85話 海王国からのSOS(3)
俯いてしまった俺を見て、王様は優しい顔をする。そっと頭を撫でる大きく皺のある手は、とても温かかった。
「そのような顔をするものではないぞ」
「ですが、その……」
「……スティーブンのことを気に病んでいるのだろうが、それこそ其方に落ち度のないことだ。寧ろ完全に被害者なのだ。もっと言えば、あの子が其方に取った数々の横暴な振る舞いと乱暴について、親としても王としても詫びねばならないのは此方の方だ」
「止めてください! 俺、王様にそんなことをされるような人間じゃありません。俺は、何も……」
「いいえ! 貴方はあの子を救ってくれた大恩人です!」
不意に高い女性の声がして顔を上げた。
王様の後ろに控えていた女性が目に沢山の涙を浮かべて此方へと早足に近付いてくる。
直ぐにスティーブンの母親だと分かった。淡く柔らかなアイスブロンドは毛先が内向きにカールしている。目鼻立ちの良い、清楚な顔立ちに宝石みたいな青い目。王女様が着ているようなふんわりとした淡いピンク色の、花刺繍のあるドレスを着ている。
金色のやや大きく先の尖った耳と、ふさふさとした太い金の尻尾から狼だというのは直ぐに分かった。
年齢にして四十代だろうか。彼女は両手で俺の手をギュッと握り、そこに額を付けて申し訳なさそうに涙した。
「あの子が貴方に取った全ては、とても許されるものではありません。母として、なんてお詫びをしたらいいか分かりません」
「あの、そんな!」
「エルシー」
「そんなあの子に温情をかけて頂けたこと。あの子の洗脳を解いていただいたこと。本当に、ありがとうございます」
「え?」
俺が洗脳を解いた?
初耳で側にいる殿下に視線を向けると、彼は首を傾げている。いや、俺初耳ですけれど?
「あれ? 言ってなかったかな?」
「聞いてません!」
「ごめん、抜けてたみたい。何せ色々あってさ」
「それも分かりますけれど……」
本当に色々と勘弁してください。
殿下の話によると、スティーブンが自分を取り戻した切っ掛けは黒の森を浄化した、あの光爆弾だったらしい。
あの光が体を通過した瞬間、頭の中の靄は晴れて清々しい気分となり、体の重さや感情をかき乱す苛立ちも消えてなくなったという。
同時に己の罪まで認識してしまい、その場で自死すら考えたがそれでは王族としての責任を全うできないと恥じ、出てきたという。
ついでにハンナの洗脳が解けたのもこの瞬間だったけれど、彼女の場合は洗脳期間が長すぎてどうすることも出来なかったという。
わりと大事な話だったように思うけれど、今初めて俺はこれを知った。
「貴方の浄化によって正気を取り戻した息子と、数年ぶりにちゃんと話が出来ました。私が民の側に立つと分かってから、あの子はまともに取り合ってもくれなくて。何度も話をしようとはしたのですが……貴方はあの子を救っただけではなく、私達親子の時間まで取り戻してくれたのです。本当に、ありがとうございます」
震えながら今も俺の手を両手で握るエルシー妃につられ、俺も泣きたいような気持ちになってくる。悪いものじゃなくて、もらい泣きなんだろうけれど。
俺は何も出来ないと思っていたけれど、少なくともこの人の助けにはなれた。大事な時間を、繋ぐ一助ができたんだろうか。
そんな俺の手に王様の手も重なり、頷いてくれる。そこにいるのは王様と王妃様ではなく、一人の父と母だった。
「この恩は忘れない。トモマサ、何かあれば頼りなさい。必ず力になると約束しよう」
「私からも誓います。貴方の助けとなります」
「ありがとうございます」
素直に礼を言って、有り難く申し出を受けることにした。実際、この人達の力を借りなければならない事態は遠慮したいけれど分からない。何せ敵はまだはっきりと見えないのだから。
一通り終わったところで、一人後ろに控えていた人がゆっくりと近付いてきた。
一見、何の獣人なのか分からない。大きな三角形の耳やふさふさの尻尾は狼にも似ているけれどエルシー妃よりも小柄に見える。
髪の色は淡い金色でスッキリとしたボブくらいの髪型。顔立ちは凜々しく、眦の切れ込んだオレンジ色をしている。
そして間違いなく、男だ。
「話は一通りすんだかな、エルシー」
「えぇ、クライド。時間をいただいてしまいましたわ」
「そんなことを気にしなくていいんだよ、可愛いお姫様。俺はまぁ、落ち着いてからで構わないと思っていたのだしね」
オレンジ色の瞳が俺へと向けられ、微笑まれる。なんていうか……男前な人に見える。
その人は近付いて俺の手を取って、目尻を下げて微笑んだ。
「初めまして、トモマサ。王妃のクライドだ。うちの馬鹿息子が何かと君に無理難題を押しつけているようだけれど、大丈夫かい?」
「へ?」
王、妃?
目をぱちくりして目の前の人を見る。どう見ても格好いいお兄さんだが……王妃?
「母上」
「ふふっ、面白いね。セナはもう少し上手く取り繕ったのに、君は固まるんだ。可愛い」
「へ!」
スルリと顎を撫でられてゾクゾクッとした。戻ってきた俺は目の前の人と殿下を見比べて……性格が似てるのは分かった。
「クライド」
「ゴメンよイライアス。けれど思った以上に可愛らしい子で、少しからかってみたくなったのさ」
「まったく」
楽しげに笑うクライド妃と、溜息をつく王様。俺の隣では殿下がなんともいえない様子でいる。
うん、なんか中身が同じだから間違いなく殿下とこの人は親子だな。
クライド妃は改めて此方をみて微笑み、とても綺麗な礼を取った。
「ルートヴィヒの母、クライドだ。うちの息子とその思い人を救ってくれたことを感謝する」
「いえ。当然のことをしたと思っています」
「ついでに、うちの馬鹿息子が君にあれこれと構っているだろ? 迷惑だったら遠慮無く言ってくれ。止めるから」
「母上、私はこれで国を思って協力を要請しているつもりなのですが?」
「人使いが荒い。ゴリ押しするな。恩人に圧を掛けるアホが何処にいる。反省しろボケ」
……なんていうか、王妃様っぽくないなクライド妃。
でも、この砕けた感じは嫌いじゃない。俺は自然と笑えていた。
なんだか、温かい場所だ。温かい家族だ。地位が上で身構えたけれど……少なくとも今ここにおいては歓迎されている。
この人達の助けになら、俺はなりたいと思う。
一通りの挨拶が終わると、王様がこの場にいる皆の前に出ていく。そして、にっこりと笑った。
「待たせてすまないな。まずはここに、二人の素晴らしい友を迎えられたことを喜ばしく思う。セナもトモマサも、異界より来てくれたことに感謝する。其方達に不自由がないよう、精一杯努めさせてもらう」
王様の視線が俺と星那へと向けられる。真摯な眼差しは信用できるし、今はこの人達の力になりたいと思う。だから、しっかりと頷いた。
「また、此度の厄災においてトモマサを守ってくれたクナルの勇気と貢献は称賛に値する。なにか、欲しいものはあるか?」
個別に名前を呼ばれたことにクナルは驚いた顔をした。一瞬俺へと視線が向けられ、次には丁寧な礼をしてみせる。とても優雅で貴族っぽい。
「では、恐れながら一点」
「なんだ?」
「俺は、マサの専属護衛騎士になることを希望します」
「え?」
それは……どういう?
分からず殿下を見ると何故かニヤニヤしている。ロイも何処か嬉しげで、デレクは少し困り顔だ。




