105話 君の想いに触れたのは(4)
部屋に戻るとシルヴォが温かいお茶を淹れてくれた。それを飲み込んで……俺は奥歯を噛んだ。
「クナルはそんなことしていない」
「していないと思うよ」
「!」
思わぬ肯定の言葉に顔を上げる。だがシルヴォは暗い目をしたままだった。
「言っただろ? ここはあの女王の庭なのさ。ここでは白だって黒になる。赤だって言えば何でも赤だ」
「どうして」
「それが分かれば僕も苦労はしていないんだよ」
そう重い息と共に吐き出された言葉は既に諦めたものだった。
「数日で父上が来ると言っていたけれど、それも怪しいかも。こちらに二人が来たら連絡する手はずになっていたから」
「そんな! だって、困って!」
「困ってるよ、僕達は。でもあの人は困っていないんだ。現実が、現状が見えていないからね」
「っ」
もう、何を言えばいいか分からなかった。
「とにかく今日は鍵を掛けて……可能なら結界を張って寝る方がいいよ」
「……うん」
「……明日、何か動きそうなら知らせるから」
気遣いの言葉を残してシルヴォは部屋を出て行った。
残された俺は悔しくてたまらない。クナルは絶対にそんなことをしていない。そう言いきれるのに「証拠は?」と言われると何も出せない。見ていないから。
そもそも困ってないのに呼ばれたって何? アントニーが来ないってどういうこと? それは今回の作戦を共同で行っている紫釉だって困ることなのに。
でも、分かっている。他人が困っているから、なんて考えがある人はこんなことできない。自分が良ければ他なんてどうでもいいという身勝手な人だからこそこんなに横暴なことが出来るんだ。
「っ」
また、ドロドロした気持ちが出てくる。これは憎しみ? 恨み? 憤り? 分からないけれど、良くないことは分かる。だからって消し去ろうとも思えないんだ。
『キュイ』
「キュイ?」
不意に頬に柔らかな感触が触れる。キュイが俺の頬に体を擦り寄せていた。
「……そうだ、キュイなら!」
現状を知らないからこれが出来る。シルヴォは知らせる手段を持たなかった。でも俺にはキュイがいる。
「キュイ、手紙を書くから殿下に伝えて! できる?」
『キューィ!』
まるで「任せろ!」と言わんばかりの凜々しい目をしたキュイを見て、俺は急いで手紙を書いた。手紙っていっても長ったらしいものは書けない。短く用件だけを書いて、それを小さく丸めてリボンで縛ってキュイに括り付けた。
「これで大丈夫かな? 落とさないかな」
『キューゥ!』
「大丈夫!」と言われた気がする。それを信じて窓を開けるとキュイはそこからスルリと外に出て、まるで稲妻みたいな速さで王都方面へと屋根を伝って走っていった。
お願い、伝わって。こんな冤罪をかけるくらいだから、まともな取り調べなんてしない。きっと何か要求があるんだ。それを飲まなければクナルは解放されない。
情けない、祈るしか出来ないなんて。俺を沢山助けてくれたクナルを助ける手段がないなんて。
でも、絶対に助け出すから。それまで待っていて。
眠れぬ夜は過ぎていって、結局外が明るくなっても眠れる様子はなくて……俺は翌朝を迎えるのだった。
◇◆◇
翌日も俺は夫人に同じ訴えをした。だが「取調中」ということしか言わず、面会もさせてもらえなかった。
部屋に戻って頭が痛くなってただただうつむいて悔しさに震えていると、不意にノックの音がした。
出る気力はあまりない。でも相手の方から声をかけてくれた。
「マサ殿、いる?」
「シルヴォさん」
フラフラと立って出ていくと軽い食事をトレーに乗せたシルヴォがいて、俺の顔を見て眉根を寄せた。
「酷い顔だね。まぁ、分かるけれど」
「ごめん」
「謝るのはこちらのほうだよ。強欲は醜いよね」
そう言って苦笑して入ってきた彼がテーブルセットに軽食を置く。でも、食べられる気がしなかった。
「食べなよ。体力もたないよ」
「食欲なくて」
なんて、飲食店経営者が言うのもどうなんだろうな。
でも本当に食欲がない。まず美味しそうに見えないんだ。気の持ちようでこんなに違うんだって、改めて感じた。
そんな俺を見て、シルヴォは離れて座ったまま小さく呟いた。
「ちょっと羨ましいかな」
「え?」
「クナル殿のこと。こんなに思ってくれる相手がいるなんて、羨ましいなって」
