智雅です。何が出来るか、まだ分からなくて申し訳ないのですが」
少し恥ずかしく伝えると、紫釉はにっこりと微笑んでくれる。その優しい笑みが凄く安心するのだ。




