第9話 魔女の過去
序章 魔法のない少女
彼女の本名は アリア・フェルネス。
今のように黒衣をまとい「魔女」を名乗る前は、
ただの少女だった。
田舎町で育ち、家は貧しく、村の人々とうまく馴染めず、
幼い頃から孤独だった。
ある日、村の子どもたちに石を投げられながら、
彼女は聞いたことがある。
「アリアは気味が悪い」
「いつも目をそらさないから怖いんだよ」
「魔女の子どもみたいだ」
——この言葉が、彼女の人生を決める。
アリアは気づいたのだ。
“人は純粋な恐れより、勝手なイメージで怯える”。
「魔女の子どもみたい」
そう言われただけで、魔女ではない少女が魔女に見えるのだ。
この時、彼女の心に“ある種の決断”が生まれた。
第一章 心を読む訓練
アリアは幼い頃から極めて鋭い観察力を持っていた。
それは魔法ではなく、ただの“注意深さ”。
・相手の視線の揺れ
・呼吸の乱れ
・手の位置
・声量
・目の開く速度
・歩幅の変化
これらを見るだけで、
相手が何に興味を持ち、何を怖がり、
どんな嘘をついているのか分かってしまう。
彼女は天性の**観察者**だった。
しかし、この能力は村人に嫌われた。
“心を見透かされる”と感じる相手は不気味に映る。
だから彼女は決意する。
「ならば、私は本物の魔女になる」
魔力などない。
魔法も使えない。
だが、彼女には人間の心を操る才能があった。
第二章 “魔女の演出”の誕生
彼女は十代になると、
町に出て心理学の本を読み漁った。
特に夢中になったのは——
■錯覚誘導
人間の脳は、予想と一致する情報を“真実”として認識する。
→ つまり「魔女がいる」と思わせれば、何でも魔法に見える。
■条件づけ
鐘の音と特定の行動を繰り返し組み合わせると、
後に鐘を鳴らすだけで人は“それらしい感覚”を覚える。
■誘導暗示
語気、間の取り方、視線の向け方ひとつで
人間は“自分の意思で結論に達した”と勘違いする。
■行動経済学(権威効果)
白衣を着るだけで医者に見えるように、
魔女の服装をして洋館に住むだけで魔女らしく見える。
彼女は全てを応用した。
第三章 洋館という“劇場”
アリアは、森の奥に捨てられていた古い館を見つけると、
それを改装した。
人を怖がらせるためではない。
人が持つ“魔女像”を徹底的に再現するため。
・わざと古い洋館
・薄暗い照明
・かすかな甘い香り
・外界と遮断された構造
・月光の差し込む位置を計算した部屋
・床がわずかにきしむ音響調整
・魔法陣を思わせる意匠のタイル
すべては“魔女の世界に入った”と人に錯覚させるための舞台。
館そのものが、ひとつの巨大な心理マジックだった。
第四章 “魔女の魔法”の正体
アリアは魔法が使えない代わりに——
人の脳が勝手に魔法だと思い込む仕組み
を徹底的に作り上げた。
■魔法① 光の軌跡
彼女が杖を振ると光が走る。
理由は単純。
杖の先に小型レーザーの集光素子がついているだけ。
だが、部屋の壁はあらかじめ
光をぼんやりと散乱させる材質に調整してある。
観る者は——
“杖から光が生まれた”
と誤認する。
■魔法② 浮遊物体
庭園で花が浮遊するのは、
風、気流、気圧差を計算し尽くした“空調制御”。
空気の通り道をつくり、
軽い素材で作った花片を舞わせているだけ。
でも、人は魔女が呪文を使う瞬間だけを見ているから、
その前に仕込まれた空調の微弱な動きには気づかない。
■魔法③ 分身鏡
鏡の中の自分が勝手に動く。
仕組みは、
事前に撮影した映像を偏光フィルムで合成し、
照明の角度とタイミングを合わせた“ミラーシアター”。
だが観客は“鏡を見るぞ”と思っている。
だから映像が現れても、
人間はそれを鏡からの反射だと誤認する。
■魔法④ 宝の消失
これが彼女の最高傑作。
魔方陣の光が宝を包み、
宝が消えたように見える。
真実は、
光干渉膜を使った“投影のずらし”と
床の微振動による“空間定位の攪乱”。
宝はただ横にスライドしているだけ。
だが、人間は“魔法で消えるはずだ”と決めているため、
スライドを知覚できない。
心理学ではこれを
期待先行型知覚(プライミング効果)
と呼ぶ。
第五章 アリアの目標
彼女がなぜここまでして魔女になりきったのか?
——世界に「本物の魔女」を作りたかったから。
孤独だった少女は、
人々が自分を必要とする未来を願った。
「魔女に相談すれば願いが叶う」
「魔女は困った人を助ける存在だ」
彼女はそんな“魔女という偶像”を作りたかった。
そのために、
魔法を科学で、心理で、演出で作り続けた。
第六章 しかし、たった一人だけ騙せなかった
アリアは魔女として名声を手に入れた。
どんな客も、学者も、有名人も——
誰一人として彼女の魔法を見破れなかった。
ただ一人を除いて。
怪盗L。
彼だけは、
魔方陣の点滅速度、光の散乱角、振動の周期、
その全てを一瞬で見破った。
アリアは生まれて初めて、
自分の“魔法”が通じない人間を目の当たりにした。
その瞬間、
彼女は恐れを覚えた。
そして同時に、
生まれて初めて“楽しさ”を覚えた。
終章 魔女が魔女であるために
アリアは今日も洋館で魔法を使う。
杖を振り、微笑みを絶やさない。
だがそのたびに、胸の奥にある感情が疼く。
——怪盗Lが来るかもしれない。
“魔法を見破る人間こそ、魔女にとって最も危険で、
そして最も魅力的な存在だ。”
彼女は今日も笑う。
誰も彼女の正体に気づかないまま、
新たな魔法を準備する。
すべては、
いつか再び怪盗Lを前にしても
敗れないために。
そして——
彼女自身が“本物の魔女”になるために。