「そんな」
「僕にはいないよ。母だって僕のことは便利な道具くらいにしか思っていないんだ。父も帰ってこないしさ」
否定……しようと思ったのに出来なかった。アントニーの方は分からないけれど、夫人の方は分かる。あの人が自分以外を大事になんて、想像ができなかった。
「昔はもう少し違ったんだけどな。少なくとも義母は僕のことも大事にしてくれたんだけれど」
「義母?」
俺の問いにシルヴォの方が目を丸くする。現状、彼等家族のことについて俺は無知なんだ。
「知らないできたの? 僕の母とファルネ兄さんの母は違うよ。僕達は腹違いの兄弟だ」
「複雑……なんだよね?」
何せ国王一家は妃同士仲がいい。あれを見てしまうと他もそうなのかと思えてしまう。俺の居た世界でも一夫多妻の国はあって、そういう所では夫人同士の仲も良さそうだし。
ただ、あの夫人と仲良くなれる気は俺はしないんだけれど。
それを肯定するように、シルヴォは深く頷いた。
「元々、ファルネ兄さんの母と父は想い合っていたんだ。けれどそこに僕の母が横恋慕した。母同士の家の格でいけば僕の母の方が上ってことで、あの人は無理やり自分をねじ込んだのさ」
「えぇ……」
それって、絶対に駄目なやつだろ。と、俺は思うんだけれど。
「そんなにアントニーさん、モテたんだ」
「伯爵位で領主家だしね。それに父自身やり手だったから将来有望だった」
「うわ……」
「でも当然、父の気持ちはファルネ兄さんの母に行く訳で、僕の母は後回し。結果、一年未満とはいえ兄が先に生まれて僕が後。僕から言わせればよく番ってもたえたなって思うよ」
これについてはノーコメントにしておこう。気持ちとしては頷いてしまうけれど。
「これで自分が優先されないことに怒ってるって、もう意味が分からないよ。僕のことだって本当はどうでもいいんだ。ただ僕がいることで離縁されないからってだけ」
あきれ果てた言いように俺は心配になる。だってこの言い方はまるで自分も大事にされていないって、言っているようだから。
「シルヴォさんは、アントニーさんやファルネさんが嫌いなの?」
思わずそう聞いてしまうと、彼は少し黙って……次に自信なさげに首を横に振った。
「嫌いじゃないよ。少なくとも実の母よりも二人は僕を大事にしようとしてくれる。実際領主代行なんて任せてくれてるしね」
「でも、戻らないって」
「母がいるからね。戻ってくる度にうるさく言われたら誰だって嫌だよ」
そういう彼は笑うのに、凄く寂しげで泣いてしまいそうな顔をしていた。
「義母……ファルネ兄さんの母はこんな僕のことも気に掛けて、母のヒステリーから守ってくれていたんだ。でも亡くなった後はもうやりたい放題」
「逃げようと思わないの?」
「……逃げ方が分からないんだよ」
彼は本当に、そう弱り切った声で言った。
他人からすれば簡単なことがある。言葉にするのは簡単なこともある。でも当人にとってはどんな難問よりも難しい現状もある。シルヴォにとって夫人の呪縛は、何よりも強い足枷なのかもしれない。
この人も、救われるべき人なんだろうな。
そんなことを思って、俺は彼の肩を叩いた。
何にしても今はクナルをどう救い出すかだ。彼が簡単に屈するとは思わないけれど、だからこそ怪我をしたりする可能性もある。
無実を証明できれば……なんて言ったら、シルヴォは苦笑して「無駄」と言った。
「言ったよ。あの人の中で都合の悪いことは嘘になる。どれだけ証明しようと望む状況が得られなければ認めないんだ」
「なんなんだよその理屈」
こんなに話ができないなんて思わなくて、現状進まなくてイライラする。でもクナルは救い出さないと。今はキュイに託すしかないけれど、それだって数日かかってしまう。キュイは凄い速さで移動できるけれど、それを聞いた人の方は移動に時間がかかるんだ。
「クナルにもしものことがあったら俺、どうしよう」
不安が込み上げる。どうしようもない気持ちになる。自分のことなら耐えられるのに他人となればそうはいかない。
不安に胸元を握り泣きそうになる俺を見て、シルヴォは大きな溜息をついた。
本日大晦日です!
ということで、更新を増やしたいと思います。
これから初詣に行かれる方も、並んでいる間にいかがですか?




