第5話 ゆらぐ森へ侵入
彼の名は怪盗L。目的はただ一つ――セキュリティを破ること。
宝は単なるトロフィー。真の喜びは、完璧な防衛を攻略することにある。
今夜の相手は、PY社の人工森。完璧に見える生き物型セキュリティに挑む。
「……本当に行くのね?」
工房の影から、ミラが手を腰に当てて言う。
「もちろん。だって、穴を見つけるのは僕の楽しみですから」
「楽しみもほどほどにしてほしいわ……落ちたら怒るんだから」
彼は微笑む。
「心配無用。あなたの作った罠も、すぐにゲームの一部にしてみせます」
人工の森を、一定周期の夜風が撫でていた。
木々は揺れるが、揺れ方が不自然に“整っている”。
温度も、湿度も、匂いも――完璧に管理された偽りの自然。
怪盗Lはその光景を眺め、静かに笑った。
「……これだけ整ってる方が、不自然ですよ、PY社さん」
黒いコートを整えつつ、入り口に立つホログラム看板へ目を向ける。
《PY社 セキュリティエリア:H.A.N.D》
――“生き物たちが、あなたの行動を見ています”
挑戦状としては、なかなか洒落ている。
■1.人工湿地 ――《ミラーキャット》の巣
足元には柔らかい土、湿った空気。
自然さを徹底的に再現した人工湿地。
しかしLの耳には、微かな“機械の呼吸”が届いていた。
噴霧機の律動、排気口のパルス――自然界には存在しないリズム。
(自然とはもっと、気まぐれなものです)
巣穴から、小型のミラーキャット群が顔を出した。
複眼で360度を監視し、侵入者の体温・筋緊張・呼吸を読み取る精鋭たち。
通常なら、Lなど一瞬で囲まれる――はず。
しかし彼らはそわそわと足踏みし、落ち着かずに巣へ逃げ戻ってしまった。
(狙いどおり)
Lは侵入前、この湿地に“自然風ゆらぎ装置”を極小サイズで仕掛けていた。
湿度と風の周期が“ほんの少しだけ”乱れると、
訓練された警戒行動より、動物たちは本能の“自己保護”を優先する。
Lは巣穴の横を、土に吸い込まれる影のようにすり抜けた。
■2.洞窟ステージ ――《シンクドッグ》の息遣い
洞窟に入ると、冷気が肌を撫でた。
その奥には、異能の警戒犬が待ち構えている。
動きを“同期”して予測し、
人間のわずかな肩の揺れだけでも侵入を看破する危険な相手だ。
だが今日は――違った。
洞窟内は、人工気流システムの誤差で“揺らぎ”が発生していた。
風が乱反射し、温度と圧が定まらない。
シンクドッグたちは敏感に反応し、
侵入者よりも“気流の異常源”を探して右往左往している。
「……環境依存型セキュリティは、環境が崩れると脆いですね」
Lは犬たちの背後を無音で通り過ぎた。
一度も目を向けられることなく。
■3.樹海ステージ ――《ナイトオウル》の錯覚
樹海エリアに入ると、木々の高みに《ナイトオウル》が並んでいた。
赤外線・超音波・心拍――完璧な制御でも誤魔化せない、動物ならではの感知力を持つ。
だがこの夜は、空間そのものが揺れていた。
湿度制御の乱れが“多層反響”を起こし、感覚を狂わせている。
Lは胸元の小ケースを開いた。
中には“季節を錯覚させる微弱フェロモン信号”。
冬モードを誘発する香りを、一滴だけ空気に放つ。
ナイトオウルたちは驚いたように羽を震わせ、
冬眠に似た行動フェーズへ移行。
感知優先度を一気に下げた。
(春と夏しかない森に、突然冬が来るんです。混乱しますよね)
Lは枝葉の影を縫うように進んだ。
■4.最奥 ――偽りの大樹
やがて樹々が途切れ、巨大な“木の洞”が姿を現す。
しかし表皮の奥には光と配線――人工樹脂製データ保管庫だ。
中にはPY社の遺伝子ノウハウと動物行動ログ。
企業にとっての金庫そのものだ。
Lは静かに木洞へ入り、呟いた。
「……季節がない。この森は常春ですか」
動物たちの生理リズムが固定され、
環境が“揺らがない”からこそ成立しているセキュリティ。
Lは“季節ゆらぎ信号ツール”を取り出し、
春から秋への微弱な変化を空気に乗せた。
次の瞬間、壁を走る樹脂の生体回路が収縮。
環境システムの同期が乱れ、
森全体の動物セキュリティが“再優先度の再計算”へ入る。
その一瞬――判定が“無負荷”になる。
Lは奥へ腕を伸ばし、
眠るように輝く《黄金のデータキューブ》を手に取った。
「さて……今回もいただきましょう」
警報は、最後まで鳴らない。
■5.八代パウロ社長との対峙
人工草原へ出ると、そこに社長がいた。
満面の笑みで拍手している。
「素晴らしい……!
動物の本能と人工環境の矛盾を突いてくるとは!」
Lは丁寧に会釈した。
「生き物は完璧です。
ですが――“生き物を閉じ込めた箱”は、どうしても不完全になります」
「いや、完敗だよ」
社長は楽しそうに笑った。
「だが次は本物の自然だ。
人工ではなく、広大な野生そのもの。
そこでの“ゲーム”を用意しておく!」
Lも微笑む。
「楽しみにしています」
そして、風の中へ歩き出した。
動物たちはその姿を追わない。
まるでひとつの自然現象が、静かに通り過ぎただけのように。




